時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百八)

2007-02-11 09:39:49 | 蒲殿春秋
北条時政からは頼朝の挙兵への協力を要請する文が既に来ていた。
さらに、信義の弟加賀美遠光の元には
かねてから親交のある隣国信濃佐久郡の平賀義信から
信濃国内でも反平家の動きが有ることが伝えられていた。

一族の意志、周囲の動向を知った武田信義は反平家に立ち上がることを決断した。

まず、平家に最も近い立場の有義を自分の館の中に幽閉した。
在京している一族に甲斐への帰郷を促す文を発した。
ついで国衙から平家寄りの官人を追放し平家方人所領を没収した。
それは以仁王の代官たる源信義の名において行われた。
頼朝が伊豆で行ったのと同様の仕儀である。
さらに、近隣の平家勢力に対抗するため軍勢をつけた一族を各国境に配備した。

この事実は駿河、相模の目代や平家方人にも知られた。
伊豆には頼朝、甲斐には武田一族が反平家勢力として存在することとなった。

八月二十三日、石橋山の戦いで頼朝勢力は壊滅の打撃をうける。
その余勢を駆って駿河目代橘遠茂、相模の俣野景久が
石橋山敗戦の残党狩の名目で甲斐に兵を入れようとしたのだが
国境にいた安田義定らに逆に撃退された。

その間伊豆、西相模の頼朝の配下にいたもののうちの一部は甲斐に逃げ込んだ。
信義は彼らを快く受け容れた。
頼朝の生死が不明なその時点で甲斐は反平家の唯一の拠点となっていた。

甲斐一国を完全に掌握した信義の次の目的は以仁王の令旨を盾に
他国へ勢力を拡大することだった。
甲斐源氏には一つの悲願があった。
山に囲まれて主要な交通路からも離れた場所にある甲斐。
どうしても交通の要所、とりわけ海に通じる道が欲しい。
それには国を接する駿河や遠江に進出するのが一番手っ取り早い。
その他できれば信濃上野に進出して東山道の要地も占領したい。

ここ甲斐に戦に敗れた伊豆の諸豪族が亡命してきている。
彼らは海と縁が深い。
海に縁の薄い甲斐源氏には大きな助けになるだろう。
さらに彼らは海での勢力も広げたい気持ちがあるはずだ。
伊豆のすぐ西は駿河である。
陸路でも駿河は東海道が通っている。
折あらば、駿河にもなんらかの権益を持ちたいとも思っているだろう。
亡命伊豆諸豪族の駿河での権限を甲斐源氏の保証のもと与える。
そうすれば甲斐源氏の大いなる協力者になろう。
まずは、駿河に進出するという方針が決した。

甲斐国近辺の勢力図はこちら

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