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第480回 たけしの時代と高田文夫

2022-07-08 | エッセイ
 以前、ビートたけしの芸を、さんま、タモリと合わせ、取り上げたことがあります(文末にリンクを貼っています)。たけしについて、もう少し掘り下げてみたいと思っていた折、「江戸前で笑いたい」(高田文夫編 筑摩書房)という本に出会いました。そこでは、数多くの芸人の話題が取り上げられ、芸談も収録されています。中でも、たけしを売れない頃から支え、育ててきただけあって、彼を巡る編者・高田の語りが秀逸です。本書に拠りながら、「あの時代」を振り返ってみることにします。
 
 たけしと高田の付き合いは、浅草でのツービート漫才の時代まで遡ります。お年寄りとか国籍ネタは、劇場ではウケますけど、テレビでは放映できないアブない芸風です。でも、高田は、その面白さを認め、毎晩のように彼と付き合いました。
 折しも、関西から起こった漫才ブームが東京に飛び火し、MANZAIブームとなりました。続々と放映されるお笑い番組では、紳助・竜介とか、B&B,、ぼんちなど関西のイキのいい若手が、出来のいい「台本」をベースにどんどん笑いを取っていきます。
 神経質なところのあるたけしは、そんな流れに落ち込みつつも、数少ない東京代表のつもりで工夫を凝らすのです。高田と飲みながら出た話題を「こんな馬鹿がいてさぁ」などとドキュメント風に折り込んでいきました。そして、そんな関西勢とは一線を画したやり方が大いにウケたのです。お笑いの世界に造詣が深いイラストレーター・山藤章二氏の言葉が同書で引用されています。
「MANZAIブームっていうのは、フィクションからノンフィクションの笑いへの変化だ」まさに至言。たけしが漫才の世界を大きく変えました。

 そんな昭和55年の暮、ラジオの深夜トーク番組「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)から、高田に相談がありました。急遽翌年1~3月までをツナギで担当できるタレントが必要になったというのです。そして、その候補として「高田さん、ツービートってバラ売りしないんですか。あのちっちゃい、よく喋る方、面白い方だけ貸してくれませんか」(同)と提案されました。さすが目利きが多い業界です。「バラ売り」ですから、事務所、本人ともよく相談した結果、高田がスタジオで側に付くならいいだろうということになりました。2018年12月の復活「オールナイト」の宣伝画像をニッポン放送のサイトから拝借しました。


 1月1日から生で放送とばかり思っていたたけしと高田ですが、その分だけは事前収録となりました。もともとアブない芸風ですから、問題ありそうなところはカット出来るよう、との配慮だったようです。そして、冒頭を飾ったのが、以前の記事でもご紹介した高田作のこのセリフ。
「さあ、今日から始まった「たけしのオールナイトニッポン」。この番組はナウな君達の番組ではなく、完全に私の番組です!!」世の中の偽善を吹っ飛ばすパワーがありましたねぇ。

 さて、最初の2~3回は、高田は進行係として「次はウンコの話」などとメモを渡していました。でも、彼もしゃべりは得意。ごく自然な流れとして、トークに加わるようになり、たけしのパワーが爆発します。たけしが出演した「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)での撮影を巡るやりとりが同書に採録されています。映画の冒頭シーンです。トカゲがドアに張りついていて、カメラをパンさせると囚人が映ります。南方の収容所の雰囲気を出す演出です。(以下、同書からトークの一部を引用します)

たけし「でも、用意スタートでトカゲを針金で留めておいてパッと放すと、サーっとトカゲが逃げちゃう。それが(タイミングが)早すぎるんだよね。でさ、だめだ、そのトカゲ!下手くそ!」
高田「下手くそ、下手くそなトカゲ」(拍手)
た「「ダメだ!どこの事務所だっ」」
高「どこの事務所、ヒャハハハ」
た「どこの事務所もないって」
高「アーハッハッハ」
た「「トカゲに言っとけ、トカゲに。3秒止まれって」」
高「クワッハッハ」
た「止まらないって。トカゲなんか3秒止まんないんだよ、手を放しゃサ。「もう1回いくよ。ヨ^ーイ・スタート。ウッ、ムッ。トカゲッ、チェンジ!」
高「チェンジ!」
た「「もっとうまいトカゲいないか」っていないんだよ」
高「うまいトカゲ、ケケケ」

 まだまだこの話題での絶妙なトークは続きます。「ノンフィクション」な笑いの一端を堪能いただけたでしょうか。3ヶ月の予定が、丸10年続くオバケ番組になったのも当然です。つくづく刺激的な時代だったなあ、と遠くを見つめる目になってしまいます。
 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。