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第183回 江戸城のトイレ

2016-09-16 | エッセイ

 昔、こちらは大してエラくもなかったのですが、仕事上、やむを得ず、さる官庁の幹部を表敬訪問したことがあります。

 幹部の部屋に通じる総務課に顔を出した時、私を見るや、その課の全員が、ガバッと立ち上がったのには驚きました。課長とか、幹部付きの秘書とかなら分かりますけど、「全員」ですからね。
思わず「いやいや、お気遣いなく。どうぞおかけください」と声をかけつつも、エラいプレッシャーを感じてしまいました。

 訪問者に対して、こういう敬意の表し方もあるのだな、と思ったものの、あとで、よくよく考えてみると、そう単純でもない気がしてきました。むしろ、「これからお会いいただく幹部は、すごくエラい方なんです。そのエラい方にお会いになるアナタも、エラい「はず」ですので、こうして敬意を表しているのです」というメッセージなんですね。
 格式、ランクを重んじる日本で、自分たちの権威を誇示するいかにも役所ならではのやりかただなぁ、と感じたことでした。

 さて、日本の歴史を振り返った時、いつの時代にも、格式、しきたりが重んじられてきました。貴族社会、武家社会を経て、それが頂点を極めたのが、江戸時代と言っていいでしょう。
 政権が安定して、戦さでの手柄はあげようもない平和な時代に、将軍が権威の頂点に立っていることを示す手段は、武家の家格をこと細かく規定して、それに応じたしきたり、ルールを厳格に守らせこと。そこからは、時に滑稽ともいえる状況が生じることになるわけで・・・

 「江戸城のトイレ、将軍のおまる」(小川恭一 講談社)という本があります。

 今から江戸時代にタイムスリップして、藩主にでもならない限り絶対に必要でない、無駄な知識を面白おかしく読ませてくれます。さしずめ「お笑い江戸城のトリビア」といった趣の本です。いくつかのエピソードをご紹介します。

 タイトルにある通り、まずは江戸城と将軍のトイレを巡る問題が取り上げられます。
 将軍外出時の小便器(当然筒状のもの(笑))を必要な時、差し出す(?)のを代々役目としている家(土田家)の存在、あの不自由な服装(衣冠束帯)で用を足す涙ぐましい工夫、トイレでの人違い殺人事件など、下世話で愉快な話題が続々と登場します。

 「家の格」という問題も、とてつもなく厄介。著者自身が、「藩主自身もよくわからなかったのではないか」というくらい。関が原以来の徳川家との親疎だけでなく、石高、領地に城の有無、本家、分家、姻戚関係などなどが、縦横無尽というか複雑怪奇に絡み合う世界らしい。

 そして、その格が武家社会のありとあらゆる場面を規定します。
 江戸城への登城(月一度と五節句が中心)に限っても、供揃え(行列の規模、鑓をどこに何本配置するかなどなど)、身なり、どの入口から入るか、などこと細かな決まりがあるから大変。

 行列を見ただけで、どの家であるかを瞬時に判断し、城内に伝えるのを代々職務にしてきた家があり、また、それを判断するための手引書が市販されていた(一般の武士、町民にとって、楽しみの少ない時代。登城行列を見るのが何よりの娯楽という側面があった)というのも面白い。

 城の奥に進むにしたがって、供の数は減り、最後は藩主ひとりとなる。
 やたら広くて、部屋の数も半端じゃない複雑な城中。格に応じて待機すべき部屋も定められている。部屋を間違えて、降格になった家もあるというから、大変。藩主の不安、推して知るべし。
 そこはそれ、俗に言う茶坊主の存在理由もそこにあるわけで、折々の付け届けを欠かすわけにはいかなかったらしい。

 映画「忠臣蔵」などでお馴染みの長袴(裾をずるずる引きずる、例のやつです)も、前の人の裾を踏まず、後ろの人に踏まれないようするにはそれ相応の技術が必要。というわけで、裾さばきを秘かに家で練習していた、なんてエピソードも語られます。なるほど、二人とも長袴。ご存知、松の廊下での刃傷沙汰です。



 そういえば、「社長お目見えは、部長以上!」なんて社内の活性化・コミュニケーションを自ら阻害するような「しきたり」を作っているような会社は、江戸幕府と同様、組織の硬直化、大企業病に罹っていると断言できる。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。