元の会社の同僚と韓国に行ってきました。ホテルと飛行機だけを押さえた勝手気ままな手作りツアーで、ソウルに3泊、プサンに2泊しました。私にとっては、20数年ぶり3回目、彼には初めての韓国でした。
<地下鉄>
常々思っているのですが、真の国力とか民度とかを計る重要な指標のひとつは、(数字化は出来ないにしても)国民の公共マナーではないでしょうか。
前回、ソウルを訪問した時、「海外乗り鉄」の私が、「ソウルの地下鉄に乗ってみたい」というと、現地のスタッフから「とんでもありません。降りる人が先、なんてルールがありませんから、押し合いへしあいです。おすすめできません」と言われ断念したことがあります。
20数年ぶりのソウルは、すっかり様変わりしていました。地下鉄も随分利用しましたが、降りる人が先、という当たり前のルールがきちんと守られていて、安心で、気持ちが良かったです。駅も車両も案内表示なども整備され、運行本数も増えた結果が産み出した余裕かもしれません。衣食足りて礼節を知る。まさに、隔世の感です。
プサンの地下鉄でのことです。私の前に座っていた40代とおぼしき夫婦のうちの、奥さんの方が、私に席を譲ろうという仕草で立ち上がりかけました。
さすが、儒教の国、と嬉しくなりましたが、とりあえず、それを制し、降りる駅が近いことを、身振り手振りで説明した後、「アイ・アム・ヤング」とベタな一言。意が通じたようで、夫婦もにっこりし、空気が和みました。私のすぐ横にいた男性までもが、親しげに韓国語で話しかけてきました。「あんたら、お互いエエ心がけや」
まあ、そんなことだったのだろうと想像してますが、今回の旅行で一番の嬉しいふれあい、ハプニングでした。
<日本語>
定食屋みたいな所で昼食を食べていると、女子中学生らしき集団が入って来ました。出て来た食事を前に、私の斜め前の女の子が「いただきまーす」
思わず「日本語勉強してるの?えらいねぇ」と話しかけると、恥ずかしそうに、もじもじしてます。引率の先生から「この子達は中学生です。日本語まだまだヘタです」とフォローがありました。
もし、私が英語を勉強したての中学生の頃、外人から話しかけられたら、どう反応しただろうなぁ・・・ちょっとしたふれあいだけど、日本語が好きになって、一生懸命勉強するきっかけになってくれればいいけど・・・そんな柄にもない優等生的なことを考えました。
ソウルで、二人が別行動をしている時、道に迷ってしまいました。
きっと、テンパってたんでしょうね。お年寄りなら日本語が通じると勝手に思い込んで、私と同年代らしく2~3人のグループに地図を見せながら、「日本語」で、話しかけました。
我が不明を恥じなければいけませんが、当然のごとく通じません。私と同じような年齢ということは、戦後世代です。戦前、「強制的に」日本語教育を受けさせられた人たちなら、80歳前後かそれ以上のはず。自分だけが、いつまでも若いつもりでいるのが大間違いであるぞ、と思い知らされたちょっと恥ずかしいハプニングでした。
<安重根>
ソウルでの空いた時間に、なにげなくガイドブックを見ていると、「安重根(朝鮮語読み:アン・ジュングン)義士記念館」というのが、地図の一番下、ぎりぎりの所に載っているのが目にとまりました。泊まっているホテルからも近く、歩いて行けそうです。さっそく、足を運びました。
ー記念館前の安重根の銅像です。なかなか勇ましいー
1909年に、伊藤博文を、ハルビン駅構内で射殺した人物で、韓国では「義士」です。ロシア官憲に逮捕されて、日本の関東都督府に引き渡され、処刑されています。
博物館に来てみると、スロープが2カ所あって、迷いました。たまたま近くにいた男性に声をかけると、なんと見学を終えたばかりの日本人でした。まさかのハプニング。
「日本人でここに来る人って、珍しいと思うんですけど、なんでまた?」と訊くと、
「歴史的事実が知りたくて・・・」との返事が返ってきました。
その後のやりとりから推測するに、日本側の立場に近い歴史観の持ち主のようでした。「日本語での表示、解説が一切ないのが困りましたけど・・・」とも話してました。
確かに、館内はその通りでした。展示の主旨が主旨ですから、それもやむを得ないかな、とも思いましたが、心の痛みを感じながら訪れる日本人への配慮があってもなぁ、とも感じました。
プサンでは、「朝鮮通信使博物館」を見学しました。「韓日関係が安定していた極めて珍しい期間であった」との「日本語テロップ」付きの映像を見ながら、複雑な思いが交錯しました。
2つの博物館を見学しただけですが、歴史的事実を後世に伝えて行くための努力(国の歴史観、立場を反映したものにはなりますが)には、頭が下がります。
観光旅行のつもりでしたが、私なりに学ぶ事の多い有意義な旅でした。
いかがでしたか?次回をお楽しみに。