なぜか、あるメディアに対する手厳しい批判をすると、途端に嫌がらせとしか思えないコメントが投稿される。11日午後7時にもこういうコメントが寄せられた(既に削除したので、全文をこのブログで転載する)。
あなたがなくした(PASMOカード)のが悪いのに、企業のせいだ、と長々とわめき散らして恥ずかしくないんですか?
ただあなたがなくしてしまった、それだけの事。
人のせいにして、ぎゃあぎゃあおおげさにわめく。
このブログが伸びない理由が、よく分かる記事ですね!
このコメントは2008年に連続投稿したパスモ社とその母体である私鉄連合に対する批判記事についてのコメントである。
当時、各私鉄は駅頭で私鉄が発行しているクレジットカードとのセットでオートチャージ式PASMOをキャラバン販売活動していた。私鉄連合がパスモ社を設立してJRが発行していたSuicaと相互利用できるようにするためにPASMOを発行することにした。
オートチャージ式SuicaにはJRのクレジット機能であるviewが搭載されていた(単独のクレジットカードとしてのviewカードはない)。Suicaは交通系ICカードとしても電子マネーとしても利用できるカードで、紛失した場合、その時点で電子マネーとしてチャージされている金額についての補償はない。ただしJRの駅に届ければ、最長2日程度で電子マネー機能も停止できることになっている。また紛失後、不正にオートチャージされた金額についてはviewのクレジット補償が適用され、損失は発生しない。
問題はPASMOの発行について私鉄連合でまとまらなかった部分があった。オートチャージ機能にクレジット保証を付けるかどうかで、自社のクレジットカードとのシナジー効果でメリットが期待できる大手私鉄(傘下にスーパーなどの商業部門を擁している私鉄。大手でもメトロは別)と、リスクだけ背負うことになる中小私鉄との話し合いがつかなかったのだ。その結果、オートチャージ式PASMOにはクレジット保証を付けないことになった。中小私鉄が最後まで抵抗したためである。
が、そうなるとスーパーなどの商業部門を傘下に擁する大手私鉄にとっては、Suicaとの競争に勝てないという大問題が生じた。そこで大手私鉄は詐欺まがいの営業活動をせざるを得なくなった。キャラバン営業を行う営業マンに「オートチャージ式PASMOは私鉄経営のスーパーが発行しているクレジットカードからチャージされるので、そのクレジットカードの補償が適用される」というウソをつかせることにしたのだ。
私がそのウソに騙されてオートチャージ式PASMOを買ったのが悪いというなら、警察は必要ない。私は当時通っていたフィットネスクラブで、ロッカー荒らしに財布ごと盗まれたのは、私の自己責任であるとは思っている。フィットネスクラブには貴重品ボックスが設置してあり、財布をズボンのポケットに入れたままにしていたのは、私の不用心の結果でもある。
が、大手私鉄が話し合い「私鉄系スーパーが発行しているクレジットカードの補償が適用される」と、Suicaとの競争に勝つためのウソを私鉄ぐるみでつくことにしたのも事実である。私は訴訟を起こすにあたって、当時まだキャラバン営業をしていた営業マンに「オートチャージ式PASMOを紛失した場合、クレジット保証はあるのか」と意図的に質問した。営業マンは「クレジット保証が付きます」と答えたので、「ではメモ書きでいいから、いま説明した通りを書いてくれ」と頼み、営業マンは何の不審も持たずに私の依頼に応じてメモを書いてくれた。もちろんメモには当人の名前、勤務先、日付も書いてもらった。
さらに私は私鉄主要駅のバスロータリーで、バス待ちの時間がかなりありそうな方に片っ端から話しかけ、オートチャージ式PASMOを利用している人にのみ、リスクを知っているかどうか聞いた。約70人からアンケートをとったが、リスクを知っていた人はただの一人。「なぜご存じなのか」と聞いたら「私鉄関係者だから」との返事だった。その人のアンケートもちゃんと載せた。他の全員は私と同じ説明を聞いたと答えた。つまり「オートチャージについては私鉄系クレジットカードからされるから、クレジット保証があるとの説明を受けた」ということだった。
この二つの証拠を武器に、私は裁判に臨んだ。が、裁判官はこれらの証拠を「証拠」として認めなかった。理由は「原告が個人的に集めたものであり、証拠としては採用できない」というものだった。私は、営業マンのメモは私鉄がSuicaとの競争上不利にならないよう、組織的に営業マンに指示していたと考えていたため、その営業マンを証人として喚問するよう申請していたが、なぜか裁判官は理由も説明せずに証人喚問を行わずに、「証拠として採用できない」という判決理由を述べた。
さらに私にとって不利だったことは、実は私が被った以上の賠償を、私の承諾なしにメガバンクが「自行のミスによって引き落としてしまった」という理由で、引き落とされた金額と同額を私の口座に振り込んでしまったことだ。私鉄系スーパーのクレジット決済には不正にオートチャージされた金額だけでなく、私自身が使った金額も含まれていた。つまり損害額以上の補てんがメガバンクから行われていた。そして被告側弁護士はなぜかその事実をつかんでいて、答弁書で「原告はすでに損害額は銀行から補てんされており、実損はない」と主張したのだ。
なぜメガバンクから被告にその情報が漏れたのか。結局分からなかったが、知り合いの弁護士から聞いた話によると、そうした損害(私への弁済)は、銀行としては損保会社に請求せざるを得ないのだそうだ。たとえ損害額がたった1円で間尺に合わなくても、損保会社に損害を請求するのがコンプライアンス規定として定められている。損保会社としては弁護士から正式に情報公開を要求されれば、明らかにせざるを得ない。メガバンクから弁済を受けた情報が被告に筒抜けになったのは、おそらく損保会社からだと思う、と。
これも私には事実、そうなのかは分からない。弁護士の話ではメガバンクのメインコンピュータが侵入されることは、世界中でこれまで聞いたことがない。顧客の金を管理しているコンピュータだから、何重にも保護されている。この程度の損害賠償で被告がメガバンクのメインコンピュータへの侵入を試みるようなリスクは絶対に冒さない。
と、言うことだそうだ。
私の訴訟でも明らかだが、被告側は5人もの大弁護団を組んで私に向かってきた。それだけ私鉄連合としては、私の告訴に重大な危機感を持ったのだろう。そういうケースで、裁判官が素人の私に軍配を挙げて、被告を敗訴にするわけにはいかないのが、裁判という世界だとも聞いた。
そういえば、最近大阪でおかしな判決があった。大阪市職組が起こした訴訟で、橋下大阪市長が8つの職組事務所の明け渡しを命じたことに対して、原告の職組側に軍配を挙げたことだ。要するに裁判官は職組の事務所は既得権益であり、橋下市長の明け渡し要求は「職組に対する弾圧だ」と考えたようだ。裁判官も人の子だから、間違った判断をすることもありうるが、それにしてもこの判決はひどい。
まず、市役所はだれのものか、という基本的な位置付けを無視した判決としか言いようがない。言うまでもなく、市役所は市民の税金で建てられており、所有者は市民のはずだ。もちろん橋下市長にも所有権はないが、職組にも占有権はない(きちんと賃料を払っていれば別だが、その辺は報道では明らかでないし、判決理由にも述べられていないようだ)。
市役所が市民のものであれば、その使用方法を決めるのは裁判所ではなく市民だ。市民が、職組に無償で提供しろというなら、橋下市長もそうすべきだが、裁判官が「職組への弾圧だ」と認定するのは、何でもかんでもやみくもに「言論の自由」をタテに、読者や視聴者の声に耳を傾けようとしないメディアと同類、としか言いようがない。
なお私が訴訟を起こして以来、私鉄各社は私鉄系商業施設が発行するクレジットカードとの抱き合わせでのオートチャージPASMOの営業活動は一切停止した。いまオートチャージPASMOを利用している消費者はほとんどいないと思う。私が起こした訴訟の目的は、十分に達成した。訴訟には負けたが…。
私が私鉄連合を相手に、詐欺的営業活動を問題にするぞ、とカネ目的にその世界の人を中に入れて脅していたら、かなりの大金を手にしていただろう。私のような仕事(ブログ活動は完全に無償だが)をしていたら、はっきり言って誘惑は様々にある。が、私の誇りは、そうした誘惑には一切乗ったことがないことだ。私が「事業」として文筆活動をしていたころ、しかもまだ駆け出しのころ、今秋東証に上場予定のリクルートから『変貌するか―セールス――トヨタの80年代マーケティング戦略』と題する本を上梓した(1980年7月)。その本で私は排ガス規制に対するトヨタの姿勢を手厳しく批判したことがある。ちょっと長いが、転載する。
(環境庁が実施する)排ガス規制は50年、51年、53年(すべて昭和)と段階的に行われることになった。トヨタのディーラーがユーザーとの間の板挟みになった、と言うのはそのころのトヨタの姿勢が際立って世論に歯向かうものだったからである。
トヨタは一貫して「排ガス問題を解決することは技術的に困難」と主張し、“反公害ムード”の高まりに背を向けた。
「トップメーカーにあるまじきこと」と、トヨタに対する非難の声が渦を巻いた。
50年規制は新型車(モデルチェンジを含む)については4月1日からとされたが、従来の業種については12月1日から規制されることになっていた。トヨタはこの猶予期間に未対策車をフル生産した。このことが、のちに「トヨタの駆け込み生産」と問題視されるに至る。
当然、ユーザーからの風当たりは強くなった。しかもユーザーは、メーカーに対する反発の矛先をディーラーに向けるしかない。トヨタのセールスマンは苦境に立った。
ただでさえ「技術の日産、販売のトヨタ」という風評が強いのだ。
他メーカー系セールスマンは、このときとばかりユーザーを説いて回った。
「トヨタは売るためにデザインの格好いい車は作るけど、技術的には日本のメーカーで一番遅れていますよ。それが証拠に、公害対策車だって自力では作れないじゃないですか」
トヨタのセールスマンは、一言の弁解もできなかったに違いない。
実際には、この時期、トヨタはおそらく公害対策技術のめどをつけていたのではないか。50年規制、51年規制には渋々応じた格好のトヨタだったが、一転、53年規制に対しては52年6月、規制の実施より10か月も前にチェイサー、ク
ラウン、マークⅡ(いずれも一部車種)の3車種を適合させてしまったのであ
る。その時点で先行していたのは富士重工のレオーネ、三菱のランサーの二車種だけであったから、トヨタのこの「豹変」ぶりに他メーカーや環境庁、通産省などの関係官庁はあっけにとられたという。53年規制は昨日今日の駆け込み開発ではどうにもなるといった程度のなまやさしい規制ではなかっただけに、トヨタの排ガス対策技術は潜行してではあったが、かなり以前から他メーカーの先を行っていたことはほぼ間違いないであろう。
さらに想像を逞しくすれば、50年後半の“駆け込み生産”は、公害対策車の生産ラインを整備するため、つなぎとしてできるだけ多くの在庫を持ちたかったのかもしれない。年間の生産台数が200万台を超えるマンモスメーカーだけに、生産ラインの変更などはそう簡単に小回りがきかなくなっている。その点、トヨタ、日産が少車種のホンダ、三菱に比し公害対策で大きなハンデを背負ったことは否めないであろう。トヨタの「公害対策の消極性」はこんなところに原因があったのではないか。
だが、トヨタの「豹変」には再び非難の声が殺到した。
「あまりフェアなやり方ではない」
「トヨタは排ガスを商戦に利用した」
という他メーカーの非難に、マスコミもある程度同調した。一方トヨタ側は、「豊田英二社長は技術者出身だから、100%でないかぎり99%まで完成していてもできたと言わない。結局は技術者の良心が裏目に出てしまった」と弁解した。
また排ガス規制に一貫して反対し続けたことについては「トップメーカーとして、また自動車工業会の会長企業として、業界全体の利害を真っ先に考えなければならなかった」と主張した。
それはその通りかもしれない。だが、結果として、トヨタのセールスマンが他社の攻撃にさらされ、苦境に立ったことも事実である。
トヨタは「偉大な田舎者」であることを自負してきた。いいものを作る――そのことだけに全力を傾けてきた。50年間、その姿勢を変えなかった。
そのことはいい。
だが、いつまでも「田舎者」のままでいることは世間が許さない。日本の経済を左右するまでになった自動車産業のトップメーカーに対する風当たりは、それが正当なものであるかどうかは別にして強まるのは当然である。とくに、日本人は判官贔屓の感情が強い。強きを挫き弱きを助け、というのは論理の次元で云々されることではなく、日本人にとっては倫理の問題なのである。排ガスの科学的解明は本来、論理のレベルで行わなければならないが、その世界まで倫理が支配しているのが現状なのだ。そのことの是非はともあれ、そうした現状に対する鋭敏な感覚を、もっとトヨタは持たねばならないであろう。そうでないと、「トップ企業の驕り」といった非論理的反発はますます強まるに違いない。
そう考えていくと、トップ企業の座も楽なものではない。数の子の「買占め」で叩かれた三菱商事もその悲哀を味わったはずだ。実際には買占めといえるほどの規模ではなく、買いあさったにすぎないのだが、大企業の行為として非難の対象になると「買占め」になってしまう。「大企業にあるまじきこと」という倫理感が反映されるから、そうなってしまうのだが、それに論理で歯向かったところでまず勝ち目はない。だから三菱商事は、責任者を処分し、「数の子から手を引く」ことをいち早く宣言することによってケリをつけた。世論に対して敏感なのだ。そうした商社の鋭敏さを、トヨタも身に付けていく必要があるかもしれない。
長い転載で申し訳なかった。この本は別に私の代表作といえるようなものではなく、格別自慢するほどのことでもないが、リクルートという「広告代理業者」(江副元代表)を自負していたリクルートから、大クライアントのトヨタに対してこれだけ手厳しい本を上梓したことは、リクルートにとって空前絶後の大事件になったようだ。あとから小耳にはさんだ話では、編集長は左遷され、やがて退職したという。編集長には申し訳ないことをしたと思うが、リクルートがこの本のゲラをトヨタに見せていたことはおそらく疑う余地がなく、黙って出版させたトヨタにも、私は感謝している。ブログで批判をするたびに、論理的に反論するならいざ知らず、胡散臭いサクラを使って嫌がらせのコメントを投稿させ、私のブログを卑しめようとする大メディアがあるらしいのだ。
さて冒頭に紹介した2008年での訴訟で、いまだにおかしな非難をする輩はだれか。
実は、私がNHKに対する批判のブログを投稿したとたんにパスモ事件がぶり
返される。フィギュアスケートの国際大会の報道姿勢について批判したときもそうだった。今回のテニス全米オープン決勝戦では、NHKは文字だけだったが、試合中ずっとスコアを報道していたようだ(私はWOWOWで中継を見ていたから友人から聞いた情報)。映像はWOWOWが独占放映権を持っていたため、試合終了後でないと放映できないという話はNHKふれあいセンターから試合前日に聞いており、そのことはブログでも書いた。
では、海外でとっくに競技が終わっているフィギュアの競技に関して、なぜNHKは映像抜きで文字だけでもニュースで報道しないのか、という疑問を呈した時も、二人から悪意に満ちた投稿があった。
とりあえず、その投稿を紹介する。
「PASMOあんだけ得意げに講釈垂れといて負けましたって。ただの迷惑老人じゃねーか」
「やってんだ。、この老害ブログ。あんたみたいな人が日本をダメにしたんじゃない?」
私はわいせつな書き込み以外は削除しないと書いてきたが、NHK批判をするたびにこうした意味不明な、ただひたすら悪意をぶつけることしか目的としていない類のコメントは、今後すべて問答無用で削除することにした。もちろん、私のNHK批判とは別の意見を述べられるコメントは従来通り削除はしない。
ま、高校生のレスリング選手をカネでニュース番組に登場させるNHKのことだから、私への悪意に満ちたコメント投稿者にも、それなりのことはしているのかな…?
げすの勘繰りかもしれないが、偶然にしては出来過ぎているので…。
あなたがなくした(PASMOカード)のが悪いのに、企業のせいだ、と長々とわめき散らして恥ずかしくないんですか?
ただあなたがなくしてしまった、それだけの事。
人のせいにして、ぎゃあぎゃあおおげさにわめく。
このブログが伸びない理由が、よく分かる記事ですね!
このコメントは2008年に連続投稿したパスモ社とその母体である私鉄連合に対する批判記事についてのコメントである。
当時、各私鉄は駅頭で私鉄が発行しているクレジットカードとのセットでオートチャージ式PASMOをキャラバン販売活動していた。私鉄連合がパスモ社を設立してJRが発行していたSuicaと相互利用できるようにするためにPASMOを発行することにした。
オートチャージ式SuicaにはJRのクレジット機能であるviewが搭載されていた(単独のクレジットカードとしてのviewカードはない)。Suicaは交通系ICカードとしても電子マネーとしても利用できるカードで、紛失した場合、その時点で電子マネーとしてチャージされている金額についての補償はない。ただしJRの駅に届ければ、最長2日程度で電子マネー機能も停止できることになっている。また紛失後、不正にオートチャージされた金額についてはviewのクレジット補償が適用され、損失は発生しない。
問題はPASMOの発行について私鉄連合でまとまらなかった部分があった。オートチャージ機能にクレジット保証を付けるかどうかで、自社のクレジットカードとのシナジー効果でメリットが期待できる大手私鉄(傘下にスーパーなどの商業部門を擁している私鉄。大手でもメトロは別)と、リスクだけ背負うことになる中小私鉄との話し合いがつかなかったのだ。その結果、オートチャージ式PASMOにはクレジット保証を付けないことになった。中小私鉄が最後まで抵抗したためである。
が、そうなるとスーパーなどの商業部門を傘下に擁する大手私鉄にとっては、Suicaとの競争に勝てないという大問題が生じた。そこで大手私鉄は詐欺まがいの営業活動をせざるを得なくなった。キャラバン営業を行う営業マンに「オートチャージ式PASMOは私鉄経営のスーパーが発行しているクレジットカードからチャージされるので、そのクレジットカードの補償が適用される」というウソをつかせることにしたのだ。
私がそのウソに騙されてオートチャージ式PASMOを買ったのが悪いというなら、警察は必要ない。私は当時通っていたフィットネスクラブで、ロッカー荒らしに財布ごと盗まれたのは、私の自己責任であるとは思っている。フィットネスクラブには貴重品ボックスが設置してあり、財布をズボンのポケットに入れたままにしていたのは、私の不用心の結果でもある。
が、大手私鉄が話し合い「私鉄系スーパーが発行しているクレジットカードの補償が適用される」と、Suicaとの競争に勝つためのウソを私鉄ぐるみでつくことにしたのも事実である。私は訴訟を起こすにあたって、当時まだキャラバン営業をしていた営業マンに「オートチャージ式PASMOを紛失した場合、クレジット保証はあるのか」と意図的に質問した。営業マンは「クレジット保証が付きます」と答えたので、「ではメモ書きでいいから、いま説明した通りを書いてくれ」と頼み、営業マンは何の不審も持たずに私の依頼に応じてメモを書いてくれた。もちろんメモには当人の名前、勤務先、日付も書いてもらった。
さらに私は私鉄主要駅のバスロータリーで、バス待ちの時間がかなりありそうな方に片っ端から話しかけ、オートチャージ式PASMOを利用している人にのみ、リスクを知っているかどうか聞いた。約70人からアンケートをとったが、リスクを知っていた人はただの一人。「なぜご存じなのか」と聞いたら「私鉄関係者だから」との返事だった。その人のアンケートもちゃんと載せた。他の全員は私と同じ説明を聞いたと答えた。つまり「オートチャージについては私鉄系クレジットカードからされるから、クレジット保証があるとの説明を受けた」ということだった。
この二つの証拠を武器に、私は裁判に臨んだ。が、裁判官はこれらの証拠を「証拠」として認めなかった。理由は「原告が個人的に集めたものであり、証拠としては採用できない」というものだった。私は、営業マンのメモは私鉄がSuicaとの競争上不利にならないよう、組織的に営業マンに指示していたと考えていたため、その営業マンを証人として喚問するよう申請していたが、なぜか裁判官は理由も説明せずに証人喚問を行わずに、「証拠として採用できない」という判決理由を述べた。
さらに私にとって不利だったことは、実は私が被った以上の賠償を、私の承諾なしにメガバンクが「自行のミスによって引き落としてしまった」という理由で、引き落とされた金額と同額を私の口座に振り込んでしまったことだ。私鉄系スーパーのクレジット決済には不正にオートチャージされた金額だけでなく、私自身が使った金額も含まれていた。つまり損害額以上の補てんがメガバンクから行われていた。そして被告側弁護士はなぜかその事実をつかんでいて、答弁書で「原告はすでに損害額は銀行から補てんされており、実損はない」と主張したのだ。
なぜメガバンクから被告にその情報が漏れたのか。結局分からなかったが、知り合いの弁護士から聞いた話によると、そうした損害(私への弁済)は、銀行としては損保会社に請求せざるを得ないのだそうだ。たとえ損害額がたった1円で間尺に合わなくても、損保会社に損害を請求するのがコンプライアンス規定として定められている。損保会社としては弁護士から正式に情報公開を要求されれば、明らかにせざるを得ない。メガバンクから弁済を受けた情報が被告に筒抜けになったのは、おそらく損保会社からだと思う、と。
これも私には事実、そうなのかは分からない。弁護士の話ではメガバンクのメインコンピュータが侵入されることは、世界中でこれまで聞いたことがない。顧客の金を管理しているコンピュータだから、何重にも保護されている。この程度の損害賠償で被告がメガバンクのメインコンピュータへの侵入を試みるようなリスクは絶対に冒さない。
と、言うことだそうだ。
私の訴訟でも明らかだが、被告側は5人もの大弁護団を組んで私に向かってきた。それだけ私鉄連合としては、私の告訴に重大な危機感を持ったのだろう。そういうケースで、裁判官が素人の私に軍配を挙げて、被告を敗訴にするわけにはいかないのが、裁判という世界だとも聞いた。
そういえば、最近大阪でおかしな判決があった。大阪市職組が起こした訴訟で、橋下大阪市長が8つの職組事務所の明け渡しを命じたことに対して、原告の職組側に軍配を挙げたことだ。要するに裁判官は職組の事務所は既得権益であり、橋下市長の明け渡し要求は「職組に対する弾圧だ」と考えたようだ。裁判官も人の子だから、間違った判断をすることもありうるが、それにしてもこの判決はひどい。
まず、市役所はだれのものか、という基本的な位置付けを無視した判決としか言いようがない。言うまでもなく、市役所は市民の税金で建てられており、所有者は市民のはずだ。もちろん橋下市長にも所有権はないが、職組にも占有権はない(きちんと賃料を払っていれば別だが、その辺は報道では明らかでないし、判決理由にも述べられていないようだ)。
市役所が市民のものであれば、その使用方法を決めるのは裁判所ではなく市民だ。市民が、職組に無償で提供しろというなら、橋下市長もそうすべきだが、裁判官が「職組への弾圧だ」と認定するのは、何でもかんでもやみくもに「言論の自由」をタテに、読者や視聴者の声に耳を傾けようとしないメディアと同類、としか言いようがない。
なお私が訴訟を起こして以来、私鉄各社は私鉄系商業施設が発行するクレジットカードとの抱き合わせでのオートチャージPASMOの営業活動は一切停止した。いまオートチャージPASMOを利用している消費者はほとんどいないと思う。私が起こした訴訟の目的は、十分に達成した。訴訟には負けたが…。
私が私鉄連合を相手に、詐欺的営業活動を問題にするぞ、とカネ目的にその世界の人を中に入れて脅していたら、かなりの大金を手にしていただろう。私のような仕事(ブログ活動は完全に無償だが)をしていたら、はっきり言って誘惑は様々にある。が、私の誇りは、そうした誘惑には一切乗ったことがないことだ。私が「事業」として文筆活動をしていたころ、しかもまだ駆け出しのころ、今秋東証に上場予定のリクルートから『変貌するか―セールス――トヨタの80年代マーケティング戦略』と題する本を上梓した(1980年7月)。その本で私は排ガス規制に対するトヨタの姿勢を手厳しく批判したことがある。ちょっと長いが、転載する。
(環境庁が実施する)排ガス規制は50年、51年、53年(すべて昭和)と段階的に行われることになった。トヨタのディーラーがユーザーとの間の板挟みになった、と言うのはそのころのトヨタの姿勢が際立って世論に歯向かうものだったからである。
トヨタは一貫して「排ガス問題を解決することは技術的に困難」と主張し、“反公害ムード”の高まりに背を向けた。
「トップメーカーにあるまじきこと」と、トヨタに対する非難の声が渦を巻いた。
50年規制は新型車(モデルチェンジを含む)については4月1日からとされたが、従来の業種については12月1日から規制されることになっていた。トヨタはこの猶予期間に未対策車をフル生産した。このことが、のちに「トヨタの駆け込み生産」と問題視されるに至る。
当然、ユーザーからの風当たりは強くなった。しかもユーザーは、メーカーに対する反発の矛先をディーラーに向けるしかない。トヨタのセールスマンは苦境に立った。
ただでさえ「技術の日産、販売のトヨタ」という風評が強いのだ。
他メーカー系セールスマンは、このときとばかりユーザーを説いて回った。
「トヨタは売るためにデザインの格好いい車は作るけど、技術的には日本のメーカーで一番遅れていますよ。それが証拠に、公害対策車だって自力では作れないじゃないですか」
トヨタのセールスマンは、一言の弁解もできなかったに違いない。
実際には、この時期、トヨタはおそらく公害対策技術のめどをつけていたのではないか。50年規制、51年規制には渋々応じた格好のトヨタだったが、一転、53年規制に対しては52年6月、規制の実施より10か月も前にチェイサー、ク
ラウン、マークⅡ(いずれも一部車種)の3車種を適合させてしまったのであ
る。その時点で先行していたのは富士重工のレオーネ、三菱のランサーの二車種だけであったから、トヨタのこの「豹変」ぶりに他メーカーや環境庁、通産省などの関係官庁はあっけにとられたという。53年規制は昨日今日の駆け込み開発ではどうにもなるといった程度のなまやさしい規制ではなかっただけに、トヨタの排ガス対策技術は潜行してではあったが、かなり以前から他メーカーの先を行っていたことはほぼ間違いないであろう。
さらに想像を逞しくすれば、50年後半の“駆け込み生産”は、公害対策車の生産ラインを整備するため、つなぎとしてできるだけ多くの在庫を持ちたかったのかもしれない。年間の生産台数が200万台を超えるマンモスメーカーだけに、生産ラインの変更などはそう簡単に小回りがきかなくなっている。その点、トヨタ、日産が少車種のホンダ、三菱に比し公害対策で大きなハンデを背負ったことは否めないであろう。トヨタの「公害対策の消極性」はこんなところに原因があったのではないか。
だが、トヨタの「豹変」には再び非難の声が殺到した。
「あまりフェアなやり方ではない」
「トヨタは排ガスを商戦に利用した」
という他メーカーの非難に、マスコミもある程度同調した。一方トヨタ側は、「豊田英二社長は技術者出身だから、100%でないかぎり99%まで完成していてもできたと言わない。結局は技術者の良心が裏目に出てしまった」と弁解した。
また排ガス規制に一貫して反対し続けたことについては「トップメーカーとして、また自動車工業会の会長企業として、業界全体の利害を真っ先に考えなければならなかった」と主張した。
それはその通りかもしれない。だが、結果として、トヨタのセールスマンが他社の攻撃にさらされ、苦境に立ったことも事実である。
トヨタは「偉大な田舎者」であることを自負してきた。いいものを作る――そのことだけに全力を傾けてきた。50年間、その姿勢を変えなかった。
そのことはいい。
だが、いつまでも「田舎者」のままでいることは世間が許さない。日本の経済を左右するまでになった自動車産業のトップメーカーに対する風当たりは、それが正当なものであるかどうかは別にして強まるのは当然である。とくに、日本人は判官贔屓の感情が強い。強きを挫き弱きを助け、というのは論理の次元で云々されることではなく、日本人にとっては倫理の問題なのである。排ガスの科学的解明は本来、論理のレベルで行わなければならないが、その世界まで倫理が支配しているのが現状なのだ。そのことの是非はともあれ、そうした現状に対する鋭敏な感覚を、もっとトヨタは持たねばならないであろう。そうでないと、「トップ企業の驕り」といった非論理的反発はますます強まるに違いない。
そう考えていくと、トップ企業の座も楽なものではない。数の子の「買占め」で叩かれた三菱商事もその悲哀を味わったはずだ。実際には買占めといえるほどの規模ではなく、買いあさったにすぎないのだが、大企業の行為として非難の対象になると「買占め」になってしまう。「大企業にあるまじきこと」という倫理感が反映されるから、そうなってしまうのだが、それに論理で歯向かったところでまず勝ち目はない。だから三菱商事は、責任者を処分し、「数の子から手を引く」ことをいち早く宣言することによってケリをつけた。世論に対して敏感なのだ。そうした商社の鋭敏さを、トヨタも身に付けていく必要があるかもしれない。
長い転載で申し訳なかった。この本は別に私の代表作といえるようなものではなく、格別自慢するほどのことでもないが、リクルートという「広告代理業者」(江副元代表)を自負していたリクルートから、大クライアントのトヨタに対してこれだけ手厳しい本を上梓したことは、リクルートにとって空前絶後の大事件になったようだ。あとから小耳にはさんだ話では、編集長は左遷され、やがて退職したという。編集長には申し訳ないことをしたと思うが、リクルートがこの本のゲラをトヨタに見せていたことはおそらく疑う余地がなく、黙って出版させたトヨタにも、私は感謝している。ブログで批判をするたびに、論理的に反論するならいざ知らず、胡散臭いサクラを使って嫌がらせのコメントを投稿させ、私のブログを卑しめようとする大メディアがあるらしいのだ。
さて冒頭に紹介した2008年での訴訟で、いまだにおかしな非難をする輩はだれか。
実は、私がNHKに対する批判のブログを投稿したとたんにパスモ事件がぶり
返される。フィギュアスケートの国際大会の報道姿勢について批判したときもそうだった。今回のテニス全米オープン決勝戦では、NHKは文字だけだったが、試合中ずっとスコアを報道していたようだ(私はWOWOWで中継を見ていたから友人から聞いた情報)。映像はWOWOWが独占放映権を持っていたため、試合終了後でないと放映できないという話はNHKふれあいセンターから試合前日に聞いており、そのことはブログでも書いた。
では、海外でとっくに競技が終わっているフィギュアの競技に関して、なぜNHKは映像抜きで文字だけでもニュースで報道しないのか、という疑問を呈した時も、二人から悪意に満ちた投稿があった。
とりあえず、その投稿を紹介する。
「PASMOあんだけ得意げに講釈垂れといて負けましたって。ただの迷惑老人じゃねーか」
「やってんだ。、この老害ブログ。あんたみたいな人が日本をダメにしたんじゃない?」
私はわいせつな書き込み以外は削除しないと書いてきたが、NHK批判をするたびにこうした意味不明な、ただひたすら悪意をぶつけることしか目的としていない類のコメントは、今後すべて問答無用で削除することにした。もちろん、私のNHK批判とは別の意見を述べられるコメントは従来通り削除はしない。
ま、高校生のレスリング選手をカネでニュース番組に登場させるNHKのことだから、私への悪意に満ちたコメント投稿者にも、それなりのことはしているのかな…?
げすの勘繰りかもしれないが、偶然にしては出来過ぎているので…。