Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

浦賀ベテルの家さんとのご縁に思うことのメモ

2016-05-28 | 榊原長紀 「キミと僕」



今は亡き灰谷健次郎さんが
障害のことを個性と呼び
その理由を著作物で幾つも明確に掲げておられる

それはどう歪曲しようとしても不動だにしない
明確な人間倫理だ


僕のように一般的な生活を送って来た人間でさえ
人に言えぬ葛藤の多少はあるのだから

健常者と呼ばれる人等が大枠を作ったこの社会
の仕組み、利便性の中で
障害と言う呼び名を付けられた人達は
いろんな不安や生きづらさがあるだろう


でも自分の中の固定観念を取り去り
少しでもアンテナを伸ばせば
すぐにそういう存在と触れ合う事が出来る



例え直接浦賀ベテルの家を訪問しなくとも
例えば「キミと僕」が取り扱いのご縁が繋がらなかったとしても
自分の身の回りで出会う人達の心の中に
生きづらさはいくらでも存在しているのだから
健常者でも障害者でも垣根を作らず
リスペクトすれば良いのだ





今回
菊地康之さんのご尽力により
ベテルさんとのご縁が出来たこと
誤解を怖れず言ってみるなら
単純に嬉しいとか光栄とかいう類いの感情とは
少々違うように思います


自分が普段生きている波長が
こういう場所と同調出来たのだな

思うばかりなのです


少し抽象的な言い方ですが…

僕の中に既にベテルは在り
ベテルには既に僕が内包されている

ベテルは
どの地にも誰の心にも
最初から在って然るべき存在の象徴なのでしょう





自分が
今まで見たことも無い風貌で
見たことの無い動きをし
聞いたことの無い声を発し
体験したことも無い触れ合いをしてくる相手
が居たとしても

その相手の発する信号を
心の芯で真直ぐキャッチ出来れば
すぐに仲良く慣れる

僕にとって
ただそれだけのことなのです


そしてその経験はお互いの人生に
歓びを運んでくれる




また1つ
大切な確認が出来ました






















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