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第160回 執念と緻密さとーある復讐譚

2016-04-08 | エッセイ

 先日は、お店で、いつもご愛読いただいている居庵さんとご一緒しました。ヤハギさんも交えて、居庵さんゆかりの山形やら、エスペラント語の世界やら、いろんな話題で、知識の「ひけらかし」大会みたいになり、楽しかったです。今回は、シリアスな話題をお送りしますが、居庵さんの「ツッコミ」「ひけらかし」コメントが楽しみです。それでは、本題に入ります。

 1960年、アルゼンチンに逃亡・潜伏していた元ナチの親衛隊(SS)将校のアイヒマンを、イスラエルの諜報機関(モサド)が探し出して、自国に連行しました。裁判で死刑判決を受け、絞首刑に処されたのですが、これらの一連の成り行きは、私の記憶にくっきりと残っています。

 何かと言えば、都合の悪いことも含めて、過去のことは「水に流す」のを好みがちな日本人と、何たる違い!草の根を分けても、という言葉がありますが、その執念に心底驚きました。

 「復讐者たち」(マイケル・バー=ゾウハー 広瀬順弘訳 ハヤカワノンフィクション文庫)という本があります。ホロコーストに関わったナチスの高官、SS、収容所の幹部などに対する知られざる復讐譚の数々を、当事者(全員が普通の市民として平穏な生活を送っている)の聞き書きで構成したものです。こちらが表紙。



 なかでも、とりわけ凄まじいエピソードをご紹介しようと思います。

 ヨーロッパでの戦争が終結した1946年の年明けから計画は本格的に始まります。約50名のユダヤ人からなる暗号名「ナカム」(ヘブライ語で「復讐」を意味する)のグループの目標は、ニュールンベルグの捕虜収容所にいる3万6千人の元SS隊員に毒を盛る、というもの。

 まず、仲間のひとりを運転手として、もうひとりを倉庫の管理人として送り込むことに成功します。その結果、近郊にある特定のパン屋から、毎日、数千個のパンが食料として運び込まれている、ということが分かります。パンの作り方、材料、オーブンの温度、配達方法、受刑者に支給される時間など、情報は精緻を極め、現物のパンを入手します。

 これらの情報をもとに、毒の研究へと段階は進みます。実際に、実験所を設けて実験を重ねます。毒が強すぎて、先に食べたSSが、ばたばた倒れれば疑われますから、遅効性(効果が出るのに時間がかかる)で、かつ効果が確実な毒物として、砒素が選ばれます。そして、その毒を刷毛でパンに塗ることが決まります。連合国側の厳しい警備、終戦直後の混乱の中で、ここまでやってしまう緻密さと執念。

 4月の決行当日を迎えました。パン工場に送り込まれていたメンバーは、服に隠して、毒物を持ち込み、配達までの間、パンを一時的に保管する倉庫に、3人が忍び込み、パンに毒を塗る作業を開始します。ところが、当日は、嵐となり、強風で外れた木製のシャッターがガラス窓を破って、大きな物音を立てた。パンが貴重な食料であったので、すわ盗難か、ということで、夜警がかけつけ、警官まで駆けつける事態となった。

 メンバーは、あらかじめ用意していた床下に道具類を素早く隠す一方、パンをまき散らし、パン泥棒が入ったように見せかけ、塀を乗り越え、見事に逃げおおせるのです。このあたりの用意周到さにも驚きます。

 当初、1万4千個のパンに毒を塗る予定が、そんな事態で、2千個になりましたが、それなりの結果をもたらします。ニュールンベルグの新聞では、1万2千人が砒素中毒になり、数千人が死亡したと報道されましたが、元メンバーは、約1千人が死亡したと推定しています。いずれにしても、ものすごい「大量殺人」です。連合国側も事件の原因は解明しましたが、犯人の特定まではできませんでした。

 ユダヤ教の教義では、もちろん殺人は許されません。それでも「殺人」という形での「復讐」へ彼らを駆り立てたものが何なのか。
 「人を殺した嫌悪感はありました。しかし、悔いはまったくありません」「誰から命令された訳でもない。自分で責任を取ろうと思い、「復讐」という手段を選びました」「あのような恐ろしいことがあったからには、こんどはあの虐殺者たちに悲鳴をあげさせる別の恐怖があって然るべき」
 「復讐」にかかわった人たちの発言の一部です。
 読後感の重い一冊でした。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。