2016年6月に、当時のオバマ大統領が、現職のアメリカ大統領として、初めて広島を訪問し、スピーチを行いました。
「謝罪しない」ことは、事前に分かっていましたが、原爆投下という事実をどう表現するか、被爆者ならずとも関心があったところです。「話すための英語力」(鳥飼玖美子 講談社現代新書)を参考に、そのあたりの謎解きしてみたいと思います。
肝心の部分ですが、英語では、こう表現されています。
"Seventy-one years ago,on a bright cloudless morning,death fell from the sky
and the world was changed."
前半部分は、「71年前の雲ひとつない明るい朝に」と何気なく表現してます。
だけど、地上の様子が視認できる「雲ひとつない」気象状況だったから、「予定通り」広島に原爆が投下された事実を忘れてはならないと思います。次のターゲットであった九州の「小倉」は、たまたま雲がかかっていたため、目標が「長崎」に変更されました。「雲ひとつ」が、膨大な人々の運命を変えたのです。
オバマがそこまで意識してたかどうかは分かりませんが・・・
問題は、後半です。
"death fell from the sky”を、マスコミ各社がどう訳しているかを、同書から引きます。
「空から死が落ちてきて」(共同)
「空から死が降ってきて」(日経、読売)
「死が空から降り」(朝日)
「死が空から落ちてきて」(鳥飼訳)
原文を尊重すえば、大なり小なりこんな訳になるんでしょうね。原爆という大量殺人兵器を「死(death)」という抽象的なものに置き換え、それが、まるで、自然現象の雨か雪のように"fell(落ちた、降った)"というのですから、まるで他人事(ひとごと)。
事実は、The U.S. dropped an atomic bomb.(アメリカが、「原爆を投下した」)なのに、見事に言い換えてる。被害者が憤怒の気持ちを内に秘めて、ぎりぎり詩的に表現したのなら理解できるが、どう考えても「加害者」が、ぬけぬけと口にできる言葉ではない。
さて、最後の "the world was changed." も、
「世界は変わった」(共同、日経)
「世界は変わってしまった」(読売)
「世界が変わってしまいました」(朝日)
「世界は変わってしまいました」(鳥飼訳)
原文を見れば分かるように、ここは、受身形(懐かしい文法用語ですが・・)が使われています。日本語でもそうだと思いますが、英語の世界(特にマスコミなど)では、受身形は、極力使わない、というのが基本中の基本になっています。行為の主体が曖昧になるからですね。
あえて受身形を使って、「アメリカの原爆が世界を「変えた」のではない。東西の冷戦構造だ、民族対立だ、宗教対立だ、クズな政治家どもだ、酒だ、男だ、女だ・・・・最後の方は八つ当たり気味に、いろんな要因、条件「によって」、「変えられた」のだ」とでも言いたい底意が透けて見える。あくまで「謝罪しない」方針を貫徹してる。
以前、動物園での幼児を巻き込んだ事故に絡んで「謝らないアメリア人」(第169回)というのを書きました。あの事故のケースも含めて、アメリカ流のレトリックを駆使した「謝らない」ぶりに、あらためて感心「させられ」ました。
いかがでしたか?次回をお楽しみに。