Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

心の置き場

2017-04-22 | ギターの栄養


この世界が少なくとも5次元以上で出来ていることを
最近自分なりに理解出来たように思うのだ

理解とか、意識、出来たことで
僕の日常は
穏やかさが安定したように思う


それは目には見えないことの話だから
なかなか気付かなかっただけで
解ってしまえば簡単で当たり前なことだった

一応付け加えておくと
これはオカルト的な話ではなく
至って普通のことの話だ


太陽の光は目に見えない
しかも
♪手のひらを太陽に透かして見れば♪
手はオレンジ色になり
光は手のひらを貫通さえしていることを知る

空気も目に見えない
音も目に見えないのに受け手の心に作用する

目に見えない存在は当たり前にこの世界に沢山在る


5次元目も
そういった1つなだけだと捉えたのだ



縦横高さで3次元
時間をプラスして4次元

そして5次元目は
自分の心が共鳴する周波数フィールド
ということにした

勿論、もっと多次元であることが
人間は未来に意識出来るようになって行くのだろうから
現時点ではとりあえず
5次元目、までで
そこを共鳴周波数フィールド
としておくのだ


。。


自然の摂理では
同じ周波数のもの同士は共鳴し
違う周波数のもの同士は共鳴しない


これを日常的な世界に例えて説明するとしたらこんな感じになる


自分が主人公の2つのシチュエーションAとBを設定する


どちらにも自分は居て
時間の流れも状況設定も同にする


またABどちらにも自分にストレスを与える存在である人物「X」
が目の前に立っていて
自分に向けて嫌味を言って来たり
もしくは
こちらの価値観を蹴散らすような強い自己顕示を押し付けて来る

AB
登場人物も設定も全く同じにした上で
自分の心の周波数だけ違うものに設定し
ストーリーを進める



Aの自分は
普段から 自分の精神内部の恐れや怒り
また被害者意識といった感情を
コツコツとコントロールする訓練をしていた

Bの自分は
普段からストレスを感じると
その対象に対しての不満や嫌味を放ったり
被害者意識を募らせる習慣がついていた


今 目の前の「X」からのマイナス言動を受けて

Aの自分は
普段の訓練により
そのマイナス周波数に共鳴しなかったため
相手のマイナス言動に対し「無関心」で居られた


苛立ち
不安
怒りなどは
相手がぶつけてくるものではなく
正確には
相手がぶつけて来たマイナスに
自分の内部に既に存在しているマイナスが共鳴したものなのだから
自分の内部を浄化しておけば
マイナスに共鳴は起こらない

そして無関心で居られたその結果
自分の悦びも乱されることなく
普段通り和やかに過ごした


「X」は
共鳴しない相手に マイナスをぶつけても
暖簾に腕押しであり 虚しさを感じるため
間もなく自らその場を立ち去った


総じて
Aの自分の周りには マイナスの波紋が
1つも起こらなかったことになり
Aの自分の悦びというストーリーには
「X」は登場も存在もしなかったことになる





逆にBの自分は
マイナスに対し
負けじとやり返す習慣があったため
相手からのマイナス言動に共鳴してしまい
自分の心地好さを非常に乱されることになった

心地好さを乱されることで
更に自己のマイナス感情は増長し
負のスパイラルに引き込まれ
これが連続すると
負の底無し沼に沈むことになる




この仮定したようなシチュエーションは 我々の日々の現実の中
有り余るほど溢れている

どちらを選択するかの全ては自分の中にのみ答えがあり
相手の言動は一切関係無い



自分の精神の周波数設定
を自由に選択出来るのが
5次元目の世界
だとイメージすることが出来る


もう一つ例え話をすると

自分の気に入ったマグカップを
何処にしまうか(縦横高/3次元)
いつ しまうか(時間/4次元目)
我々は日々日常の中で選択している

大切なマグカップだから
壊れないような場所(縦横高/3次元)を選択し
使った後は放置せぬようにすぐに洗って(時間/4次元目)
万が一でも壊れないように大切に扱いながら
(心の持ちよう、という5次元目をプラスしながら)
片付ける


心の置き処としての精神フィールドを意識していると
低周波フィールドから高周波数フィールドまで
幾層にも重なる精神フィールド層がイメージとして観えて来
自分にストレスを与える存在が
自分より低い周波数フィールドに居ることを俯瞰出来る


もし自分にストレスを与える存在に
生々しい不快感を感じたとしたら
それは
自分も相手と同じ低周波ストレスフィールドの住人であるということであり
ならば自分も知らぬ間に
誰かにマイナスストレスを与えているであろう証とも言えよう

そう思い当たると恐ろしくなる
改めて自戒を促さざるを得なくなる



「好き」の反対語は「嫌い」ではない
「無関心」なのだ


ストレスを感じる場に共鳴せず(その周波数を好いたりせず)
無関心で居ることだ

これが5次元目の使い方

僕は最近理解したのだった



そして僕にとってのこういった気付きは
音楽に触れることから導かれたように感じているので

音楽を介して縁が出来た人たちとも
(現実に会っていても会ってなくても)
この根元的な気付きと
気付きからから得られる安堵感
そして安堵感から自然に生まれて来る生産感
などを共有出来そうだな
なんて思うのだ



僕はもう
音で表面的な喜怒哀楽を描いたりせず
こういう共有を願いながら
ただ慈しみながらギターを弾いて行きたいと思っているようだ


























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