小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

「民主主義とは何か」がいま問われている⑨--岡田民主党はどこに行く?

2015-01-20 09:30:46 | Weblog
「原点回帰」――党の再建方針について岡田新代表はそう述べた。「原点」と岡田氏が言う場合、岡田氏の頭の中で去来したものは何だったのか。民主党結成時のことなのか、それとも第1次岡田代表選出時のことなのか。
 今回の民主党代表選では岡田克也氏のほかに細野豪志氏、長妻昭氏が名乗りを上げた。選挙では約20万人とされる民主党員・サポーターは自分が住んでいる都道府県を単位として郵便投票を行い、各代表候補の得票数に応じて各都道府県にあらかじめ配分されたポイント(全国の総数は354ポイント)がドント方式によって配分される。たとえば、ある県に割り当てられたポイントが5の場合、一番得票数が多かった候補者が5ポイントを総取りする仕組みだ。かつて小泉純一郎氏が自民党総裁選を橋本龍太郎氏と争ったとき、「自民党が変わらなければ、私が自民党をぶっ壊す」と全国を遊説して回り、やはりドント方式で47都道府県の党員・サポーター票の大半を獲得して、橋本氏を立候補辞退に追い込んだケースがある。
 党員・サポーター以外では、地方議員が各1ポイント、国会議員・国政選挙の公認内定者が各2ポイントを持っている。
 今回の民主党代表選では、当初から岡田氏と細野氏の一騎打ちが予測されていた。が、両者とも1回目の投票で過半数のポイントを獲得することは不可能で、決選投票になることは必至だった。案の定、1回目の投票で各候補者が獲得したポイントは細野氏298ポイント、岡田氏294ポイント、長妻氏168ポイントで、全760ポイントの過半数を獲得した候補者はなく、上位2名、つまり細野氏と岡田氏の決選投票になった。決選投票は国会議員と国政選挙の公認内定者のみで行われ、総ポイント265のうち岡田氏が133を獲得して細野氏の120を抑えて新代表に選出された(12ポイントが棄権・無効)。
 かつて自民党内で「総理・総裁分離論」が噴出したことがある。総理大臣は衆参国会議員が選出する議院内閣制だから、総理候補は国会議員のみによる選挙で選ぶべきだが、総裁は党の代表であり、党員の総意によって選出すべきだという議論だった。まさに「民主主義とは何か」が問われる議論ではあった。
 が、いつの間にか「総理・総裁分離論」は煙のように消えてしまった。総裁を党内民主主義で選出するということになると、派閥の存続が困難というより不可能になるからだ。
 衆院選でも参院選でも、すでに最高裁は「違憲状態」と裁定している。1票の格差が大きすぎるというのがその理由だ。
 原理的には1人1票の重みは同等でなければならない。民主主義の大原則である「多数決原理」は、1人1票の価値が同等であることを前提にしないと成り立たないからだ。「1人1票の価値を同等にせよ」と主張する弁護士グループもいるが(実際、先の衆院選について全国の高裁に無効の訴えを起こしているグ
ループもある)、本当にそれで民主主義はより成熟するのかという疑問がぬぐえない。私は『民主主義とは何かがいま問われている』と題するブログ・シリーズで、民主主義システムの最大の欠陥は「多数決原理にある」と書いてきた。民主主義システムの欠陥は、私が発見したわけでもなんでもなく、大哲学者のプラトンやアリストテレスもとっくに指摘している。
 が、民主主義に変わる、よりベターな制度がない以上、私たちに課せられた責任は、いかに民主主義の欠陥を補うか、あるいはいかに民主主義を成熟させていくかにあると私は考えている。そうした考えはプラトンやアリストテレスにはなかった。
 そういう意味で私は、日本が議会内閣制を採用している以上、「総理・総裁(あるいは代表)分離」は、政党を民主的な組織に育てるために欠かせないのではないかと思っている。政党は政治の志を共有する共同体の一種である。である以上、共同体の一員である党員は、党運営に必要な党費をひとしく党に納めており、一党員も国会議員も党の代表を選ぶための1票の価値は同等でなければおかしいと思う。今回の民主党代表選の場合、1票の格差は一般党員と国会議員・国政選挙公認内定者とでは0.00177:2つまり国会議員との格差は1130倍にもなる。ま、小泉劇場のようなことも現に生じたわけだから党員・サポーター票がまったく無意味だとまでは言わないが、党利党略のために1票の格差に目をつぶり続けている自民党を批判するからには、まず党内民主主義の在り方を改善することから始めるべきだろう。
 それはともかく、先の総選挙と同様、今回の民主党代表選もまったくわけのわからない選挙だった。強いて言えば、先の総選挙は安倍総理が自民党内の権力基盤を盤石のものするために700億円もの税金をどぶに捨てて行った選挙だったし、今回の民主党代表選は海江田前代表が選挙で落選して辞任したことによって新代表を選出せざるを得なかったという「お家の事情」があったことは理解できないこともないが、それにしても争点がまったく理解できない選挙だったことは先の総選挙と同じだった。
 候補者の3人とも、多少の温度差はあったにしても「党勢の回復」「自公政権との対決姿勢」を打ち出してはいたが、肝心の温度差がどの程度なのかが民主党員にもわからなかっただろう。私は民主党員でもなければサポーターでもないので、党内事情など知る由もないが、各メディアの解説を読んでも対立軸がさっぱりわからなかった。
「野合」という、言い古された言葉がある。「敵の敵は味方」とも言う。後者の方が分かりやすい。たとえば日中戦争時、中国では「国共合作」を実現して旧日本軍と対峙した。蒋介石率いる国民政府軍も、毛沢東率いる共産軍も、敵は同じく日本軍だということで協力関係を結んだ。結果的に日本がアメリカにコテンパンにやられたため、中国の国共連合軍は漁夫の利を得て勝利した。勝利したとたん、勝利の果実を巡って、今度は「敵の敵」として「味方同士」のはずだった国民政府軍と共産軍が対立し、毛沢東派が勝利の果実をもぎ取った。
 なぜ、こんな話を持ち出したかというと、民主党が政権を自公連立から奪い取った後、なぜ崩壊したのかという根本的な反省抜きに党勢を立て直そうとしても、そんなことは不可能だと言いたいためだ。
 民主党はそもそも1998年4月に、院内会派「民主友愛太陽国民連合」に参加していた旧民主党・民政党・新党友愛・民主改革連合が基本路線のすり合わせも行わずに合流して結成した政党である。2003年には小沢一郎氏が率いる自由党も合流して自公に対抗できる一大政党になった。
 が、結成の当初から党の基本路線が明確ではなかった。基本路線がバラバラな政党が、ただ自公政権への対抗勢力をつくるという目的だけで一緒になった「野合政党」だったからだ。つまり旧日本軍に対峙する勢力にするための国共合作と、その本質において変わらない新党でしかなかったからだ。
 それでも国民は新しい顔の民主党に過大な期待を寄せた。結党11年を経て2009年8月の総選挙で民主党は、絶対安定多数を超える戦後最多の308議席を獲得、比例区でもわが国選挙史上過去最多の2984万4799票を獲得し、政権の座を自公から奪い取った。それほど国民が新しい顔の民主党に寄せた期待は大きかったと言える。
 が、基本路線のすり合わせもせずに、「敵の敵は味方」論で一緒になった野合政党がたどる道は、中国の国共合作と同じだった。結果論で言っているのではない。そうしたケースは数えきれないほどの歴史的事実が証明していることは、今さら言うまでもないだろう。
 民主党が政権をとるまではよかった。これも過去の歴史を見るまでもなく、勝利を収めるまでは「敵の敵は味方」なのだから。が、勝利を収めた途端、勝利の果実の奪い合いが始まるのは、これも数えきれないほど歴史が証明している。あれほどの国民の期待を集めた民主党が、いま勢力を4分の1以下に落としてしまった。そのことへの根源的な検証と反省を抜きに、岡田新代表が「原点回帰」を訴えても、国民はしらけるだけだ。
 私は何も「一枚岩の政党にしろ」と言いたいのではない。多様な価値観が混在しないところに民主主義は育たないからだ。ただ、基本路線だけはしっかりしたものを確立しないと、いまの政治に対するタダの不満分子の寄り合い所帯の域を脱することができない。
 そこで岡田新代表に問いたい。「原点回帰」とはどういう意味なのか。民主党結党時の「敵の敵は味方」論に基づく野合政党づくりに戻るということなのか。まさか、そうは考えていまい。だとしたら、岡田代表が言う回帰すべき「原点」とは何を意味するのか。
「原点回帰」といえば、一般的には「初心に帰れ」と同意語だが、その「初心」がただ自公政権を倒すことだけだったら、もう国民はさじを投げている。そもそも民主党政権が誕生する前の1993年8月には小沢一郎氏の画策によって細川連立政権が生まれたが、わずか半年余の短命内閣に終わった。総理になっても、何も自分の思い通りにならないというのが、「お殿様」が総理の椅子を投げ出した理由だった。
 岡田民主党は、いまは政権の座からほど遠い。国民はあらゆるメディアの世論調査の結果からも「自公政権の受け皿になれる野党の出現」を待ち望んでいる。が、国民は二度も苦い思いをしてきた。最初は細川連立政権、二度目は民主党政権。最初の政権は「野合政権」であり、二度目の政権は「野合政党政権」だったからだ。つまり、何も決められない政治には、国民は絶望している。それでも国民は自公の受け皿になりうる野党への淡い期待を捨て切れていない。
 岡田民主党が国民のそうした期待に応えられる政党づくりに成功するためには、「原点回帰」ではなく、なぜ結党の「原点」を間違えたのかの検証と、改めて「原点」を作り直すことを国民に誓い、その「原点」の青写真を早急に国民に示すことしかない。その時、初めて国民はもう一度、「新民主党」に政権を託す気持ちを抱くかもしれない。