あまり役に立ちそうもない雑学とかムダ知識を集めた本を、時々目にします。飲んだ時などに、そんな知識を「ひけらかしたい」という需要に応えているのでしょう。たまたま「超辞苑」(B.ハートストン/J.ドーソン 訳:本田成親/吉岡昌起 新曜社)という本に出会いました。
著者である英国人が考えるトリヴィアな知識って何だろう、と読み進むうちに「ひけらかし」ではなく、ちょっと「ご紹介」したくなりました。私なりのコメント(というかツッコミ)とあわせてお楽しみください。なお、各項目のタイトルは、私が独自に付けました。
<賢明な占い>
フランスのルイ11世から、自分自身の死期を占うように、と専属占い師のマルテイウス・ガレオッティが求められました。その答えです。
「あなたの24時間前です、王様」
これなら、王より先に死んでも、王が先に死んでも、占いの当たり外れを問われることのない賢明な「占い」です。その後、王から十分な保護を受けたのも当然でしょう。
<婉曲表現大賞>
今もやっているかどうかは分かりませんが、アメリカ的ジョークとして、ニューヨーク・タイムズ紙が、優れた婉曲表現に、大賞を授与していたことがあります。受賞「2作品」です。
CIAによる「特殊暗殺部隊」を、「健康改善委員会」
ギリシャの薬局では避妊薬を直接名指しで購入するのは法律違反。そこで「保健薬」
<危険な踊り>
世界で一番危険な踊りとされているのが、ポーランドの「ジボジニッキ」と呼ばれるもの。
どういう踊りかというと、男性のパートナーは、地上で円を描くように斧を振り回します。
一方、女性は、斧が回ってくるたびにそれを跳び越える、というもの。確かに危険極まりない「踊り」に違いありません。
<仕事さまざま>
スペインのアルフォンソ13世はひどい音痴でした。こちらの方。
王ですから歌う必要はないのですが、音程を聴き取る能力に大いに問題がありました。国歌の合唱に際しては、しかるべきところで起立しなければなりません。その起立のタイミングを教えるためだけの係官を採用していました。
日本の鉄道で、ラッシュアワーに、乗客を電車に押し込む「押し屋」が、たぶん、唯一の日本ネタとして、取り上げられています。英国で鉄道が押し合いへしあいになるってことありませんから、著者にとっては、いかにも不可解な仕事に見えたのでしょう。だいぶ古い話題ですが。
1911年、ロンドンの地下鉄アールズコート駅にエスカレーターが初めて設置されました。
とても安全で、悪魔の発明ではないことを証明するために、義足の男が雇われ、安全性PRに一役かったといいます。
1905年に、アメリカの国防省に、エディス・キングという若い女性が配属されました。任務は脱走兵を発見し、逮捕するのに協力するというもの。報酬は、ひとり発見するごとに50ドル(100年以上前の50ドルです)です。色目を使って兵士を誘惑し、500人を法廷に送るという大きな「成果」をあげました。さぞ、魅力的だったことでしょう。
<フーバーのこだわり>
死ぬまでFBI長官であったエドガー・フーバー(1895-1972)は、骨の髄まで反共主義者として有名でした。なので、お抱え運転手の車に「左折」を許しません。出かける先によっては、大変な回り道を強いられ、運転手、関係者は知恵を尽くしたルート選定が必要だったといいます。歴代大統領をも震え上がらせた独裁者ならではのエピソードです。
<史上最低の射撃術>
1981年に、77歳と76歳の老人の決闘が行われました。昔からの遺恨に決着をつけるべく、骨董品のピストルを持ち出す事態に。ふたりは、5フィート離れて立ち、それぞれ12発ずつ発射しましたが、全部外れました。
ひとりは、緑内障をわずらい、もうひとりは、杖がないと立てない体だったというのです。
史上最低の射撃術として、歴史に名を残す(?)結果になりました。いやはや。
<コウモリ大作戦>
第二次世界大戦中、アメリカは、コウモリを利用した作戦準備を着々と進めていました。3000万匹のコウモリを準備し、200万ドルの費用をかけました。
コウモリに時限装置付きの爆薬を装着して、ドイツ本土を爆撃しようというのです。1945年には実用化のメドが立っていましたが、「脱走した」コウモリが自軍の格納庫と将軍の車を「爆撃」するという事故が起き。計画は中止。なんとも間抜けな結末です。
いかがでしたか?まだネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。お楽しみに。