一方ときの声高らかに三草山に攻め込んだ鎌倉勢は敵の手ごたえの無さに拍子抜けしていた。
逃げ遅れた兵たちの首を上げたものの、殆どが抵抗せずに逃走していくのである。
鎌倉勢が攻めあがった時には敵の主たちたるものがすでにいなかった。
鎌倉勢の戦いは残存者の掃討のみで終わった。
とにもかくにも三草山は陥落した。
そしてこの陥落が後に一の谷の戦いと呼ばれる戦において鎌倉勢にとって有利になることを決定付けたといっても良いだろう。
この陥落がもう少し遅ければ大手の生田口と同刻に山手口、一の谷口で戦闘を開始することが出来なかった。
進軍する経路が別々となるため大手搦手がそれぞれに進軍を始めたならばお互いに連絡を取ることができない。
よって途中で矢あわせの時間の変更の連絡はできない。
しかし何が何でも二月七日の同時刻には三箇所で同時に戦闘を開始しなければならない。
何らかの事情で搦手軍が三草山に搦手が釘付けになっていたならば、一の谷の戦いを呼ばれる福原での合戦は生田口のみで戦いが行なわれただろう。
そうなると平家はその生田口にのみ全力を注げばよく、その一箇所だけの戦いが長期化すれば畿内の誰かしらに背後を衝かれていた可能性が全く無かったとは言い切れない。三草山が落ちたことにより、生田、一の谷、山手の三箇所で同時に戦局を開くことが可能となったのである。
その意味でもこの三草山が短時間で攻略されたのはこの戦いの大きな分岐点になったともいえよう。
この三草山の戦いが行なわれていた頃、山陽道を西に進んで福原に近づていた鎌倉大手軍は陣立てを行なった。
範頼に従う御家人たちに夫々攻め込む場所を指示する。
戦場が広範囲に広がるため、夫々の御家人が夫々に郎党を率いて戦わせるのが最も効率的なのである。具体的な戦闘方法は各御家人にまかせる。
ただ範頼は一つだけ指示をした。
敵は逆茂木を設え堀も掘っている。
くれぐれもそれに用心せよ、と。
前回へ 目次へ 次回へ
![にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ](http://novel.blogmura.com/novel_historical/img/novel_historical80_15.gif)
逃げ遅れた兵たちの首を上げたものの、殆どが抵抗せずに逃走していくのである。
鎌倉勢が攻めあがった時には敵の主たちたるものがすでにいなかった。
鎌倉勢の戦いは残存者の掃討のみで終わった。
とにもかくにも三草山は陥落した。
そしてこの陥落が後に一の谷の戦いと呼ばれる戦において鎌倉勢にとって有利になることを決定付けたといっても良いだろう。
この陥落がもう少し遅ければ大手の生田口と同刻に山手口、一の谷口で戦闘を開始することが出来なかった。
進軍する経路が別々となるため大手搦手がそれぞれに進軍を始めたならばお互いに連絡を取ることができない。
よって途中で矢あわせの時間の変更の連絡はできない。
しかし何が何でも二月七日の同時刻には三箇所で同時に戦闘を開始しなければならない。
何らかの事情で搦手軍が三草山に搦手が釘付けになっていたならば、一の谷の戦いを呼ばれる福原での合戦は生田口のみで戦いが行なわれただろう。
そうなると平家はその生田口にのみ全力を注げばよく、その一箇所だけの戦いが長期化すれば畿内の誰かしらに背後を衝かれていた可能性が全く無かったとは言い切れない。三草山が落ちたことにより、生田、一の谷、山手の三箇所で同時に戦局を開くことが可能となったのである。
その意味でもこの三草山が短時間で攻略されたのはこの戦いの大きな分岐点になったともいえよう。
この三草山の戦いが行なわれていた頃、山陽道を西に進んで福原に近づていた鎌倉大手軍は陣立てを行なった。
範頼に従う御家人たちに夫々攻め込む場所を指示する。
戦場が広範囲に広がるため、夫々の御家人が夫々に郎党を率いて戦わせるのが最も効率的なのである。具体的な戦闘方法は各御家人にまかせる。
ただ範頼は一つだけ指示をした。
敵は逆茂木を設え堀も掘っている。
くれぐれもそれに用心せよ、と。
前回へ 目次へ 次回へ
![にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ](http://novel.blogmura.com/novel_historical/img/novel_historical80_15.gif)