小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

コロナ感染対策と社会経済活動は両立しうるのか? 【追記】専門家会議の見解と厚労省の見解が食い違っていた。

2020-07-01 01:21:12 | Weblog
 コロナ禍がいっこうに終息しそうもない。それどころか、6月後半に入って感染者数が緊急事態宣言時の状態に戻りつつあるかのようにさえ見える。東京・新宿や横浜のホストクラブなどでクラスター(集団感染)が発生し、さいたま市や博多・中洲ではキャバクラで、北海道でも小樽の昼カラ店でクラスターが発生している。緊急事態宣言中のクラスター発生は感染者受け入れ病院や老人ホームなどのケースが報道されていたが、最近は病院や老人ホームでのクラスター発生の報道はない。病院では医師や看護師の防護体制が整ってきたからだろうし、老人ホームも基本的に家族との面会も禁止するようにしているようだ。一方、緊急事態宣言中は休業要請によって営業を自粛していたカラオケ・スナック(昼カラを含む)や夜の接客業が、宣言解除で一斉に営業を再開した。道路に面した居酒屋などは入口ドアをオープンにして換気を行っているが、カラオケ・スナックや夜の接客業は入口ドアを解放するわけにいかない。そうした店の営業も再開したため、クラスターが発生したと考えられよう。
このように感染者数だけ見ると緊急事態宣言時に戻ったようにも見えるが、クラスターの中身を見ると明らかに状況は異なっている。こうした事態が生じたのは緊急事態宣言の解除について、政治が失敗したことを明白に物語っていると言える。少なくとも密室状態での客商売については、クラスター対策について厳しい基準を設け、自治体職員や保健所の許可を受けることを営業再開の条件にすべきだった。
 それはともかく、新型コロナ対策について日本だけではないが、政治は「二兎を追う」政策にとらわれ過ぎているように私には思える。実際、厚労省のコロナセンターに問い合わせたところ、「政府の方針はコロナ対策の充実と社会経済活動の活性化を両立させることにあります」との回答があった。果たしてそういうことが可能なのか。「二兎を追う」ことが可能だというなら、その根拠を示してもらいたい。「二兎を追うことが必要」だから「二兎を追うことにした」などというバカげた主張は論理的説得力ゼロだ。

 政府は24日、突然、専門者会議の廃止を発表した。西村新型コロナ対策担当相が記者会見で「専門者会議の位置づけが不安定であり、より幅広い専門家を加えた対策分科会(仮称)を設置する」と発表したのだ。ちょうど、この記者会見が行われていた時、専門者会議も記者会見を開き、「これまで専門者会議があたかも政策決定してきたかのように思われてきたが、政策の実行は政府が責任を負い、専門者会議は感染状況の分析と評価・対策を政府に提言するという役割分担を明確にすべきだ」と、専門者会議の立ち位置について説明していた。実際、その直後、専門者会議の尾身副座長が記者から西村担当相の発言内容を聞き「全く知らない。初耳だ」と、あぜんとした表情を見せていた。
 それまで政府と専門者会議は、はた目には一心同体でコロナ対策に当たってきたかのように見えていた。が、内実はかなり専門者会議と政府は対立する場面があったようだ。専門者会議は新型コロナの感染拡大を阻止することが目的で、そのための対策を講じることしか考える必要がない。その専門家会議が出した対策を反映させながら、経済や雇用への打撃を極力抑える政策を考え実行に移すのが政府の役割である。
 実際、通常の場合は、政府が政策や法律を策定する場合に設置する有識者会議は、あくまで「諮問機関」であり、政策実行についての責任は持たない。つまり政府に参考意見を述べるにとどまるのが有識者会議の役割であり、政策決定に口出しするのはタブーなのだ。が、新型コロナの場合、政府に有識者の提言を判断できる能力がなかった。そのため政策も含めて専門者会議に丸投げせざるを得ない状況になっていたことも事実である。せいぜい政府は「そこまでやったら経済面の打撃が大きすぎる」と、専門者会議に譲歩を迫るくらいのことしかできなかったようだ。緊急事態宣言の解除についても、専門者会議は「時期尚早」を主張したようだが、安倍総理が押し切ったという。そうした専門者会議と政府の目的の齟齬が抜き差しならないところまで行った結果、政府は一方的に専門者会議の解散を決め、専門者会議は政府との距離を置くことをこれまた一方的に記者会見で発表するという状況が、しかも巧まずして同じ日の同じ時間帯に別々の記者会見で生じるという前代未聞の事態を起こしたと言える。
 政府の発表によれば、専門者会議に代わる新たな分科会を設置するというが、具体的な内容はまだ見えない。政府の本音としては専門者会議の存在感が大きくなりすぎたため、あくまで政府が主導で政策は決めるという姿勢を明確にするため、巨大化した専門者会議を分割して(メンバーの入れ替えはかなりあるかもしれないが)、いくつかの分科会に力を分散して政府の主導権を取り戻そうというのが本音だろう。が、そうなれば当然コロナ対策は劣後せざるを得なくなり、感染が再び拡大傾向に入りつつある中で分科会が有効な感染対策を打ち出せるか、私は極めて疑問に思わざるを得ない。

 政府のコロナ対策の混乱と時期を同じくして知事選が真っ最中の東京都も、新たなコロナ対策にかじを切り替えた。2期目当選が確実視されている小池都知事が6月30日、コロナ感染状況の指標とする7つのモニタリング項目を公表した。それまでの東京アラートの数値基準(直近1週間の平均感染者数など)を廃止し、数値基準を明示しないことにしたのだ。小池氏は記者会見で「これまでは休業要請の段階的な緩和や再要請の目安としてきたが、現時点では検査体制や医療体制も整ってきており、個々の数値を基準にするのではなく総合的に判断して対応していく」ことにしたというのだ。厚労省は「数値の目安がない」ことに不満を漏らしているが、小池氏がすべての結果責任を負うというなら、それはそれで政治家としての一つの覚悟の表明とみてもいいかもしれない。妙なたとえになるが、野球でいえばバッターが、姿も見えずどこにいるかもわからない投手の投げるボールを打ち返さなければならないような状況が、新型コロナ対策の現状である。最初はコロナ症状として肺炎だけと考えられていたが、今では味覚嗅覚もなくなるという症状も明らかになっている。ひょっとしたら海外では別の症状もあるかもしれないし、コロナウイルスの性質もまだ全く分かっていない。インフルエンザ治療薬のアビガンをはじめ、エイズ治療薬や様々な薬品が、「下手な鉄砲も数撃てば当たる」式で患者をモルモット扱いしているのが今の治療法。7月から大阪大学発のベンチャー企業がコロナ・ワクチンの臨床試験に入ることになったが、動物実験での検証もなく、いきなり人に対する臨床試験の段階に進んでいいのか、いささか心もとない気がする。

 そうした現状はともかく、政府が急遽、新型コロナウイルス感染症対策本部を内閣官房に設置したのは1月30日。本部長には安倍総理が自ら就き、担当大臣として西村氏を起用した。本来は厚労相の加藤氏の任のはずだが、医療行政に疎い加藤氏では頼りにならないと安倍総理が考えたのだろう。
 その対策本部の下、具体的な対策について医学的な見地から助言等を行うことを目的に「専門家会議」が2月14日に設置された。座長には国立感染症研究所所長の脇田氏が、副座長には独立行政法人地域医療機能推進機構理事長の尾身氏が就任した。構成員は10人で、うち8人が感染症の専門医などの医師、後の2人は保険学者と弁護士で、統計学を専門とする数学者は含まれていない。                               この専門家会議が提起したコロナ感染症対策が「人と人との接触は最低でも7割、できれば8割削減すればコロナ感染症を克服できる」という、統計学を専門とする数学者だったら、びっくりしてひっくり返りかねないような感染症対策方針だった。
そして政府がこのサイコロを振って決めたようなコロナ対策をベースに4月7日、緊急事態宣言を発令、以降「人と人との接触8割削減」を目標に、リモートワーク推奨、スーパーやコンビニ、医療関係などを除く不要不急のサービス業の休業要請、食料品購入や医療機関での受診などを除き不要不急の外出自粛という政策を打ち出した。
政府はコロナ禍を軽く見ていたのか、あるいは本当に「人と人との接触8割削減」が物理的に可能と考えていたのか、ゴールデンウイーク明けには宣言を解除する計画だった。が、海外の例を見ても明らかなように、1か月くらいで収束できるほどコロナはやわくはなかった。結局政府は宣言解除時期の見通しを5月末まで延期し、何とかパンデミック(大流行)は回避できそうな見通しがついた5月25日、段階的ではなく一気に宣言を全面解除した。ただし、東京都や大阪府は独自の段階的解除を進めていたが、小池都知事が東京アラート(警報)を全面解除した6月12日以降、感染者が一気に激増、24日には55人と50人台に再突入し、本来ならアラート基準に再突入した。
 実は私は何度か厚労省のコロナコールセンターに、専門家会議が提起した8割削減の根拠について質問した。コールセンターもいろいろ調べてくれたが、結局「わかりません」という回答しか得られなかった。私もネットで可能な限り根拠を調べてみたが、やはり8割削減の根拠についての記述を見つけることはできなかった。
 いま理研と富士通が共同で開発したスーパーコンピュータの「冨岳」が世界NO.1の座を奪還したが、その前の世代の「京」が世界NO.1の座をアメリカの「サミット」に抜かれたとき、民主党政権下で事業仕分けを担当していた蓮舫氏が「2番じゃダメなんですか。なぜ1番でなければいけないのか」とスパコン行政に噛み付いたことを想起して、私はこう専門家会議に問いたい。

「なぜ8割削減しないとダメなんですか。7割では、あるいは6割、5割ではダメなんですか。8割削減したら、本当にコロナを根絶できるのですか。その根拠も教えてください」
「あなた方の中には経済の専門家も統計学の専門家もいませんね。もし、本当に日本で人と人との接触を一気に8割も削減したら、日本経済は1か月も持たずに崩壊しますよ。また、田舎ならともかく、都市部で、しかも働いている人たちが人との接触を8割削減することが物理的に可能かどうか、考えたことがありますか。社会経済活動をすべて止めない限り、そんなことは不可能ではありませんか」と。
 
 専門家会議が8割削減を提案した時、なぜ政府は「そんなことは不可能だ。もっと現実的な対策を講じてくれ」と専門家会議案を突き返さなかったのか。バカばっかし、と言わざるを得ない。
 無能だったのは政府だけではない。野党も、8割削減などというバカ丸出しのコロナ対策に疑問一つ呈さなかったし、メディアも同様だ。だいいち、こんな素朴な疑問すら、今日まで日本でだれも持っていないようだ。
8割削減というが、会う人の数を8割減らすという意味なのか、それとも人と会っている時間を8割減らすという意味なのか。
専門家会議のメンバー、とくにメディアで発言する機会が多い尾身氏に、そのくらいの質問ができないほどメディアの記者たちはボケてしまったのか。それとも相手が著名な専門家だから、恐れ入ってしまって尾身教の信者になったのか。

 実はメディアの無能さの証拠はこれだけではない。メディアは毎日感染者数ばかり報道している。日本にもコロナ禍が襲い掛かってきたころ、PCR検査を受けるためのハードルがめちゃくちゃ高かった。私自身、3月の末ごろ、突然39.6℃の高熱に襲われたことがある。思い当たる節はなかったが、自覚症状として風邪ではないと思った。ただ新型コロナは潜伏期間が4,5日あると聞いていたので、その間にどこかで感染したのかもしれないと思い、かかりつけの内科医に電話をした。が、電話に出た受付の方から「うちではコロナは扱っていません。市のコールセンターに電話してください」と言われ、コールセンターに電話をして「突然の高熱が出て、ひよっとしてと不安に思っている」と言ったのだが、担当者から聞かれたことは「年齢・渡航歴・持病」の3点だけ。で、「あなたの場合はPCR検査の対象にあたりません。数日間安静にして様子を見てください」という冷たいあしらいだった。当時のPCR検査対象者は重症者に限定しており(軽症者を収容する施設がなかったためだろう)、異常を訴えた人たちの多くは私と同様の対応をされていたはずだ。
 その後、PCR検査の体制も整い、また軽症者を収容する施設も大規模自治体は民間のホテルを1棟丸ごと借り上げるなどして、最近はPCR検査のハードルの高さを問題視するような報道は見かけなくなった。いまだったら、おそらく私のようなケースの場合、たぶんPCR検査を受けることができたと思う。
 ただ、メディアの報道でいつも不思議に思うことが一つある。東京都の感染者数やクラスターが生じたケースは報道しているのだが、PCR検査数についてはどのメディアも報道したことがない(と思う)。PCR検査数が増えれば、実際のコロナ感染状態が変わらなくても感染者数は増える。
実は一番問題視すべきなのは、感染者数の推移ではなく(それはそれで重要な指標ではあるが)、PCR検査数に占める陽性反応者の比率である。たとえば感染者数が倍になったとしても、PCR検査数も2倍に増えていれば感染状態に変化はないと考えるのが統計学の基本的な考え方である。ということは感染者数が2倍になってもPCR検査数は4倍に増やしていたら、感染者数は増えてはいるが感染状態はむしろ良化しているということになる。
ただし、この統計手法が有効である条件はPCR検査の基準が一定であることで、検査のハードルを緩めると陽性反応者が占める割合は当然低下するから(ただしハードルを緩めすぎると無症状の感染者が引っかかるから陽性反応率が上がる可能性もある)、その相関関係も考慮に入れる必要はある。なお、ノーベル賞学者の本庶・京大特別教授によれば、無症状感染者(隠れ感染者)は公表感染者数の5倍いるのではないかという。また世界最大の感染国アメリカでは「隠れ感染者」が2000万人入るという推計もある。

 少し前だが、羽鳥モーニングショーのレギュラーコメンテイターの玉川氏が、「公的医療機関は土日はPCR検査をしないので、土日の感染者数は民間病院で検査した人だけ」と間違った解説をして、その後、放送で謝罪したことがあるが、玉川氏はなぜ間違えたのかの説明責任は果たしていない。で、私が玉川氏に代わって、なぜ彼が誤解説をしてしまったのかを明かにしておく。いま、私の手元にはネットからプリントアウトした2枚の表がある。1枚は6月15日から28日までの毎日の、全国及び47都道府県の当日感染者数と累計感染者数の表である。もう1枚は6月15日から26日までの土日を除く平日の、全国及び47都道府県の当日PCR検査実施数と累計PCR検査実施数の表である。
 PCR検査実施数については土日の分はない。そのため、玉川氏に情報提供したテレビ朝日の記者スタッフが、「感染者数は土日も記載されているのに、PCR検査実施数は土日の分は記載されていないため、公的医療機関は土日はPCR検査を実施していないのだろう」と勝手に思い込んで玉川氏に伝え、彼に恥をかかせたというのが真相だと思う。実は厚労省は土日は休みなので、土日分のPCR検査数を表に記載をしていない。が、土日分のPCR検査実施数は月曜日に合算されており、そのため月曜日のPCR検査実施数は3日分になっている。例えば東京都の19日(金)の検査数は1,761件だが、22日(月)の検査数は3,562件、翌23日(火)の検査数は1,426人である。多少土日の検査数が他の平日に比べて少ないことは確かだが、厚労省がホームページで公表している表をテレビ朝日の記者スタッフが短絡的に見てしまったため玉川氏に恥をかかせる結果になったようだ。
 それはともかく、メディアは感染者数だけでなく、PCR検査の実施数も併せて報道すべきだ。そうでないと、単純に感染者数の増減だけで日本の感染状況を判断してしまうという愚を犯すことになる。なお厚労省によれば、現在のPCR検査体制は2万9,767件分あり、検査実施数は日によって異なるが大体4,000件前後である。ということはまだ2万5000件以上の余力があることになり、「宝の持ち腐れ」とはこういう状態のことを言う。東京は大阪、神奈川なども、軽症者用に確保しているホテルの空室率も8割前後あるようで、重症化する前に軽症者を早くPCR検査で見つけてホテルに隔離し、感染の拡大を防ぐというのが「早期発見早期治療」という医療の原則ではないか。

 第1波、第2波という言い方も、私は気に食わない。まだ新型コロナがどういう性質のウイルスか、まったくわかっていない。私も前のブログで書いたが、北半球でコロナが収束に向かいだしたころ、パンデミックの舞台は南半球に移るだろうと予測した。インフルエンザウイルスと近い性質を持っているのではないかと思ったからだ。当時、インフルエンザ治療薬のアビガンがコロナ治療薬としての有効性が期待されていたこともあって、コロナウイルスも北半球が夏季に入ると夏眠し、冬季に入る南半球でパンデミックが生じるのではないかと思ったからだ。そして北半球が今年の冬季に入ることコロナウイルスが夏眠から目覚めて暴れだすのかもしれないと思っていた。が、そうした季節性はコロナウイルスにはないようだ。確かに今ヨーロッパでは収束に向かいつつあるかのように見えるが、一時韓国が「コロナ退治に成功した。各国は韓国方式を見習え」と豪語していたのに、韓国民の行動が一気に規制を解除された途端、再びコロナウイルスが猛威を振るいだした。韓国のように、完全にコロナを抑え込んだかのように見えても、経済活動を一気に活性化させると「俺をバカにするなよ」とばかりにコロナが再び暴れだす。ヨーロッパも、経済活動を活性化した途端、韓国のようにコロナが再び暴れださないとは限らない。
 それがコロナウイルスの特性だとしたら、人類はコロナの絶滅はあきらめて、コロナウイルスを生かさず殺さずで共生の道を探るしかないことになる(特効薬やワクチンの開発に成功すれば、コロナとの共生も終えることができるが)。
 いずれにせよ、コロナウイルスの特性も分からないのに、第1波とか第2波とかという議論が罷り通っていることに、私は「アリスの国」に迷い込んだのかという思いすらする。


【追記】とんでもない事実が判明した。コロナウイルスの感染リスクについて、専門家会議の見解と厚労省の見解がまったく違うのだ。
 そのことが判明したのは、私がふと疑問に思ったことがきっかけだった。果たしてコロナウイルスは皮膚感染するのだろうか、という疑問が生じたのである。これまで分かっているウイルスの感染はインフルエンザのように呼吸器感染か、マラリアのように蚊のような動物を介しての感染かでしかないと思う。
 とくにインフルエンザのような「人から人への感染」は口や鼻から飛散したウイルスが呼吸器(口や鼻)から体内に侵入する。だから多くの場合重症化すると肺炎を起こす。コロナの場合、味覚や嗅覚にも異常な症状を生じるようだが、そういう症状にとどまっている限り重症化したケースはない。コロナウイルスの場合、なぜ味覚や嗅覚に異常を生じるのかはまだ解明されていないが、基本的には呼吸器を通してウイルスに感染しているようだ。
 もし皮膚感染するのであれば、満員電車で毎日通勤している会社員たちが、なぜ皮膚感染しないのか、私は不思議に思った。レストランや居酒屋などは客が入れ代わるたびにテーブルやいすなどを消毒しているが、電車やバスのつり革などを消毒しているなどという話は聞いたこともない。乗客が手袋をしているのも見たことがない。専門家会議の人たちも、マスクの着用や「3密」状態の回避は要請しているが、電車やバスに乗るときに手袋の着用は要請していないし、電車の駅やバス停に手の消毒用容器も置いていない。にもかかわらず、電車やバスの中で感染したりクラスターが生じたなどという話も聞いたことがない。で、いったいコロナウイルスは皮膚感染するのかどうか、厚労省のコロナセンターに電話して、この疑問をぶつけてみた。「皮膚接触によってコロナが感染することは証明されているのか?」と。センターの回答はこうだった。
「厚労省は健康な皮膚からは感染しないと考えています。ただし、傷があると傷口からウイルスが体内に侵入する可能性はあります。ただし、ウイルスが付着した手で鼻や口をこすったりすると感染する可能性があります」
 ということはマスクさえしていれば「3密」(密閉・密集・密接)状態は感染リスクに該当しないことになる。つまり、ソーシャル・ディスタンスは無用ということだ。ただ、手洗いだけはしっかりしなければならない。
 専門家会議と厚労省で、コロナ感染対策の基本的認識が異なっていることを明らかにするのは、この記事が最初である(※厚労省ホームページでの接触感染リスクの記述はややあいまいだ。専門家会議の提言に多少、配慮したのかもしれない)。なお、この情報は3日午後、NHKには提供した。(7月4日)

【追記2】ようやく一部のメディアが感染者数だけでなく、重症者数も明らかにするようになった。私がこのブログをアップした後に厚労省コロナセンターに問い合わせたときには重症者数は不明との回答だったので、「それでは本当の感染状態が分からない。無症状者・軽症者・重症者」に分けて公表すべきだ」「また毎日のPCR件数も公表すべきだ。とくに感染者数が急増した都道府県については明らかにすべきだ」と申し上げた。
 私が7月1日に本稿をアップした直後から感染者数が急増し始めたが、そういう状況になることを私が予測していたわけではない。世論もメディアもPCR検査を増やすべきだと主張し始めたし、医療現場も一時の崩壊寸前状態から脱しつつあったので、PCR検査を増やせる状態になっていたこともあり、論理的に考えてPCR検査数を増大すれば感染者数も増えるのは当たり前で、問題は感染者数に占める重症者数の比率が増えれば明らかに感染状態は悪化しつつあることになるし、感染者数が増えても重症者数の比率が減少すれば感染状態は沈静化しつつあると考えてもいいと思っていたからだ。
 実態はどうだったのか。感染者数は急増したが重症者数は増えていない。つまり、緊急事態宣言が解除されるまではPCR検査能力は1日約3万件に増大していたのに、実検査数はその15%くらいでしかなかった。つまり医療体制が検査能力をフルに活用できる状態になかったのが宣言解除以前の状況だったのだ。だから私が3月に突然39℃を超える高熱を発しても「検査対象にはなりません」と冷たくあしらわれたほどだった。
「夜の街」で感染が拡大することまでは私も予想していなかったが、感染症状を訴えた人だけでなく密接接待風俗業の店で感染者が出た場合、従業員全員を検査するなどの感染拡大防止策をとった結果、無症状感染者も感染していることが判明し、感染者数が急増したというのが実態のようだ。
 実際、日本がコロナ禍に襲われ日本中がパニック状態に陥った時、感染者の受け入れ病院は医療崩壊寸前になった。日本がコロナ対策に遅れを取ったのは何が何でもオリンピックを中止から免れたいという政府と東京都の国民無視の姿勢のせいだったが(そのことは4月9日のブログで書いている)、少なくとも7月に入ってからの感染者数増加は第2波でも何でもない。現に重症者数は増えていないし(ということは感染者全体に占める重症者比率はむしろ低下していることを意味する)、死者数に至ってはメディアが公表しなくなったほど、7月以降数名にとどまっている。欧米人と違って日本や韓国、中国の人たちは外出時、マスクを着用する習慣が根付いていることが大きいのではないかと私は思っている。だから感染者数の増大に慌てふためく必要はない。(7月9日)