麻生財務相(兼金融担当相)副総理が、怒った。「忖度が足りぬ」と。で、自ら諮問した有識者会議がまとめた報告書の受け取りを拒否したのだ。
通常国会の会期末直前になって、それまで空転状態だった国会がにわかに騒がしくなった。会期末直前の7日に政府が突然国会に提出した「スーパーシティ法案」は、とりあえず審議入りさせるために会期を延長し、衆参同日選挙に持ち込むためというのが、政治評論家たちの見立てだった。
前回のブログで書いたように、もともと与野党が火花を散らして激突するような重要法案ではない。ただ、火種はある。国家特別戦略区のように、その運用をめぐって水面下で裏金が飛び交い、官僚が実力政治家に忖度を働かすような事態は当然生じうる。どんな法律でも、行政権が絡むと法律そのものの美しさはどこかへ追いやられ、薄汚れたごみ箱のようなものになってしまうことは防ぎようがないのかもしれない。結局、「スーパーシティ法案」は棚上げされ(継続審議になるだろう。廃案にはならない)、国会の会期も延長されることなく、衆院の解散もほぼなくなった。
安倍総理が、総理の専権事項とされる解散権を行使できなくなった理由は一つではない。二つある。
一つは本稿のテーマである「年金問題」だが、もう一つがイラン訪問で何の成果もあげられなかったことだ。このところ、総理が得意としていた安倍外交が冴えない。「前提条件なしの首脳会談」を申し入れていた北朝鮮の金委員長からは「図々しい」と玄関払いを食わされ、米イ緊張関係の仲介役を買って出てイランを訪問し、一応ハメネイ師とロハニ大統領の2トップとの面会はさせてもらえたが、安倍総理が「手土産」のつもりだったかどうかは知らないが、トランプ大統領のメッセージはハメネイ師から受け取りを冷たく拒否され、せいぜいのところ茶飲み話程度の面会に終わったようだ。2日間もかけて総理は、わざわざ大恥をかきにイランまで行ってきたような結果に終わった。
政府はハメネイ師が「核兵器をつくるつもりはない」と、安倍氏との面会の席で語ったことをことさらに成果のように主張しているが、イランは一度も核兵器をつくろうとした形跡はこれまでいっさい確認されておらず、2003年にブッシュ・アメリカが、フセイン・イラクが核を含む大量破壊兵器をつくっているに違いないという妄想にとらわれてイギリスを巻き込んでイラク戦争を始めたのと同じ類の妄想を、トランプ大統領がイランに抱いているにすぎず、トランプ大統領の妄想を根拠に米政府が核合意を一方的に破棄して対イ制裁を始めただけの話だ。制裁を止めるというならいざ知らず、制裁を続けているトランプ氏のメッセージをハメネイ師が受け取り拒否したのは当たり前の話だ。外務官僚も、「いまイランにのこのこ行っても無駄ですよ」という進言をなぜしなかったのか。忖度の度が過ぎて何も言えなかったのか、それとも総理に恥をかかせてやろうと、官僚たちが反乱を始めたのか。
さて本稿のメインテーマである「年金問題」に移る。開店休業状態だった国会がにわかに騒がしくなりだしたのは、10日の参院決算委である。久しぶりに全閣僚が出席した中で、3日に金融庁が公表した報告書に野党が一斉にかみついたのだ。野党が問題にしたのは、「男性65歳、女性60歳の夫婦が30年生きるという前提で、年金生活を維持するには年金収入だけでは毎月平均5.5万円不足するため、年金以外の資産が【5.5×12×30=1980円(約2000万円)】が必要」というびっくり仰天するようなことが報告書に記載されていたことだった。報告書の試算はあくまで一つのモデルケースとして、老後生活に不安が生じないよう資産形成をできるだけ若いうちから始めるべきだ、という趣旨で書いたと思われるが、あまりにも国民生活の実態とかけ離れた試算であり、「年金100年安心プラン」はウソだったのか、国家詐欺ではないかという反発が、一部メディアや世論の反発を背景に野党が政府を追及したことから始まった。
そもそも、この問題は「ボタンのかけ違い」から始まった。野党が「ウソ」「国家詐欺」と断罪した「年金100年安心プラン」は安倍内閣の時代ではなく小泉内閣の時代の2004年に,厚労省(坂口大臣=公明党)が年金制度を100年間は維持できる制度にすることを目的とした制度設計であり、年金収入だけで老後生活設計が可能になるような年金制度を約束したわけではない。
5年ごとに見直しが行われることになっている「100年安心プラン」が崩壊したというなら、政府の責任を野党が追及するのは当然だが、今回生じている騒ぎはそういうことではない。
100年安心プランは大まかにいえば、2つの要素からなっている。 ①被保険者が納付する保険料率(厚生年金や共済年金の場合)を毎年少しずつアップするが上限を18.3%にする ②年金支給額の決定にマクロ経済スライドを導入する(通常年金支給額は物価スライドが原則だが、急激な経済変動が生じたときにダイレクトに物価変動率を反映するのでなく、2~3年くらいかけて帳尻が合うようにすること)
この制度設計によって、年金制度自体は崩壊することはないというのが100年安心プランだが、「100年安心」は一種のキャッチフレーズにすぎず、それ以上でも以下でもない。だからこの制度設計はひょっとしたら100年以上持つかもしれないし、あるいは近い将来大幅な見直しを余儀なくされるかもしれない。別に政府が現行年金制度について100年間保証しているわけでもない。制度維持が難しくなれば、また新たな制度設計をし直す必要が生じるだけの話だ。例えば、この安心プランでは見送られたが、その後、国民年金や厚生年金、共済年金の一本化も議論されており、また専業主婦(主夫も)の保険料を免除している第3号被保険者の制度も、私は廃止したほうがいいと思っている。現行年金制度では学生で世帯主の扶養家族であっても20歳になれば国民年金への強制加入が義務付けられており(※私の子供が学生だった頃は私が保険料を払っていたが、いまは学生は免除されている)、専業主婦(主夫も)だけが保険料を免除される状態は憲法が定めている「法の下での平等」に反していると思う。私は第3号被保険制度を廃止し、専業主婦(主夫も)は第1号被保険(国民年金)に強制加入させるべきだと思う。そうすれば、厚生年金などの第2号被保険者の保険料のアップ率も多少軽減できるはずだ。
その問題はともかく、そもそも年金は、それだけで老後生活を保障するための制度ではない。だから、いまさら「安心プラン」は年金だけで老後生活が保障されるはずではなかったのかと言い出すこと自体、安心プランについて全く無知だったことを証明してしまったようなものだ。実際、現行の年金制度で、すべての国民が年金収入だけで生活できているのかを考えてみれば一目瞭然のはずだ。たとえば国民年金の満額受給者であってもとっくの昔から年金収入だけでは老後生活は維持できていない。
実際「安心プラン」が制定された2004年の国民年金満額支給額は78万9000円だったが、直近の17年度、18年度の支給額はマクロ経済スライドにより77万7300円と、約1万円も下げられている(いずれも年額)。満額受給でも生活保護基準に達していず、貯蓄などの資産がなければ憲法が保障する「最低限の文化的生活」も不可能だ。データがないので実数は不明だが、国民年金を満額受給しながら、生活保護を受けている人もかなりいるのではないか…。
そうした年金制度の問題点は、細川内閣時代や民主党政権時代にも当然解消されずに棚上げされてきた。野党が年金制度の不十分さを追求するなら、自らが政権の座についていた時に、政治家も含めて痛みを伴う改革を国民にお願いすべきだった。
もちろん、そうだとしても麻生氏の責任は免れ得ない。年金制度の問題を明らかにしてしまった有識者会議の報告書について、「政府のスタンスと違うから受け取らない」とは、どういうことか。報告書のどの部分が、政府のスタンスと違うのかの説明もない。担当相として説明責任の必要を感じていないというなら、そのこと自体ですでに担当相としての資格がない。麻生氏は財務相としてもこれまで失態を繰り返しているが、安倍総理は「泣いて馬謖を斬る」こともできない。「安倍一強」はひょっとしたら幻想だったのかも…。
野党は、なぜ麻生氏に対して「では、あなたが考えている年金問題についての政府のスタンスはどういうものか。説明を求める」と、なぜ追求しようとしないのか。年金制度そのものへの国民の不安感を増幅するような追及姿勢で、本当に自公政権にとって代われるだけの責任ある年金制度を再構築できるのか、私は疑問に思わざるを得ない。
基本的に財政の要諦は「入るを量りて出ずるを制す」である。それは家計も同じで、収入の範囲内で支出をコントロールしていれば、家計が破綻することはない。ただ、今現在の収入だけでは手に入れることが不可能な持ち家を購入しようとすれば、銀行からの借金(住宅ローン)に頼らざるを得ない。ローンは長期にわたるため、今後の収入見込みについての冷静な見通しと、子供の教育費にこれからどれだけかかるかの計算を織り込むことも不可欠だ。
実は住宅ローンに触れたのは、それなりの意味がある。政府はこの4月から「働き方改革」の一環として同一労働同一賃金制度の導入を法制化した。私はすでに3回にわたる「働き方改革」の検証記事の3回目に書いたが、今後そのしわ寄せが必ず年功序列で能力や生産性以上の地位や給料を支給されている中高年層に来る。経団連会長やトヨタ自動車社長が最近「終身雇用の維持は困難になる」と言い出したのは、実は終身雇用とセットの年功序列型雇用形態(社内での肩書や給与)の崩壊を意味している。経済界のトップがあまりストレートに本音を語ると社会に与える衝撃が大きすぎるので、事実上崩壊しつつある終身雇用を前提とした採用はやめようという言い回しで逃げただけの話だ。本音は役立たず(能力以上の地位や給与をもらっていると評価された社員のこと)の中高年管理職層の格下げ・賃下げ・首切り宣言である。サラリーマンが住宅ローンを組む場合に、自分が将来とも会社から必要とされるかどうかの冷静な見極めがないと、地獄に落ちることになりかねない。金融機関にとっては頭が痛い問題がまた増えることになった。
私がメディアの方などと年金問題について話をするとき、地上2階、地下1階の建物に例える。ものすごく理解しやすいからだ。
2階の住民は年金生活者。1階が現役世代(労働人口)。地下にはまだ社会に出ていない赤ん坊から学生までがすんでいる。中2階には年金を受給しながら働いている人たちが住んでいる。なお安倍政権の「1億総活躍」は2階の住民をできるだけ中2階に降りさせようというものだ。
現在の2階の住民は、1階の住民だった時代、額に汗して当時の2階の年金生活者の生活を支えてきた。そういう意味ではいま2階の住民は自分の年金生活を1階の住民である現役世代に支えてもらう権利がある。権利はあるが、いま2階の住民が増える一方、1階の住民は減少しつつある。2階の住民が増えたのは長寿命化のためだ。
今はぎりぎり1階の住民が2階の住民の年金生活をなんとか支えているが、1階の住民が2階に上がった時、1階には今地下に住んでいる子供たちが上がってくる。その時、1階の住民が2階を支えられるだろうか。すでに、そう遠くない将来現役世代一人が年金生活者一人を支えなければならなくなるという、身の毛がよだつような試算もある。100年安心プランが、そういう時代の到来まで織り込んでいるのかの検証は不可避だ。
よく高齢化社会と言われるが、高齢化社会と日本人の長寿命化とは多少意味合いが違う。厚労省の官僚はその違いが分かっていない。長寿命化の原因は核家族化の進行で、自分の生活や健康は子供たちに頼れず自助努力で解決していくしかないことを自覚するようになったからだ。大家族時代には「老いては子に従え」が家族の和を守るための暗黙のルールだったが、そうしたルールは今や完全に死語と化している。意地っ張りの高齢者が増えたと言われるのも、そうした高齢者の生活環境の変化による。もちろん厚労省がホームページで解説しているように医療や薬の進歩も長寿命化の要因の一つではあるが、高齢者が自ら健康の維持のために努力していることは、スポーツクラブで汗を流す高齢者が増えていることやサプリメント市場の急速な拡大がそのことを物語っている。老人クラブが各地で急増しているのも、高齢者が社会とのつながりを維持し、精神面でも大きな支えになっているからと言えよう。こうした要因が重なり合って長寿化が進んでいる。
それに対して高齢化社会とは、人口構成に占める高齢者の割合が拡大していることを意味している。つまり、人口構成がかつて人類が経験したことがないようないびつな状態になっているのだ。この高齢化現象は日本だけでなく先進国に共通の現象で、その最大の要因は女性の高学歴化と、それに伴う女性の社会進出の機会増大による。日本では、短大まで含めると大卒の男女比は完全に逆転し、今日では女性の方が高学歴化しているのである。いま2階の男性住民は日本の高度経済成長の担い手であり、「仕事にかまけて家庭を顧みない」ことが当然のような社会的風潮さえあった。翻って女性が高学歴化して社会進出の機会が増えれば、高度経済成長時代の男性のように女性が子育てより、社会での活躍に生きがいを見出すようになるのは当然である。それが少子化の原因であり、女性の活躍の機会を増大するために「子育て支援」と称する待機児童解消策は、実際には少子化を促進しているのだ。中国はかつて食糧難問題の解消のために「一人っ子」政策をとったが、いま日本は女性の社会活躍のために事実上の「一人っ子」政策を進めている。その結果が「人口構造の高齢化」(逆ピラミッド型)であり、長寿命化とは似て非なる現象なのだ。
こういう話をすると、メディア関係の人たちも、いま日本社会が抱えている問題の本質を理解してくれる。
誤解を招かないために言っておくが、私は女性の高学歴化に反対しているわけでもないし、子育て支援にも反対しているわけではない。私が強調したいのは、この社会的うねりは対症療法的政策ではどうにもならないということを政治がわかっていないことに最大の問題があると私は考えている。私はよく「政治に哲学がない」と嘆くが、こうした時代が来ることはケインズもマルクスも想定していなかったということに、政治が気付いていないからだ。
はっきり言って、アベノミクスの失敗の原因は、労働人口が減少するという防ぎようがない時代の大きな流れの中で、従来のような大量生産大量消費による経済成長は望むべくもないことがわからず、金融を緩和すれば景気が刺激されてデフレから脱却し、再びかつてのような高度経済成長が望めると、どうやっても捕まえられっこない「青い鳥」を追いかけ続けたことにある。結果的な数字だけでアベノミクスの成否をうんぬんするような、あまり意味のない議論に終始するのでなく、こうした時代における日本の在り方をめぐって考えるべきことに、与党も野党もそろそろ気づいてもいいころだと思うのだが…。
年金問題からかなりずれてしまったが、年金問題の根本にはこうした問題があり、物質的な豊かさを求めることによる経済成長至上主義から日本は脱皮すべき時期に来ていることを明らかにしたかったためである。
改めて年金問題を整理しておくと、実は金融庁の有識者会議がまとめた報告書には確かに問題がないわけではない。モデルケースが妥当だったのかどうか(モデルケースはかつて厚労省が作成したもの)。仮に妥当だったとしても、毎月5.5万円不足するような老後生活を、死ぬまで続けることができるか。実は老齢化が進むにつれて生活費は減少する。倹約志向になるからではなく、そんなに金を必要とする機会が減少するだけのことだ。モデルケースは夫65歳、妻60歳を設定しているから、生活費は現役時代とそう変わらないが、その後30年間同じ老後生活を維持できると考えること自体が非常識である。仮にこのモデルケースで試算するにしても、少なくとも5年後、10年後、15年後、20年後、25年後、30年後の生活状態を試算しないと、本当の不足額は計算できないはずだ。ま、有識者なんて手合いの思考力が分かったことが、唯一のメリットか。
【追記】昨日(19日)午後3時からテレビ中継で党首討論を見た。トップバッターの民主党の枝野代表は「年金の安心を強調して国民の不安に向き合っていない」と、政府の年金問題に対する姿勢を追及した。国民民主党代表の玉木氏も金融庁の有識者会議がまとめた、いわゆる「2000万円報告書」を振りかざし、安倍総理に「お忙しいでしょうから(重要な箇所に)付箋を付けましたので読んでください」と手渡そうとまでした。さすがに安倍総理も苦笑いしながら「すでに全文読んでいます」とかわした。最初に年金問題を国会で追及した蓮舫議員(立憲)のように「ウソ」とか「詐欺」といった的外れな追求ではなかったが、依然として「安心」にこだわっているようだ。
実は当日の午前中、私は公明党本部の年金問題担当者に電話し、2004年に坂口厚労相(公明党)が苦労してまとめた100年安心プランと金融庁の報告書はリンクしていないのに、あたかもリンクしているかのように野党やメディア、世論の多くが錯覚した原因は「100年安心」とネーミングしたことにある。私は一種の広告キャッチフレーズと考えているが、やはり多くの国民に誤解を与える原因になったことは否定できない。早急に山口代表が、誤解を与えるようなネーミングにしたことについて記者会見を開いて謝罪と金融庁報告書とのリンクはないことを明らかにすべきだと申し入れ、公明党担当者も「大変重要な指摘であり、必ず上にあげます」と答えてくれた。
年金問題とは別に、枝野氏は「家計に占める医療費や介護費などの負担を、所得に応じて上限を設ける総合合算制度を提案した。この案は民主党政権時代にも党内で検討されたようだが、法案提出には至らなかった。制度導入には4000億円の財源が必要で、財源確保の見通しがつかなかったからのようだ。が、この10月には消費税が10%に増える。消費税は言うまでもなく逆新税制であり、低所得層への打撃は大きい。とりわけ軽減税率の導入はさらに逆進性を強める(理由はすでにブログで何度も書いた)。軽減税率導入を止め、総合合算制の導入と、それでも低所得層への負担が大きくなる場合は恒久的な給付金制度を導入することによって低所得層の消費活動を支えることが、景気後退への懸念を解消する最も効果的な方法ではないか。
また本文で「安倍一強」の脆弱性にちょっと触れたが、なぜこれだけ不始末を犯し続ける麻生氏を更迭できないのか。いとも容易に「一強」体制ができてしまうのはいびつな選挙制度にあることはこれまでも書いてきたが、どうやら安部さんは言うなら騎馬戦で担がれている大将に過ぎないのではないだろうか。担ぎ手は言うまでもなく麻生氏と二階氏のふたりで、担ぎ手から「内政は麻生にまかせ、党内は二階に任せ、お前は外交だけに専念しろ」とふたりから命じられているのではないか。そう考えれば、すべて納得がいく。
【さらに追記】財政制度審議会(麻生財務相の諮問機関)が提出した建議(意見書)で、原文にあった年金制度についての記述が麻生氏に提出される直前になり削除されていたことが判明した。削除されていた文言は朝日新聞(21日付朝刊)によれば以下のとおり。
「将来の基礎年金の給付水準が想定より低くなることが見込まれている」
「(年金だけに頼らない)自助努力を促していく観点が重要」
ここで書かれている「想定」とは、平成16年度(2014年)における、いわゆる「100年安心プラン」における試算を意味しており、その時点では「100年後でも現役世代の手取り年収の50%(※現在は60%弱)を確保できる」とされていた。この想定が狂うとなると、100年安心プランは崩壊を意味する。
そもそも5年ごとに財政状態とマクロ経済スライドによる年金支給額の見直しについて、本来なら今年6月には発表されていなければならないはずの「年金財政検証」の公表がまだされておらず、政界筋では参院選後に先送りされるのではないかとうわさされている矢先に、財政制度審議会の重要文書の一部が削除されていることが明らかになった。
私は21日、公明党本部に電話し、事実確認を求めたが、「もし事実であれば国会なり公明新聞で党の見解を明らかにする」との回答しか得られず、今日(23日)のNHK『日曜討論』で与野党、とりわけ公明党が「年金制度の持続」問題についてどう答えるかを待って追記記事を書くつもりだった。
NHKは当然、いま国会でも国民の間でも最大の関心事になっている年金問題をテーマにするだろうと思っていたが、「迫る会期末、与野党攻防の行方は」というタイトルで、年金問題はone of themにしてしまおうという政権への忖度姿勢バレバレの討論進行にしたかったようだ。が、実際にはNHKの思惑通りにはいかず、60分の討論時間のうち40分も年金問題に野党側の意見が集中した。ただ野党側は「100年安心プラン」の問題点より、金融庁の審議会が提出した「2000万円不足」報告書を麻生大臣が「政府のスタンスと違うから」という屁理屈で受け取りを拒否したことや、財務省が政権に忖度して意見書の一部を削除したことに砲火を集中させたため、公明党を代表して出席した斎藤鉄夫幹事長は胸をなでおろす結果になった。
たしかに、それはそれで極めて重要な問題だが、国民が今一番不安に思っているのは自分たちの老後生活がどうなるのか、ということだ。有効求人倍率が上昇し、失業者は減っているのに、なぜ従業員の給料は上がらず、GDPの6割を占めるとされる個人消費が伸びないのか(※消費が伸びなければ景気回復したとはいえず、アベノミクスは成功したとは言えない)。年金問題の根本には、そうした問題が横たわっていることを、野党はもっと追及すべきだった。
通常国会の会期末直前になって、それまで空転状態だった国会がにわかに騒がしくなった。会期末直前の7日に政府が突然国会に提出した「スーパーシティ法案」は、とりあえず審議入りさせるために会期を延長し、衆参同日選挙に持ち込むためというのが、政治評論家たちの見立てだった。
前回のブログで書いたように、もともと与野党が火花を散らして激突するような重要法案ではない。ただ、火種はある。国家特別戦略区のように、その運用をめぐって水面下で裏金が飛び交い、官僚が実力政治家に忖度を働かすような事態は当然生じうる。どんな法律でも、行政権が絡むと法律そのものの美しさはどこかへ追いやられ、薄汚れたごみ箱のようなものになってしまうことは防ぎようがないのかもしれない。結局、「スーパーシティ法案」は棚上げされ(継続審議になるだろう。廃案にはならない)、国会の会期も延長されることなく、衆院の解散もほぼなくなった。
安倍総理が、総理の専権事項とされる解散権を行使できなくなった理由は一つではない。二つある。
一つは本稿のテーマである「年金問題」だが、もう一つがイラン訪問で何の成果もあげられなかったことだ。このところ、総理が得意としていた安倍外交が冴えない。「前提条件なしの首脳会談」を申し入れていた北朝鮮の金委員長からは「図々しい」と玄関払いを食わされ、米イ緊張関係の仲介役を買って出てイランを訪問し、一応ハメネイ師とロハニ大統領の2トップとの面会はさせてもらえたが、安倍総理が「手土産」のつもりだったかどうかは知らないが、トランプ大統領のメッセージはハメネイ師から受け取りを冷たく拒否され、せいぜいのところ茶飲み話程度の面会に終わったようだ。2日間もかけて総理は、わざわざ大恥をかきにイランまで行ってきたような結果に終わった。
政府はハメネイ師が「核兵器をつくるつもりはない」と、安倍氏との面会の席で語ったことをことさらに成果のように主張しているが、イランは一度も核兵器をつくろうとした形跡はこれまでいっさい確認されておらず、2003年にブッシュ・アメリカが、フセイン・イラクが核を含む大量破壊兵器をつくっているに違いないという妄想にとらわれてイギリスを巻き込んでイラク戦争を始めたのと同じ類の妄想を、トランプ大統領がイランに抱いているにすぎず、トランプ大統領の妄想を根拠に米政府が核合意を一方的に破棄して対イ制裁を始めただけの話だ。制裁を止めるというならいざ知らず、制裁を続けているトランプ氏のメッセージをハメネイ師が受け取り拒否したのは当たり前の話だ。外務官僚も、「いまイランにのこのこ行っても無駄ですよ」という進言をなぜしなかったのか。忖度の度が過ぎて何も言えなかったのか、それとも総理に恥をかかせてやろうと、官僚たちが反乱を始めたのか。
さて本稿のメインテーマである「年金問題」に移る。開店休業状態だった国会がにわかに騒がしくなりだしたのは、10日の参院決算委である。久しぶりに全閣僚が出席した中で、3日に金融庁が公表した報告書に野党が一斉にかみついたのだ。野党が問題にしたのは、「男性65歳、女性60歳の夫婦が30年生きるという前提で、年金生活を維持するには年金収入だけでは毎月平均5.5万円不足するため、年金以外の資産が【5.5×12×30=1980円(約2000万円)】が必要」というびっくり仰天するようなことが報告書に記載されていたことだった。報告書の試算はあくまで一つのモデルケースとして、老後生活に不安が生じないよう資産形成をできるだけ若いうちから始めるべきだ、という趣旨で書いたと思われるが、あまりにも国民生活の実態とかけ離れた試算であり、「年金100年安心プラン」はウソだったのか、国家詐欺ではないかという反発が、一部メディアや世論の反発を背景に野党が政府を追及したことから始まった。
そもそも、この問題は「ボタンのかけ違い」から始まった。野党が「ウソ」「国家詐欺」と断罪した「年金100年安心プラン」は安倍内閣の時代ではなく小泉内閣の時代の2004年に,厚労省(坂口大臣=公明党)が年金制度を100年間は維持できる制度にすることを目的とした制度設計であり、年金収入だけで老後生活設計が可能になるような年金制度を約束したわけではない。
5年ごとに見直しが行われることになっている「100年安心プラン」が崩壊したというなら、政府の責任を野党が追及するのは当然だが、今回生じている騒ぎはそういうことではない。
100年安心プランは大まかにいえば、2つの要素からなっている。 ①被保険者が納付する保険料率(厚生年金や共済年金の場合)を毎年少しずつアップするが上限を18.3%にする ②年金支給額の決定にマクロ経済スライドを導入する(通常年金支給額は物価スライドが原則だが、急激な経済変動が生じたときにダイレクトに物価変動率を反映するのでなく、2~3年くらいかけて帳尻が合うようにすること)
この制度設計によって、年金制度自体は崩壊することはないというのが100年安心プランだが、「100年安心」は一種のキャッチフレーズにすぎず、それ以上でも以下でもない。だからこの制度設計はひょっとしたら100年以上持つかもしれないし、あるいは近い将来大幅な見直しを余儀なくされるかもしれない。別に政府が現行年金制度について100年間保証しているわけでもない。制度維持が難しくなれば、また新たな制度設計をし直す必要が生じるだけの話だ。例えば、この安心プランでは見送られたが、その後、国民年金や厚生年金、共済年金の一本化も議論されており、また専業主婦(主夫も)の保険料を免除している第3号被保険者の制度も、私は廃止したほうがいいと思っている。現行年金制度では学生で世帯主の扶養家族であっても20歳になれば国民年金への強制加入が義務付けられており(※私の子供が学生だった頃は私が保険料を払っていたが、いまは学生は免除されている)、専業主婦(主夫も)だけが保険料を免除される状態は憲法が定めている「法の下での平等」に反していると思う。私は第3号被保険制度を廃止し、専業主婦(主夫も)は第1号被保険(国民年金)に強制加入させるべきだと思う。そうすれば、厚生年金などの第2号被保険者の保険料のアップ率も多少軽減できるはずだ。
その問題はともかく、そもそも年金は、それだけで老後生活を保障するための制度ではない。だから、いまさら「安心プラン」は年金だけで老後生活が保障されるはずではなかったのかと言い出すこと自体、安心プランについて全く無知だったことを証明してしまったようなものだ。実際、現行の年金制度で、すべての国民が年金収入だけで生活できているのかを考えてみれば一目瞭然のはずだ。たとえば国民年金の満額受給者であってもとっくの昔から年金収入だけでは老後生活は維持できていない。
実際「安心プラン」が制定された2004年の国民年金満額支給額は78万9000円だったが、直近の17年度、18年度の支給額はマクロ経済スライドにより77万7300円と、約1万円も下げられている(いずれも年額)。満額受給でも生活保護基準に達していず、貯蓄などの資産がなければ憲法が保障する「最低限の文化的生活」も不可能だ。データがないので実数は不明だが、国民年金を満額受給しながら、生活保護を受けている人もかなりいるのではないか…。
そうした年金制度の問題点は、細川内閣時代や民主党政権時代にも当然解消されずに棚上げされてきた。野党が年金制度の不十分さを追求するなら、自らが政権の座についていた時に、政治家も含めて痛みを伴う改革を国民にお願いすべきだった。
もちろん、そうだとしても麻生氏の責任は免れ得ない。年金制度の問題を明らかにしてしまった有識者会議の報告書について、「政府のスタンスと違うから受け取らない」とは、どういうことか。報告書のどの部分が、政府のスタンスと違うのかの説明もない。担当相として説明責任の必要を感じていないというなら、そのこと自体ですでに担当相としての資格がない。麻生氏は財務相としてもこれまで失態を繰り返しているが、安倍総理は「泣いて馬謖を斬る」こともできない。「安倍一強」はひょっとしたら幻想だったのかも…。
野党は、なぜ麻生氏に対して「では、あなたが考えている年金問題についての政府のスタンスはどういうものか。説明を求める」と、なぜ追求しようとしないのか。年金制度そのものへの国民の不安感を増幅するような追及姿勢で、本当に自公政権にとって代われるだけの責任ある年金制度を再構築できるのか、私は疑問に思わざるを得ない。
基本的に財政の要諦は「入るを量りて出ずるを制す」である。それは家計も同じで、収入の範囲内で支出をコントロールしていれば、家計が破綻することはない。ただ、今現在の収入だけでは手に入れることが不可能な持ち家を購入しようとすれば、銀行からの借金(住宅ローン)に頼らざるを得ない。ローンは長期にわたるため、今後の収入見込みについての冷静な見通しと、子供の教育費にこれからどれだけかかるかの計算を織り込むことも不可欠だ。
実は住宅ローンに触れたのは、それなりの意味がある。政府はこの4月から「働き方改革」の一環として同一労働同一賃金制度の導入を法制化した。私はすでに3回にわたる「働き方改革」の検証記事の3回目に書いたが、今後そのしわ寄せが必ず年功序列で能力や生産性以上の地位や給料を支給されている中高年層に来る。経団連会長やトヨタ自動車社長が最近「終身雇用の維持は困難になる」と言い出したのは、実は終身雇用とセットの年功序列型雇用形態(社内での肩書や給与)の崩壊を意味している。経済界のトップがあまりストレートに本音を語ると社会に与える衝撃が大きすぎるので、事実上崩壊しつつある終身雇用を前提とした採用はやめようという言い回しで逃げただけの話だ。本音は役立たず(能力以上の地位や給与をもらっていると評価された社員のこと)の中高年管理職層の格下げ・賃下げ・首切り宣言である。サラリーマンが住宅ローンを組む場合に、自分が将来とも会社から必要とされるかどうかの冷静な見極めがないと、地獄に落ちることになりかねない。金融機関にとっては頭が痛い問題がまた増えることになった。
私がメディアの方などと年金問題について話をするとき、地上2階、地下1階の建物に例える。ものすごく理解しやすいからだ。
2階の住民は年金生活者。1階が現役世代(労働人口)。地下にはまだ社会に出ていない赤ん坊から学生までがすんでいる。中2階には年金を受給しながら働いている人たちが住んでいる。なお安倍政権の「1億総活躍」は2階の住民をできるだけ中2階に降りさせようというものだ。
現在の2階の住民は、1階の住民だった時代、額に汗して当時の2階の年金生活者の生活を支えてきた。そういう意味ではいま2階の住民は自分の年金生活を1階の住民である現役世代に支えてもらう権利がある。権利はあるが、いま2階の住民が増える一方、1階の住民は減少しつつある。2階の住民が増えたのは長寿命化のためだ。
今はぎりぎり1階の住民が2階の住民の年金生活をなんとか支えているが、1階の住民が2階に上がった時、1階には今地下に住んでいる子供たちが上がってくる。その時、1階の住民が2階を支えられるだろうか。すでに、そう遠くない将来現役世代一人が年金生活者一人を支えなければならなくなるという、身の毛がよだつような試算もある。100年安心プランが、そういう時代の到来まで織り込んでいるのかの検証は不可避だ。
よく高齢化社会と言われるが、高齢化社会と日本人の長寿命化とは多少意味合いが違う。厚労省の官僚はその違いが分かっていない。長寿命化の原因は核家族化の進行で、自分の生活や健康は子供たちに頼れず自助努力で解決していくしかないことを自覚するようになったからだ。大家族時代には「老いては子に従え」が家族の和を守るための暗黙のルールだったが、そうしたルールは今や完全に死語と化している。意地っ張りの高齢者が増えたと言われるのも、そうした高齢者の生活環境の変化による。もちろん厚労省がホームページで解説しているように医療や薬の進歩も長寿命化の要因の一つではあるが、高齢者が自ら健康の維持のために努力していることは、スポーツクラブで汗を流す高齢者が増えていることやサプリメント市場の急速な拡大がそのことを物語っている。老人クラブが各地で急増しているのも、高齢者が社会とのつながりを維持し、精神面でも大きな支えになっているからと言えよう。こうした要因が重なり合って長寿化が進んでいる。
それに対して高齢化社会とは、人口構成に占める高齢者の割合が拡大していることを意味している。つまり、人口構成がかつて人類が経験したことがないようないびつな状態になっているのだ。この高齢化現象は日本だけでなく先進国に共通の現象で、その最大の要因は女性の高学歴化と、それに伴う女性の社会進出の機会増大による。日本では、短大まで含めると大卒の男女比は完全に逆転し、今日では女性の方が高学歴化しているのである。いま2階の男性住民は日本の高度経済成長の担い手であり、「仕事にかまけて家庭を顧みない」ことが当然のような社会的風潮さえあった。翻って女性が高学歴化して社会進出の機会が増えれば、高度経済成長時代の男性のように女性が子育てより、社会での活躍に生きがいを見出すようになるのは当然である。それが少子化の原因であり、女性の活躍の機会を増大するために「子育て支援」と称する待機児童解消策は、実際には少子化を促進しているのだ。中国はかつて食糧難問題の解消のために「一人っ子」政策をとったが、いま日本は女性の社会活躍のために事実上の「一人っ子」政策を進めている。その結果が「人口構造の高齢化」(逆ピラミッド型)であり、長寿命化とは似て非なる現象なのだ。
こういう話をすると、メディア関係の人たちも、いま日本社会が抱えている問題の本質を理解してくれる。
誤解を招かないために言っておくが、私は女性の高学歴化に反対しているわけでもないし、子育て支援にも反対しているわけではない。私が強調したいのは、この社会的うねりは対症療法的政策ではどうにもならないということを政治がわかっていないことに最大の問題があると私は考えている。私はよく「政治に哲学がない」と嘆くが、こうした時代が来ることはケインズもマルクスも想定していなかったということに、政治が気付いていないからだ。
はっきり言って、アベノミクスの失敗の原因は、労働人口が減少するという防ぎようがない時代の大きな流れの中で、従来のような大量生産大量消費による経済成長は望むべくもないことがわからず、金融を緩和すれば景気が刺激されてデフレから脱却し、再びかつてのような高度経済成長が望めると、どうやっても捕まえられっこない「青い鳥」を追いかけ続けたことにある。結果的な数字だけでアベノミクスの成否をうんぬんするような、あまり意味のない議論に終始するのでなく、こうした時代における日本の在り方をめぐって考えるべきことに、与党も野党もそろそろ気づいてもいいころだと思うのだが…。
年金問題からかなりずれてしまったが、年金問題の根本にはこうした問題があり、物質的な豊かさを求めることによる経済成長至上主義から日本は脱皮すべき時期に来ていることを明らかにしたかったためである。
改めて年金問題を整理しておくと、実は金融庁の有識者会議がまとめた報告書には確かに問題がないわけではない。モデルケースが妥当だったのかどうか(モデルケースはかつて厚労省が作成したもの)。仮に妥当だったとしても、毎月5.5万円不足するような老後生活を、死ぬまで続けることができるか。実は老齢化が進むにつれて生活費は減少する。倹約志向になるからではなく、そんなに金を必要とする機会が減少するだけのことだ。モデルケースは夫65歳、妻60歳を設定しているから、生活費は現役時代とそう変わらないが、その後30年間同じ老後生活を維持できると考えること自体が非常識である。仮にこのモデルケースで試算するにしても、少なくとも5年後、10年後、15年後、20年後、25年後、30年後の生活状態を試算しないと、本当の不足額は計算できないはずだ。ま、有識者なんて手合いの思考力が分かったことが、唯一のメリットか。
【追記】昨日(19日)午後3時からテレビ中継で党首討論を見た。トップバッターの民主党の枝野代表は「年金の安心を強調して国民の不安に向き合っていない」と、政府の年金問題に対する姿勢を追及した。国民民主党代表の玉木氏も金融庁の有識者会議がまとめた、いわゆる「2000万円報告書」を振りかざし、安倍総理に「お忙しいでしょうから(重要な箇所に)付箋を付けましたので読んでください」と手渡そうとまでした。さすがに安倍総理も苦笑いしながら「すでに全文読んでいます」とかわした。最初に年金問題を国会で追及した蓮舫議員(立憲)のように「ウソ」とか「詐欺」といった的外れな追求ではなかったが、依然として「安心」にこだわっているようだ。
実は当日の午前中、私は公明党本部の年金問題担当者に電話し、2004年に坂口厚労相(公明党)が苦労してまとめた100年安心プランと金融庁の報告書はリンクしていないのに、あたかもリンクしているかのように野党やメディア、世論の多くが錯覚した原因は「100年安心」とネーミングしたことにある。私は一種の広告キャッチフレーズと考えているが、やはり多くの国民に誤解を与える原因になったことは否定できない。早急に山口代表が、誤解を与えるようなネーミングにしたことについて記者会見を開いて謝罪と金融庁報告書とのリンクはないことを明らかにすべきだと申し入れ、公明党担当者も「大変重要な指摘であり、必ず上にあげます」と答えてくれた。
年金問題とは別に、枝野氏は「家計に占める医療費や介護費などの負担を、所得に応じて上限を設ける総合合算制度を提案した。この案は民主党政権時代にも党内で検討されたようだが、法案提出には至らなかった。制度導入には4000億円の財源が必要で、財源確保の見通しがつかなかったからのようだ。が、この10月には消費税が10%に増える。消費税は言うまでもなく逆新税制であり、低所得層への打撃は大きい。とりわけ軽減税率の導入はさらに逆進性を強める(理由はすでにブログで何度も書いた)。軽減税率導入を止め、総合合算制の導入と、それでも低所得層への負担が大きくなる場合は恒久的な給付金制度を導入することによって低所得層の消費活動を支えることが、景気後退への懸念を解消する最も効果的な方法ではないか。
また本文で「安倍一強」の脆弱性にちょっと触れたが、なぜこれだけ不始末を犯し続ける麻生氏を更迭できないのか。いとも容易に「一強」体制ができてしまうのはいびつな選挙制度にあることはこれまでも書いてきたが、どうやら安部さんは言うなら騎馬戦で担がれている大将に過ぎないのではないだろうか。担ぎ手は言うまでもなく麻生氏と二階氏のふたりで、担ぎ手から「内政は麻生にまかせ、党内は二階に任せ、お前は外交だけに専念しろ」とふたりから命じられているのではないか。そう考えれば、すべて納得がいく。
【さらに追記】財政制度審議会(麻生財務相の諮問機関)が提出した建議(意見書)で、原文にあった年金制度についての記述が麻生氏に提出される直前になり削除されていたことが判明した。削除されていた文言は朝日新聞(21日付朝刊)によれば以下のとおり。
「将来の基礎年金の給付水準が想定より低くなることが見込まれている」
「(年金だけに頼らない)自助努力を促していく観点が重要」
ここで書かれている「想定」とは、平成16年度(2014年)における、いわゆる「100年安心プラン」における試算を意味しており、その時点では「100年後でも現役世代の手取り年収の50%(※現在は60%弱)を確保できる」とされていた。この想定が狂うとなると、100年安心プランは崩壊を意味する。
そもそも5年ごとに財政状態とマクロ経済スライドによる年金支給額の見直しについて、本来なら今年6月には発表されていなければならないはずの「年金財政検証」の公表がまだされておらず、政界筋では参院選後に先送りされるのではないかとうわさされている矢先に、財政制度審議会の重要文書の一部が削除されていることが明らかになった。
私は21日、公明党本部に電話し、事実確認を求めたが、「もし事実であれば国会なり公明新聞で党の見解を明らかにする」との回答しか得られず、今日(23日)のNHK『日曜討論』で与野党、とりわけ公明党が「年金制度の持続」問題についてどう答えるかを待って追記記事を書くつもりだった。
NHKは当然、いま国会でも国民の間でも最大の関心事になっている年金問題をテーマにするだろうと思っていたが、「迫る会期末、与野党攻防の行方は」というタイトルで、年金問題はone of themにしてしまおうという政権への忖度姿勢バレバレの討論進行にしたかったようだ。が、実際にはNHKの思惑通りにはいかず、60分の討論時間のうち40分も年金問題に野党側の意見が集中した。ただ野党側は「100年安心プラン」の問題点より、金融庁の審議会が提出した「2000万円不足」報告書を麻生大臣が「政府のスタンスと違うから」という屁理屈で受け取りを拒否したことや、財務省が政権に忖度して意見書の一部を削除したことに砲火を集中させたため、公明党を代表して出席した斎藤鉄夫幹事長は胸をなでおろす結果になった。
たしかに、それはそれで極めて重要な問題だが、国民が今一番不安に思っているのは自分たちの老後生活がどうなるのか、ということだ。有効求人倍率が上昇し、失業者は減っているのに、なぜ従業員の給料は上がらず、GDPの6割を占めるとされる個人消費が伸びないのか(※消費が伸びなければ景気回復したとはいえず、アベノミクスは成功したとは言えない)。年金問題の根本には、そうした問題が横たわっていることを、野党はもっと追及すべきだった。