時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百)

2007-10-30 05:31:13 | 蒲殿春秋
鎌倉殿のお召しと聞いた範頼は、「例の縁談」の話が来たと察した。

縁談の行く末を心配する小百合に「私のようなものでよろしければ」
とその場の勢いで返事をしてしまった。
結婚の承諾を相手の母親に宣言してしまったようなものである。
別に安達家の娘が嫌いなわけではないのだが
「縁談」というものの重みを考えるとあのように気軽に
相手の母親にあんなことを言って良かったのであろうか。
第一当の娘の本当の気持ちをまだ聞いていない。

縁談の成否に関しては父親の意見が絶対である。
その意見に娘が逆らうことはできない。
北条政子のように自分の意志を貫き通して好きな人と一緒になる
というのは例外中の例外である。
その政子でさえ、恋愛相手であった源頼朝との関係は
父親の時政の承認があるまで婚姻とは世間に認められなかった。

この家の家長である盛長がこの婚姻に同意すればその決定に娘は逆らえないが
本人がこの結婚を本心ではどう思っているのかがやはり気になる。
もし、本人が実は自分のことを嫌っていたならば気の毒である。
母親は娘が自分を嫌っていないと言っているが、
本人は実のところこの結婚をどのように思っているのであろうか。

当時の縁談は家と家の取引であり、結合である。
婚姻によって相手の家の一員ともなる。
娘は両親の財産の一部を相続する権利があり
その娘と結婚した男も妻の両親から様々な支援を受ける。
反面婿は、その家の実の息子並みに親への奉仕を義務づけられる。
妻の実家に何かが起きた場合夫は妻の実家を護らなければならない。

この縁談が成立した場合
範頼は安達家の婿となり安達家の一族の一人となる。
盛長小百合夫妻は親となる。
その二人の意見は実父が既に死去している範頼にとって
まさに「親の言葉」となり、最大の重みを持つものとなる。

結婚の二文字はやはり大きい。

そのように「縁談」に対して色々と思い悩む日々過ごしていたところに
兄の鎌倉殿からの「お召し」が来た。
範頼は「例の話」が出るのが判っていても心のどこかに「怯え」というものがあるのを感じていた。

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蒲殿春秋(百九十九)

2007-10-29 05:37:17 | 蒲殿春秋
真剣に娘のことを考えているゆえの言葉なのか
縁談を断るための口実なのか?

小百合はこう答えた。
「私は、娘が幸せになってくれればそれで良いと思っております。
年が離れていても仲良くやっている夫婦は沢山おります。
北条殿も娘の御台様よりお若い方をお迎えになられて仲むつまじくやっております。
私は蒲殿が娘を大切にさえして下されるのであれば
年の差のことなど気にしてはおりません。
ただし、蒲殿が若い娘がお嫌であればそれはそれで仕方がありませんが」
そこまでいうと
「いや、決して決して決してそのような」
という言葉が返ってきた。
「では、瑠璃のことは」
「私のようなものでよろしければ」
そこまで言って婿になるかもしれない男は顔を赤らめた。

その様子をみて小百合はこの縁談の行く先の明るさを見た。
けれども、この縁談は二人の幸せだけ願えばよいという単純なものではないことも
小百合は承知していた。
おそらくは、今顔を赤くしている婿殿候補もそのことに全く気が付いていないわけではないだろう。
それでも、母親としては娘に幸せになってもらいたいと思う。
この結婚が娘に重荷を背負わせることになると知ってはいても。

数日後の大蔵御所。
その奥まった部屋でただ独りで源頼朝は三通の書状を手にしていた。
一通目を読んで、大きくうなづいた。
二通目を読んで、ニヤリとした。
三通目を読んで、涙ぐんだ。

一通目は三河にいる安達盛長からの書状だった。
それには、三河の情勢が事細かに記されている。
三河において以前よりも頼朝と威勢が浸透していることが見て取れた。
末尾には娘の縁談を承諾する旨が書かれている。

二通目は、以前から頼朝に接触を求めてきた者が
近いうちに鎌倉にやってくるという内容だった。

三通目は、都からの文だった。
その筆跡をみて懐かしさに涙がこぼれた。
文面を読んでさらに涙した。
涙を流しながらも彼はこの書状の使い道を考えた。

涙をぬぐいその跡が顔の中に残っていないことを確認してから
源頼朝は近習を呼び、安達館に滞在している弟の呼び出しを命じた。

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蒲殿春秋(百九十八)

2007-10-28 13:49:25 | 蒲殿春秋
範頼の様子がおかしいという館の噂を聞いた小百合は
菓子を持って範頼の部屋へやってきた。
小百合は一連の不審な行動の原因が例の話であることを察していた。

範頼に菓子を勧めた。
いつもならば直ぐに菓子に食いつくところであるのだが
中々菓子に手が伸びない。
やはり、おかしい。

その様子を見て小百合は安堵した。
今日話題になった範頼の一連の行動は小百合の夫安達藤九郎盛長がかつて一時期
とっていた行動に似ている。
そしてその不審な行動が究極に達した日、盛長は小百合に求婚した。
━━ そういえば、わざわざ武蔵国比企にいる母に自分との結婚を願いにいった
藤九郎は母の勧める菓子に中々手を出さなかった。今の蒲殿のように。
そんなことを思い出していた。

瑠璃も瑠璃で決して範頼のことを嫌っているわけではないのに
不自然な態度をとる。
これも父盛長とまったく同じである。

━━全く不器用なんだから。
心の中で渦中の二人に毒づきながら、小百合は娘の婿になるかも知れない男を
好ましく思っている。

範頼はといえば、姑になるかも知れない女性を目の前にして緊張し
まだ菓子に手を伸ばしていない。
この前まで当たり前にすぐ食べていたのに。

「御内室」
不意に範頼から声がかかった。
「この縁談はどこまですすんでいるのでしょうか?」
「はい?」
「私は鎌倉殿から何もこのお話を聞いていないのですが。」
「さようですか。
何しろ、先日私も鎌倉殿からお話を伺ってばかりです。
恐らく我が夫の返事を待ってから蒲殿の元にお話を進めるご存念かと・・・」
「安達殿の?」
「はい、今三河にいる夫に書状が行っているはずです。」

「ご内室、率直にお尋ねします。
娘御を私のようなものが妻に頂いてよろしいのですか?」
「といいますと」
「私は既に三十になってしまいました。娘御はまだお若い
年の離れた私に娘御を嫁に出すのは惜しくはないのですか?」

小百合はまじまじと範頼の顔を見つめた。
範頼が言った言葉は紛れもない真実である。
この言葉をどのように受け取ればよいのであろうか?

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蒲殿春秋(百九十七)

2007-10-27 23:48:18 | 蒲殿春秋
暫く言葉も出なかった。
自分に縁談話があることも、その相手がほかならぬここの家の娘であったことも
知らなかった。

その呆然とする範頼の姿を小百合は心配そうに見つめている。

「では、では、娘御は私との縁談を嫌っておられるのですか?」
「は?」
今度は小百合が絶句した。
「娘御は私を避けておられるようです。顔をあわせないようにされているし
目を合わせようともしてくださらない。」

小百合は範頼の顔をまじまじと見つめた。
が、それはやがて柔らかい微笑みに変わる。
「娘は蒲殿のことを決して嫌ってはいないはずです。
けれどもそれはまだ十四歳の娘のこと。
急に縁談を持ち出されて、その相手にどのように接してよいか
戸惑っているだけだと。」

安達家の娘瑠璃は自分を嫌っているわけではない。
瑠璃の母親の言葉に安堵した。

小百合は
「今の話はくれぐれも内密に」と言い新太郎を抱いて去っていった。
その夜範頼は眠ることができなくなってしまった。
原因はもちろん自分のあずかり知らぬところで進んでいる自分自身の「縁談」のことである。

翌朝、範頼は瑠璃と顔を合わせてしまった。
不意に瑠璃から目をそらしてしまった。
平常心、平常心と自らに語りかけているのであるが
「縁談」の話を聞いて瑠璃を変に意識するようになってしまった。

その後部屋に急いで戻り、
烏帽子が曲がっていなかったか直垂の紋は正しい位置にあったか
あわてて確認する。

その日に限って何故か瑠璃と屋敷で顔を合わすことが多い。
顔をあわせるたびに何故か緊張する。
いつもよりも多く小用を足したくなる。
普段の倍以上の回数で尿筒を使用することになり尿筒の下僕を当惑させた。

食事の態度もぎこちない。
普段は周囲を呆れさせるほど食べるのであるが
その日はあまり食が進まない。
当麻太郎が心配して何かあったのか聞くのだが
「縁談のことは内密に」と小百合から釘を刺されている。
「なんでもない」と答えるしかない。

けれども、この屋敷にいる誰もがこの一連の行動を「なんでもない」と思うはずはないのである。

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蒲殿春秋(百九十六)

2007-10-26 04:58:35 | 蒲殿春秋
ほろ苦い気持ちを抱えて安達館へと戻った。
その足取りは重い。
安達館にも範頼の心にひっかかるものがあるからである。
ここのところ安達館の様子が少しおかしいのである。
安達館をいうよりも、藤九郎の娘瑠璃の様子がと言ったほうがいいのであるが。

ついこの前まではずかずかと範頼の部屋に入ってきて
新太郎の世話をしたり、範頼に対して生意気な口を利きに来たりしていたのであるが
ここ数日範頼の部屋に来ることもなく
館の中で会っても直ぐに範頼から目をそらすのであった。

その瑠璃の態度が気にかかる。
━━ 何か嫌われることをしたのだろうか。
とも考えてみるが思い当たる節は何も無い。

当麻太郎にも相談してみるのであるが、こちらも全然女心に疎いときている。
藤七ならば、と思うのであるが
彼は本来の主佐々木秀義の元に帰ってしまった。

それから数日の間も瑠璃の範頼に対する態度がおかしい。
瑠璃がおかしな態度をとるのは範頼に対してだけであって
当麻太郎や家の者に対する態度は全く変わらない。
瑠璃以外のその母小百合などの範頼に対する態度は
変わらないようには見えるのであるが・・・

どうしたものか、と思い悩んでいたある夜
瑠璃の母小百合が範頼の部屋で眠ってしまった新太郎を引き取りにやってきた。
範頼の部屋には赤ん坊の新太郎以外に人はいなかった。
その様子を見て小百合は意を決して範頼に思わぬことを告げた。
「娘があなた様に失礼な態度をとっていることをお許しください。
これには訳があるのです・・・・・」
少しためらってから言葉を続けた。
「数日前、鎌倉殿から娘に縁談が持ち込まれました。縁談の相手は・・・・
蒲殿、あなた様なのです。」

範頼は絶句した。

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蒲殿春秋(百九十五)

2007-10-25 05:02:30 | 蒲殿春秋
所領を巡る訴訟の解決は大変な作業である。
遠江にあっても安田義定がその裁定に頭を悩ませていたこともあった。
義定が下した決定に不服を申した者もいた。
その後その不服を申したものと義定の関係は良いものではない。
訴訟の裁定をいうものは、その地を勢力下に抑えるためには必要不可欠なことであるが
取り扱いを間違えると大変なことになるのである。

━━兄上も大変だ

範頼と全成との話はやがて他愛の無いものとなっていく。
はやりの今様、大蔵御所に出仕するものたちの噂、
鎌倉に集うものたちがまたがる馬のよしあし等々。

そこに、全成の妻が現れた。
全成の表情が柔らかいものとなった。
このような全成の顔つきを見たのは始めてである。
色々な物事に対して常に冷静な反面どこか冷たさと人を寄せ付けない何かを持つ
この弟は美しい顔立ちのをしていても、見せる表情はどこか固かった。

幼くして父を失い、寺に預けられ、再婚した母を憎む全成は
これまで深い孤独の中にいた。
しかし、妻を得て自らの分身ともいえる新しい命を授かることで全成は孤独の他に世界が有ることを知ったようである。

全成と対座した範頼は
「よい北の方を迎えましたな。」
と言う。
「はい、妻はまことによきものにございます。」
と、ぬけぬけと言う。

━━ 妻、か。

全成の家からの帰り道範頼はふと「妻」というものを考えた。
心をときめかせた女というものがいなかったわけではない。
今まで全く女というものを知らなかったわけではない。
妻を迎えたりどこかに婿に入る機会が全く無かったわけではない。
けれども現在の範頼は一人身である。

元服するくらいの子供がいても良いはずのこの年まで妻という存在は一人もいない。
子もいない。
そのことに対して今までそんなに深く考えたことはない。

しかし気が付いてみれば、兄弟の中で一度も妻を迎えたこともなく
子もいないのは範頼だけである。

妻を迎えるということは必ずしも幸せを意味するものではない。
けれども、鎌倉に来て見せられてしまったものが範頼の心をうずかせた。
あの全成の中から固さをいうものを取り去った「妻」という存在
頼朝が御台所政子と一緒にいるときに見せた「幸福」の空気
別れさせられた妻子を思う義経の気持ち

━━妻、か。

範頼は今まで感じたことの無い孤独を始めて知った。

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蒲殿春秋(百九十四)

2007-10-24 05:10:03 | 蒲殿春秋
「ところで、最近兄上はお忙しいようだが、いかがなされておる?」
今度は範頼が話題を変えた。
「鎌倉殿は、雑多なことでお忙しいようですが、最近はとみに
所領を巡る諍いの調停においそがいしいようです。」
「そうか」

所領を巡る争いは古より絶えない。
特にこの坂東では所領を巡る裁定をするはずの国衙において
在庁の有力な官人同士が所領を巡って争そい、
国衙は調停機関としての機能をなしていない。
さらに地元有力者の身内内部の争いもある。
坂東の地においては有力者同士の所領を裁定する存在がいなかった。

仕方なしに都に出て問題解決を図ろうとするのであるが
いかんせん坂東と都は遠い。
都に出ている間に武力で既成事実をつくられたり
都に出る以前に実力行使を仕掛けられそれに対抗せんがために
血を血で洗う武力抗争に発展することが多かった。
結局最後は所領を巡る戦となるのである。

彼らとて好き好んで戦に明け暮れているわけではない。
戦わずに済めばそれに越したことはない。

坂東の者たちは、自分の所領を保護してくれると同時に
諍いごとが起きた場合、それを公正な立場で裁定してくれる人物が現れるのを
待ち望んでいた。
それも都のように遠く隔たった場所に住する人物ではなく自分達のすぐ側に在住してくれる存在を。
かつては頼朝の父源義朝が南坂東において所領の調停者の役割を果たしていたことがあった。
その裁定は比較的坂東の豪族達を納得させうるものであった。
そしてその子頼朝にも同様の役割が期待されている。

所領を巡る諍いは根が深い。所領に対する各人の執念は凄まじいものがある。
諍いの一つ一つは第三者からみれば他愛の無いものであっても
当事者にとっては深刻な問題である。
お互いに自分の権利を主張して譲らない。
その大変な諍いを両者が納得できるような裁定を下さなければならない。
もし、一方が強い不満を持つような裁定を下せば
裁定を出した人物の裁量が疑われる。
諍いの裁定は薄氷の上を歩くような危うさを持ったものなのである。

頼朝は一件一件お互いの主張を良く聞き、証拠のものを提出させ
熟慮に熟慮を重ねる。
なるべくお互いに納得して和解をするように勧めるが
それが不可能な場合は、慎重に検討した裁定を下し
それぞれに理をもってこの裁定を受け入れるように諭す。
このようにして下された裁定には今のところは不満がでていないようである。

このような過程で裁定を下すため、諍い一つに対しても
大変な時間と神経を使う。
そのため頼朝は諍いの調停だけでも忙しいのである。

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蒲殿春秋(百九十三)

2007-10-23 05:08:24 | 蒲殿春秋
全成は突然話題を変えた。
「ところで、最近鎌倉殿はやたらとわれらが祖、源頼義殿、八幡太郎義家殿
のことを口にすることが増えました」
源頼義、義家は頼朝・範頼らの数代前の祖先である。
「ここのところ鎌倉殿は御家人に対して、前九年の役、後三年の役の
彼らの祖の活躍を褒め上げます。
その後で必ず、頼義殿や義家殿の名を持ち出すのです。」
「ほう」
御家人達がその先祖の輝かしい戦功を褒め上げられるのは喜ばしいことである。
しかし、その都度自分達河内源氏の祖先を持ち出すのはいったいどのような理由なのであろうか。

頼義や義家がいかに彼らの祖先を重んじていたか
彼らの祖先の頼義、義家に対する忠節を決して忘れはせぬ
という頼朝の言葉が付け加えられることもあるという。

それは事実であろう。
ただし、東国の豪族達にとってそれはあくまでも「過去」の話である。
彼らにとって現在必要なのは
頼朝が今の自分達の要望を満たしてくれるのかどうか
ということである。
それが満たされなければ、彼ら東国武士団は甲斐源氏や木曽義仲といった
別個に反乱を起こしている他の源氏の棟梁に従うか、平家に再び臣従するのみである。
実際に頼朝に臣従する一方で甲斐源氏や木曽義仲とも主従関係を結んでいる者も
少なくない。
東国の豪族達が頼朝に従ったのはあくまでも彼らにとって都合のよい人物がたまたまそこにいたからということであって決して先祖からの縁故によるものではない。

そのことを重々承知している筈の頼朝が何故古い祖先の話を持ち出すのであろうか。

けれども、祖先を褒め上げられて御家人達が悪い気持ちがしないというのも事実である。
さり気に付け加えられた、東国武士の祖と頼朝ら河内源氏の祖先たちの主従関係は
誉められた言葉にそっと添えられて東国武士夫々の心の奥に徐々に浸透していくのであるが
その効果が現れるのはかなり後になってからのことである。

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蒲殿春秋(百九十二)

2007-10-22 05:50:51 | 蒲殿春秋
多くの豪族達が集うこの鎌倉にあって頼朝はその統制の方法を定めなくてはならなかった。
鎌倉勢力の実情は「反乱軍」である。
反乱軍ゆえに朝廷の序列とは別のところでの秩序と規則を定めなくてはならない。

その序列に関しては未だに確固たるものが定まってはいないが
自らの身内であるものは他御家人たちよりにも上位に定める。
その他、有力御家人の子弟を自らの側周りに侍る者として
特別な扱いをする。
そのような方針を頼朝は決めているらしい。
江間四郎義時や小山七郎朝光などの数十人が側近として選ばれた。
かれらは、他の武士団の主たちとは異なり
頼朝の直属軍としての性格を有するものである。

身内を他の者と区別して上位に据え、武士団の中から側近を選び取る、
そのように頼朝は序列を定めようとしている。
しかし、露骨にそれを行なうと、その他多くの御家人からの反発を呼ぶ。
頼朝は目立たぬように序列が完成することを目指している。
それでも、試行錯誤の連続である。
注意深く事を行なっても失敗は生じる。
ふとした不注意が大きな反発を呼ぶことになる。
そのような危険を孕んでいる中で頼朝は静かに既成事実を積み上げようとしている。

ことに、範頼が来るまで唯一の在家の弟であり父子の契りを結んでいた義経の扱いには慎重な上にも慎重に扱わなくてはならなかった。
彼を持ち上げすぎると御家人たちの反発を招くが
軽く扱いすぎると、頼朝の弟であること以外に何の後ろ盾も持たない義経は
鎌倉の中で浮きあがった存在となり、身内を御家人の上位に据えるという
頼朝の方針は齟齬をきたすことになる。

そのように頼朝自身が義経の扱いを試行錯誤している時期に
「馬曳き事件」は起きたのである。

「九郎はこの先もどのように振舞えばよいのか困る事が幾つも起こるでしょう。
おそらく蒲の兄上も。
私は出家している故、世俗の序列とは深く関わらずに済みますが、
九郎も蒲の兄上もこれからの身の処し方に注意せねばなりませんな。」

部屋には少し冷たさを含むようになった潮風が入ってくる。
━━ 全成が兄上のことを兄と呼ぶな、鎌倉殿と呼べ、というのもこの複雑な立場を察してのことだったのだ。

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蒲殿春秋(百九十一)

2007-10-21 05:22:33 | 蒲殿春秋
この「馬曳き事件」の鎌倉の街中での噂の内容は様々であった。
弟君にさせることではない、
いやいやご身内だからといってひいきはされないという事だ
ご兄弟の間に何かあったのか、
弟御であっても鎌倉殿の家人で服従せねばならぬというのか、
いや、二度も馬の上手を曳かせたということはやはり弟君は別格なのだ
などなど、いくつもの憶測が流れている。

鎌倉殿の真意はどこにあるのだろうか。
「私にも、鎌倉殿が何の狙いで九郎にあのようなことをさせたのかがわかりません。
けれど、居並ぶ御家人の前であのようなことをさせたのには何か理由があるとは思います。
一つだけ言えるのは御家人たちの間からはこのことに対して何も不満らしい言葉はでていないということです。」

お互い顔を見合わせる範頼、全成兄弟の間に沈黙の時が流れる。
「しかし、九郎は万人の前でそのようなことをされてさぞ苦痛であっただろうな?」
「それが、この前私を訪ねた折この話を自分で楽しそうに話しておりました。
あれはそのことを大して気にはしていないようで」
「・・・確かに、あれは人が嫌がるようなことも気にしないし、
大変な事態がおきると逆にそれを楽しむ事もある。」
「ですが、『兄上が何を考えているのかわからない』と私に言いに来たこともあります」
「?」
「鎌倉殿は弟として九郎を重んじる態度を見せたかと思うと
弟とはいえ家人に過ぎぬと突き放す態度も見せる
その次には今度は父と子という関係を重視するときもある、
鎌倉殿が場面場面で態度を豹変させるのでその中で自分はどのように振舞えばよいのかわからなくなるときがある、と」
「・・・・」
「ですが、鎌倉殿が九郎が憎くてそのような態度をとっているようではないのです。
私の妻が御台様から聞いたところでは、兄弟二人っきりのときは鎌倉殿は九郎を
色々と気にかけて優しく接しているようなのです。
九郎自身もそのように申しておりました」
全成はしばし一度言葉を区切って続けた。
「鎌倉殿はこの鎌倉の中にあって自分の兄弟をどのように位置づけるのか
未だに決めかねているのではないか、私はそのように思えるのです。
その心の揺らぎが九郎に対する態度の変化に現れているような気がしてならないのです」

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