さっき昼過ぎから数時間で遂に20、21と発芽した
二十ノ助
二十一ノ助
数時間前の19は多分これだったかな
もうどれが何番目かわからなくなって来た
昼過ぎにゴーヤの定点観測をしてから
譜面を幾つか作り
それらの曲へのアプローチを考えながら
イマジネーションの中で音楽し
時間の観念を手放していると
5時のチャイムが聞こえ僕はふと現実に戻った
ゴーヤの夕方の定点観測をしにベランダへ降りた
二つの新しい発芽を確認し
机に戻り
暗くなって来た窓の外を眺め
無意識に明かりを点けたが思い立って消した
Della師匠とは
日常に存在するノスタルジーの入口
というものについて何度か話をした
これはお互いが強く共鳴する部分だ
ノスタルジーの入口は何処にでも在り
それは或るタイミングで開くのだと僕は思う
このまま暗くなる時間の流れの中に居よう
これは毎日必ず1回開くノスタルジーの入口だ
窓を開けたままボーッとする
配達の車か
荷物を積む音が遠くから聞こえ
そしてすぐ音はしなくなった
原付のエンジン音がして
これも無くなった
雀が1羽
心細げな声で遠くで鳴いている
向かいのお宅の電灯が点く
とても遠くから飛行機の音が聞こえ始め
それは大海原を悠々と泳ぐグジラのように
ゆっくりと時間をかけて音の位置を移動させて行く
風とも呼べないほど微弱な空気の動きを感じる
この部屋では夕餉の匂いはしない
師匠は通勤途中に
夕餉の匂いと音をリンクさせる達人である
リンクさせた嗅覚と聴覚とに意識を集中し
視覚はぼやかして受信する
それもノスタルジーの入り口の開き方の一つだ
多分
ノスタルジーへ入って行くことを
一番に阻害するのが視覚だろう
忙し気な街の雑踏の中
周りに迷惑がかからない安全な位置に立ち止まり
目を瞑るだけで
多分ノスタルジーの入り口は
誰にでも現れる
僕がゴーヤの新芽をいくら凝視していても
彼らが成長する動きを感じ取ることは出来ない
それと同じように
明暗の変化は感じられないくらいゆっくり進行し
確実に窓の外は暗くなって行く
長く尾を引く音の余韻がゆっくり消えて行くように
動物の遠吠えに哀しさを感じるように
僕はノスタルジーの入口から
向こう側に入って行くのだ