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第286回 アナキストとナショナリスト

2018-09-21 | エッセイ

  大杉栄というと、アナキスト、政治思想家の面だけに目が行きがちですが、本質は、自由を求める精神が旺盛な人物ではなかったかと想像します。女性との「自由」が過ぎて、四角関係のもつれから、女性に刺されるという事件を起こしたりもしてますが・・・こんな画像が残っています。



 あまり知られてませんが、日本で最初に「ファーブル昆虫記」を訳出した(ただし第1巻のみ)のは、大杉なんですね。東京外国語学校に学び、もともとフランス語は得意。政治事件で投獄された時間を利用して、語学に磨きをかけ、訳出したというわけです。
 なんで「昆虫記」か?人間を知るには、まず他の動物の生活を調べることから、というのが、彼の考えだったようで、当時としては、なかなかの卓見です。

 さて、そんな大杉が、関東大震災のどさくさにまぎれて、拷問の末、愛人の伊藤野枝、7歳になる甥とともに、虐殺されるという事件が起こりました。そして、すべての実行犯とされたのが、かの甘粕正彦(当時は、憲兵隊所属)です。

 「甘粕正彦 乱心の曠野」(佐野眞一 新潮社)という本があります。虐殺事件から、終戦時の服毒自殺に至る甘粕の一生を追った読み応え十分で、重厚な1冊です。当然のことながら、本書の前半は、この事件に割かれます。

 甘粕が全ての実行犯として訴追された第2回の軍法会議では、3人の警官が、甥の殺害を実行した旨の証言が飛び出すという劇的な展開になります。しかしながら、この3人はなぜか無罪となります。結局、甘粕が3人の殺害を実行したと認定されました。
 
 最近発見された死体検案書の所見と、軍法会議で甘粕が証言した殺害方法との大きな食い違など、甘粕がすべての実行犯とする根拠は大きく揺らいでいます。
 当時の警察の上層部に責任が及ぶのを避ける(事実、当時の警察の上層部には、皇室関係者がいました)ため、憲兵隊所属の大杉が、罪を一人で被った可能性が高い、との考証過程は、迫力と説得力があります。

 陸軍士官学校では、優秀な成績でありながら、落馬事故で足を痛め、軍としては、傍流となる憲兵の道を選ばざるを得なかった無念。それに加えて、7歳の子供まで殺害した責めを一身に担う痛憤―それらが、甘粕のその後の人生に大きな影を落とすことになります。

 恩赦により、10年の刑期を2年半で出所した甘粕は、世間の厳しく好奇な目を避けるべく軍が計らったと思われるフランス滞在を経て、約2年ほど、満州を舞台に謀略活動に従事します。
 豊かな人脈、冷静沈着で大胆な行動力を発揮していたようですが、事の性格上、謎の部分が多いのも事実。
 いずれにせよ、彼に対する手厚く、まるで腫れものに触れるが如き処遇は、その一身に罪をかぶせた軍と警察の上層部の後ろめたさを、何より雄弁に物語っています。

 さて、甘粕が、表舞台に登場するのは、満州映画教会(満映)の理事長に就任してからです。

 着任後、すぐに手を付けたのが、無能な社員の首切りと、待遇改善でした。
 日本人には厚く、現地人には薄い待遇を、能力に応じて、公平かつ抜本的に見直します。実力主義、平等主義と、口で言うのは簡単ですが、当時の時代背景、空気のなかで、骨太にそれを貫きます。

 また、それまで映画といえば、戦意高揚の勇ましいもの、軍神ものばかりでしたが、「こんな時こそ、娯楽映画を提供すべきだ」との考えに基づき、製作方針の大転換も実行します。
 山口淑子を生粋の中国人「李香蘭」としてデビューさせ、日満友好を演出するという戦略的な仕掛けをしたのも彼です。
 「オレひとりに罪をかぶせた軍部にとやかく言われる筋合いはないし、言えないはずだ」ーそんな屈折した自負心も垣間見えます。

 そして敗戦。青酸カリ自殺という形で一生を終えます。胸のうちは、きっと、絶望感より無念さが勝っていたのではないかと想像します。

 冷酷なナショナリスト(国家主義者)という顔だけではない、経営センス、合理的精神に富んだ極めて優秀な実務者の顔も持ち合わせていた一筋縄ではいかない人物です。

 そんな人物と、ノンフィクション作家・佐野との格闘の跡をこの本で辿ってみるのも一興かと思います。

 いかがでしたか?それでは、次回をお楽しみに。

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