衆議院選挙が実施された翌日(15日)、早くも選挙無効の訴えを弁護士グループが起こした。それも各地の地裁ではなく、全国の8高裁・6高裁支部にである。地裁→高裁→最高裁、という通常の手続きを省いて、いきなり高裁→最高裁という最短ルートで短期決戦を挑むためだ。
提訴したのは「一人一票実現国民会議」を主宰する升永英俊弁護士のグループである。別のグループも同日、広島高裁で選挙無効の提訴を起こした。
今回の選挙では小選挙区定数295人、比例区定数180人を選出した。1票の格差を是正するため小選挙区定数を「0増5減」したため小選挙区が5区減少して295になった。それでも選挙当日の有権者数が最多の東京1区と最少の宮城5区の間で2.13倍の格差が生じており、違憲状態が解消されていないというのが、選挙無効の訴因である。
衆院選の「1票の格差」については最高裁が、09年と12年に「違憲状態」と裁定し、選挙制度の抜本的見直しを立法府である国会に命じた。国会は区割り変更を伴う「0増5減」による定数削減によって、いったんは1票の格差をギリギリ2倍以内に納めたが、その後の各小選挙区内の有権者数の増減によって再び格差が2倍を超えた。
今回の衆院選も、おそらく最高裁は「違憲状態」と裁定すると思われる。最高裁は09年選挙に対する判決(11年3月)で、「47都道府県に最初に1議席ずつ割り振って、残りを人口比例で配分する一人別枠方式に違憲状態が解消されない原因がある」と小選挙区制の制度疲労にまで踏み込んだ。
最高裁のその指摘は、論理的には正しい。が、民主主義という制度は「多数決原理」という致命的欠陥を持った政治システムである。
もし多数決原理を完全に実施したら、日本の政治はどうなるか。最高裁は、そこまで考慮に入れたうえで「一人別枠方式」を否定したのか。
選挙制度は、その国の民主主義の成熟度を測る重要な指標になる。論理的には正しくても、国民の生活に格差が広がることになると、民主主義という政治システムの欠陥がむき出しになってしまう。
いま日本は少子高齢化と、人口の大都市集中という、二つの大きな問題を抱えている。この問題をどう解決するかが、選挙制度に絡んでくる。
もし多数決原理を完全に反映した選挙制度(「一人一票実現国民会議」の弁護士グループの主張はそういう選挙制度を目指しているようだ)にしたら、高齢者福祉最優先・大都市中心の予算配分(つまり地方切り捨て)の政治を行わざるを得なくなる。
そういう多数決原理の持つ致命的欠陥の修正策として「一人別枠方式」が機能しなければならないのだが、自民党の党利党略のための制度になっていることに問題があると考えるのが合理的であろう。
そもそも小選挙区制は宮沢内閣のときに、アメリカ型の「政権交代可能な2大政党政治」を日本にも導入することを目的に実施されることになった。先進国で「政権交代可能な2大政党政治」が実現されているのは、事実上アメリカとイギリスだけである。多くのヨーロッパ先進国は多党政治・連立政権になっている。
実は日本も事実上2大政党政治が行われていた時代があった。自民党と社会党が対峙した55年体制時代である。が、社会党に政権担当能力がなかったため、自民党による1党支配の政治が長年続いてきた。そうしたいびつな1党支配の政治システムに終止符を打つために導入されたのが小選挙区制である。
実はの話を続けて恐縮だが、日本が小選挙区制を導入する少し前の1993年8月に「非自民・非共産」を旗印にした連立政権が誕生したときがある。細川内閣がそれである。が、自公連立のような政策協定のない、寄り合い所帯の政権だったため、結局、何も決められない短命の「野合政権」に終わった。この野合政権から政権を奪還するため、自民党はあえて「禁じ手」を使った。
宿命のライバル政党だった社会党を細川連立政権から引き抜いて、社会党党首の村山富市氏を担いだのである。政権を担うことのうまみを知った社会党は、自民党からポイと捨てられたあと分裂し、その一部が自民党から飛び出したグループと合流して作ったのが民主党だった。民主党は09年7月の衆院選で、絶対安定多数を超える308議席を獲得して政権の座に就いた。
ようやく日本にも政権交代可能な2大政党政治時代が来たかと思われたが、それは錯覚でしかなかった。細川内閣は「野合政権」だったが、民主党は寄り合い所帯の「野合政党」でしかなかったためである。決められない政治が再び繰り返されただけで、国民は民主党にも見切りをつけざるを得なかった。
そうなった原因の一つに選挙制度の問題があった。日本の場合は、単純小選挙区制ではなく小選挙区比例代表制である。「一票の格差」の問題とは別の致命的欠陥を含んだ制度にしてしまった。
比例代表制は、小政党も国政の場から排除しないという、多数決原理の修正策として導入されるのが一般的だが、日本は小選挙区での立候補と比例代表名簿にも搭載できる重複立候補制にしてしまった。その結果、選挙民から選ばれなくても、政党の比例名簿上位にランクされていれば当選してしまうというおかしな制度になった。今回の選挙で言えば、管直人元総理が小選挙区では落選したのに、比例で当選してしまった。いわゆる「復活当選」である。
小選挙区の選挙は、有権者が直接立候補者を選択する選挙である。が、比例は政党に投票した票である。小選挙区で選択されなかった人が、なぜ比例で復活当選できるのか。有権者には理解しがたい制度、と言わざるを得ない。
本来比例は、選挙活動を行うほどの資金力や組織的バックのない人が、「選挙
活動をしなくてもいいよ。あなたの見識や政策立案能力を国政の場で活かして
もらいたい」という趣旨で設けられてこそ、比例区を作った意味があると私は考える。
いま主な政党は、選挙の立候補者を応募者から選ぶ方式を採用している。私自身は政治家になるつもりもないし、なりたいとも思わない。過去に「金の心配はしなくていいから」と誘ってくれた政党もあったが、「すぐ総理大臣にしてくれるならいざ知らず、ただの一平卒として党の方針に唯々諾々と従わなければならないようなロボット議員になるより、好き勝手なことを書いていた方がいい」と、生意気なことを言ってお断りしたこともある。
私のことはともかく、カネもなければ知名度もない。だが、日本の将来を真剣に憂い、人気取りのためではなく、本当に明るい日本の未来図を設計できる人をこそ比例代表の名簿に載せるべきだろう。弁護士グループは、表面的な「一票の格差」にばかりとらわれるのではなく、現在の重複立候補制を廃止に追い込むための法的手段を考えてほしい。
提訴したのは「一人一票実現国民会議」を主宰する升永英俊弁護士のグループである。別のグループも同日、広島高裁で選挙無効の提訴を起こした。
今回の選挙では小選挙区定数295人、比例区定数180人を選出した。1票の格差を是正するため小選挙区定数を「0増5減」したため小選挙区が5区減少して295になった。それでも選挙当日の有権者数が最多の東京1区と最少の宮城5区の間で2.13倍の格差が生じており、違憲状態が解消されていないというのが、選挙無効の訴因である。
衆院選の「1票の格差」については最高裁が、09年と12年に「違憲状態」と裁定し、選挙制度の抜本的見直しを立法府である国会に命じた。国会は区割り変更を伴う「0増5減」による定数削減によって、いったんは1票の格差をギリギリ2倍以内に納めたが、その後の各小選挙区内の有権者数の増減によって再び格差が2倍を超えた。
今回の衆院選も、おそらく最高裁は「違憲状態」と裁定すると思われる。最高裁は09年選挙に対する判決(11年3月)で、「47都道府県に最初に1議席ずつ割り振って、残りを人口比例で配分する一人別枠方式に違憲状態が解消されない原因がある」と小選挙区制の制度疲労にまで踏み込んだ。
最高裁のその指摘は、論理的には正しい。が、民主主義という制度は「多数決原理」という致命的欠陥を持った政治システムである。
もし多数決原理を完全に実施したら、日本の政治はどうなるか。最高裁は、そこまで考慮に入れたうえで「一人別枠方式」を否定したのか。
選挙制度は、その国の民主主義の成熟度を測る重要な指標になる。論理的には正しくても、国民の生活に格差が広がることになると、民主主義という政治システムの欠陥がむき出しになってしまう。
いま日本は少子高齢化と、人口の大都市集中という、二つの大きな問題を抱えている。この問題をどう解決するかが、選挙制度に絡んでくる。
もし多数決原理を完全に反映した選挙制度(「一人一票実現国民会議」の弁護士グループの主張はそういう選挙制度を目指しているようだ)にしたら、高齢者福祉最優先・大都市中心の予算配分(つまり地方切り捨て)の政治を行わざるを得なくなる。
そういう多数決原理の持つ致命的欠陥の修正策として「一人別枠方式」が機能しなければならないのだが、自民党の党利党略のための制度になっていることに問題があると考えるのが合理的であろう。
そもそも小選挙区制は宮沢内閣のときに、アメリカ型の「政権交代可能な2大政党政治」を日本にも導入することを目的に実施されることになった。先進国で「政権交代可能な2大政党政治」が実現されているのは、事実上アメリカとイギリスだけである。多くのヨーロッパ先進国は多党政治・連立政権になっている。
実は日本も事実上2大政党政治が行われていた時代があった。自民党と社会党が対峙した55年体制時代である。が、社会党に政権担当能力がなかったため、自民党による1党支配の政治が長年続いてきた。そうしたいびつな1党支配の政治システムに終止符を打つために導入されたのが小選挙区制である。
実はの話を続けて恐縮だが、日本が小選挙区制を導入する少し前の1993年8月に「非自民・非共産」を旗印にした連立政権が誕生したときがある。細川内閣がそれである。が、自公連立のような政策協定のない、寄り合い所帯の政権だったため、結局、何も決められない短命の「野合政権」に終わった。この野合政権から政権を奪還するため、自民党はあえて「禁じ手」を使った。
宿命のライバル政党だった社会党を細川連立政権から引き抜いて、社会党党首の村山富市氏を担いだのである。政権を担うことのうまみを知った社会党は、自民党からポイと捨てられたあと分裂し、その一部が自民党から飛び出したグループと合流して作ったのが民主党だった。民主党は09年7月の衆院選で、絶対安定多数を超える308議席を獲得して政権の座に就いた。
ようやく日本にも政権交代可能な2大政党政治時代が来たかと思われたが、それは錯覚でしかなかった。細川内閣は「野合政権」だったが、民主党は寄り合い所帯の「野合政党」でしかなかったためである。決められない政治が再び繰り返されただけで、国民は民主党にも見切りをつけざるを得なかった。
そうなった原因の一つに選挙制度の問題があった。日本の場合は、単純小選挙区制ではなく小選挙区比例代表制である。「一票の格差」の問題とは別の致命的欠陥を含んだ制度にしてしまった。
比例代表制は、小政党も国政の場から排除しないという、多数決原理の修正策として導入されるのが一般的だが、日本は小選挙区での立候補と比例代表名簿にも搭載できる重複立候補制にしてしまった。その結果、選挙民から選ばれなくても、政党の比例名簿上位にランクされていれば当選してしまうというおかしな制度になった。今回の選挙で言えば、管直人元総理が小選挙区では落選したのに、比例で当選してしまった。いわゆる「復活当選」である。
小選挙区の選挙は、有権者が直接立候補者を選択する選挙である。が、比例は政党に投票した票である。小選挙区で選択されなかった人が、なぜ比例で復活当選できるのか。有権者には理解しがたい制度、と言わざるを得ない。
本来比例は、選挙活動を行うほどの資金力や組織的バックのない人が、「選挙
活動をしなくてもいいよ。あなたの見識や政策立案能力を国政の場で活かして
もらいたい」という趣旨で設けられてこそ、比例区を作った意味があると私は考える。
いま主な政党は、選挙の立候補者を応募者から選ぶ方式を採用している。私自身は政治家になるつもりもないし、なりたいとも思わない。過去に「金の心配はしなくていいから」と誘ってくれた政党もあったが、「すぐ総理大臣にしてくれるならいざ知らず、ただの一平卒として党の方針に唯々諾々と従わなければならないようなロボット議員になるより、好き勝手なことを書いていた方がいい」と、生意気なことを言ってお断りしたこともある。
私のことはともかく、カネもなければ知名度もない。だが、日本の将来を真剣に憂い、人気取りのためではなく、本当に明るい日本の未来図を設計できる人をこそ比例代表の名簿に載せるべきだろう。弁護士グループは、表面的な「一票の格差」にばかりとらわれるのではなく、現在の重複立候補制を廃止に追い込むための法的手段を考えてほしい。
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