小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

安倍総理の悪あがき――まだ集団的自衛権の意味が分からないのか。総理の無能さは日本の恥だ。(続)

2014-03-28 05:56:44 | Weblog
 いくら頭の悪い人でも、集団的自衛権が「日本が直接攻撃されていなくても、日本と密接な関係にある国が攻撃されたら、日本が攻撃されたと見なして軍事力を行使する」という政府定義が論理的に間違っていたことが、もう分かってもいいころだ。
 どうやら、安倍第2次内閣の発足によって再開した第2次安保法制懇は、私が首相官邸に通知したブログを読んで(安保法制懇は首相官邸に設置されている)、ようやく集団的自衛権の意味を多少理解したようだ。そのことが判明したのは3月24日、「集団的自衛権行使のための憲法解釈変更」という安倍総理の方針を全面的に支持してきた読売新聞が、この日の朝刊1面トップ記事で安保法制懇が4月に出す予定の最終報告書の骨子をスクープしたからである。スクープ記事によれば、集団的自衛権を行使できるケースは、「放置すれば、日本の安全に重要な影響を与える場合」に限るという限定的容認に絞ったようだ。ということになると、集団的自衛権の行使はすでに1999年に成立している「周辺事態法」を一歩も出るものではない。憲法解釈の変更もへったくれもないということになる。
 周辺事態法については、すでに3月25日に投稿した『「憲法解釈変更による集団的自衛権行使を可能にする」という安倍総理の政治信条の行方は…?』に書いたが、「そのまま放置すれば、日本に対する直接の武力攻撃に至るおそれがある事態など、日本周辺の地域における日本の平和及び安全に重要な事態(周辺事態)」に対応する対策を定めたもので、安倍総理の政治信条である「日本と密接な関係にある国(明らかにアメリカのこと)が攻撃された場合」という「集団的自衛権」行使容認は、安保法制懇によって完全に否定されてしまうことになる。安保法制懇が報告書を出せたとしたら、の話だが。
 もちろん読売新聞がスクープできたくらいだから、当然安保法制懇が提出するであろう報告書の概要は総理やその周辺にはとっくに伝えられていたはずだ。というより読売新聞の記者は安保法制懇のメンバーからの情報入手ではなく、総理周辺からのリークによると考えた方が合理的であろう。
 読売新聞の情報入手方法はどうでもいいが、安倍総理にとっての大誤算は、集団的自衛権行使(実際にはアメリカが攻撃された場合、日本が軍事的支援を行うこと)を可能にするためには、「日本も集団的自衛権は固有の権利として以てはいるが、憲法9条の制約によって行使できない」という従来の政府解釈を変更しなければならず、そのための屁理屈を何とか考え出してもらいたい、というのが安保法制懇という私的諮問機関を作った最大の目的であった。
 が、その魂胆が灰燼に帰したことで、自民党内部からも安倍総理への批判が噴出し始めた。3月13日の自民党総務会で「総理が憲法解釈を自由に変えられるとしたら、憲法はとてつもなく軽いものになってしまう」といった反発が出
だしたのである。それに党是として自民党は「憲法改正」を従来から掲げてい
る。そうした党是との整合性も問題視され、「憲法を改正するのが筋だ」といった主張も公然と出だした。
 総務会は、党の政策を決定する重要な機関で、安倍総理が総務会にもかけずに勝手に憲法解釈を変更して従来の政府見解をひっくり返そうという姿勢に対して、「お前、何様のつもりだ」といった猛烈な反発が生じたのは当然と言えば当然のことだった。しかも、安倍総理が党の決定を経ずに、「憲法解釈変更のための屁理屈を考え出してほしい」と首相官邸に設置した私的諮問機関の安保法制懇を、読売新聞や産経新聞のような民間の新聞だけでなく公共放送であるNHKまでもが「政府の有識者会議」と位置付けてオーソライズしたものだから、安倍批判のボルテージが上がるのも当然だった。
 あわてて安倍総理は17日に9年ぶりとなる総務懇談会の招集をかけた。その場で安倍総理は自民党総裁として、改めて集団的自衛権行使についての協議の場を総裁直属の機関として設置することを申し出て、条件付きで了承を得たとみられる。安倍総裁に突き付けられた条件は、安倍総裁の言いなりになる人選ではなく、党内のさまざまな意見を反映した人選にする、ということだったと思われる。この段階では、まだ安倍総裁は協議機関の名称も考えていなかったようだったから、党内の反発の大きさによほど泡を食ったとみられる。
 こうした経緯をたどって、自民党内に安倍総裁直属の集団的自衛権行使問題についての協議機関が25日になってようやく設置された。協議機関の名称は「安全保障法制整備推進本部」。石破幹事長が本部長に就くことになった。役員は総勢30人、初会合は31日に開くことになった。役員には行使容認で安倍総裁と歩調を同じくする国会議員だけでなく、行使容認に慎重な姿勢を見せている国会議員たちも入れることで、党内の意見を集約する形をいちおう整えたとは言える。
 この総裁直属の新協議機関の設置で宙に浮いてしまったのが安保法制懇。もはやどんな最終報告書を提出しようと、まったく意味がなくなってしまった。肝心の自民党総務会が「政府の有識者会議」ではないことを事実上決定し、安倍総理も総務会の決定に屈したことを、新協議機関の設置が証明してしまったからだ。
 まだマスコミ各社は、安保法制懇がいつ報告書を出すか、行使容認に慎重な姿勢を崩していない公明党がどう出るかといった、もはや意味がなくなった観測記事を書いているが、事実上「死に体」になった安保法制懇が果たして無意味な報告書を出すのか、あるいは誰にも気づかれないようにそっと幕を引くのか、結果は4月にはっきりする。
 いずれにせよ、新協議会の歴史的使命は重いものがある。従来の政府解釈の元になっている集団的自衛権の定義をそのまま継承するのか、定義そのものの
見直しまで行くのかが問われるからである。
 すでに国会では民主党の大塚耕平議員が参院予算委員会で集団的自衛権の政府定義について小松一郎・内閣法制局長官に質問している(20日)。小松長官は「突然の質問なので十分な答弁の材料を持ち合わせていない」「私がうかつに答弁し、後で訂正するのはけしからんとなるのは非常に良くない」と逃げた。大塚氏はさらに「なぜ答えられないのか」と追及したが、小松氏は「自衛権は国際法上の概念だから外務省に聞いてくれ」と逃げまくり、結局、岸田文雄外層が「外務省としてどう解釈しているのか確認したい」と、これまた従来の政府解釈を繰り返すのを避けた。
 政府の正式な定義は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」(1981年の答弁書など)である。国連憲章51条をどう読めば、そういう解釈ができるのか、新協議会はそこから議論を始めてもらいたい。そうすれば、私が初めて明らかにした「日本はすでに日米安全保障条約によって、日本が攻撃された場合アメリカに軍事支援を要請できる集団的自衛権を保持している」ことが明らかになるはずだ。
 ただし、それは条文上の権利にすぎず、いざという時アメリカが助けに来てくれるかどうかは、アメリカの国益にかなうか否かによって決まる危うい集団的自衛権である。かといって、憲法解釈をどういじってみても日本がアメリカに対する攻撃を実力で阻止することは不可能だ。
 やはり政治の王道は現行憲法が、本来、日本が独立を回復した時点で無効になっていたのに、それを放置し続けた歴代政府の怠慢を国民に謝罪したうえで、日本が現在、国際社会に占めている地位にふさわしい尊厳と国際社会に果たすべき責任を明確にして、新憲法の制定を図り、環太平洋の共同防衛体制を構築することで国際社会の平和と安全に寄与することが政治の使命でなければならない。 
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