★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
           毎週金曜日更新

第483回 裁判所に出頭した猫の話

2022-07-29 | エッセイ
 話のタネにでもと、だいぶ前に離婚裁判を傍聴したことがあります。結構緊張感のあるやりとりがあり、どんな形にしろ、私自身が裁判に関わるのは御免こうむりたいものだ、と感じたことでした。
 以前、「裁判でマジックショー」(文末にリンクを貼っています)という記事をお届けしました。時には、脱力系の流れになることもあるようで、顛末のほどは是非記事でご覧下さい。

 さて、ロシア語通訳・エッセイストの米原万理さん(1950-2006)の「米原万里 ベストエッセイ2」(角川文庫)を読んでいると、裁判と動物が話題になっていました。そのエッセンスのご紹介です。彼女の画像に、後ほど話題にします猫のイラストを配してみました。


 著者によれば、中世ヨーロッパでは、動物が訴えられて裁判になったケースが結構あるといいいます。教会の重要書類を食べた罪で、ヤギがムチ打ち100回の刑を受けたり、果樹園を荒らし回った豚の親子が蒸し焼きになった例が掲げられています。中には、麦畑を丸裸にしたイナゴの一族に火刑の判決が下りましたが、全員を逮捕できず、執行が中途半端に終わった、なんて笑える例も。

 さて、20世紀も残りわずかな日、某クオリティー・ペーパー紙の国際面が米原の目にとまりました。「猫、裁判に出頭」との見出しで、lこんな内容です。
 ベルギーのブリュージュ市で、猫のダルタニアン君が、裁判所に出頭することになりました。被告としてではなく、証人として。
 被告は、その猫の飼い主で年金生活者のカトリーヌ・ジイドさん(68歳)。スーパーマーケットの店主から窃盗容疑で訴えられていました。店内で挙動不審な彼女を問い詰めたところ、バッグの中から店の値札が貼ってある猫用かんづめ12個が見つかったのです。自前のバッグの持ち歩きはOKですが、商品はレジを通すまでは、店のバスケットに入れて運ぶのがルールです。

 裁判でのジイドさんの言い分です。
「店からかんづめを持ち出したなんて、とんだ濡れ衣(ぬれぎぬ)ですわ。むしろ、逆。私は前日購入したあのかんづめを、お店に返却するつもりでバッグにしのばせてまいりましたの。だって、ダルタニアンちゃんのお口にあわなかったんですもの」(同書から)
 そこで裁判長は、その飼い猫に証人として出頭するよう命じました。当日、空腹にさせられて、くだんのエサの前に座らされました。すると・・・・
「ダルタニアン君は皿に鼻先を近づけひと嗅ぎすると、フンと汚らしいものを避けるように、その場をスーッと離れたのだった」(同)
 そこで、裁判長は自信を持って、ジイドさんに無罪を言い渡しました。

 話には続きがあります。この「事件」を報じた「ヌーヴェル・ブリュージュ」紙が、この判決に疑問を挟んでいるのです。「ダルタニアン君の「証言」はそれほど強力な根拠たりうるものだろうか?おおよそ猫たるもの、馴染みのない場所でモノを食うのを好まないものだ」(同)との主張です。わざわざ異を唱えるほどの事件でもないと思うのですが、愛猫家で知られる米原は、この主張に大いに賛同しているのです。自身のこんな体験をもとに。

 彼女が、愛猫2匹を連れて、妹の家に、初めて泊まりに行った時のことです。愛用のエサ、容器、トイレなど持参で行ったのですが、猫たちはソファの下に潜ったままで、出てきません。好きなエサを、目の前においてもすーっと遠ざかるだけ。猫にとって、慣れない場所というのは、それほど目一杯の緊張を強いるものらしいのです。

 ブリュージュ紙と米原さんの主張にはなるほど、と感じつつも、私にも腑に落ちないところがあります。毎日世話をしている猫ちゃん愛用の缶詰を間違うって、ちょっと不自然です。また、返金なり返品を要求する(それが可能だとして)ならば、店内に持ち込む前に、レジとか受付で申し出るのがルールでしょうね。猫を証人(?)として呼ぶ顛末は楽しめましたが、世の中の常識で解決できる事件かな、との感想も抱きました。なお、冒頭でご紹介した記事へのリンクは、<第322回「裁判でマジックショー」>です。合わせてご覧いただければ幸いです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。