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第277回 前世の記憶−1

2018-07-20 | エッセイ

 いきなり、アブナそうなタイトルですが・・・・

 なぜか、インドとか、東南アジアに多いんですけど、どう考えても、「生まれ変わり」としか思えないほど「前世」のことを記憶している子供が出現することがあって、そんな話に興味を引かれます。

 ある日、突然、子供が「ここは私の家じゃない」などと言い出すのです。自分は、本当は、なんとか村の、なんとかと言う子で、親は、誰々、家の間取りはどうこう、などと、本人以外に知り得ない話をしゃべり出すのがきっかけだったりします。

 学者までが乗り出して、厳密な現地調査や聞き取りが行われた結果、子供の話は、ことごとく事実で、どう考えても、生まれ変わりとしか考えられない、と結論づけられケースもあります。(この種の具体的な例は、別の機会に書くつもりです)。

 前世なんてあるわけない、第一、誰も前世の記憶なんか持ってないじゃないか、などと、ハナから一蹴する人もいます。

 でも、私は、以前にもこのブログで書きましたが、「世の中、不思議なことがあるもんやなぁ」と、不思議を不思議として、楽しみたいクチ。

 で、前世の記憶について、私自身は、こんな可能性を考えています。

 前世の記憶なんか引きずって生まれてきたら、個人のアイデンティティが保(も)ちませんから、摂理として(としか言いようがないんですけど)、「普通は」生まれる時に、きれいさっぱり忘れる仕組みになってるんじゃないでしょうか。
 ところが、なんかの都合で、忘れる仕組みが働かないケースが、ごくごく稀にあって、それが、「生まれ変わり」「前世の記憶」の事例かな、と・・・・根拠ないんですけどね。

 さて、私が考えるそんな可能性を補強するつもりはないのですが、前世にまつわる話題で、「不思議やなあ」と思う具体例を、ご紹介します。

 作家の高橋克彦が、「書斎からの空飛ぶ円盤」(講談社文庫)の中で書いている彼自身の体験です。こちらの方ですね。



 雑誌の編集者からの紹介で、前世を透視することが出来るK氏(現在は、透視がメインではないため、文中では、仮名になっています)と対談することになったのがきっかけです。お互いに全く面識もなく、半信半疑で対談に臨んだ高橋に、K氏は、いきなり、

「あなたはギリシャ時代の吟遊詩人だったことがありますね」と言った、というのです。

 実は、高橋には、誰にも話していない秘かな想いが、ず~っとあって、それは、「吟遊詩人」になるということ。小説家として、何千、何万という読者がいても、あくまで、読者と言う目に見えない存在でしかない。それよりも、たとえ、数十、数百人でも、生身の人間を前にして、詩や物語を語って聞かせる「吟遊詩人」への憧れがあった、というのです。

 これだけなら、小説家という現職からの連想ゲームで、「吟遊詩人」は「まぐれ当たり」と言えなくもないですが、続きがあります。

 対談の数日後、高橋が、K氏を訪ねて、話をしていると、別の前世も引き出せる、というのです。5分ほど瞑想していたK氏は、

「吟遊詩人の時とそれほど隔たりはありませんが、あなたはローマ時代に軍船の設計者だったことがあります」と語りだします。
 更に、「戦争中にあなたは自分の設計した船に乗り、沈没して亡くなりました」と告げます。

 それを聞いた高橋に、驚愕と戦慄が走ります。

 実は、彼には、小さい頃から、根源的に水への恐怖感があって、水に顔を浸けられない(普通の方法で顔が洗えない)、水滴が頬に飛んできただけで、心臓が高鳴る、海の波を見ているだけで、妙にドキドキしてくる、という尋常でない性癖があったというのです。
 ですから、髪を洗うのも自分では出来ず、事情を知っている親しい美容師に、特別な方法でやってもらっている、とも告白しています。

 そのくせ、小さい時から、海の世界の代表である軍艦、戦艦などに心引かれ、毎日にように模写していたというのです。

 まさに、軍船の設計者で、水死したという「前世」と、ものの見事に符合していて、気味が悪いくらいです。

 2つの「前世」の透視を通じて、70%くらい「前世」の存在を信じるようになったと本人も書いています。100%でないところに、彼の良心を感じながら、「世の中、不思議なことがあるもんやなぁ」と、私は素直に不思議がっています。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

<追記>後ほど続編をアップしています。<第313回 前世の記憶−2>です。合わせてご覧いただければ幸いです。