goo blog サービス終了のお知らせ 

名将会ブログ (旧 名南将棋大会ブログ)

名古屋で将棋大会を開いています。
みなさんの棋力向上のための記事を毎日投稿しています。

復活

2015-11-08 | 将棋本 断捨離
復活 (角川文庫)
単行本は1998年、文庫で2000年出版、谷川先生の本です。

羽生先生の7冠達成から、名人復位で永世名人になるまでを克明に書いた、という本です。一度読めば再読する必要はありません。

メモしておくべきところはないのですが、先輩の内弟子や弟子の話があったので。都成さんプロになれるかの瀬戸際ですね。

明石散人という人の本を読んでいて、「芸は見て盗むもの」は表面の話、教えを乞うなら報酬を用意すべきで、菓子折りの下には山吹色の饅頭が必要。払えないなら労働奉仕しながら見て覚えるしかないよ、というのが正しいそうです。ここから、浅野内匠頭は吉良上野介に費用を払ってしきたりを習わなければいけないところをケチったので教えてもらえず、逆恨みで刃傷沙汰を起こしてお取り潰し、というところにつながるのです。吉良家は徳川家に疎ましく思われていたのでこの事件を利用されてしまいましたが。

内弟子には将棋は教えないのは当たり前で、副業を手伝ったり家事をこなしたり代稽古に行ったりして住み込み費用の代わりにして、一人前になったら感謝だけでなく(金銭で)謝礼すべきなんでしょう。そういう仕組みを作れなかったから内弟子はなくなりました。
日本将棋連盟だって、イベントファンやレッスンで費用をねん出すべきところを新聞社に頼っているので衰退していくのでしょう。100年もつ仕組みではないです。将棋ファンも無料が当たり前の気になって、人数は多分増えているのですが。
例えば楽器を習うとしたら自己流ではできなくて、上達するにしたがってそれなりの先生の教えを請いますね。月謝も払います。音楽学校にも入るかもしれません。そしてプロになり賞金かも知れませんし、コンサート入場料だったり、所属組織からの給与かも知れませんが、収入を得るのです。

まあ日本将棋連盟がつぶれても、将棋が面白いゲームであることは変わりありません。楽しみましょう。

ちょっと早いけど僕の自叙伝です。

2015-11-07 | 将棋本 断捨離
ちょっと早いけど僕の自叙伝です。 (角川文庫)

1989年に単行本、この文庫は2000年出版、谷川先生の本です。

谷川先生27歳で自叙伝です。早すぎます。そういえば谷川浩司全集も早くに出て途中で終わってしまいましたね。
この本はユーモアもあり、文才を感じさせます。後の本は真面目ばっかりですが。

完全に後解釈ですが、谷川先生名人になるのが早すぎました。早くに高い地位について、活躍を当然のように期待されてしまいました。勝つにもきれいに勝たなくては、と光速ばかりです。終盤を変えてしまったのはとんでもない功績なのですが、後に続く人たちが終盤の技術を身につけてしまいました。なので衰えが早く表れてしまった、というのが残念です。大山先生、森安秀光先生、あるいは高橋先生、南先生のようなタイプになることが許されなかった(と思い込んだ)のです。めぐりあわせですかね。

メモ

20代は自分の力を100%発揮できる。年齢が上がるにつれ将棋の出来不出来が激しくなってくる。読みが鈍くなるというのではない。決断を下す時に間違った方向に行ってしまうのだ。いわゆる大局観というものがくるってくるのだ。

努力しないで一流になる道はない。努力によって自分の力を最大限にまで高め、その限界を越えようとするとき、はじめて才能というものが重要になってくる。

プレッシャーを楽しむ気持ちがないとだめです。

将棋の楽しさまで忘れかけていると思った。あれほど楽しかった将棋なのに。

棋士には芸術家タイプと勝負士タイプがある。私自身はどちらも半々にある。

勝負脳を鍛える

2015-11-06 | 将棋本 断捨離
「勝負脳」を鍛える (PHP文庫)
単行本は2002年、文庫は2004年出版、谷川先生と古田敦也さんの対談です。

対談としては面白いのですが、将棋とか勝負事のためになるようなものは少ないです。

古いデータは捨てて新しいデータにその場で考えたものを加えていく。

記憶はあいまいなもの。しっかり記録を残しておく。

大山先生は、相手が攻めてこなければいけない状況を作り、無理攻めを受けきって勝つ。

これくらいですか。


人間における運の研究

2015-11-05 | 将棋本 断捨離
人間における運の研究 (活学叢書 (8))
1994年出版、米長先生と渡部昇一先生(英語学者)の対談本です。


昔の先生は博学ですね。倖田露伴の努力論が出てきます。
幸福三説
1惜福 福は使いつくさない、大事にする。
2分福 福を独り占めにしない、分け与える。
3植福 福を増やす、育てる。

また、全気全念、目の前のことに集中するとも。





この本を読んだら運がよくなって将棋に勝てる、なんて思い込んだらいけません。運に頼ろうとか、楽して勝とうとか儲けようとか、そう思っているなら運(幸運)なんて意識しないほうがいいです。

また、なにかついていない、不幸だと思ってもいけません。運を味方につけるには、運の悪い人を避け、勢いがある人に分け与えてもらえ、というのですが、これは考え方を変えるほうがいいです。
将棋に負けた、ついていない。ではなく、負けて当たり前、全力で負けて強くなればいいのです。得られたもの(経験)に感謝し、どうやったらもっと強くなれるか考えて実行する。簡単には勝てない奥が深いもののほうが面白いのではないですか。

自分のできることだけに集中してなにかを成し遂げる。でもその成果にとらわれないで喜んで人に分け与え、さらにできることをに集中して行動する。そういうものなんだなあと少しわかってきました。

聖の青春

2015-11-04 | 将棋本 断捨離
聖の青春 (講談社文庫)
単行本は2000年、講談社文庫で2002年、角川文庫でも今年再出版なんですね。

大崎善生さん(将棋連盟職員から将棋世界編集長、今は作家で高橋和先生の旦那様)のノンフィクション、古い方ならご存知でしょう。
村山聖先生の生涯を丹念に追いかけた本です。再読してまた泣きました。お目にかかったことはないのですが、同時代を生きていたのでとても身近に感じます。もう16年ですか。体が弱かったのは不幸ですが、これだけ周りに愛されていて、志半ばとはいえトッププロのまま亡くなったのですから幸せな人だなあ、と思います。今でも多くの人に思い出されているのでしょうし。

羽生先生によると

村山将棋の最大の長所は感性の鋭さにあります。
棋譜を調べることによるうまさというよりも、それ以前の感覚的なセンスの良さがあり、指されてみればなるほどなと思うが、指されなければ気が付かずに通過してしまっている、というようなセンスの良い手が多いのです。
本能的な感性の良さに加え、20代になってからは序盤が非常にうまくなりました。研究に基づいた理論的な面と、感性の鋭さがうまくかみ合って強さとなっていました。村山さんが少し悪いかなと思うような局面での、勝負手を見つけ出す本能的な嗅覚は、まねできない独特のすごさがありました。
村山さんはいつも全力を尽くしていい将棋を指したと思います。言葉だけじゃなく、本当に命がけで将棋を指しているといつも感じていました。


「運とカン」を磨く

2015-11-03 | 将棋本 断捨離
「運とカン」を磨く (講談社プラスアルファ文庫)
単行本は1984年、文庫本は1994年出版、米長先生と柳瀬尚紀さんの対談です。
前に書いた羽生先生と柳瀬尚紀さんの対談はこれよりあとなんですね。柳瀬さんは翻訳家で、この後でジョイスのフィネガンズ ウェイクという難解な本を完訳したので話題になって、羽生先生とも対談になったのです。この本では翻訳の話も出てきますが、将棋愛好家の文学者が米長先生から話を聞く、という感じです。

いくつか書き留めておきます。

天才とか秀才とか努力はあまり大したことがなく、熱意とその持続が一番大事。

実戦のある局面が目の前にあったら、最善は何か、形勢判断はどうか、誰と誰がいつ指したかを知りたがる。でも強いなり弱いなりに読んで結論を出すのが勉強。

将棋の場合は読むことよりも形勢判断、「カン」と表現する(多分大局観を言っている)。カンのほうが次元が高い。でも誤読を繰り返して勝負カンを磨く。

駒得をする、手得する、別のポイントを稼ぐ、あるいは駒を取り返す、など、相手の言い分を聞いて対話する。バランスを取る。バランスが崩れたら、優勢になったら不利になったらどうするか。またバランスの問題。

二上先生曰く、米長将棋は相手のミスを誘う意思が働くと。
なるたけ辛抱をして最後に流れを変える。ひらめく。それは理屈ではない。相手の考えていることを正しく読み取る。相手が動きたがっていればじっとしている。慎重に指したいなら少しずつ稼ぐ。相手が一番嫌がっていることを見破って突く。


さすがに米長先生いいことをおっしゃいます。

勝負のこころ

2015-11-02 | 将棋本 断捨離
勝負のこころ (PHP文庫)
単行本は1976年、文庫は1992年出版、大山先生の本です。

勝負師の心構えを書いた名著です。とはいえ当時も大山先生は多忙ゆえ、ライターが文章をまとめたのでしょう。内容は盛りだくさんですが少し濃淡があります。でも古本屋で見つけたらぜひ買ってください。

いくつか書いておきます。(そのままの表現ではありません)

「助からないと思っても助かっている」「一灯闇を破る」河井寛次郎の陶版での家宝、倉敷レーヨン社長だった大原総一郎氏の言葉とか。あきらめないことですね。きっと道がある。

プロの場合読むことは切りすてることである。迷った時には奇抜な手を指さない。地味な手を指して次のチャンスを待つ。

無駄な労力を惜しむな。無駄を軽蔑せずに楽しむ心のゆとりが必要。合理化の陰には恐ろしい落とし穴がある。

守って五部、攻めて五部なら攻めを捨てて守りの道を選ぶ。受けに回っても悪くないが攻めに出れば六部以上の成算があるときに守りを捨てて攻めに出る。
相手に攻め込まれてからやむなく受けに回るのは本当の受けではない。いつでも反撃できる体制を整えて、あくまでも攻めを前提に守りを固めるのが本当の受けである。


戦う将棋指し

2015-11-01 | 将棋本 断捨離
戦う将棋指し (宝島社文庫)
1999年出版、別冊宝島編集部です。この後続編も出たんですね。
将棋ライターのほかに神吉先生、先崎先生、比江島(今は藤田)麻衣子先生が筆者です。

インタビューとかアンケートとかエピソード紹介とか。図面は出てきません。

記録しておくこと

谷川先生が羽生先生に勝てなくなったころのインタビュー。谷川先生は勝ち負けにこだわり過ぎというか、勝たなきゃいけないと思い込んでいたのがいけないんでしょう。しかもきれいに勝とうとするから、きれいに勝てない相手は苦手になるのです。

中原先生のインタビュー。「大山先生は予知能力がすごいんですよ。」相手の少し先で受けていた。

屋敷先生の競艇ばかりやっていたころのインタビュー。やはりこの後伸び悩んで、今はまた将棋に打ち込むようになったのかな。まあ当たり前の研究ではだめだという意識はあったのでしょう。

藤田先生の記事、松本誠さんからの言葉
「ひえちゃん、将棋は勝つか負けるかその二通りしかないもので、だから勝つことも負けることも将棋の楽しさなんだ。僕は奨励会にいたころ、このことを忘れていた。勝つことしか見えなくて将棋が嫌いになった。負けることだって将棋の楽しさなんだよ。そのことを忘れないでね。僕みたいにならないでね。」
名言です。



対局する言葉

2015-10-31 | 将棋本 断捨離
対局する言葉―羽生+ジョイス (河出文庫)
単行本は1995年出版、文庫は1996年出版で、羽生先生と柳瀬尚紀さんの対談です。

柳瀬尚紀さんは翻訳家。文学とか翻訳とか、言葉の世界のプロです。さすがに羽生先生でもそこまで知識がないので、対談は難しいのですがそれでも成立させてしまうのが一芸は万芸に通ず、というところでしょうか。
文学や翻訳の世界の話も興味深いのですが、羽生先生の言葉を記録しておきます。(そのままではないです。)

天野宗歩は序盤の感覚が手合い違いだった。升田先生も同じ。時代の最先端だった。

大山先生の将棋は大局観、相手との兼ね合いで手を進めて間違いをとがめて勝つ。

米長先生は、将棋は奥が深いからどうやってもいいと勢いを重視していたが、年を取って若者の将棋を取り入れた。

中原先生は逆に独自路線、従来の感覚を捨てた。

(高柳先生によると)谷川先生は論理、羽生先生は思考の飛躍がある。

将棋は難しくてわからないけれど、ここ10年で部分的にはわかるとわかってきた。

全力を出し切ったことはない(狂気の世界に入るからブレーキをかけた、ということではなく、まだできていないと後に書かれた。)というのはおまけ。

この時は羽生先生6冠で、7冠達成の少し前。神がかっていたころ。興味深い話が多いです。

戦いはこれからだ

2015-10-30 | 将棋本 断捨離
戦いはこれからだ―人間的魅力の研究 (ノン・ポシェット)
1999年出版、米長先生と藤沢秀行(しゅうこう)先生の対談です。
この本が、というよりは秀行先生の生涯が面白すぎます。ぜひ読んでください。米長先生も遊び暮らした部分はありますが、秀行先生のほうが桁違いに破天荒です。

将棋は終盤になるほど複雑になるので(といっても収束してしまうのが不思議ですが)、読みの力がものをいいます。囲碁はだんだん手の可能性が少なくなっていく、序中盤の手の可能性が大きいので、感覚のほうがものを言います。というのは子供のころ囲碁のルールを覚えただけの私が言うので的がずれているかもしれません。でもそういうものでしょう。男女のレベルの差が少ないのと詰碁の世界が詰め将棋より狭いこと、年配になっても活躍できるのはそういうことかと。昔の棋士のほうがレベルが高かったという話も聞きます。
まあそれはともかく66歳で囲碁のタイトルを取った秀行先生に50歳名人の米長先生が話を聞き、まだまだ修行だというのですから、楽しいのです。

筋とは関係ないのですが、米長先生の名人を取ったころ、NTT株を安値と思って買って破産しそうだったみたいです。それくらいのことがないと悲願はかなわないのでしょうか?

本を読んで記録しておくべきことは2つ。

勝つための勉強ではなく強くなる勉強をする。自分で苦心して悩んで考え抜くこと。
味や含みがあるのが本来の将棋や囲碁

最初に読んだときは素直に感心していたのですが、その後の米長先生がふるいませんでした。囲碁はともかく将棋は解明されつつある気がします。論理思考の積み重ねによって。年を取ると盤面のイメージを頭の中で考えるのが難しくなってくるので、それをカバーする力をつけるべき、それが直感やそれに関係するものではないかと考えています。