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第555回 面白「そうな」本たち-3

2023-12-22 | エッセイ
 シリーズ第3弾をお届けします(文末に過去2回分へのリンクを貼っています)。ネタ元にした「面白い本」(成毛眞 岩波新書)の続編となる「もっと面白い本」を見つけました。読んではいないのもありますので、相変わらず「面白「そうな」」となりますが、著者のガイドで3冊をご紹介します。最後までお付き合いください。

★京職人のこだわり
「京職人ブルース」(米原有二著、掘通広・絵 京阪神エルマガジン社)は、「京都の伝統工芸を支えてきたる職人たちの飾らない姿を切り取る一冊だ。」(同書から)

 塗師(ぬし)、蒔絵(まきえ)師、京焼職人、指物師、表具師、そして友禅職人などを扱っています。職人さんたちの生き生きした言葉(<  >内)が、この本を、よくある職人本とは一味違うものにしています。
<やっぱりパーマではあきませんわな>
 漆を塗るために塗師が使う刷毛には人間の髪の毛が使われているといいます。ただし、なんでもいいというわけではなく、パーマとか茶髪はダメなのです。一番は海女(あま)さんの髪だそう。日頃から潮風に当たっているので適度に脂が抜けていて、漆との相性がいいとのこと。
 蒔絵師さんが使う根朱筆(ねじふで)にもこだわりがあります。コメを運ぶ木造船の船底に住む野ネズミの背中か脇の毛に限る、というのです。米の栄養が行き渡り、野原を駆け回っていませんから毛先が擦り切れてないから、というのがその理由。「そのへんにいるネズミじゃだめなんですかね」との著者の(当然のような)質問への職人さんの答えがこれ。
<将来のことも考えて代用品はいつも考えてるんやけどね。化学繊維なんかも含めて。でも、職人の道具は昔の人らがいろいろと試した末にたどり着いたものばかりやから。まぁまぁというのはあっても、完全に代わりになるものはないよ、絶対に。>これぞ本物のこだわりです。
★ランドセル俳人の誕生
「ランドセル俳人の五・七・五」(小林凛 ブックマン社 2013年)はちょっとセツなく、哀しい本です。

 著者の凛くん(出版当時、小学6年生で、やっと12歳になったばかり)は、生まれた時の体重が944グラムの超未熟児で、水頭症の疑いもあり、毎年MRI検査が必要な体です。頭部への打撃は禁物で、入退院を繰り返しながら幼稚園に通う中で文字を覚え、物語や小説に親しむようになりました。そして、五・七・五を指を折らずに詠めるまでになっていたのです。ところが小学校に入って事態は一変します。体が小さく、視覚にハンデのある彼をいじめる同級生が出てきたのです。後ろから突き飛ばされて顔面を強打するという命に関わる暴行まで受けます。担任は無実の生徒を犯人に仕立て上げ、両親に謝らせるという卑劣な策まで講じ、本気で彼を守ってくれません。自らの命を守るため、不登校になるしかなかった凛くん。家族の心の内を想像するだけで胸が締め付けられた、との成毛氏の思いは私も存分に共有しました。
 しかし、凛くんは文才を授かっていました。不登校となって家で作った句は300を超えました。ある時、お祖母さんから「凛、生まれてきて幸せ?」と聞かれ、「変なこと聞くなあ、お母さんにも同じこと聞かれたよ」と答え、作った句です。
<生まれしを 幸かと聞かれ 春の宵>(同書から) そして、こんな句も。
<春嵐 賢治のコート なびかせて>「ーー嵐のような日、コートのえりを立てて歩いていると、宮沢賢治のコート姿の写真を思い出しました。(10歳)」(同)
<乳歯抜け すうすう抜ける 秋の風>「ーー乳歯が抜けました。息をすると、そこだけ風が通り抜けるようです。(9歳)」(同)
 出版から10年。立派な青年に成長され、活躍しておられることを願わずにはいられません。
★小説より奇なる平和
「謎の独立国家ソマリランド」(高野秀行 本の雑誌社)の著者は冒険作家です。私も、この本を含めいくつかの作品に接してきました。

 ソマリランドは、アフリカ大陸東北部、ソマリア共和国の北半分ほどを占める「自称・独立国家」です。南半分の正規国が内戦状態で、国民の生活も苦しい一方、ソマリランドは、平和で、食べ物には困らず、携帯電話まで使えるというのです。著者が探り当てた秘密の一端は、アラビア語の「へサーブ」(精算)という仕組みと、その掟を指す「ヘール」という言葉にありました。
「へサーブにおいて重要なのは、誰がやったとか何が原因とかでなく、人が何人殺されたとかラクダが何頭盗まれたかという「数」だといいます。例えば、人が一人殺された場合、殺した側はラクダ百頭を被害者の遺族に差し出して償う。ソマリ人の伝統的な掟を「ヘール」というらしい。ヘールに従い、まさに「精算」していく。」(同)
 族長とか長老が決めたヘールに従うことで争いごとが解決し、平和な生活が維持される仕組みです。ソマリランドは、かつてイギリスが、現地の制度や社会の仕組みを尊重しつつ統治する間接統治をしていました。そのため、族長や長老が争い事を仕切るへサーブという仕組みも存続し、平和が維持されているというのです。
 一方、南の共和国は、イタリアが自国の制度を持ち込み、直接統治しました。そのため、争い解決の有効な手段がなくなり(現地ガイドの「戦争のやめ方もわからない」との発言をを著者は引用しています)、争乱状態が続いている、というのが、現地の人たちとの交流を通じて得た高野の分析です。へサーブの件をあくまで一例として、単なる冒険、探検を超えて、そこまで踏み込んだ取材ができる高野氏のパワーにあらためて感服しました。
 いかがでしたか?過去分へのリンクは<第523回><第543回>です。もう少しネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。それでは次回をお楽しみに。