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小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

ついに朝日新聞が木村社長の引責辞任のホントウの理由を明らかにした。(前)

2014-09-21 08:33:54 | Weblog
 朝日新聞がようやく、朝日新聞報道事件問題の核心を少し明らかにした。が、そのことを正式に理解できたメディアが、どの程度いるか。
 朝日新聞が20日付朝刊で自社の責任者処分の第1弾を発表した。記事のタイトルは『朝日新聞社、報道局長・編成局長を解任』である。同記事を転載する(紙面には掲載されている処分対象者の氏名は伏せる)。

 朝日新聞社は19日、5月20日付朝刊の「吉田調書」報道の間違いを認めて記事を取り消した問題で、ゼネラルマネジャー兼東京本社編成局長とゼネラルエディター兼東京本社編成局長の任を解き、それぞれ編集担当付とし、特別報道部長を東京本社報道局付とする人事を決めました。(中略)いずれも19日付。関係者の処分は今後、調査を進めたうえで決めます。

「少し明らかにした」と書いたのは、とりあえず木村社長が記者会見で事実上の「引責辞任」を明らかにした緊急記者会見で、木村社長が引責辞任と関係者の処分に追い込まれた理由を正確に伝えなかったことにも一因はある。
 木村社長が11日午後7時30分という異例な時刻に緊急記者会見を開いたのは偶然かもしれないが、一部の民放は午後4時から、残りの民放も5時から、NHKは6時から報道番組を組んでおり、うがちすぎかもしれないが、生中継されることを避けたのかもしれない。が、どうしても11日中には記者会見を開き、少なくとも各新聞社の翌日朝刊の締め切りに間に合うように配慮はしたと考えられる。
 NHKはこの日、午後7時30分から予定通り『クローズアップ現代』を放送したが、同番組は7時27,8分頃には終わる。8時からのバラエティ番組(ドラマもあるが)までの2~3分の時間はBS放送やNHKスペシャルの放送予定を紹介する。が、NHKはその2~3分を割いて朝日新聞社木村社長の記者会見の一部を武田アナウンサーが緊急報道した。異例の対応と言ってもいいだろう。が、私はそれでも納得できず、なぜ緊急生中継しなかったのか、とNHKふれあいセンターの上席責任者に抗議した。これは朝日新聞社というコップの中での出来事では済まない。メディアの言論・報道の自由とその権利の大きさに伴う責任の重さが問われた戦後初めてのケースだ。特別報道体制を組んで、木村社長の記者会見を生中継すべきだった、と。
 NHKふれあいセンターの上席責任者は、私の抗議の意味を十分には理解できなかったようだ。ま、無理はないかもしれない。が、事はそれほど重大だった。私は直ちに読売新聞読者センターには記者会見の重大性を伝えた。読売新聞読者センターの担当者はその日の新聞記事に対する読者の意見に対応するのに精いっぱいで、休憩時間にはネットなどでリアルタイムで進行中の事件などについて調べたりするしかない。私が電話したときは、担当者は木村社長の引責辞任の記者会見も知っていた。私が「これはねつ造記事を書いたことの責任をとるということだよ。朝日新聞が吉田清治と同じことをやったということだ。明日朝刊では、木村社長の記者会見の意味を正確に伝えるべきだ」とアドバイスしたが、無駄だったようだ。
 私自身は翌12日早朝に『朝日新聞の「吉田調書」報道は誤報か? 違うよ、ねつ造だ』というタイトルをつけたブログを投稿し、記者会見の意味を読み解いた。実は木村社長の記者会見はBSフジの『プライムニュース』が当日午後8時から放送予定を大幅に変更してかなりの時間を木村社長の記者会見の録画中継に割いた。前にもBSフジの『プライムニュース』を高く評価したブログを書いた記憶があるが、国内政治問題に限らず、社会問題、国際問題など遠慮会釈なく切り裂いている。キャスターの個性によって報道番組の風格がこれほど違うのか、とさえ思っている。おかげでNHKのバラエティ番組の後の首都圏ニュースやニュースウォッチ9を見る機会が激減した。
 そんな私の個人的な感想はどうでもいいことだが、この時点で木村社長の引責辞任記者会見の意味を読み解けたメディアは、残念ながらたった一つもなかった。その理由は木村社長の「引き際(まだ辞任してはいないが)のまずさ」にもあった。木村社長が、「吉田調書」報道と、慰安婦報道や池上氏の原稿ボツ問題やその後の対応のまずさなど、さまざまな朝日新聞が起こした問題を並列的に並べ立て、「第三者委員会の調査を待って」と時間稼ぎをしたことにも、その後の各メディアによる報道の混乱の原因があった。もっとも、メディアに多少論理的思考力のある人がいたら、木村社長の引責辞任の理由も、その時点で明確になっていたはずだ。私は12日に投稿したブログでこう書いた(要点。すべてを知りたい方はブログを読んでください)。

 木村社長は「吉田調書」の報道に誤りがあったと認め、引責辞任を表明した。慰安婦報道と「吉田調書」報道は全く別次元の問題であり、慰安婦報道での責任は取ろうとしなかったのに、「吉田証言」報道での責任をなぜ取るのか、という問題である。これは報道の在り方と報道の目的に関する本質的な問題なのだ。 「報道の在り方」という面から考えると、取材や記事は絶対に「色眼鏡」から解放されないという自覚を、ジャーナリストがどの程度持っているかによって大きく異なってくる。自分は公平(あるいはフェア、公正)であると勝手に思い込んでいるジャーナリストは、すでにその時点でジャーナリスト失格である。私もブログを書く際、自分自身の色眼鏡をかけて書いている。その色眼鏡が曇っているかいないか、確認するためにメディアの窓口にしばしば電話をして、反論があり、かつ合理的なものであればブログで書く内容を変更する。
 次に「報道の目的」である。これはメディアのスタンスや方針に直結する問題だ。社員が自分の属する組織の方針にある程度従わざるを得ないのはやむを得ないと思う。が、組織の方針と多少異なった主張をしても、それなりに論理的合理性がある主張についてまでボツにされることは、そんなにはない。メディアの記者には、それなりの自由度は認められている。そうした自由度が保証されていなければ、メディアは政党の広報紙と変わらない。
 朝日新聞は「吉田調書」の全文を入手して分析した結果として5月20日の記事を掲載した。そして「調書」には書かれていなかった「東電社員らの9割に当たる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発に撤退した」と報じた。これは慰安婦問題誤報とは異質なケースである。慰安婦問題は明らかに誤報である。誤報であることが判明したのちも頬被りし続けた朝日新聞の体質は問題があるにしても、吉田清治のようなねつ造小説を書いたわけではない。検証せずに鵜呑みにしてしまった結果である。
 が、「吉田調書」報道問題は、「吉田調書」を情報源と特定しながら、調書には書かれていなかったことを、あたかも調書に書かれていたかのように書いた。この行為は、吉田清治と本質において変わらない。もはやメディアとしては自殺行為だ。
 実はすでに朝日新聞のねつ造記事を指摘していたメディアもあった。問題は、その時点では頬被りをした朝日新聞が、なぜ11日になって急きょ木村社長の引責辞任会見を余儀なくされたのかということだ。当日の午前、菅官房長官が急きょ記者会見で「吉田調書」を官邸のホームページで公表すると発表した。しかも、いつもはノーネクタイの菅氏が、その日に限ってネクタイをきちんと締めた。独裁体制を築きつつある安倍総理が、安倍政策に批判的な朝日新聞を、この際徹底的に叩いておこうという意図が、垣間見えるような気がしてならない。私の「読み過ぎ」ですめばいいのだが…。

 以上が12日に投稿したブログの要点である。メディアは木村社長の記者会見を大きく取り上げたが、少なくともその時点で会見での正式コメントの発表と、その後の記者とのやり取りも含め、その重大性を正確に認識したのは私一人だった(私が知らないところでネットなどで主張していた方はいたかもしれない)。
 昨日朝刊で、朝日新聞はようやく木村社長引責辞任の原因が、慰安婦報道の混乱にあるのではなく、「吉田調書」報道に関してねつ造したことにあることを事実上認めた。 
 報道局長と編成局長を解任して編集担当付きにしたという。事実上の懲戒免職人事だ。懲戒免職処分にすると、退職金も企業年金も受給資格を失うから、穏便に済ませたいという「親心」なのだろう。が、そんな程度の処分で済ませ
ていい問題だろうか。やはり「ねつ造記事」を出してしまったことに対する責
任者の処分としては、甘すぎるのではないだろうか。処分された二人が、直接「吉田調書」を読み解いたわけではないだろう。そんな個々の事件を直接担当する立場にはないはずだ。管理責任を問われたということなのだろうが、根本的な問題はメディアの体質にある。これは朝日新聞だけではないので、何度も様々な問題を通じてメディアの在り方を私はブログで問うてきた。
 この事件が、一時的にメディア界を激震させたというだけでなく、先の大戦でメディアが果たした役割について、いぜんとして自らの責任を軍部になすりつけたまま、軍部の言いなりになったとしおらしく反省して見せて、それでみそぎは済んだとしている、メディア界に共通したスタンスに対する根本的な見直しから逃げまくっていることに根源がある。もう外出時間が迫ってきたので、この続きは明日書く。