小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

原発ゼロにしたら国民生活と経済活動はどうなる? (後編)

2012-09-03 10:43:09 | Weblog
 さて本論に戻ろう。前回の記事で政府が三つの選択肢を設定してアンケートをとった本当の理由とそのバカさ加減について述べた。では3回行われたアンケートの結果はどうだったのかを見てみよう。
 アンケートで行われた三つの選択肢の問題点は前回の記事で一部を指摘したが(ということは他にもあるということ。その致命的とも言える問題点の指摘は後述する)、改めて政府が国民に選択を迫った三つの選択肢をもう一度明らかにしておこう。
   ① 0%   ② 15%   ③ 20~25%
 まず1回目の世論調査は全国11か所での「意見聴取会」という形で行われた。その結果は、政府の期待を完全に裏切るものだった。政府は②を選択する人が最も多いはずだと、キャリア官僚が知恵の限りを尽くして作った選択肢だったが、その期待は空回りに終わった。それぞれの選択肢の支持率はこうだった。
   ① 68%   ② 11%   ③ 21%
 続いてインターネットなどで行われた「意見公募」の結果はもっとさんたんたるものだった。60年安保改定時に国会がデモ隊に囲まれて、総理官邸に閉じ込められた岸信介総理が吐いた「名言」が残っている。「声なき声は私を支持してくれている」というのがそれだ。カギカッコを付けながら私が「名言」と評したのは実際そういう結果になったからだ。60年安保の時に声を上げたのは学生運動家や労働組合の活動家が中心になり、彼らの扇動に乗った一般市民やノンポリ学生たちだった。確かに60年安保闘争は戦後最大の反政府運動に発展したが、その声がさらに拡大の一途をたどったかというと、そうではなかった。ノンポリ学生や一般市民が立ち上がったのは、衆院で強行採決した自民党内閣に対する一過性の怒りに過ぎず、国民は岸内閣の退陣後も自民党政権の継続を望んだのである。安保闘争の盛り上がりの先に「共産主義革命」を夢見た新左翼の活動家たちの夢はもろくも崩れ去り、それ以降少数の新左翼学生たちの活動は先鋭化していく一方、ノンポリ学生や一般市民との距離はどんどん遠のいていった。その辺は何十年と民主化を要求して、そのシンボル的存在のスーチー氏に対する支持勢力が年々増え、とうとう軍部の独裁政権に風穴をあけたミャンマー国民の根強い反政府運動とは一線を画すものだったことは間違いない。そういう意味では結果論だが、デモ隊だけでなくマスコミからも袋叩きにあっていた岸総理が吐いた「声なき声は私を支持している」というのはまさに名言(あえてカギカッコを外した)だったと言えよう。
 一見原発問題とは関係がなさそうに見える安保闘争とミャンマーの民主化運動について触れたのは、現在の反原発運動は一過性に終わる、と私は見ているからである。だが、一過性に終わらせるためにはそれなりの努力が必要だ、
 2回目の調査はインターネットを中心にした「意見公募」によって行われた。「意見公募」に応じた人は政府予想をはるかに上回る8万9千件もの意見が寄せられた。その結果はこうだった。
   ① 87%   ② 1%   ③ 8%   ④ 「その他」4%
 ④の「その他」という選択肢は政府は設けていなかった。が、政府が自分たちにとって都合がいい結果を誘導するための三つの選択肢に疑問を持った人たちが4%もいたことを証明したと言えなくもない。
 そもそも「意見公募」に応じた人は受動的な立場ではなく、能動的立場で意見を表明するのが常である。たとえば、プロ野球の「夢の球宴」と言われるオールスターの人気投票も、個々の選手の実力を客観的に評価しての投票ではなく、投票時に自分のひいきチームが好調なときはそのチームで多少活躍している選手を優先的に選ぶ。日本のプロ野球の場合、巨人と阪神が常に人気争いをしてきたが(他の球団にファンがいないなどと言っているわけではない。2球団だけが全国的な人気球団であって、特に阪神の場合は阪神の主催ゲームではなくても、観客席の半分以上を阪神ファンが占めてしまうという状態が続いている)、あまり人気がない球団が首位争いをしていた場合はファン投票が拡散する傾向がまま見られるが、特に阪神の場合は首位を突っ走っているような場合は全ポジションを阪神選手が独占してしまうケースがしばしば見られる。そうなるのは阪神ファンの場合、全国各地に「猛虎会」のようなファングループがあって、阪神の試合がある日は特定の居酒屋に結集し、あたかも球場で応援しているがごとき一喜一憂の大騒ぎに興じるといった独特なファン層がいるからだ。
 「意見公募」の場合も、それに似た風潮が応募結果に表れたと言っても差し支えないだろう。そういう意味では「その他」という意見を能動的に応募した人が4%もいたということは、日本人の民主主義に対する成熟度が増しつつあると考えてもいいのではないかと思う(その傾向は3回目でさらに強まる)。
 「意見公募」とオールスターの人気投票はいずれも能動的応募・投票だが、マスコミが定期的(だいたい毎月)に行う「内閣支持率調査」は、意見を求める相手の電話番号はコンピュータがアトランダムに選び、その人に電話で意見を聞くという方法のため、聞かれた相手にとっては受動的立場にあるため回答率はかなり低くなる。つまり能動的に自分の意見を述べる行為と受動的に意見を聞かれるケースとでは、意見の重みがまるで違うのである。もっと具体的に言えば、能動的意見を述べる機会が与えられた場合は、意見が偏る傾向が大きくなりがちだということをまず念頭に置いていただきたいのだ。そうでないと3回目の「討論型世論調査」の結果が、1,2回目の世論調査の結果とかなりの差異が生じたことを理解できない。
 ではもう一度政府が行った世論調査の方法と、1,2回目の調査結果と3回目の調査結果を並列してみよう。政府はすでに書いたように、①:0%、②:15%、③:20~25%の三つの選択肢を設け、どの選択肢を選ぶかの能動的意見を3回にわたり聞くことにした。1回目は全国11か所で行った「意見聴取会」で、政府はあえて原発の必要性を説明せず、率直な国民感情を読み取ろうとした。2回目はさらに匿名で選択できるようにインターネットを中心とした(ハガキも可)意見聴取を行った。3回目の「討論型世論調査」では原発の必要性を訴える立場にある人(経産省の職員も出席した可能性もある)も交え、言うならディベート方式で原発の必要性や危険性を論じ合う形で世論調査を行った。
 1回目   ① 68%  ② 11%  ③ 21%
 2回目   ① 87%  ② 1%   ③ 8%   ④4%(その他)
 3回目   ① 46.7%  ② 15.4%(原発依存率15%程度)  ③ 13%(20     ~25%程度)  ④ 24.1%(その他)
 この結果から読み取れる最大の特徴は、1,2回目の調査では圧倒的多数を占めていた脱原発派が、3回目の調査では過半数を切ったということである。
 次に、政府が世論調査で国民が支持せざるを得ないだろうと勝手に思い込んでいた「落としどころ」の原発依存度15%に対する支持率が、2回目の調査ではなんとたったの1%でしかなかったという、政府にとって大ショックな結果が出たことである。
 そして三つ目の大きな特徴は原発容認派(②+③)が、1回目の調査では32%を占めていたのが、2回目の調査では一桁台の9%に低下したものの、3回目には再び28.4%に回復したことである。そして3回目の調査で激減した脱原発派が大幅に減少したことで、原発容認派が増えたかというと、2回目の調査よりは増えたものの、1回目の調査より3.6%減っており反対派が容認派に転向したわけではないことも明らかになった。その一方で「その他」が一気に24.1%と2回目より大幅に増えたことは、日本が原発ゼロにした場合国民生活にどんな影響が生じるのか、脱原発を宣言したユーロ圏最大の経済大国ドイツでどういう現象が生じているかの情報も日本に伝わってきたことで、感情に溺れず改めて日本における原発の在り方を見直してみたい、という「冷静派」が急増したということを意味しているのではないだろうか。私はそれだけ日本人の思考力が民主主義の社会において成熟しつつあるのではないかと考えている。
 政府が読み誤ったのは、いったんは感情に溺れても日時の経過と情報量の増大で、日本人は次第に冷静な判断をするようになってきたということを理解していなかったことが最大の要因である。
 消費税問題一つとってもそうだ。
 消費税導入が初めて政治課題として浮上したのは意外に古く、34年も前の1978年(昭和53年)で、第一次大平内閣の時である。が、逆進性が大きい消費税に国民が反発して、政府はすぐ撤回している。その後も中曽根内閣の時に売上税構想が練られたりするなど、自民党政権にとって税制改革は憲法改正と並ぶ2大目標であった。
 その悲願ともいうべき3%の消費税導入に成功したのは1988年(昭和63年)の竹下内閣の時だった。所費税導入に成功したのは。それまで税制改革に批判的な態度をとってきたマスコミ界が、姿勢を180度転換して支持するスタンスに変えたせいでもある。このとき竹下内閣がマスコミに対して殺し文句として使ったのが「消費税導入の2大理由」である。その一つは「もはや日本はアメリカに次ぐ世界第2の経済大国になった。国民も等しくその恩恵を被ってきた。いつまでもシャウプ勧告に従った極端な累進課税を見直し、欧米先進国並みの税制にすべきだ」というのがその一つ。もう一つは「職業についている人は、その人の能力と努力に応じて報酬を貰っている。しかしそうして得た高額所得者に過酷な累進課税をいつまでも続けると、彼らの働く意欲を削いでしまうだけでなく、高額所得者に対する課税が日本に比べて少ないアメリカなどへの頭脳流出に歯止めをかけられない」というものだった。この二つの殺し文句でマスコミはスタンスをコロッと変えてしまった。だが、国民はこの殺し文句に引っかからなかった。要するに「消費税導入の目的は、高額所得層に対する税負担を軽減するために、逆進性の高い消費税を国民に押し付けるのが目的だ」と反発し、総選挙の結果を受けて竹下内閣は退陣を余儀なくされたのである。次いで1997年(平成9年)には橋本内閣が消費税を5%に引き上げ、また総選挙の審判を受けて内閣は退陣した。
 ちなみに、またちょっと余談を述べさせていただきたいのだが、この2回にわたる消費税導入が、実はバブル経済を生む大きな原因となった。「なんのこっちゃ」と思われる方が大半だと思うので、簡単にその理由を述べておきたい。要するに、消費税導入によって高額所得者の税負担が大幅に減少した。つまりその分可処分所得が増えたことを意味する。その金を高額所得層が消費に回していれば内需が一層拡大して企業が儲かり、税収は消費税と法人税の増加によって国家財政は健全化し、社会保障制度も充実させることができたはずだった。
 が、そうはならなかった。高額所得者は余剰可処分所得を、消費に回すのではなく、さらに資産を増やすべく投資(結果的に言えば投機だったのだが)に多額の資金を注ぎ込んでいったのだ。その結果不動産や株、ゴルフ会員権、絵画などの相場がうなぎのぼりで上昇していった。
 たとえばこんなエピソードが流布されたのもこのバブル経済を象徴している。日本1というより世界1と言ってもいい高額の小金井カントリー倶楽部会員権の相場が4億円に達した時期のことである。ある小金井カントリー倶楽部のメンバーが同伴したアメリカ人プレーヤーに「ここは今4億円もするんだぜ」と自慢話をした(その人は、すごいだろうと言いたかったのだと思う)。アメリカ人は「それは安いね。アメリカだったらこれだけのゴルフ場を4億円ではとても買えないよ」と感嘆の声を上げた。メンバーは慌てて「いやゴルフ場の値段ではなく、会員権つまりプレー権の相場のことだよ」とアメリカ人の誤解を解いた。アメリカ人は口をあんぐり開けて一言「オーマイ、クレイジー」と言ったとさ。
 当時一流銀行の営業マンが、取引先の業者の「営業マン」のごとく、開発中の住宅地やゴルフの会員権を売りまくったことは知る人ぞ知る話だ。こうした銀行員の行為は当然銀行法に触れるから、銀行の営業活動の一環としてはできないはずで、おそらく就業時間内の個人的アルバイトだったのだろう。極め付きは、友人に誘われて10人前後のグループで仙台市郊外の宅地開発地を見に行ったことがある。驚いたのは、このグループに某大銀行の支店長が同行し、業者営業マンの説明を引き継いで「今なら開発完了後の売り出し価格よりかなり安くで買えます。購入価格の全額を当行が融資しますから資金的問題はまったくありません」と購入を勧めたことである。まさにバブルの片棒を担いだ銀行を、公的資金を投入して救済した政府は、何を考えているのかと言いたい。
 バブルの演出者であった銀行と、その銀行を救済した政府(あまりにも悪質だった北海道拓殖銀行は、政府もさすがに見放したが)に対する批判はこの辺で打ち切るが、今の日本人の成熟度は、政府が考えているよりはるかに進んでいる。その何よりもの証拠は、今国会で成立した消費税増税に対して反対運動はほとんど生じず、むしろ理解を示していることからも明らかである。いまは民主党の支持率は低下の一途をたどっているが、もし自民党が消費税問題を政局にするため、参議院で反対票を投じて法案の成立を阻んでいたら、自民支持率は暴落し、民主党は次の総選挙で漁夫の利を得ていた可能性がかなり高くなっていたであろう。
 そういう国民の意識の変化をまったく見抜けなかったのが、小沢一郎氏と、彼と行動を共にした小沢チルドレンの一部の国会議員だった。確かに民主党は先の参院選で消費税増税をマニフェストでうたっていなかったことは事実だが、かといって「消費税増税はしない」ともマニフェストでは主張していない。「マニフェストでうたわなかったことをやろうというのはマニフェスト違反だ」という小沢氏の屁理屈には、さすがに小沢チルドレンの大半が反発して小沢氏と行動を共にしなかったのは国会議員の良識ある行動だったと私は評価している。少なくとも小沢氏が「消費税増税なき社会保障制度」の設計図を示していたら、小沢氏と行動を共にした議員は数倍に増えていたであろう。私は小沢氏が政治の表舞台から姿を消すのはそう遠くないだろうと思っている。
 余談はこの辺で打ち切って原発問題に戻ろう。
 日本には現在50基の原子炉が存在する。その中で今稼働しているのは大飯原発の2基だけである。まさに電力供給は綱渡り状態にある。
 政府はもともとは原発による電力供給を35%まで引き上げる予定でいた。理由は大きく分けて三つある。
 ひとつは何と言っても燃料原のウラン鉱山が(日本国内ではほとんど未開発だが)世界各地に分散しており、供給元の選択肢がかなりあり、その結果原料調達のコストも比較的安定していること。
 二つ目は地球温暖化の最大の要因とされている化石燃料(石油・天然ガス・石炭)を使用する火力発電所を今以上に増やしたくないというスタンスを堅持し、エネルギー問題と地球温暖化問題についての国際発言力を増大したいという狙い。
 最後に火山と地震の世界的「大国」である日本には原発建設のための立地条件が極めて厳しく、新たな建設予定地を探すのがかなり困難であることから電力供給の原発依存度は35%が限界とみなしていること。
 またこれまで日本の原子炉の平均稼働率は欧米の平均稼働率の80%をかなり下回る平均70%にとどまっていた。欧米は定期点検の期間は当然原子炉を止めるが、コンピュータによるストレステストの期間は原子炉を止めない。その必要がないからだ。それに対し日本は、ストレステストの期間中も原子炉を止めている。
 原子炉に限ったことではないが、電力で稼働状態を止めたり再稼働する場合の機械や装置にかかる負荷はかなり大きくなる。厳密に言うと止めるときはそれほどでもないが、再稼働するときの負荷は相当大きい。しかも機械や装置にかかる負荷だけでなく、再稼働するときの電力消費量は通常運転しているときの数倍から数十倍消費してしまう。例えば自動車の場合、バッテリーの性能が経年劣化してくるとスタートするときセルを回してもエンジンが一発ではかからず、困った経験は皆さんされているはずだ。もっと身近な話では蛍光灯をしょっちゅう点けたり消したりすると蛍光灯の寿命も短くなるし、点けるときにかなりの量の電気を消費する。だから台所などの蛍光灯は相当の時間台所を離れるのでなければ、点けっぱなしにしておいた方がいいということはご存知だろう。また比較的短い時間しか照明を点けない場所(トイレや玄関など)には蛍光灯は付けないのもそのためだ。
 日本の場合、ストレステストの期間中も原子炉を止めてきたのは、ストレステストによって重大な欠陥や自然災害によるリスクの大きさがわかった場合、急きょ原子炉を止めなくてはならなくなる。そして再稼働する際に原子炉にかかる負荷の大きさを考えると、定期点検が終わってもストレステストで安全が確認されるまでは原子炉を再稼働させないほうがいいと考えたのではないだろうか。もちろん活火山の周辺や、当時の研究レベルで発見されていた地下の活断層の周辺には原発は作ってこなかった。そのくらい安全性については厳しい基準と対策を電力会社は設けてきたのである。そういう意味では東日本大震災による福島第1原子力発電所の大事故は想定外の大震災に見舞われたという不幸なケースであり、一概に東電の責任だけを追及すれば問題が解決するというわけではない。このことはすでにこの長いブログの前編で書いたが、被害を大きくしたのはひとえに素人総理の管直人氏が、厚生大臣時代に血液製剤の問題点をすでに把握していた厚生省(当時)の記録を見つけ(管氏が自分で見つけたとは考えにくい。おそらく当時の厚生省の心ある職員が、菅氏なら血液製剤で感染したエイズ患者の立場になって早期問題解決に乗り出してくれるのではないかという期待から極秘情報を管氏に提供したのだと思う)、ただちに訴訟を起こしていた原告(エイズ患者)に深く謝罪し、一気に問題を解決した「手腕」を再び発揮して国民的英雄への返り咲きを狙ったとしか思えない不可解な行動に出て現場の大混乱を招き、被害の拡大を招いたことを考えると国の責任は極めて大きいと言わざるを得ない。もちろん事故後の東電の危機管理体制の欠陥が露呈したことは、管氏に責任を押し付けて解決できる問題ではない。
 私は東電を実質国有化して経営の立て直しを図ろうとしている国の対策は、さらに国民を愚弄するに等しい行為だと考えている。私はいったん東電に「会社更生法」を申請させ(実質的倒産)、私利私欲に走らない正義感の強い弁護士に経営の実権をゆだね、東電の垢を徹底的に洗い出し、人員の大幅削減、施設の大胆な整理・売却(都心の1等地にある本社も売却して、大半の本社機能を東北3県や千葉県などの、地価が暴落している被災地域に移して、東京には経産省や原子力安全委員会などとの折衝に当たらなければならない、せいぜい数十人程度の人員が仕事をできるスペースを賃貸ビルに確保すればいい)、企業年金の廃止(リタイアした元社員も含む。これは過酷のように見えるが、会社が倒産したのだからやむを得ない)などのコストダウンを徹底的に行い、そうして浮いた余剰資金の半分は被害者への賠償に充て、残り半分は既存原発を想定外の自然災害からも守れるよう安全策の向上のために使うべきだと思う(半々としたのは、はっきり言って素人判断で、その配分比率は専門家たちが知恵を絞って決めてくれればいい。ただし余剰資金を電気料金のアップ率を下げるために使うべきではない)。安全策についても素人考えだが、相当年数のたった原発については建屋の補強対策、原子炉容器や配管を、現在最も強度が強く耐久性も高いチタン合金で被膜するなどの方策が考えられよう。そうしたことに余剰資金を使うことによって、国民の原発に対する信頼感を回復することを、会社更生法適用後に新経営陣が取り組むべき最優先課題だと思う。
 またこの機会に他の電力会社も「対岸の火」と傍観するのではなく、私が提案した既存原発の安全性を高めるための努力を行ってほしい。余裕資金のある電力会社だけとは限らないので、消費者に目的をきちんと説明し「合理化努力もするが、多少の値上げをお願いしたい」と誠意を示せば、大方の消費者は納得してくれるはずだ。
 私が長々と書いた余談で、日本人の思考力は急速に成熟化しつつあると書いてきたのは、このことを言いたかったためである。大新聞社を始め、このような日本国民の成熟度を見誤ると、国民のマスコミ離れはますます進行する一方になることを心してほしい。
 さて「後編」も許容文字数が限界に達しつつある。そろそろ記述を「起承転結」の「結」に移していきたい。
 政府が行った3回目の世論調査「討論型」では何度も書いたように「原発ゼロ派」は1,2回目に比べかなり減りはしたものの、依然として50%近い多数派であることは疑いを入れない。この46.7%は全回答者の中に占める割合で、「その他」(政府が設定した三つの選択肢のうちから一つを選ばせるという趣旨をあくまで基準として考え、この24.9%を「無効票」扱いにすると、有効回答率は75.1%になる)を除くと実質「原発ゼロ派」は一気に62.2%に跳ね上がる。もちろんこれはあえてレトリック手法を悪用した計算法で、すでに私は「その他」25.1%について、冷静に原発問題を考え直してみようという、原発に対する考え方の基準を白紙に戻した人たちだろうと書いており、あえてレトリック手法を使ってみたのは政府の世論調査がいかにでたらめだったかを証明することが目的だったことをお断りしておきたい。
 では原発問題で、国民の意思を問うにはまず政府がフェアなアンケートの設定をしなければいけなかった。三つの選択肢を意図的に設け、そのうちの一つを選ばせようなどという試みは、すでに書いたが官憲がしばしば行う「誘導尋問」と極めて類似したやり方である。
 これもすでに書いたが、現在日本の原子炉(広義な意味で原発と言ってもいいだろう。マスコミはすでに広義な意味で原発と言っている)は50基あり、平常時の稼働率は70%だ。つまり平常時なら35基の原発が稼働していなければならないのだが、現在稼働しているのは大飯原発の2基だけである。大事故を起こした東電の管轄内原発はすべで稼働を停止しており、いつ、どの原発が再稼働できるかの見通しは全く立っていない。
 そうした状況を踏まえ、8電力会社が擁している原発の数(厳密には原子炉の数)と、それぞれの出力電力量をまず明らかにすること(たとえば。1997年に7号基が稼働を始めた新潟県の柏崎刈羽原発の出力数は最大で871万2千キロワットに達し、当時世界最大の原発になったが、地理的には北陸電力の管轄内だが東電が擁する原発である)。
 で、原発の立地ではなく各電力会社が要する原発の総数と合計最大出力数(原発稼働率の全国平均70%ではなく、各電力会社が擁する原発の合計最大出力数の何%が平均して出力されているかを各電力会社ごとに明らかにすることと、各電力会社ごと(管轄内地域)の年間平均の原発依存度を明らかにすること、そのうえで各電力会社の管轄内の住民に対し、それぞれの地域での原発依存度について判断を仰ぐというのが最もフェアで、かつ国民がより適正な判断をすることができる唯一の手段であった。
 その場合、世論調査を行う際の参考資料として、欧米先進国の大まかな地域別原発依存度を明らかにできれば、国民の判断はさらに適正度を増すと思われる。
 私が「大まかな」と書いたのは、例えば東電管轄内でも原発依存度を高める必要がある地域と、そういう必要があまりない地域が混在しているからだ。例えば東京23区内や横浜、川崎、千葉の臨海工業地域などは当然のことながら二酸化炭素の排出量が大きくなるし、電力需要も大きい。そういう地域の原発依存度を高めることは電力会社の社会的責任として重要なことだし、また政府は実質的に東電を国有化したわけだから、ただ東電の経営再建を図るだけでなく、(配電網の配置換えなどかなりの資金が必要にはなるが)公共事業の在り方の模範例を示す意気込みで取り組んでもらいたい。

原発ゼロにしたら国民生活と経済活動はどうなる? (前編)

2012-09-03 10:30:40 | Weblog
 大飯原発の再稼働を受けて反原発運動が全国的な規模で広がっている。広島・長崎と、2度にわたる米軍による原爆投下で数十万人の犠牲者を出した日本人の脳裏には深く刻み込まれた「反原子力」の遺伝子が、東電の福島原発の大事故で目を覚まし、大飯原発の再稼働で一気に反原発運動が燎原之火のごとく燃え広がりだしたのだ。首都・東京でも毎週金曜日に総理官邸周辺に一般市民が普段の外出着で集まり、穏やかなデモをする光景が風物詩になりつつある。ある意味ではそういう国民感情を私も理解できないことはない。
 実は60年安保闘争以来、社会現象にまでなった「全共闘」時代、そのエネルギーを引き継いだ70年安保闘争、さらにその時代と重なった時期もある成田新国際空港反対闘争(「25年闘争」とも言われた長期戦)まで新左翼集団が主導的立場で反対運動をリードしてきた。
 ところが現在全国的に広がりつつある反原発の運動は、ツィッターの呼びかけに応じて右とか左とかいった思想的立場と無縁な一般市民がデモに参加しているという。
成田闘争の場合は、候補地にされた三里塚の農民を中心に近隣の住民が始めた反対運動に、「支援」を口実にして新左翼の中核派が合流、いつの間にか主導権を握って活動の方向性を反権力・反体制に導いていった。当初は中核派の衣をかぶった「支援」の申し出に感謝していた農民たちの中から反発するグループが生まれ、肝心の闘争主体であったはずの農民たちの「反対同盟」が分裂、そこを政府側に付け込まれ反対運動はあっという間に崩壊したしまったという経緯がある。
今回の場合、新左翼の学生運動グループが、久しぶりに生まれた「反原発」運動に紛れ込んで、成田闘争のように主導権を握って運動の方向を左翼化しようと試みるかどうかは、いまのところ不明だが、私自身若いころの経験で言えば(かつて私は新左翼の学生運動に参加した時期があるので)、新左翼集団が「反原発」運動に介入し、左翼化を図ろうとする可能性は小さくないと思う。。
ただ生活がかかっていた農民たちが始めた成田闘争と違い、素朴な国民感情だけでデモに参加した一般市民が新左翼集団の容喙を許すかどうかは疑問である。ヘルメットをかぶり旗竿を持った学生グループがデモ隊に合流しようとした途端、「お前たちは出て行け!!」といったシュプレヒコールが生じるのは必至だろう。
反原発運動が左翼化するかどうかは、今のところ推測の域を出ないが、反対派が、政府の行った世論調査の結果に勇気づけられたことだけは間違いないだろう。政府は最悪の時期に、しかも最悪かつ姑息な方法で世論調査を行い、かえって窮地に追い込まれてしまった。福島第一原子力発電所の事故以来、政府がやってきたことは後手後手に回っただけでなく、原子力について全くの素人に過ぎない管直人総理(当時)が事故現場に対して愚かとしか言いようのない指示を繰り返した結果、現場が混乱し、かえって被害の拡大化を招いてしまったこと、さらに「加害者」と言えなくもない東京電力が待ったなしの状況でありながら適切なタイミングで適切な手を打たなかった結果被害の拡大を招いてしまったこと、さらにその後の東電が行った事故の検証結果を即座に開示せず、本社とのテレビ会議の録画も事故から1年半近くたってから、しかもその一部(昨年3月11日夕から16日までの5日間余)しか開示せず、さらに一部はモザイクをかけた映像のみで音声はカットするなど、東電の危機管理の甘さと不誠実さを「これでもか、これでもか」というまで見せつけられた国民が、反原発という市民感情を全国的規模で共有してしまったのは当然すぎるほど当然であった。
さらに政府は愚かなことに、そういう最悪な時期に世論調査を行うというばかげた行為に出た(世論調査は3回行われ、1回目は全国11か所での「意見聴取会」での意見聴取、2回目は12日に締め切られた意見公募で約6万件の意見が国民から寄せられた)。しかもその世論調査の内容が、国民をこども扱いするかのようなふざけたものだった。
政府が行った調査方法は、2030年における原発依存度を以下の3つの選択肢から選べ、というアンケートだった。  
①0%  ②15%  ③20~25%
実は自公内閣時代から政府は、将来の原発依存度を35%まで引き上げる計画を立てていた。日本が提案した京都議定書を、肝心の日本が自ら反故にするわけにはいかず、地球温暖化の最大の要因である火力発電所に付き物の二酸化炭素ガスをまったく排出せず、環境にやさしい(危険性の問題はとりあえず無視)原発依存度を高めるというのが日本のエネルギー戦略だった。その35%という目標を自ら放棄して、なぜ最大依存度を20~25%にまで下げたのか、そしてこの選択を国民がしなかった場合の次の選択肢は16~19%という中間選択肢を飛ばして15%という固定数値にしたのか、さらには国民が15%という選択肢も選ばなかった場合はなぜいっきに0%という数値を設定したのか。
このような選択肢の設定には、実は国民感情をまったく無視した「落としどころ」を国民が選択せざるを得ないだろうという、永田町のような特殊な世界でしか通用しない論拠があったのである。具体的にはこういうことだ。
一応日本の原発規制として設けられた方針は、40年で廃炉にするというものだった。だが、日本という国は四方を海で囲まれ、しかも海底は複雑に絡み合った様々なプレートで囲まれている。東日本大震災も太平洋プレートが日本海溝の海底に潜り込み、何らかの障害物で潜り込みがストップされ、後方から押し寄せる前進エネルギーが太平洋プレートの先端に蓄積され限界に達したときピーンと跳ね上がり大地震と大津波を起こしたのが原因とされている。こうしたプレート構造だけでなく、日本は世界最大級の火山国としても国際的によく知られており、さらに国土の地下にはいつ大地震を引き起こしても不思議ではないと考えられている無数の活断層がある。つまり日本は原子力発電所の立地条件としては最も困難な問題を抱えているのである。ということは新原発の建設候補地は極めて限定的にならざるを得ないということだ。そのため政府(自公政権時代)はいったん40年で廃炉にするという方針を転換して40年以上稼働した原発の延命を図ることにした、が。東日本大震災の洗礼を受け再び政府(自公ではなく民主政権)は方針を転換、稼働年数が40年を超えた原発は原則廃炉することにした。それだけでなく現在大間原発をはじめ建設及び計画中の3原発(計4基)はすべて凍結することにした(事実上の中止)。
1979年に世界で初めてメルトダウンの事故を起こしたアメリカは(ソ連のチェルノブイリ事故がメルトダウンを生じていたかどうかはソ連政府の秘密主義のため不明)、当時建設あるいは計画中だった新原発をすべて中止した。その後、ブッシュ大統領(息子のほう)が原発建設の再開を決断、現在のオバマ大統領が新原発建設を推進しようとしたがコスト問題で実現に至っていない。
ちなみに現在では死語となってしまったが、かつてはメルトダウンを生じたら「チャイナ・シンドロームを引き起こす」と、当時の物理学者たち(主に米国の)は信じきっていた。その意味は、米国の原発がメルトダウンを生じたら、核燃料が地底深くに突入し、連鎖反応を起こしながら地球の中心を突き抜け、アメリカにとっては地球の反対側に位置するチャイナ(中国)にまで達し、中国の地表に到達した瞬間大規模な核爆発を生じるという仮想。だからスリーマイル島事件が生じたとき、米物理学会では「なぜチャイナ・シンドロームが生じなかったのか」といった大論争が生じたくらいである。
もう一つついでに書いておくが、スリーマイル島事件が日本の原発技術者や通産省(当時)に与えたショックは計り知れないものがあった。まず「原発はいかなる事態が起きてもメルトダウンが生じないように設計されている」という神話が崩れたことである。つまり絶対の自信を持っていた日本の原発も、メルトダウンを生じる可能性を否定できないことがはかなくも証明されてしまったという危機感に襲われたのである。
その結果、日本国民とくに新左翼の学生たちによって大規模な原発反対運動が生じるのではないかという懸念が生じたのである(実際、日本政府が1960年代になってエネルギー政策の軸足を原発推進に置くようになって以来反原発運動が建設地などでは必ず生じてきた)。
が、日本のマスコミがスリーマイル島事件について比較的冷静な報道に徹したため、日本の原発当事者たちが一番恐れていた全国的な規模の反原発運動はほとんど生じなかった。その前も、それ以降も日本の原発は世界を騒がすような大事故をほとんど生じなかったため、日本の原発にはいつの間にか「安全神話(日本の原発は世界一安全だという)」が定着していった。
その結果どういう事態が電力会社や通産省(現在の経産省)などの、いわゆる「原発村」で生じていったか。「安全神話」にもたれかかった驕り、さらには「安全神話」を守るための隠ぺい体質が根をはびこるようになっていったのだ。
それが福島第1原発の大事故を起こした東京電力の、あらゆる場面での責任逃れ、隠ぺい、無責任体質を生み、そして育てていったと言える。もちろん管直人という原発についての何の知識もなければ見識もない総理大臣が、事故の発生を聞くや否や、直ちにヘリコプターで現場に飛び、「現状視察」をして、「素人の口出し」をしたことが現場の混乱をさらに拡大した一面は無視できない。だが、「責任逃れ・隠ぺい・無責任体質」に染まっていた東電にとっては、そういう体質をひた隠しに隠すための絶好の口実を与えてくれたのが管首相だったと言えなくもない。
 ちなみに管氏はかつて厚生大臣の任に就いていた時、国と、エイズ発症の原因となるHIVウイルスの非活性化をせずに(非加熱製剤)売っていた製薬会社のミドリ十字を相手取って告訴したエイズ患者に謝罪し、和解したことで一気に国民的英雄になったことがあり、一時は次期総理の筆頭候補(マスコミの世論調査)になった時の快感が忘れられず、未曽有の大事故の陣頭指揮をとって再び国民の英雄になろうとしたのではないか。ま、のぼせ上るとろくな結果を生まない、という大きな教訓を残したことだけは管にとって予想外の功績だったと言うほかないだろう。
 もちろん私もあの大事故の最大の要因が東電の体質にあったとまでは決めつけているわけではない。最大の要因は想像を絶する大津波で建屋がもろくも崩壊してしまったこと、それによって原子炉を自然災害から守る手段が失われたことまで東電の責任範囲とする考え方には私は与しない。1000年に1回あるかないかという自然災害にも耐える建屋を作るべきだったなどというまことしやかな議論は、ためにする議論、としか言いようがない。もちろん安全性を無視していいとまでは言わないが、原発は経済活動の範囲内で許容できるコストを超えてまで安全対策を講じるべきだなどと言い出したら、あらゆる経済活動が不可能になってしまう。現に世界中で最大の事故死を引き起こしているのはクルマであって、100%事故を起こさないクルマができるまではクルマの生産をすべて中止すべきなどという屁理屈と同じ類の主張になってしまう。
 論理的に考えれば誰でもそういう結論に達するはずなのだが、一般国民の思考方法は必ずしも論理的整合性を保っているわけではなく、かなりの部分が感情や世論の動向などによって左右されがちである。それは大飯原発の再稼働に対して、もし万一福島第一原発のような大事故が起きたら、直接我が身に被害が及ぶ地元民だけでなく、関西電力管外の一般市民までがツィッターの呼びかけに応じて老若男女を問わず自然発生的に反原発のデモに参加している現状、さらには大飯原発の再稼働がなければ計画停電が必至になる関西電力管内の人たちすら再稼働反対の声を上げている現状を、政府は「一過性」にすぎないと考えたのだろう。私も組織立った反原発運動ではないようだから(今後の反原発運動の動向は不透明だが)、一過性で終わる可能性のほうが高いと思っているが、そうだとしても国民感情が爆発している真っ最中に18年後(2030年)の原発依存度の比率についてのアンケートを取るという感覚自体、「一体政府は何を考えているのか」と呆れるほかはない。
 全国11か所で開いた「意見聴取会」、及び一般市民約8万9千人が自らの意見を今後のエネルギー政策に反映させたいと期待して政府の公募に応じた結果はどうだったのか。もう一度政府が国民に問うたアンケートの選択肢(2030年における原発依存率)を書いておこう。
   ①0%  ②15%  ③20~25%
 あらかじめ政府が考えていた「落としどころ」は、実は15%であった。実際細野原発相は5月の段階で「15%は一つのベースになりうる」と述べており、国民の怒りの大きさから考えて③は選択してくれないだろうが、まさか①を選択することもないだろうという国民の理性的な判断を期待し、②を選択させるために熟慮に熟慮を重ねて作った三つの選択肢だった。
 15%を落としどころと考えた政府の計算にはもう一つ、のっぴきならない事情があった。政府は新しい安全基準として稼働開始が40年を経過した原発は原則廃炉にすることを決定した。しかも建設中及び計画していた原発(3原発・4基)はすべて中止(事実上)せざるを得なくなった。そのため現在50基ある原子炉は2030年には20基に自然減少することになった。しかもこのわずかに残された20基をすべて稼働させることは不可能だ。一定期間稼働したら定期検査とストレステスト(コンピュータによるシミュレーションテスト)のために原子炉の運転を一時停止せざるを得ないのだ。欧米では定期検査の時は運転をストップするが、コンピュータによるシミュレーションテスト(設計当時の想定を超えた自然災害や飛行機が墜落したとき、あるいはテロリストに襲われた時の被害度を予測するシステム)の時は運転を停止する必要がないため欧米の原子炉稼働率は日本の平均70%よりかなり高い(国によって違うが平均で80%と言われている)。日本も欧米に倣い稼働率を80%に上げたときに原発へのエネルギー依存度は15%になる。これがアンケート調査を行うに当たって政府が15%を「落としどころ」にしようとしたもう一つの論拠である。つまり政府の行ったアンケート調査の方法は、悪名高き官憲による「誘導尋問」とまったく同じ思考方法によって作られた三つの選択肢だったのである。
 政府が国民の意思を尊重して、最低でも国民の過半数が支持する政策を立案し、国会の審議を経て実施に移すというのは民主主義政治の大原則である。民主主義は確かに大哲学者プラトンが指摘したように「愚民政治」になりかねない要素を間違いなくはらんでいる(なおプラトンはその欠陥を是正するには哲学者による独裁政治しかない、と我田引水的主張をして自らの生涯に消すことができない汚点を残してしまった)。だから民主主義をより高度な成熟したシステムに育て上げていくためには、国民の論理的思考力を高める教育をしていく以外に方法はない。
 ちょっと主題から外れるが、この機会に書いておきたいことがある。日本人の論理的思考力を高めるには、まだ先入観や、いわゆる「常識」に染まっていない子供に対する教育のあり方を見直すことが肝心だ。そのもっとも重要なポイントは算数・数学の教育方法を抜本的に改革することである。私は2010年3月31日に投稿した『なぜ小学5年生に台形の面積の公式を教える必要があるのか』というタイトルのブログ記事を投稿したことがある。            
 この記事で私が主張した要点は、ゆとり教育によって教師・教諭にはゆとりが生じたが、一方日本の将来を担わなければならない子供たちへのちゃんとした教育を放棄する結果を生じ、その結果国際学力コンクールなどで日本の子供たちの学力が目に見えて低下するようになり、ゆとり教育への社会的批判が強まったのを受けて、2008年に当時の安倍内閣の主導のもとで新学習指導要領が施行され、「脱ゆとり教育」が行われるようになった。
 そもそもは「ゆとり教育」は当時日本共産党の影響力が強かったとされていた日教組(同党は「現在は共産党の影響力はほとんどありません。日教組も『連合』傘下の労組ですから」と主張している)が、1970年代に「今の教育は知識重視型で、詰め込み教育になっている。こういう教育では子供たちが自分の頭で考える能力がかえって損なわれる」といった主張をしてきたことが経済界などの支持も受けて1980年代から小学校、中学校、高校の順に次々と実施されていった。が、すでに述べたように「ゆとり」を享受できた教師・教諭が子供たちにどういう教育をしてきたかの結果が、子供たちの学力低下に直結していくのである。ゆとり教育の実施によって教科書は薄くなり、子供たちの負担が大幅に軽減したのはいい。どっちみち子供たちはいずれ大人になるのは当たり前の話だが、小学校、中学校、高校で詰め込まれた知識をどれだけ覚えているだろうか。たとえば日本最古の憲法である「17条憲法」は聖徳太子が制定したが、その中身をこのブログ読者はどの程度覚えていられるだろうか。正直なところ私自身第1条の書き出しの一部「日本人は和をもって貴しと為す」くらいしか記憶に残っていなかった。実はウィキペディアで調べたところ「日本人は」という冠の表現は全くなく、私が記憶していたのは第1条の中でもほんの一部でしかないことが分かった。こんな知識が社会人になったときどれほど役に立っているのだろうか。問題は聖徳太子がなぜ「17条憲法」を制定したのか、その結果日本の権力構造はどうなったかを教師・教諭は子供たちの理解力に応じてどう説明するかが、教師・教諭の能力にかかってくるのだ。
 ウィキペディアやヤフー百科事典で解ったことだが、聖徳太子がこの「17条憲法」の制定で目指したのは「天皇を中心とした中央集権の国家体制の確立」だったということである。このことさえ分かれば、あとは論理的推理力を働かせれば当時はまだ天皇家は絶対的権力を確立していなかったんだな、聖徳太子が「皇太子」の地位についていながら、あえて天皇にならず「摂政」という実務の最高責任者にとどまったのは、当時聖徳太子自身が皇族や貴族の絶対的信頼を得ていず、もし天皇になっていたら「自らが絶対的権力を持つ独裁者になろうとしている」という反発が肝心の朝廷の中で生じかねないという危機感を持っていたからではないか、さらに想像をたくましくすれば「独裁者」に対する反発の大きさによっては肝心の「17条憲法」が葬り去れ、歴史の舞台から消えていた可能性すらあったかもしれないといった歴史的洞察に結びついていくのではないかと思う(ちなみにこの推測は私独自のもので、純粋に論理的思考力を働かせて得た推測である。歴史研究家の中には私と同様な推理をしている方がいる可能性は否定しない)。
 なおこの推理が当たっているか否かは、私は別に歴史家でもなんでもないから、批判されようと否定されようとなんとも思わない。私がこのエピソードで言いたかったことは「知識重視の詰め込み教育」を復活させるべきではなかったと言うことである。歴史の授業でも知識として教えることは最小限にとどめ(すでに述べたように社会人になってすっかり忘れてしまっても何ら支障が生じない「知識」をむやみやたらと増やしても子供たちの論理的思考力の向上にはまったく結びつかないということを指摘したかっただけである。
 ブログの主題から外れた話が長くなりすぎた。とにかく教育の目的は子供たちの論理的思考力を高める訓練を最重要視すべきであり、そのためには算数・数学の授業で、できるだけ公式に頼らず解を導く思考力を身に付けさせることだということが言いたかっただけである(物理、とくに光学や力学も論理的思考力を高める効果が大きい)。
 もう少し主題から外れさせていただくが、最近日本でもディベート教育が盛んに行われるようになってきたが、これはあまり感心できない。ディベート教育の誕生は古代ギリシャ時代に遡るとされているが、現在ではイギリス型とアメリカ型が世界のディベート教育の二大主流をなしており、日本では大多数の学校がアメリカ型を踏襲している。
 イギリス型は一時日本でも流行ったことがあるレトリックの手法で(レトリックを日本語に翻訳して説明すると、読者は混乱してしまうだろうから述べない。ただイギリスの国会では、日本の法廷で裁判官の両サイドに原告と被告が対峙して口頭弁論を行うのと近い形で与党内閣と野党のシャドウ内閣が議長の両サイドに陣取って論争する形になっているため、ディベート教育もレトリックを重視しているのだと思う。
 一方アメリカ型は論理的要素を重視するやり方だ。イギリス型と同様あるテーマを巡り二つのグループに分かれて論争(一般的には「討論」という言い方がされている)するのだが、その勝敗を決めるのは審判員で、どっちの陣営のほうがより論理的だったかを判定する競技の形式をとっている。
 イギリス型のレトリック手法にしてもアメリカ型の論理重視にしても、現実には本当の意味での論理的思考力を高めることにはあまり役立たない。かえって屁理屈の巧みさを身に付けてしまいがちになっている。
 私が強調する「論理的思考力」とは言い換えれば「論理的整合性を常に維持できる思考力」のことである。だから私は私の著書でもこのブログでも常に批判する場合の視点は「論理的整合性を欠いている」という点に軸足を置いている。たとえばソフトバンクの孫正義が「メディアの帝王」と言われていたマードックと組んでCS放送の「JスカイB」の設立に乗り出そうとしたとき、私は結果的に最後の著書となった『西和彦の閃き 孫正義のバネ……日本の起業家(アントレプレナー)の光と影』の取材のときこう訊いた。「すでにCS放送はディレクTVトパーフェクTVが先行している。BS衛星と違いCSは衛星1基で100~150チャンネルの放送が可能だと聞いている。そこにJスカイBが割り込むと最大で300~450ものチャンネルが誕生することになる。とうてい勝ち目がないというのが大方の見方だが」と。
 実は私は東京都港区にあるNHK放送文化研究所に取材で数回訪れ(世界主要国のテレビ放送事情を調査・分析しているのは日本ではここだけである)、マードックがイギリス・アメリカ・香港でのCSビジネスで成功したケースと失敗したケースの理由をそれぞれの国の担当研究者から聞いており、そのことを伝えたうえで「CSビジネス3社が共存できる可能性は皆無といっていい」と主張した。
 孫は、「自分ほど頭がいい人間はいない」と思い込んでいるようで、論理的主張をすることにかなりこだわっている。この時も私の主張を論破しようとして「ああでもない」「こうでもない」と屁理屈までこねて抵抗しようと試みたが、とうとう自分自身が論理的に破たんしたことがわかったようで、「小林さん、僕は命をかけてCSビジネスをしようとしているのだ。わかってよ」と哀願してきた。私は苦笑しながら「僕も命がけで本を書いている。命懸けでやれば何でも成功するのならベンチャービジネスはすべて成功する。彼らは皆、命懸けでやってますからね」。このダメ押しで、孫は私を説得することはとうとう諦め、「もう二度と小林さんの取材は受けないからね」とイタチの最後っ屁を放って席を立った。
 ちょっと余談が長すぎた。が、原発問題を論理的思考力を唯一の手段としてフェアに解決するにはここまで書いてきた余談を前提にしないと説得力のある主張ができないからだ。ただすでに正味でここまでで約9700字に達しており原発問題についての本題は続編で書くことにせざるを得ない。お許しを願う。