Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

僕の先生

2016-05-27 | ギターの栄養



岡山から戻ってすぐ
部屋を閉め切った状態での録音作業を数日していた


岡山から持ち帰った心身内の熱がなかなか鎮まらない中
逆上せた状態で数日仕事したのだが
録音が一段落ついたので
今日は久しぶりに窓を開けて過ごしている



外の木々の葉をそよがせてから
風は家の中を抜けて反対側の窓から出て行く

その通り道に僕の仕事机がある

そこに座って譜面を書こうとしているが
なかなか手が動かない



今日は少し風が強く
木の葉がそよぐ音や鳥の鳴き声に混じって
小さくピューと風が啼く

遠くから聞こえる人の気配も
自然の景物の1つとなって溶け合っている



心地良さに身をまかせてこのまま何もせず
この中に身を置いて日が暮れるまで過ごしたい

だから全然手が進まないのだ


金銭的に贅沢な暮らしを望まない僕は
このまま手を止めたまま
今日という1日をこの自然美の中でボンヤリ過ごしても良い

ベランダのプランターに種を蒔けば
誰に労働報酬を支払うことも無く
太陽と水と土が野菜を育くんでくれる

吉岡一門に「師は誰か?」
と問われて
「森の木々、動物、自然の全て」
と答え小馬鹿にされながら全員を打ち倒した武蔵が居る


人が人をつかまえて
教えることが出来る事なんて実のところ何も無いのだ
全ての啓示は人知の及ばぬ自然の中から発せられており
人は自然から発せられる教えの伝承を担うだけ

自分の心が豊かに生きて行けるくらいのものを手に入れるに
人が作り出したシステムの中で
心が追いつめられる程働く必要は全く無い

どうしてもそのシステムの中に
封じ込められて抜け出せないなら
そこから解放される未来をイメージして今を生きればいい

少しは滞った心中に流れも戻るだろう




しかしなぁ
後数日後に控えているRHの譜面を何も作ってないので
これは悠長な榊原さんもさすがに重い腰を持ち上げねばならないのだ

負った責任の手を抜けば
その報いは自分に負の現象となって戻るだけだ

それは恐ろしいことである
だからやらねば

そこまで考えが巡ってもまだ重い腰が上がらない



心が震えるような美しい音を出したくて
紆余曲折試行錯誤し続けているが
自然の美には到底適わないと思うことがよくある

僕如きがギターなんぞを弾かなくても
世界中の人々それぞれの身の回りに
自然美が満ちているのだ

今日を限りにギターを辞めるか...

いやいや今日までギターしか弾いて来なかった人間から
それを取り上げるのはあまりに殺生


然して拙子に残された唯一の善き道は
己自身が1ミリでも自然美に近づくべく
弾き生きて行くということになる


こんな想いの繰り返しが僕の日常だ




だから今日の僕の先生はこの方






















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