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第495回 言葉との格闘技

2022-10-21 | エッセイ
 格闘技が大好きな言語学者の本を新聞の書評で見かけて、早速読んでみました。「言語学バーリ・トゥード」(川添愛 東京大学出版会)がそれで、いかにものハデな表紙です。


「バーリ・トゥード」というのは、ルールなしで戦う格闘技の一種だそう。あくまで軽いノリで、いろんな言葉、用法などと「格闘」する著者の戦いぶりを存分に楽しめました。いくつかの話題には、私も時々「乱入」しながら、ご紹介します。

★「こんばんは」事件★
 事件が起こったのは1981年のことです。アントニオ猪木(先日、亡くなられました)が率いる「新日本プロレス」の興行に、二人のレスラーが殴り込んできました。国際プロレスという団体から流れてきた、ラッシャー木村とアニマル浜口(アマチュアレスリングで活躍した浜口京子選手のお父さん)です。
 木村も浜口も所属していた国際プロレスが解散となり、裏ではいろんな事情があったのでしょうが、新日本プロレスのリングに上がることになりました。かつての敵団体からの参加ですから、会場は騒然となります。猪木やそのメンバーたちが睨みつける中、リングアナから木村にマイクが渡されました。皆が固唾を呑んで注目します。その時、発せられたのが、「こんばんわ」でした。
 会場のファンからは、爆笑や失笑が漏れたといいます。夜の挨拶として、ごく普通の「こんばんは」が、なぜこんな事態を招いたのかを著者は分析しています。
 まず考えたのは、人と人があらん限りの力と技を繰り出して戦うプロレスという「非日常」の世界に、「日常」を持ち込んだギャップではないかということです。でも、「非日常」「日常」という説明には、著者自身も納得できなかったようです。そこで、落ち出したのが、「敵」に対して使うのは不適切だから、というごくまっとうな結論。考えてみれば、挨拶って、敵意がないことの意思表示ですもんね。結論は通り一遍でしたけど、懐かしいエピソードを思い出させてくれました。

★「一般化」の功罪★
 子供が言葉を覚える時、「一般化」というのは大事なことです。例えば、犬とはどういうもの、猫ってどんなもの、というのをいろんな犬や猫を見る中で、自然に身につけていきます。また、限られた数の現象や観察から、法則を見つけ出す「一般化」も科学の進歩に欠かせません。
 SNSの時代になって、その炎上や誹謗中傷が話題に上ることがあります。その要因のひとつが、
「過剰一般化」だと著者はいいます。例として、「あの国って」「みんなが」「男は」「女は」などのように「大きな主語」を使って、過剰に一般化するようなケースを挙げています。そして、こんな例も。「外国での長期滞在を終えて日本に帰ってきたばかりの人が、SNSに久しぶりの日本の印象を「みんな日本人」のように書き込みました。共感する人と、日本にいるのは日本人だけじゃない、と反発する人があったといいます。SNSの普及が、こんなところにも言語学上の話題を提供しているんですね。

★「変な言葉探し」という娯楽★
 研究に必要だから、ということから出発して、「変な言葉探し」が楽しみになるってことが、言語学者にはあるようです。ただし、「イライラを鎮めるために、違法な薬物に頼らないようにしましょう」のように、読み方によって違う意味のなってしまうものを「誤用だ、誤用だ」と岡っ引き的に取り締まるのではなく、「変な言葉」をポジティブに「愛(め)でる」のが著者のスタンスです。著者の収集例のいくつかをご紹介します。
<カワイイはつくれる!>(花王)
 「カワイイ」は形容詞ですから、主語にするのは変です。本来なら「「カワイさ」は作れる」とでもすべきところでしょう。でも、それではCMのキャッチコピーとして、面白くもおかしくもありません。「カワイイ」という形容詞を主語にして、インパクトのある表現を思いついたコピーライターのセンスが光ります、
<パンにおいしい>(よつ葉バター)
 地球にやさしい、肌にやさしい、の応用形みたいですけど、「パンにとっておいしいわけとちゃう(違う)やろ。おいしいと感じるのは人間やで」と関西のオッチャンからツッコミが入りそうです。「パンに(塗って食べたら)おいしい」の省略形とも言えますが、このコピーも作ったもん勝ち。「ご飯に」「みそ汁に」などいくらでも応用が利きます。
<海老名市最高層を、住む>(小田急不動産)
 「に住む」じゃあ当たり前。どこからこの「を」を思いついたんでしょう。著者の知人の言語学者は「「に」を「を」に変えたことによって・・・「定住する場所」という静的なものから、「人生の通過点の一つ」のような動的なものに変わったのではないか」との仮説を出してきました。なるほど。でも私は、「最高層「を」自分のものにして、そこ「に」住む」というダイナミックな表現だと感じています。

 いかがでしたか?まだ少しネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。
 それでは次回をお楽しみに。