小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

政府・経産省がキャッシュレス化を進めたい本当の理由(前)

2019-11-11 08:05:15 | Weblog
 キャッシュレス決済のポイント還元が消費税増税と同時に導入されて1か月余になる。ただでさえややこしい軽減税率の導入と抱き合わせのような形で導入されたこともあって、小売店も消費者も大混乱した。混乱はいまだに続いている。ポイント還元店の申請をしても、経産省の審査が追い付かず、やきもきしている小売店も少なくないからだ。いったい経産省は何を目的にポイント還元制を導入したのか。経産省のホームページにはこうある。
「キャッシュレスの推進は、消費者に利便性をもたらし、事業者の生産性向上につながる取組です。消費者には、消費履歴の情報のデータ化により、家計管理が簡易になる、大量に現金を持ち歩かずに買い物ができるなとのメリットがあります。事業者には、レジ締めや現金取り扱いの時間の短縮、キャッシュレス決済に慣れた外国人観光客の需要の取り込み、データ化された購買情報を活用した高度なマーケティングの実現などのメリットがあります」
 また消費税増税と同時に導入した理由について、11月1日付で経産省はこう説明している。
「キャッシュレス・消費者還元事業は、2019年10月1日の消費税率引上げに伴い、需要平準化対策として、キャッシュレス対応による生産性向上や消費者の利便性向上の観点も含め、消費税率引上げ後の一定期間に限り、中小・小規模事業者によるキャッシュレス手段を使ったポイント還元を支援します。
本支援を実施することで中小・小規模事業者における消費喚起を後押しするとともに、事業者・消費者双方におけるキャッシュレス化を推進します」
 まずキャッシュレスを進めることがなぜ必要だと政府は考えたのか。経産省は「消費者に利便性をもたらし、事業者の生産性向上につながる」からだと主張する。真っ赤なウソだ。 
 日本人は貯蓄好きだと外国人からよく言われる。日本人自身もそう勘違いしている人が少なくない。が、古くから日本人の消費活動を検証してみると、明らかに違う事実が見えてくる。たとえば徳川幕府時代には「宵越しのかねは持たない」ことが江戸っ子気質とされていた。徳川幕府時代に庶民の消費活動がもっとも花を開いたのは元禄文化の時代だった。あまりの行き過ぎに幕府はしばしば鎌倉・室町時代の徳政令に倣った棄捐令を発布(寛政の改革)して景気の過熱にブレーキをかけたこともあった。「享保の改革」などはその典型である。つまり、国民性として日本人が貯蓄好きだったわけではない。
 実は日本人の貯蓄志向が高まったのは明治政府の富国強兵・殖産興業政策にあった。日本は徳川時代、鎖国政策ととっていたため、イギリスで始まり、たちまちヨーロッパ全域やアメリカに広がった産業近代化と、それに伴う近代軍事力強化の流れに完全においていかれた。そもそもは欧米列強の強大な軍事力に屈して屈辱的な外国関係を列強との間に結ばされた幕府に対して、列強との卑屈な外交条約を破棄して鎖国政策を続けることを目的としていたはずの「攘夷」志向が、なぜ明治維新の実現とともに煙のように消えてしまったのか。はっきり言えば関ヶ原の戦い以来、徳川幕府に恨みを抱き続けてきた長州藩の若手藩士が、「攘夷」の衣を着ることによって反幕府の巨大なエネルギーを「倒幕尊王」に巧みにすり替えることに成功したためではないかと私は考えている。実際、長州藩の若手藩士の思想的中心人物だった吉田松陰はアメリカに密航を試みたくらいで、攘夷思想の持ち主だったとはちょっと考えにくい。
 長州藩の思惑はともかく、「王政復古の大号令」によって成立した明治政府は攘夷思想を捨て、欧米化への道をまっしぐらに進みだす。明治8年には福沢諭吉が『文明論之概略』を著して国民生活の西欧化を促し、国民生活の欧米化が一気に進みだした。横浜では「牛鍋」の専門店が続々と生まれ「文明開化の味がする」と言われた。当時流行語大賞があったら、間違いなく「文明開化の味がする」が大賞に選ばれていただろう。
 国民生活の変容と同時に明治政府が強力に進めた政策が「富国強兵・殖産興業」だった。日本はアジアの東端に位置し、しかも四方を海に囲まれていたこともあって、植民地獲得競争を繰り広げていた欧米列強が日本を標的にするようになったときは、列強が横一線に並んでしまい、どこかの国が抜け駆けしにくい状況にあった。これは歴史上の、日本にとっては信じがたいほどの僥倖だった。そうした中でアジア進出が一番遅れていたアメリカのペリー艦隊が「一抜けた」と浦賀に強行来航、その威力の前に徳川幕府は鎖国政策を放棄して、対米差別的条約を結び、他の列強とも同様の差別的条約を結ばざるを得なくなったことが攘夷運動の引き金を引いたのだが、明治政府にとっては差別的条約を撤廃させるためには産業の近代化(殖産興業)と、近代産業確立のうえで列強に伍する軍事力を養成すること(富国強兵)が最大の政策課題になった。
が、産業近代化にせよ、軍事力の強化にせよ、先立つもの、つまり資金がなければどうにもならない。しかも新政府の中軸となった薩長両藩にそれほどのかねがあったわけではなく、日本中の国民からかねを集めて産業を興し、貿易(絹製品の輸出)で資金を調達することが維新政策を成功させるための唯一の方法となったのである。
 こうして明治政府は国民からかねを吸い上げる手段として、銀行を中心とする金融機関店舗網を全国に構築していったのである。第2次世界大戦後も、戦争で荒廃した日本の産業を復興することが政府の一貫した方針となり、国民からかねを吸い上げる手段として金融機関の再建を重視してきた。そのためには金融機関間の熾烈な競争を避けさせる必要があり(国民が金融機関を信用しなくなると国民のかねが預貯金から金銀やダイヤなどの資産に移ってしまうため)、「護送船団方式」という弱者救済横並びの金融政策を続けてきた経緯がある。おそらく世界中で、国民一人当たりの金融機関店舗数(無人ATM機を含む)は日本がけた違いに多いと思う。その結果、日本人にとっては現金が最も利便性の高い決済手段として定着してきたと言える。銀行まで足を運ばなくても近くにATMを設置しているコンビニやスーパー、無人ATM機があるからだ。日本人が現金決済主義になったのは、国民の金融機関に対する信頼性が高いことと、どこでも容易にATMで現金を引き出せるためで、クレジットカードやデビットカード、電子マネー、〇〇Payに対しては、とくに高齢者の信頼度がいまひとつ低いからではないかと思う。
 そう考えると、経産省が推進しようとしているキャッシュレス化の目的がいかがわしく思えてくる。この稿の冒頭で書いたが、経産省がキャッシュレス化を推進する目的について、同省はホームページで「消費者に利便性をもたらし」「消費者には、消費履歴のデータ化により、家計管理が簡易になる、大量に現金を持ち歩かずに買い物ができるなどのメリットがあります」とあるが、消費者が買い物をする場合の利便性は経産省が決めることではない。実は私自身は1円玉や5円玉が大嫌いなのでコンビニでビール1本買う場合でもクレジットカードで支払うことにしているが、「そうしたほうがいいよ」などと人に勧めたりしたことは一度もない。決済手段の利便性は消費者自身が自ら決めることで、なぜ「箸の上げ下ろし」まで官僚が口出ししなければならないのか。そこまでやるなら、一人でコンビニの買い物くらいできる低学年小学生にもキャッシュレス決済できるよう、クレジットカードなどの発行を義務付けることを金融機関を行政指導したらどうか。そうすれば日本もキャッシュレス社会になるかもしれない。
 経産省がキャッスレス化を進めるもう一つの理由が、ホームページには記載されている。これは事業者(小売店)にとってのメリットの強調だ。「事業者の生産性向上につながる取り組み」であり、「レジ締めや現金取り扱いの時間の短縮、キャッシュレス決済になれた外国人観光客の需要の取り組み、データ化された購買情報を活用した高度なマーケティングの実現などのメリットがあります」というのが経産省の主張。そういうメリットばっかりだったら、中小小売業者もとっくにキャッシュレス対応に取り組んでいる。経産省の官僚は、中小小売業者は馬鹿だから、キャッシュレス化のメリットに経産省が教えるまで気づかなかったのだとでも本気で考えているのだろうか。はっきり言ってどうやったら一番儲かるかは、経産省の役人が考えるより小売業者の方がよほど経験から学んでいる。キャッシュレス決済を導入すれば、売り上げから利益までほぼ税務署に正確に把握される。しかもキャッシュレス決済に伴う手数料(例えば客がクレジットカードで支払った場合、クレジット会社に現金化を依頼しなければならないが、その場合の手数料が3%以上かかる)分を商品価格に上乗せするか、それとも消費税を客から預からずに(消費税を勘違いしている方も少なくないようだが、消費税は売り上げではなく客が本来直接納めるべき税金を小売業者がいったん預かって、客の代わりに税務署に納める性質の税金である。ただし、小売業者が納める消費税は客が支払った消費税の全額ではなく、小売業者が仕入れ先の業者に支払った消費税を差し引いた分)現金で支払ってもらうことで消費税分やキャッシュレス決済に伴う手数料分を商品価格に転嫁して客に還元する方が店が儲かるかどうかを基準に考えている。小学生を相手にするような説明で、小売業者が納得するとでも思っているのだろうか。
 ただし、そういう考えで現金オンリーの商売をしている業者は「脱税行為」にあたる可能性があると私は考えており、決してお勧めしているわけではない。実際、竹下内閣が消費税を導入した時点では小規模小売業者への負担軽減を考慮して売上高3000万円までの業者は「消費税を預からなくてもいい」という制度にした。いまは消費税を預からなくてもいい小売業者の売り上げ規模は1000万円以下まで縮小されている。観光地などで、屋台に毛が生えたような簡素な店構えで土産物などを売っている零細規模の店でも、年間売上高が1000万円以下ということはまず考えにくい。国によってはクレジットカードで支払った場合のカード決済手数料を客側が負担しているケースもある。が、カード決済の手数料を小売業者側が負担することが根付いてしまっている以上、明日から手数料はお客様に負担していただきます、というわけにはいかない。もし、そんなことをやったらキャッシュレス化の推進どころか、現金決済の客が急増するだけだ。結局、経産省のキャッシュレス決済推進政策によって得をしたのはカード会社などのキャッシュレス対応業者だけである。だから、いま現にカード会社や〇〇Pay業界では客の囲い込みのために赤字覚悟のサービス競争に奔走している。そういう結果になる可能性が、経産省の官僚たちにとっては想定外だったのだろうか。東大卒の学生ばかりを採用しているから、彼らにとっては想定外のことばかりが生じるのだ。なお消費税を客から預からなくてもいい零細小売業者でも、仕入れ時には消費税を支払っており、客から消費税をもらわないと損失が発生する。その説明の方がはるかに重要だと私は思う。
 そう考えていくと、経産省が「ポイント還元」なる制度(しかも個人消費の大半を占める大手小売業者の除いてまで)を導入してキャッシュレス化を進めようとしてきたのか。経産省のホームページにはキャッシュレス化の本当の目的が書かれていない。あたかも消費者のためとか、事業者のためとか、ご都合主義的な屁理屈ばかり書いているが、そのへ理屈はへ理屈にもなっていないことを、私はこのブログで明らかにしてきた。では、本当の狙いは何だったのか。
 11月に入ってようやく気候も安定してきたし、私の体調も少しずつ元に戻りつつあるが、ここまで書いてきてかなり疲労した。経産省のキャッシュレス化の本当の目的が、ホームページで主張しているように、日本人の決済手段を現金偏重からカード決済に移行しようとするなら、デパートや大手スーパー、量販店などの決済手段をキャッシュレス化することでのメリットを消費者にまず還元すべきだろう。日本人全体の消費量のうち数%しか占めていない中小小売業者に絞ってキャッシュレス化によるメリットを消費者に税金を使って「ポイント還元」しようというこすいやり方に、本当の狙いがあるのだが、その証明は次回にしたい。


 【追記】「桜を見る会」が政治問題化している。主催者は内閣総理大臣で開催場所は新宿御苑、桜の名所として有名だ。この会に招待される方は皇族や元皇族、各国大使、領事をはじめ衆参両議長を含む国会議員などそうそうたる方たちだと、その他各界の代表者等とされている。
 今年の「桜を見る会」が問題になったのは安倍総理の講演会のメンバー850人が招待されたことで、「総理の私物化ではないか」「地元の有権者への寄付行為にあたり、公職選挙法に抵触する可能性がある」といった反発が野党やメディアから噴出したためだ。
「桜を見る会」の費用は公費で賄われる。つまり税金だ。それが特定の政治家の後援会会員に対する選挙での論功行賞として使われているとしたら、「私物化」を超えて明らかに「公職選挙法違反」に該当するのではないかという疑問を私は持たざるを得ない。実際、安倍総理は国会答弁で、「自治会会長やPTA会長など貢献してきた方たちが、たまたま講演会のメンバーであったということも考えられる」と述べ、「後援会を重視したつもりはない」と言いたかったようだ。今年の「桜を見る会」の参加者は1万8000人に達し、費用も概算要求予算を大幅に上回っているという。
 安倍総理が答弁したように、地域の自治会やPTAで活躍した方たち、さらに民生委員や消防団員の方たちもボランティアで地域のために貢献している。そういう方たちをお招きするのは悪いことではない。が、いわゆる公職ではなく、ボランティアとして地域の発展や安全のために活動されている方たちは全国に何人いるのだろうか。おそらく数十万、数百万の数に達するはずだ。その方たちをすべて「桜を見る会」に招待したら、新宿御苑だけでは収容しきれない。そう考えると、安倍総理が招待した850人の後援会のすべてが仮に自治会やPTAで社会貢献活動をしていたとしても、招待された自治会会長やPTA会長は安倍総理の選挙区の人たちだけだということになる。つまり彼らは「選民」だということを意味する。これはもはやトランプのような「アメリカ・ファースト」どころではなく「安倍ファースト」を意味していないか。
 菅官房長官は招待者基準の「各界の代表者等」の「等」について基準を明確にした方がいいと記者会見で述べたようだが、そんなばかばかしい招待者基準をきめ細かく決めるより、いっそのこと「桜を見る会」を廃止してしまった方がはるかにすっきりする。後援会の方たちの政治参画意識を高めるのであれば、桜など見るより国会傍聴の機会を作った方がはるかに意義があると思う。

 

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