小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

イスラム過激派同士は、なぜ「残虐性」を競い合うようになったのか?

2015-01-12 08:18:21 | Weblog
 また痛ましい事件が起きた。ナイジェリア北東部の市場で10日、10歳前後とみられる女児に付けられた爆弾が爆発し、少なくとも19人が巻き添えを食って死亡したという。負傷者も数多いという。現地の警察当局は、同国でテロを繰り返しているイスラム過激派「ポコ・ハラム」の犯行とみているようだ。
 少女は市場の入り口付近で金属探知機による身体検査をされている時、体に巻きつけていた爆弾が突然爆発した結果だという。日本でも、10歳くらいの子供が、親の虐待や学校でのいじめに耐えかねて自ら死を選ぶと行ったケースは、ひょっとしたらあるかもしれない。が、何の関係もない人たちに対する自爆テロを、自分自身の意志で10歳くらいの子供が行うとは、私にはとうてい理解できない。
「イスラム過激派」とひと言で言われるが、一枚岩ではないようだ。女学校を襲撃した「イスラム国」の過激派に対しては、かつては過激派のシンボル的存在だったタリバーンが非難声明すら出した。イスラム過激派同士の主導権争いが、突出した一部の極過激派のテロ行為に拍車をかけているとしたら、悲しみを通り越して怒りを覚えざるを得ない。
 ウィキペディアで調べてみたが、いわゆる「イスラム過激派」は世界の活動地域ごとに異なった集団を形成し、それぞれが独自の活動を行っているようだ。宗教は元来排他的で、他の宗派を容認することはありえない。それはそれでやむを得ないことだが、宗教が政治的目的と一体化すると悲惨な状況が生まれる。   
 日本でも戦国時代、仏教徒が武家勢力に対抗するため、武装して権勢を誇ろうとした時代があった。全国各地で大小名の武家勢力と仏教徒勢力の武力衝突が生じ、全国統一の野望に燃えていた織田信長は仏教徒の影響力を封じ込めるため、あえて異教のキリスト教の布教を許可し、仏教徒勢力を抑えようとした。が、それでも仏教徒勢力との激突は避けられず、ついには比叡山に対する総攻撃に至り、武家勢力の支配権が確立した。
 信長の死後、豊臣秀吉はキリスト教の蔓延を好ましく思わず、キリスト教の布教を禁止する。その政策を引き継いだのが徳川家康で、より過激なキリシタン弾圧政策に出る。日本における武家勢力と宗教勢力の武力抗争は、天草四郎率いるキリスト教武装集団を壊滅させた島原の乱(1637年12月~38年4月)で終焉した。
「近親憎悪」という言葉があり、「兄弟は他人の始まり」という言葉もある。日本でも新左翼の2大過激派グループの中核派と革マル派が血で血を洗う抗争を行った時期がある。この両派は、もとは革命的共産主義者同盟という一つの極左集団の分裂によって生じた。
 イスラム教についての私の知識は、中学校時代に習ったハムラビ法典についての「目には目を、歯には歯を」くらいのことしかない。
 その考え方が、犯罪抑止力としての範囲なら効果の大きさを否定はしない。が、意見や考え方に対する敵対行為として拡大解釈されると、こんにちのような事態が生じる。
 イスラム教徒においてはジハードが基本的な義務の一つとされているようだ。ジハードは、本来「イスラム教の布教のために努力せよ」という意味だったようだが、「異教徒との戦い」「聖戦」と拡大解釈されるようになり、それが異なる宗派集団や政治勢力などへのテロ行為の正当化につながったようだ。
 いま世界各地で頻発しているイスラム過激派のテロ行為は、「イスラム国」の突出したテロ行為の刺激を受けていることは疑いを容れないだろう。ネット社会における「アナウンス効果」の一つと言えなくもない。このブログの冒頭で書いた10歳くらいの少女の「自爆テロ」も、「過激性」を競い合う現在のイスラム過激派の流れの中で生じている。
 なぜイスラム過激派は、テロ行為の過激性・残虐性を競い合うようになったのだろうか。その理由が、メディアをいくら見ても読んでも分からない。私たちの常識というか、理解できる範疇をはるかに超えてしまっているからだ。
 日本でも暴走族の若者同士が、対立して抗争に至ったり、暴走競争に走ったりすることがあるが、そういうレベルで理解できる話でもない。イスラム過激派のテロ行為は、いわば日本の暴走族が隊列を組んで、歩行者天国で賑わう人ごみに突っ込むようなものだ。いくら暴走族でも、そこまではやらない。
 信教の自由は、言論の自由とともに人間社会にとって最も重要視されるべき自由の一つではある。が、ハムラビ法典が教える「目には目を、歯には歯を」を教義とするならば、言論には言論を以って反撃すべきだろう。イスラム過激派の中から「私たちのやり方は間違っていたのかもしれない」という声が一日も早く生まれてほしい。