津波による「塩害」で耕作が出来ないままの田んぼです。
昨日の
北茨城市「大津港」でした。
毎日エンジンをかけ
スタンバイできる体制をしているのですが、
出漁はいつになるのか?
北茨城市の大津港近辺では
家の解体が進んでいますが、まだまだの状況です。
この瓦のすごいお宅も解体されるそうです。
昨日は
義母の命日のため、配偶者とお墓へ。
お墓は、
いわき市の最南部、関田で茨城県境で
茨城まで2Kmくらいのところにあり、
昔は
小名浜港が盛んになります近世まで、
この近くの港が中心地で
江戸までのコメの集積地として
栄えていたようです。
この近くの松山寺(実家の菩提寺でもあります)の略歴を見ますと
その当時の盛んな様子が読み取れます。
海岸沿いのお墓のため、
3・11の津波で、
墓地も被害にあり
まだ倒れていますいるお墓もありますが、
近くの田んぼは
上記写真のように「塩害」のため、
今年は耕作できませんでした。
例年丹精されて耕された水田を
一気に津波が飲み込んで、
歴史上初めて耕作できない状態に・・・・・
「塩害」は
数年は耕作できないとのことですので、
来年以降が耕作できるか心配です。
今月6月2日に
大津港で、解体された義姉の家を見てきました。
何十年もかけ海の男たちが築いてきました一端が、
すべてなくなり、むき出しの姿に。
いのししも配偶者と結婚してからの約40年近く、
義姉との付き合いで、
よせていただいた家が津波のため、解体されてしまったことに
配偶者ともども声も出ませんでした。
大津港では、
国の登録有形文化財「茨城大五浦(いづら)美術文化研究所六角堂」
・・・仏堂と茶室を融合させた・・・
岡倉天心の「六角堂」が流出されましが、
地震後
海に潜り
六角堂の遺物を回収されたそうですので、
ぜひ、
それらを利用して、復元してほしいですね。
それぞれの場所で、
復活への歩みは早急に進めたいです。