小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

近況&旬な話題への「私見」…安倍国葬・沖縄知事選・旧統一教会・台湾有事&21世紀の民主主義

2022-09-13 00:05:18 | Weblog
 久しぶりのブログです。中断中も、毎日数十人の閲覧者が訪問していただき、私のブログ再開をお待ちいただいたことにまず感謝。
 この間、私自身も社会も大きな事件がありました。まず私のことに関しては、4月5日に自転車事故で大腿骨を骨折、手術と術後のリハビリで2か月余入院しました。
退院後、体調不良で別の病院に入院しましたが、その病室でコロナに院内感染し、今もコロナの後遺症で苦しんでいます。
政府は「ウィズ・コロナ」とか「感染対策と社会経済活動の両立」などと言っていますが、後遺症に悩まされている私の実感からは不可能です。また、コロナ感染症を今の2類からインフルエンザなどの5類に引き下げるという議論もされていますが、インフルエンザなどの季節性感染症と違って、まだコロナというウイルスの解明は不十分ですし、何よりも治療薬(タミフルのような特効薬)がありませんし、後遺症問題の対策も不十分です。
コロナ対策より、経済を回したいという政府の思惑が透けて見える「両立」方針だと思います。
また今日明日にはリハビリ入院することになると思いますので、今回のブログは近況報告と、いま旬の問題について浅堀りだけしておきます。
 
●安倍国葬問題についての「私見」
今月27日に「安倍国葬」が武道館で行われる。メディアは「岸田総理の内閣支持率浮上作戦だ」とか「麻生副総理の『理屈じゃねぇんだ』という恫喝に屈した」とかピーチクパーチク憶測しているが、メディアの誤誘導のために議論の方向がおかしなほうに向かってしまった。
直近になって、「法的根拠がない」という議論も出てきたが、そもそも岸田総理が挙げた「国葬にすべき」理由が正当な理由になっていないことが最大の問題である。
岸田氏は、「憲政史上最長の宰相」「経済や外交での功績」「民主主義の根幹である国政選挙での殺害」「外国首脳の弔意」「多くの国民の弔意」といった理由を挙げているが、いずれも論理的ではない。
唯一もっともらしい口実は「総理在任期間」だが、それを基準にするなら法律で在任期間の基準を明確に「見える化」すべきだろう。例えば在任期間5年以上という基準を設けるなら、法的根拠問題も生じない。
その他の口実は極めて恣意的であり、合理的とは言えない。
たとえば各国首脳の弔意は国際慣例として当たり前の話で、現にウクライナ戦争で敵対関係にあるロシア・プーチン大統領ですらエリザベス女王の崩御に際して弔意を表明している。が、安倍氏の死去に際してプーチンや金正恩が弔意を示してくれているか。
また安倍氏の経済政策や外交に対する評価に関して言えば、かなり恣意的であると言わざるを得ない。単に毀誉褒貶が多いというだけでなく、安倍政策は私に言わせれば「愚の骨頂だらけ」だ。まず経済政策に関しては、消費者物価指数の2%上昇は成長の結果であって目標ではありえない。消費者物価指数がプラスになる場合の条件については前回のブログで詳述したので繰り返さないが、一つ書き忘れたことがあるので追記しておく。
少子高齢化で消費活動が伸び悩む中で国民や企業の消費マインドを上昇させるためには「給料を上げてくれ」と「笛を吹く」だけではダメだ。日本は世界でも稀な「終身雇用」を雇用契約の基本としており(年功序列は崩壊しつつある)、企業が正規社員をレイオフするためには外国大資本に会社を身売りするか(シャープが好例)、外人のプロ経営者を雇うか(日産が好例)の、どちらかしかない。そうしたリスクを抱えているため、アベノミクスで為替差益が膨らんだ企業は内部留保を増やしてきた。その内部留保を吐き出して従業員の給与を上げたり設備投資を活性化させるためには、「官制春闘」では不可能。税制を大胆に改正して、内部留保に「資産税」的要素の課税を課すしかない。アベノミクスが中途半端になったのは、いつまでも国策として輸出産業重視の姿勢を維持してきたからだ。
また外交の要諦は経済と安全保障の二つだが、確かに安倍氏は輸出を増やすためになりふり構わず海外を訪問し、頭を下げ続けた。そのことはいい。いいが、肝心の輸出先の先進国も少子高齢化で消費が伸び悩んでいる。長い目で見るならアフリカ諸国を自動車や家電製品のマーケットに育てる方策を考えるべきだが、原始的生活をおくっている人たち(都会化している地域は少子高齢化している)の生活を変えられるか? 容易ではない。また大規模公共事業の場合は相手国の支払いが長期にわたる。そのため、為替変動リスクを避ける目的で円借款になることが多い。せっかくの超円安水準による輸出メリットも受けられない。が、工事に伴う原材料や部品の海外からの調達はドル建て決済だから円安は不利。海外の規模公共事業を落札しても、日本企業(グループを含む)にとってメリットがあったのか、疑問だ。
実は大きなマーケットがすぐ近くにある。ロシアだ。ロシアの技術力は偏っている。宇宙開発や軍需産業はアメリカと肩を並べるほどだが、民生技術は中国にもかなり劣る。安倍氏がプーチンとの良好な関係を利用して「日本が手を貸すから、中国のように民生産業と国民消費生活の向上を目指しなさい」とアドバイスすべきだった。「経済と安全保障の両立」は、こういう対ロ政策なら可能だ。領土問題の解決は、日ロの友好関係が整ってからの話だ。相手のメンツも考えなきゃあね~
日本の安全保障策については、すでにブログで書いた。再読を乞う。
善意に考えて、岸田氏は弔問外交で失地回復を狙ったのかもしれない。コロナ禍で思うような外交ができず、安倍氏の死を利用して外交得点を稼ごうと思ったのかもしれない。が、そうだとしたら、まず米バイデン大統領の参列確約を取り付けてから「国葬儀」を決定すべきだった。バイデンが参列するとなれば、ウクライナ戦争で引くに引けない状況に陥っているプーチンも、おそらく西側との妥協点を探るために「渡りに船」で参列する。また、台湾問題でアメリカとの摩擦を生じている習近平も、バイデンの「本気度」を探るために参列するだろう。米ロ中の3か国首脳が参列するとなれば、どでかい弔問外交の場ができていたかもしれない。
が、どこまでも岸田氏はついていないようだ。英エリザベス女王の崩御で弔問外交の場がイギリスに移ってしまいそうだ。このブログ原稿を書いている時点ではアメリカの対応が明らかではないが、もし女王の葬儀にバイデンが参列するとなれば、プーチンも習近平も間違いなく参列する。プーチンの弔意表明はそのための布石と考えるのが論理的。岸田氏にとっては「泣きっ面にはち」の結果になりかねない。
【追記】本稿を投稿直前、バイデンがエリザベス女王の葬儀に参列するというニュースがネットに出た。11日のNHK『ニュースウォッチ9』では報道がなかったので真偽は不明だが、事実だったら岸田氏の決断は完全に裏目に出ることになる。あ~あ。
 
●沖縄県知事選についての「私見」
11日、沖縄知事選が行われた。現職の玉城氏が圧勝した。沖縄県民の辺野古基地移設問題への民意が再度示された。
自民・公明など対抗勢力は「基地問題か、経済活性化か」と二者択一を争点にした選挙だったが、そもそも、そういう二者択一は成立しない。自民などが主張する経済対策は「基地を受け入れたら経済支援をする」というだけで、米軍基地が沖縄振興の足かせになっている現実に目を背けているからだ。
フィリピンや韓国がアメリカのご都合主義的覇権維持の片棒担ぎを拒否したのと反して(最近、中国の海洋進出や北朝鮮の核ミサイル開発で米軍の受け入れを容認しだしてはいるが)、憲法で「不戦」を誓っている日本の政府は、安全保障政策の柱を米軍に頼らざるを得ないと思い込んでいる。
が、安全保障の最大の要諦は「敵を作らない」ことだ。「抑止力」と言えばなんとなく、その気になってしまう空気が日本にはある。が、実は日本は世界でも稀な「抑止力」を自然に持っている。稀な要素の最大は、資源がないということだ。
強国が戦争する目的は、資源の獲得か自国の経済圏拡大だ(その両方を求めるケースが多い)。
日本は資源がないだけでなく、下手に欧米列強が日本を自国の経済圏に組み込んだら、かえって自国のマーケットが日本製品に席巻されてしまう。膨張主義国家の蒙古が日本を来襲したケース(元寇)があったが、日本が強国からの侵害を受けたのはそれだけ。アメリカに占領された時期は、日本がバカな戦争を始めた結果だ。
だから、日本にとって最大の安全保障策は「敵を作らず、日本侵攻の口実を仮想敵に与えないこと」に尽きるのだ。が、いきなりアメリカとの同盟関係を断つなどと日本が言い出したら、アメリカという世界最強国を敵に回しかねなくなる。
では、どうしたらいいか~
ヒントはトランプが与えてくれた。トランプは「日本が攻撃されたらアメリカは自国兵士の血を流して日本を守る義務を負っているが、アメリカが攻撃されても日本人はソニーのテレビを見ているだけだ」と、日米安保条約を双務的なものに改定するための絶好の口実を提供してくれた。
安倍元総理が強行採決した安保法制(集団的自衛権の行使容認)の狙いは、おそらく日米安保条約改定への入り口だったと思われる。「自衛隊を明記するだけ」という無味不明な改憲論も、やはり憲法の本格的改正への入り口と位置付けていたのだと思う。
で私はそんなせこいやり方ではなく、日本もアメリカ防衛のために自衛隊員の血を流す用意があることを示すためにも、アメリカに自衛隊基地を作るべきとブログで主張した。
ま、アメリカに自衛隊基地を作るには憲法を改正する必要があるだろうが、日本が「本気度」を示せば、アメリカも日本防衛の義務を守らざるを得なくなる。が、誇り高きアメリカが自国本土に他国の軍事基地設置を容認するわけがない。で、その時初めて日本はアメリカと対等に東南アジアでの戦争回避と平和維持のための措置を講じることができるようになるのだ。
そうした日米関係を構築したうえで、沖縄問題の解決を考えるべきだ、というのが私の基本的スタンス。
沖縄の人々は本土の、いわゆる「大和民族」とは違って、南方系の民族(琉球民族)である。ヨーロッパから移住したアングロサクソン系のアメリカ人が土着のインディアンを殺しまくったり、ハワイを占拠したりしたケースとは違って、日本は徳川時代に幕府の許可を得た島津藩が琉球王国を支配したのち「琉球民族との同化」政策に見事成功した。
朝鮮併合も、朝鮮での施政はそれほど抑圧的ではなかったが(朝鮮の近代工業化政策や教育方針はそれなりに成果を上げた)、軍部の独走が朝鮮人の恨みを大きく買った。東京大震災での流言飛語による朝鮮人虐殺や慰安婦問題、徴用工問題、今に至るも撲滅できないヘイト問題など、いずれも併合時代に朝鮮人の意に染まずに日本に連れてこられた人たちが対象だ。豊臣秀吉の朝鮮征伐で渡来した朝鮮人は日本に同化しており、ヘイト被害は受けていないと思う。
朝鮮問題に話がそれたので沖縄問題に戻すが、沖縄振興は基地受け入れのご褒美としての「施し」ではなく、沖縄の地政学的条件を生かした地域振興策を行うべきと私は考えている。
ハワイ・オアフ島に米軍基地が点在しているように、基地との共存は不可能ではないが、経済活動を基地に頼るのではなく、観光と貿易を振興の重点に置くべきと思う。簡単に言ってしまえば、沖縄の「シンガポール化」である。台風の目抜き通りになっていることが厄介だが、沖縄を特別免税地域に指定して貿易の拠点にする。さらに観光資源を開発し、沖縄の「ハワイ化」も進める。
いま沖縄には米軍基地に対する「思いやり負担」も含めて日本政府の財政負担がかなり大きい。それなのに、沖縄県民の所得水準は国内最低レベル。国民の税金をベースにした財政支援が、沖縄県民の所得底上げにつながらず、ざるに水をためようとするようなものだからだ。
沖縄の「シンガポール化」と「ハワイ化」を沖縄振興の経済政策の柱に据えれば、沖縄は日本有数の豊かな県になるし、県民生活が豊かになるだけでなく、アジア経済のセンターになる可能性も高い。結果として、沖縄がアジア平和のシンボルになるかもしれない。私はそうなることを期待している。
 
●旧統一教会問題についての「私見」
ここまで書いてきて、かなり疲れた。ほかにもいろいろ書きたいことはあるが、最後の稿にする(投稿直前に「台湾有事」について追記した)。
旧統一教会が資金集めのために行ってきた(今でも続いているようだが…)、いわゆる「霊感商法」。宗教活動としては断じて許容できることではないが、「魔女狩り」的なメディアの批判には同意できない。司法が出るか否かはわからないが、オウム真理教のような弾圧はいかがなものかと思う。
オウム真理教のケースは「破防法」を適用しての「解散命令」と地下鉄サリン事件関与信者に対する法的制裁の二つに分けて考える必要がある。私は浅原彰晃やサリン事件の首謀的役割を果たした犯人に対する厳罰は認めるが、浅原のマインド・コントロール下に置かれて無自覚に犯罪に副次的に関与した信者に対してまで厳罰(死刑)に処したのは、司法の「世論への屈服」と思っている。とくにサリンが猛毒だと知りながら自動車で犯行現場まで運んだというだけで死刑というのは、いくら世論がオウムに対して厳しかったとしても司法が自ら矜持を捨てたと言われても仕方あるまいと思う。
私がこの問題に関して考えさせられたのは、マインド・コントロールの恐ろしさである。マインド・コントロールは、安倍元総理が野党批判でしばしば用いた「印象操作」という決めつけと同類なのだ。実は、安倍氏は分かっていてやったのかどうかは不明だが、「印象操作だ」と決めつける行為自体が「印象操作」そのものなのだ。そう反論できなかった野党もだらしなかったけどね~
旧統一教会の「霊感商法」は、オウム真理教のようなテロ行為ではないから「破防法」の適用で解散させることは不可能だが、メディアによる「解散世論つくり」は、まさに地下鉄サリン事件で司法を死に追い詰めた経緯とそっくりである。
問題は、メディアにその自覚がなく、「旧統一教会解散世論を盛り上げる」ことをメディアが「正義」と思い込んでいることなのだ。
「思い込み」というのは恐ろしいもので、その世界の中に身をゆだねてしまうと、その世界から抜け出せなくなってしまう。その世界を支配している空気に染まることは主体的に考える必要がないから楽なのだ。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というわけだ。むしろ、そういう空気に逆らうことのほうが、日本ではリスクが大きい。
かつてマルクスは「宗教はアヘンのようなものだ」と喝破した。そのことはその通りだと私も思うのだが、いったんマルクス主義の世界に身を置いてしまうと、マルクスが絶対的な存在になり、宗教を弾圧することが「正義」だという「思い込み」の世界から抜け出せなくなってしまう。だから習近平・中国共産党によるウイグル族やチベット族弾圧も、加害者である地方政府の権力者たちは彼らのために「正義」を行っているという「思い込み」で目が見えなくなっている。
旧統一教会の幹部たちも、信者から献金を収奪することが、本当に理想社会を実現する唯一の道であり、信者を救済することになると思い込んでいるようだ。この問題の難しさは、加害者自身が加害行為の正当性を信じていることだ。つまり被害者をマインド・コントロールするだけでなく、彼ら自身がマインド・コントロールされており、加害行為を加速することで自分が高みに行けると信じていることなのだ。
私は社会心理学の専門家ではないし、ここまで書いてきて心身ともに疲労の限界に達したので、問題提起だけにとどめておくが、政治家や専門家、メディアが作り出す「空気」に対して自ら謙虚にならないと世論を大きく誤った方向に導きかねないので~
 
●「台湾有事」はあり得ない。
追記として、もう一つ書いておきたいことがある。台湾問題だ。
中国が、台湾周辺で軍事的挑発行動を繰り返していることに関連して、日本国内で「台湾有事」を懸念する声が高まりつつある。が、アクシデントが起きない限り「台湾有事」はあり得ないことを論理的に検証する。
もちろん、中国政府が台湾を中国政府の統治下に収めたいというのは習近平以前から中国政府の宿願である。が、そんな兆候は少なくとも今のところない。
その理由は台湾(中華民国)の蔡英文政権の政権が安定しているからだ。国の政権の安定度は経済の安定度に比例する。台湾は人口2300万人余と小規模ながら、電子立国で世界有数の先進工業国(地域)になっている。台湾の経済力やエレクトロニクス技術力は、中国(中華人民共和国)にとっても喉から手が出るほどに魅力的だが、肝心の蔡政権がびくともしない。経済が安定しているうえ、人口比で96.7%を占める漢民族は第2次世界大戦後、毛沢東軍に追われて台湾に移り住んだ蒋介石軍が中心。中国との貿易で稼いでいる親中国派もいるが少数。日米間を始め、台湾の電子製品は世界中に散らばっている。中国政府としても、おいそれとは手を出せない構造になっている。
ここで、「返還後、50年間は一国二制度を維持する」との国際公約を破って、中国が香港を「中国化」に踏み切れた条件を見てみよう。
香港の住民も大多数は漢民族である。かつてはイギリスの統治下にあったが、中国に返還されたのち、中国政府によって傀儡政権が誕生し、民主派勢力との対立が激化するようになった。中国政府は、親中国派が政権を掌握している間に永続的な親中国政権を確立すべく「国安法」を制定、民主派を根こそぎにすることにした。香港は中国政府の管轄下という国際社会の承認があったからできたことだ。
が、台湾は違う。「国家」を標榜しているし(日米は中国との国交回復の際、台湾の国家承認を取り消したが)、国際社会では台湾を国家承認している国は多い。プーチンがウクライナ侵攻を始める際の口実にした「ロシア系住民の保護」といった類の口実も台湾では使えない。
よく知られているように、対台湾政策は、アメリカはダブル・スタンダードだ。ニクソンが日本の頭越しに中国との国交回復を実現し、「一つの中国」を承認した後も米議会は台湾との同盟関係の継続を決議した。日本政府はアメリカのダブル・スタンダードが理解できなかったのかもしれないが、中国政府に丸められてオンリー・スタンダードにしてしまった。そういう意味で国際社会から、日本は節操のない国とみられている。
日本の無節操は置いておくとしても、中国はアメリカや国際社会と事を構えても台湾を手中に収めようとするリスクはとらない。得るものより失うもののほうが大きいからだ。もし台湾で親中国派が多数を占めるような事態になった時は、親中国派の保護を口実に台湾の軍事制圧に乗り出す可能性はあるが、今のところ、その可能性は極めて薄い。だから中国の挑発行為は単なる嫌がらせと無視していればいい、少なくとも日本は…。
なのに「台湾有事」を日本政府が声高に叫ぶ目的は何か。今更アメリカのようにダブル・スタンダードに切り替えることもできないため、「台湾有事は尖閣有事を意味する」などと意味不明な主張を繰り返してアメリカの台湾防衛政策に乗っかり日本の安全保障を危うくしているのだ。多くのメディアも、政府のマインド・コントロールあるいは印象操作に加担して「抑止力強化」思想をばらまいているのが現実。
南沙諸島の軍事基地化など、中国の海洋進出の巧みさは、反発する国との軍事的衝突を回避しつつ行われていることを見ても歴然。せこいやり方でアメリカに追随しつつ軍事力強化を図ろうというのが日本政府の伝統的手段だ。
「自国の防衛は他人任せにしない」という毅然たるスタンスを確立したうえで、敵を作らない外交努力を続ける――それが国際社会から信頼を得る最善の安全保障策ではないだろうか。 
 
リハビリのため、またしばらくブログを中断します。
コロナの後遺症は怖いですよ。皆さんもコロナに感染しないように気を付けてください。気を付けようがありませんけどね。感染したら、交通事故に見舞われたと思うしかありません。
なお、本当に最後の最後。
私は政治的には右でも左でもなければ、保守でも革新でもない。あえて言うなら「ど真ん中のリベラル」かもしれない。
ただひたすら「民主主義とは何か」を問い続けている。
イエール大学の成田悠輔助教授が著した『21世紀の民主主義』が話題になっている。「民主主義の根幹である選挙制度は民意を反映していない。民意を反映させるには年代ごとに有権者数に応じた議員数を割り振るべきだが、それは無理。専門知識に乏しい政治家が官僚に丸投げして政策を立案しているのが現実。なら、いっそのこと政策立案、決定をAIに任せたほうがいい」という主張だ。
民主主義の根幹が選挙制度にある、というのは私もそう主張しているから問題ない。が、民意を反映するのが民主主義という理解には疑問がある。なぜなら、民意は政治家やメディアによるマインド・コントロール(あるいは印象操作)によって形成されてしまうからだ。若かろうと、歳を重ねていようと、政治家やメディアの印象操作にたぶらかされない思考力を有権者が持てる社会の形成が先行しなければ、ただ政治が「民意を反映する」と、例えば旧統一教会を潰せばいい、といった衆愚政治になってしまうからだ。
民主主義の嚆矢は古代ローマにさかのぼるが、いまだ「青い鳥」だ。が、人々が「青い鳥」を追いかけなくなることが怖い。諦めが政治の腐敗をもたらす。なお、今のAIにどんな能力を期待できるか、私にはわからない。


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