小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

政治雑感3題ーー「大義なき」解散はあるのか? 中ロ急接近で日本は? 「対米属国」論がなぜ出てきた?

2019-06-10 03:51:50 | Weblog
 解散風は本当に吹いているのか、それとも本物の解散風を吹かせるために誰かがあたかも吹いているかのように見せかけているだけなのか。
 過去、安倍政権は任期半ばで2回、衆院解散を行った。「解散は総理の専権事項」とされており、総理にとっては「伝家の宝刀」でもある。実際、戦後、衆議院議員が4年の任期を全うして総選挙を行ったケースはたった1回しかない。基本的には政権にとって最も有利な条件下で「解散・総選挙」を行うのが通例となってきた。そうであったとしても、一応解散権の行使には大義名分が必要であり(実際には「大義なき解散」と批判されるケースの方が多いのだが)、一応過去の安倍政権が行った2回の解散では、安倍総理も「大義」らしきことを解散理由として掲げた。
 最初の解散である2014年11月には「アベノミクスの継続と消費税増税延期について国民に信を問う」を解散理由とした。消費税増税の延期については、安倍総理は民主党政権最後の総理である野田氏が、当時は野党だった自民党の安倍総裁及び公明党の山口代表との会談での3党合意に基づき、「税と社会保障の一体改革」を実現するという口約束で衆院を解散して自公が政権を奪い返したという経緯があり、消費税の増税延期に民主党が反対するだろうとの読みがあった。が、民主党が安倍総理の目論見にまったく乗らなかったため、「消費税増税延期」は完全に「空振り大義」となってしまった。結局「アベノミクスの継続」だけを大義として残したが、まだアベノミクスを検証すべき時期にも至っておらず、結局「争点なき総選挙」となった。
 2度目の解散である2017年9月は、突然政権側に神風が吹いた。おそらく神風が吹かなければこの年の解散はなかったであろう。というのは、この年、安倍政権は従来の内閣法制局の判断をひっくり返して集団的自衛権の行使容認を強行採決し、7月、8月の内閣支持率は政権発足以来最低水準を記録していた。集団的自衛権行使容認を目的とする安保法制は、それまでの国政選挙の公約として与党は一度も明示していなかった。言うなら抜き打ち的に国会に提出した法案であり、当然野党側は終盤国会で内閣不信任案を提出したが、圧倒的多数を占める与党に数の力で屈し、否決された。
 実は今年5月17日の菅官房長官の定例記者会見で、記者の一人から突然「内閣不信任案が提出されたら解散の大義になるか」という質問があり、菅氏は待ったましたとばかり「当然なる」と応じた。野党の内閣不信任案提出はいわば終盤国会での年中行事のようなもので、内閣不信任案提出で総理が伝家の宝刀である解散権を行使したケースは戦後、一度もない。ただし、内閣不信任案が可決された場合は別で、過去に4回(吉田茂内閣の時に2度、大平正芳内閣、宮澤喜一内閣)あり、そのときはいずれも時の総理は解散権を行使している。つまり、過去の慣例からは一度もない「内閣不信任案提出だけで解散の大義になるか」という質問が記者クラブ会員の中から出ること自体が異常であり、ほぼ真っ黒けのやらせ質問といっていい。苦戦が予想されている参院の自民議員から衆参同日選挙を期待する声が強く出ていることへの政権の焦りの表れだと思う。実際、一時はもう一度消費税増税の延期を「解散の大義」にできないかという検討をしたこともあり、萩生田副幹事長が「日銀短観次第では消費税増税の延期も検討すべきであり、その場合は国民に信を問う必要がある」とアドバルーンを上げたことがあるが、「日銀短観が多少悪化したからといってリーマン・ショック級の事態に相当するか」といった反発が与党内からも噴出して、このアドバルーンは不発に終わった経緯もある。
 もし、内閣不信任案提出が解散の大義になるのであれば、それこそ国論を二分した集団的自衛権行使容認について、国政選挙の公約で明らかにしていなかっただけに、政府与党による強行採決に抗議して野党が内閣不信任案を提出した時に、国民の信を問うための解散をすべきだった。そのときには不信任案を否決しただけで、解散には見向きもせず、その直後に北朝鮮のミサイルが日本上空をかすめたことを奇貨として、安倍総理は「国難突破解散」に打って出た。ただし、このときの総選挙で安倍総理は消費税増税を改めて確約し、その税増収分を幼児教育の無償化などに充てると公約に盛り込んだ。
 いま野党も7月参院選に向けての選挙協力体制構築に必死であり、国会は事実上空転状態が続いている。せいぜい「戦争」発言で物議をかもした丸山議員への懲罰問題ですったもんだしているくらいで、重要法案の審議など全く行われていない。
 そうした中で7日、自民党が新法案を国会に提出した。「スーパーシティ法案」(AIやビッグデータを活用した未来都市づくり構想)で、国家戦略特区の改正案だ。構想自体は世界的に広がりを見せており、方法論をめぐっての対立はあるかもしれないが、与野党が全面対立するほどの法案ではない。ただ担当の片山地方創生相は元秘書など口利き疑惑を抱えており、審議入りしたとしても法案そのものより片山大臣のスキャンダル追及に審議が発展してしまう可能性もあり、与党内でも法案提出に疑問の声も少なくないようだ。まして「疑惑隠し」を大義にした解散などできるわけがない。また会期末(今月26日)まで20日を切った時点で、なぜ今国会に提出しなければならないのか、解散のための大義づくりが目的か、という疑問の声も出ている。解散のためにはなりふり構わぬ、というのが安倍執行部の思惑なのか。
安倍総理は6月に入ってから麻生副総理、二階幹事長、岸田政調会長ら執行部の重鎮と連日会談を行っており、メディアによれば、17年の解散時と同じ状況が見られるという。ただ、新法案を提出して片山スキャンダルが再び脚光を浴びるようになる中で解散を強行すれば、野党から「疑惑隠し解散」と追及されるのは必至で、そうなると衆参同日選挙が与党にとってはかえって裏目に出る可能性もある。(6日記す)

 解散問題についてあれこれ勝手に憶測を巡らせていた時期、とんでもないニュースが飛び込んできた。中ロが経済協力と安全保障関係で手を握り合ったというのだ。
 東西冷戦下にあっても中ソは厳しく対立し、小規模ではあっても戦火を交えたことすらあった。共産主義社会建設をめぐる中ソの対立は根深く、領土問題でも対立していた。言うなら共産圏のリーダーをめぐって宿敵同士だったはずだが、いまは旧ソ連は解体しロシアは表面的には自由主義陣営入りしている。いまだ共産主義の旗を降ろしていない中国が、経済面と軍事面でロシアと手を結ぶという。「敵の敵」は「味方」ということなのか。
 習近平主席が5日、モスクワを公式訪問し、プーチン大統領と会談、両首脳は会談後二つの共同声明に署名した。会談後の共同会見でプーチン氏は「ロ中関係は前例のない水準にまで達した。包括的なパートナーシップであり、戦略的な相互協力の関係だ」と表明。習近平氏も「世界は過去100年になかった変化に見舞われている。中ロは安保理常任理事国として国連中心の世界システムを守る」と述べたという(両氏の声明はいずれも6日付朝日新聞朝刊による)。今月28,29日の二日にわたって大阪で開かれるサミット(G20)に向けて激震が走ることは間違いない。
 もし軍事面での協力関係が両国の軍事同盟を目指すものだとしたら、世界の安全保障環境は激変する。アメリカの軍事的覇権は中ロが手を組まないという前提で国際社会も認めているが、軍事同盟を意味するとなると中ロの軍事力は十分アメリカの軍事力に対抗できるようになる。さらに中国の一帯一路構想とロシアのユーラシア経済連合構想は相互協力関係にあり、その緊密度がより高まれば両構想の一体化も考えられ、すでにイタリアが参加を表明している一帯一路構想がヨーロッパ全域に広がる可能性もある。それだけでなく、トランプ大統領の関税攻撃の新しい標的にされたメキシコにも中ロが経済連携の手を差し伸べれば、アメリカの足元すら危うくなる(※8日、トランプ大統領はメキシコへの関税攻撃を、国内世論の反発もあって棚上げ)。さらに北朝鮮やイランなど反米勢力が「中ロ同盟」に加わるとなれば、アメリカの覇権など、どうなるか分かったものではない。
 いま韓国国内では、文大統領の反日政策に対して激しい反発が生じており、韓国の主要5紙も足並みを揃えて社説で文政策に警鐘を鳴らし始めた。これまではやりたい放題だった米トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」政策に対しても米国民から「やりすぎだ」という批判が噴出する可能性も生じる、と私は考えている。そうなれば、韓国のように米メディアが足並みを揃えて、トランプ大統領が仕掛けた貿易戦争の負の部分をあぶりだし、トランプ氏が窮地に追い込まれる可能性も十分ある。
 国際情勢が一転しかねない状況の中で、日本がアメリカと一蓮托生の関係を維持し続けるべきか、新たな発想で新たな国際関係の構築に参画して、経済と安全保障に関する国策を転じるべきかが問われることになる。
 参院選は政権選択をめぐる選挙ではない。「衆院のカーボンコピー」から脱するためにも、新国際情勢の中で日本が果たすべき役割、これからの日本の国際社会でなあり方をめぐって与野党が激しい論戦を繰り広げてもらいたいものだ。参院を「良識の府」にするためにも…。(7日記す)

【追記】今年1月28日付で沖縄タイムス社の記者が書いたコラムをネットで見つけた。そのまま無断転載する。
  日ごろ威勢よく「ニッポンの誇り」を語る人々はなぜ黙ったままなのか。ロシアのプーチン大統領が昨年末、「沖縄県の米軍基地は地元知事が反対し、住民も撤去を求めているにもかかわらず整備が進んでいる。日本の主権がどの程度の水準にあるのか分からない」と発言した
▼自国民ではなく米国の意向に従うとはまるで属国ではないか、という失礼千万な問い。それなのに先日会談した安倍晋三首相が反論した形跡はない。できないのが悲しい
▼「いっそ日本が本当の属国になったら基地はどうなるだろう」。知人の発案を聞いて最近考えている
▼仮に米政府に統治される属領になったとする。そうすると日本政府が出す思いやり予算がなくなり、在日米軍は財政的に規模を維持できなくなって数を減らす可能性がある
▼さらに、政治的理由で沖縄に基地問題を押し込めておこうとする日本政府が手を引けば、米軍は軍事的判断で全国から自由に駐留先を選ぶだろう。結果的に沖縄への基地偏在も解消するかもしれない
▼もちろん、私たちの運命を投票で選べない米政府や米軍に委ねるわけにはいかない。その方がましかもしれない、などと思うのは異常なことだ。そう思ってしまう原因は、米国にはへつらい、沖縄にはかさにかかって暴力を振るう日本政府の異常な振る舞いにある。(阿部岳)
 このコラムには異論がある。コラムの筆者はなぜ「属国」という選択肢を選んだのか。私なら「アメリカ合衆国の51番目の州」という選択肢を選ぶ。アメリカは連邦国家である。各州の独立性が高く、州ごとに固有の憲法があり、州政府(首長は知事)や州議会の下で州法(民法および刑法を含む)が制定され、各州には最高裁判所さえ設置されている。個々の州と連邦は国家主権を共有しており、大統領と言えど、各州政府や州民の意志を無視することはできない。現にオスプレイ基地を拒否した州に基地をつくることを連邦政府が断念したケースもある。安倍総理が、日本のために、そして日本国民のために、アメリカに従属することがもっとも「いいことだ」と本当に思っているのなら、アメリカの51番目の州になることの有利性を国民に訴え、「アメリカの51番目の州になれば、沖縄に米軍基地を偏在させる必要がなくなる。沖縄は第2のハワイ州のような発展を遂げることができる」と主張し、アメリカの51番目の州になることを争点にして衆院を解散、衆参同時選挙を行えばいい。どうせかなりの国民は「日本はアメリカの51番目の州になった」と自虐的に思っているのだから…。繰り返すが、属国になるよりアメリカの51番目の州になった方が日本州の権利は現在の対米関係より大きくなる。それどころか、年中行事のように生じている日米貿易摩擦も煙のように消えてなくなる。もちろん日本州憲法で、州民の象徴として天皇を位置づけることもできる。日本語も州憲法で日本州の公式言語として位置づければいい。さらに自衛隊は州兵組織に改編することになるから、過剰な軍事装備品を連邦政府から押し付けられることもなくなる。誤解を恐れず書くと、現在の日米関係を継続するより、日本がアメリカの51番目の州になる方が、米政府との関係における対等性が格段と高まることだけは間違いない。私には、いいことづくめのように思えるのだが…。(8日記す)
なお、最近政府筋や「忖度」メディア、「忖度」ジャーナリスト、「忖度」外交評論家などが口をそろえて「いま日米同盟はかつてないほど強固だ」と主張しているが、表現の自由が憲法で保障されていると言っても、一般市民がそう思うのは自由だが、政府筋はともかく、メディアや専門家が国民に誤った価値観を与えかねない表現は慎んでもらいたい。正確には「いま日本政府の対米従属度はかつてないほど深まっている」と言うべきであろう。(9日記す)





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