時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(四百十六)

2009-09-29 04:53:05 | 蒲殿春秋
一方義仲の方はこの時鎌倉勢の情勢を的確に掴んでいなかった。
寿永三年に入って直ぐ、坂東武士たちが墨俣にいるという情報が入った。
その話を聞いた翌日には武士達が墨俣川を越えたという話が舞い込んできた。
この話を聞いた義仲は狼狽した。

義仲の頭の中には、奥州勢が坂東に攻め寄せる、その相手をする為に鎌倉勢は坂東を動けないはずであった。
それどころか坂東勢の中に奥州と通じる者がいて頼朝が危機の中にある筈だった。
だが、実際に鎌倉勢力は墨俣を越えて都に迫っているという。
義仲は城長茂の動向、そして奥州に密かに通じていた上総介広常が殺害されたことをまだ知らない。

義仲は混乱していた。
だが混乱しながらも義仲は対策を錬った。
まず、義仲は平家との和睦を進めようと努力した。
その仲介役にはかつての平家の家人藤原忠清があたっている。
忠清は平家の都落ちには同道せず都に留まって朝廷に降伏していた。

ついで、都を目指すであろう鎌倉勢を迎え撃つべく近江への出撃を決意した。

しかし出陣は中止となった。
近江に進軍した鎌倉勢が千騎程にすぎない勢力だと知ったからである。
千騎程度ならば義仲は十分に防ぐ自信があった。

だが義仲は知らない。
この千騎は搦め手の義経と安田義定が率いる勢力のみで、その数倍の兵力を擁する大手軍がさらに都を目指そうとしていることを。
さらに都に程近い畿内の武士達が搦め手に参陣しようとしていることに・・・

一方この頃平家との和睦工作は不調に終わっている。
一月十三日にも入洛と噂されていた平家はその入洛を拒否した。

もっともこの頃平家には本気で義仲と和睦する意思があったのか判らないのであるが・・・

平家との和睦が不調。
それでも義仲は鎌倉勢と戦わざるを得なかった。
一月十五日義仲は征東大将軍に任じられた。
東、つまり東に住む者ー源頼朝らを討伐する者という公的な称号を得たのである。

しかしその翌日義仲は衝撃の報を受けることになる。
千騎にも満たないと言われていた鎌倉勢力があっというまに数万にまで膨れ上がったのである。
源範頼率いる大手軍が近江に到着し、そして、畿内の武士達も続々と鎌倉勢に与同した結果である。

さらに義仲は新たなる敵を発見する。
都の西にいた源行家が東から攻め上る鎌倉勢に呼応する動きを見せているのである。
行家には河内に勢力を張る石川義兼が背後にいる。
さらに近隣の畿内武士も同意の動きを見せているという。
彼等の動きも決して無視できるものではなかった・・・・
東と西に敵を抱えた義仲は対処に苦慮することとなった。

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蒲殿春秋(四百十五)

2009-09-21 22:34:49 | 蒲殿春秋
範頼が率いる大手軍の鎌倉勢の殆どは墨俣川を渡った。
だが、そこで足を止める。
友軍である甲斐源氏の主力を率いる一条忠頼が墨俣川を渡らず尾張に留まっているからである。
三日待った。だが、一条忠頼らは動かない。
義経らの搦手軍が先に近江に入っている。
これ以上搦手を待たせるわけには行かない。
範頼は、一条忠頼を置いて大手軍を出立させようと決意した。
その時鎌倉から早馬が届いた。

早馬から下りた使者はまず土肥実平に何事かを告げる。
控えの間で話を聞いた土肥実平は範頼の陣幕に入ってそっと範頼に耳打ちをする。
「これからご使者殿が申されることは鎌倉殿の本意ではございませぬ。
しかしながら、蒲殿にはあくまでもご使者殿のお言葉を
恐れ畏んでお受けくださって下され。
また、叱責の言葉があれば平に陳謝なされますように。」

範頼は怪訝に思った。だが、土肥実平の言葉だからと思ってその通りに行なうことにした。

やがて使者が範頼の前に現れた。
使者は言う。
「鎌倉殿は大層ご立腹です。
敵との戦の前に味方との諍いを起すのは何事か、と。」
範頼は実平に言われたとおりに、使者に平伏し、兄鎌倉殿への詫びの言葉を述べた。

その様子は、同席している甲斐源氏の面々の目にも映っていた。

大将軍蒲殿範頼が兄鎌倉殿から叱責されたという噂はその日のうちに陣中に広まった。

範頼の大将軍としての面目は全く持って丸つぶれである。

範頼にしてみればやりきれない思いである。
先陣争いをしようと乱闘に及んだ鎌倉御家人の河匂次郎と友軍である甲斐源氏一条忠頼との間を
仲裁しただけである。そして一条忠頼には鎌倉方の意見を飲んでもらった。
軍評定で決したことを破ろうとした一条忠頼に非がある。

だが、鎌倉殿頼朝はその仲裁者範頼を叱った。そして大将軍としての範頼の面子を潰した。

本意ではない、と言われても文句の一つも言いたくなる。
だがここで文句を言っては今度は鎌倉殿の面子が潰れる。
範頼はぐっとこらえた。

噂が噂を呼んでいる陣中の中土肥実平は範頼の元をそって訪れた。
「蒲殿、よくご辛抱なされました。
今はお辛いかもしれませぬが、鎌倉殿の御計略が間もなく実を結びまする。
そうなれば蒲殿の此度のご辛抱が生きてまいります。」
実平はそう語った。

その日のうちに鎌倉殿の御計略が実を結んだ。
墨俣川の向こうに留まっていた一条忠頼の軍勢が続々と川を渡ってきたのである。
蒲殿が鎌倉殿に此度の争いのことで叱責されたという噂が一条忠頼の耳に届いたのである。
範頼の軍目付土肥実平にやり込められた一条忠頼は機嫌を直した。

その様子を目にした範頼は鎌倉殿の計略の意味を悟った。
一条忠頼の先陣を阻んだ範頼を叱責したことにより頼朝は一条忠頼を重視している
という姿勢を示したのである。
頼朝とて鎌倉殿の代官である範頼にやすやすとは従わない一条忠頼には不快感をもっているはずである。
だが、それ以上に一条忠頼に離反されるのは困るのである。
そこであえて範頼を叱りつけて一条忠頼の機嫌をとったのである。

範頼と土肥実平は並んで一条勢の渡河する様子を眺めている。
「蒲殿のご辛抱が実を結びましたな。」
範頼は無言で頷いた。
「だが、やっかいな御仁でございますな。一条次郎殿は。」
土肥実平は思わずつぶやく。
「今回の一件で一条次郎殿は勢いづかれますな。
いいほうにいけばよいのですが、扱いを誤ればまたやっかいなことになりまするな。」
土肥実平はそう続けてため息をついた。

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蒲殿春秋(四百十四)

2009-09-19 23:11:42 | 蒲殿春秋
大柄で見事な装束を着ている範頼を見て郎党はひるんだ。
だが、郎党は範頼に向かって言い分を述べた。
「知れたこと。われらが渡河しようとしたところをこいつらが邪魔をしているから
わしらは応戦したまでのことじゃ。」
するととたんに
「何を言うか。真っ先に渡河するのは我等と軍議では決まっていたではないか。」
と、河匂次郎は郎党に言い返した。
その言葉に一条の郎党が応じようとしたその時
「お手数だが、そなたに願いがある。一条殿を呼んで下さらぬか。」
範頼の穏やかな物言いに郎党は不服そうな顔をしながらも主を呼びに言った。

やがてこれもまた不服そうな顔をして一条忠頼が現れる。
「これはこれは、蒲殿わざわざご足労痛み入る。」
とわざと慇懃に挨拶をする。
「一条殿、なにゆえに河匂次郎殿より先に渡河されようとなさりまするか?」
と範頼は静かに問いかけた。
「確かに河匂次郎が鎌倉殿の軍勢の中で真っ先に河を渡るというのは軍議で決したことである。
だが、われら甲斐源氏は鎌倉殿の手勢ではない。
われらはわれらのやり方で河を渡る。」
と一条忠頼は答える。

「確かに、一条殿は友軍でございまする。
しかし、このような渡河の順序で味方同士で会い争うなど無益なことではございませぬか。
ここはわれら鎌倉勢に渡河の先陣をお譲りいただけませぬか?」
と範頼は静かに話をする。

「いや、このような名誉な先陣を人に譲ってなるものか。わしらが先に河を渡る。」
一条忠頼は譲らない。

その時土肥実平が話しに割って入る。
「一条殿、此度の軍は院のご救出が目的の一つですぞ。
無事院をお救い申しあげたときには院より我等に恩賞が与えられましょう。
しかし、その時陣中で諍いがあったと院が聞かれましたら院はどのように思し召すでしょうかな。」
実平は忠頼に強い視線を送った。

「ここにおわす蒲殿のご養父は院の近臣高倉殿(藤原範季)ですぞ。
高倉殿のご猶子に、そしてそのご猶子が率いる兵にこのような振る舞いをなされたならば高倉殿はどのようにお思いになられることやら。その高倉殿が院にどのような奏上をなさるかそれがしは保証いたしかねまする。」
と土肥実平は声に力を込めて一条忠頼に詰め寄った。
範頼やその軍勢に無礼があったならば、範頼の養父藤原範季を通じて院に一条忠頼に対する悪い印象を持たせることも可能であると土肥実平は暗に言っている。

それを聞いた一条忠頼は
「ご勝手になされよ。」
と言って憤怒の表情で全軍をまとめて後方に撤退させた。

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蒲殿春秋(四百十三)

2009-09-16 23:50:38 | 蒲殿春秋
ようやく軍議が開かれたが、今回の軍議は紛糾を極めた。
土肥実平が何事かを発言すると一条忠頼がかならず横槍を入れてくるのである。
中々容易に話が進まなかったが、加賀美遠光がとりなしたり範頼が両者をなだめた。
また、坂東の御家人たちもそれぞれ多くの利害を抱えており、
行軍の順番一つとっても夫々の言い分があり、それを通そうとして中々決まらない。

全ての陣立てが決まるまで三日程の日数がかかってしまった。

軍議で喧々諤々の論議をしている最中、
範頼と土肥実平は他のことにも神経を使わざるを得なくなっていた。
待機している兵の間に揉め事が絶えないのである。
その都度範頼や土肥実平はその解決に努力せねばならない。

軍議に集う諸将の協力もあって何とか解決はできたのであるが、
この先この大軍を整然と行軍させ、戦闘させることができるのか不安を感じさせるような雰囲気である。

軍議終了後、その決定の通りに軍を進めることになった。
だが、行軍が始まってすぐに範頼たちの不安は的中することになってしまった。

諍いは尾張と美濃の国境である墨俣川を渡る時にすぐに始まった。
行軍の先頭の方からなにやら騒がしい音がする。
土肥実平が郎党を先に向かわせ、自らも後を追う。
実平が近づくとなにやら争う声が聞こえ、矢が行く筋か飛び交っている。

騒乱の片方の手のものは鎌倉殿の御家人河匂次郎実政、そしてその相手は一条忠頼の郎党である。
実平は大声を出した。
「わしは鎌倉殿から軍目付の仰せつかった土肥次郎である。
なにやら諍いがあるようであるが話を聞こう。
とりあえず弓矢を収められよ。」

「ふん、土肥次郎だと。ただの相模の田舎武士ではないか。
武田の郎党のわしに向かってなにを偉そうに!」
そう言って矢を番えるのをやめようとはしない。

その時、先触れの声が聞こえそれからすぐ大手大将源範頼が現れた。
「何を争っている。」
範頼は郎党に向かっておだやかに話しかけた。

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蒲殿春秋(四百十二)

2009-09-15 05:32:33 | 蒲殿春秋
寿永三年(1184年)1月初頭、義経軍と安田義定軍は墨俣川を越えて美濃に入りさらに西を目指した。
軍勢の一部が去って兵馬が少なくなった熱田であったが、
暫くすると以前以上に人と馬が満ち溢れるようになった。

大手に従う坂東の兵、そして駿河と甲斐から甲斐源氏の面々が兵を率いてやってきたからである。

従軍すべき殆どの兵が集まった頃
範頼、土肥実平、坂東の主だった御家人そして甲斐源氏の面々が集って軍議が開かれることとなる。

最上位に座る範頼に御家人達は礼をして夫々の座に着する。
そして甲斐源氏の面々が現れた。
加賀美遠光、石和信光といった面々は雑色が示した座に素直に座った。
だが、逸見有義、板垣兼信、そして一条忠頼は逡巡して中々座に着かない。
土肥実平に促されると有義と兼信は不服そうな顔をしながら座に着いた。
だが、一条忠頼は立ったままである。

土肥実平は一条忠頼の側に赴いた。
「わしは何ゆえにあの座につかねばならぬ。
わしは無位無官であるが、蒲殿も同様ではないか。
蒲殿の隣にわしの座を支度せよ。」
忠頼はと土肥実平に命令した。

「蒲殿は、東海道、東山道の沙汰を命じられている鎌倉殿の御代官にございまする。
鎌倉殿同様に接していただきたい。」
と土肥実平は答えた。

「蒲殿が鎌倉殿の代官ならば、わしは甲斐、駿河を治める甲斐源氏棟梁武田信義の代理人である。
鎌倉殿と甲斐源氏棟梁武田信義は時を同じくして挙兵した盟友なるぞ。
鎌倉殿とわれら甲斐源氏は同格の同盟者ぞ。わしが蒲殿の下座に座る道理は無いではないか。
さあ、わしの席を蒲殿の隣に移せ。」

「失礼ながら、鎌倉殿は従五位下でございます。
帝の勅命によって東海道、東山道の沙汰を命じられておりまする。
院の北面からじきじきに院のご救出を頼まれておりまする。
東海東山に住まい、此度の出陣に臨むのならば鎌倉殿に従うて頂かなくてはなりませぬ。」
という土肥実平の答えに一条忠頼はむっとした顔をした。

その忠頼に土肥実平が耳元にささやく。
「遠江守様もあなた様に用意した席と同じ場所にお座りになられました。」

この一言に一条忠頼は観念した。
従五位下遠江守安田義定が範頼の下座に座したのである。この既成事実が忠頼を屈服させた。
大いに不服そうな顔をして一条忠頼は支度された座に着した。

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蒲殿春秋(四百十一)

2009-09-10 05:45:37 | 蒲殿春秋
軍議が間もなく終わろうとする頃
「兄上、お願いがございまする。」
と、義経が兄範頼に対して言葉を発した。
「なんじゃ?」
「先ほど梶原殿とも話したのですが、私は搦め手に加わる者たちと共に先に墨俣を渡っておきたいのです。」
「何ゆえに」
「先に畿内の武者たちを集める為に私が先に畿内に入ったほうがよいと思いまする。
そしてもう一つ、これ以上熱田に兵を集めると混乱がおきまする。
この先、まだまだ坂東の武者たちが熱田に来るでしょうし、
間もなく駿河の一条殿や甲斐の加賀美殿や石和殿、板垣殿が到着されるとの由
ここは少しでも熱田の人数を減らしておく必要がありまする。」
「なるほど。土肥殿いかがかな?」

「確かに九郎御曹司のおっしゃることには一理ございまするな。」
土肥実平は同意した。

軍議が終わり一同が退出した。
範頼はその場に残った。暫く一人で佇み、何か考え事をしてため息をついた。
その様子を当麻太郎が見咎めた。
「殿いかがなさいましたか?」
「軍議が終わった。九郎は搦め手の大将軍、私は大手の大将軍と決まった。
そのように意見を述べたのは私。決断したのも私だ。
それが正しい方策だと思って決断した。
だが、本当にそれでよいのか私は今悩んでいる。」

その主の様子を当麻太郎は静かに眺めた。

「では他の決断をなされたならば、殿はお悩みにはなられなかったのですか?」
「そ、それは・・・」
「ならば、ご自分のご決断に自信を持たれることです。」

「ところで、」
と当麻太郎は話を変えた。
「遠江守(安田義定)様が蒲殿よりも下座に着かれた、
ということで遠江守様の郎党たちが大騒ぎをしております。」
「ほう・・・」
「従五位下の遠江守様がなにゆえ無位無官の蒲殿や九郎様の下座にお付になるのかと・・・」

安田義定の郎党達が不満を述べるのも至極当然である。
当時は官位の有無、上下が身分そのものを決定する。
たとえ摂関家に生まれたものでもその当時の官位が他家の官位上位者よりは下ならば摂関家の人間といえども他家の官位上位者よりも下の身分として位置づけられる。

この軍議においては安田義定のみが官位を有しており本来ならば一同の最上位に位置していなければならない。
だが最上位に座ったのは無位無官の範頼であり、範頼の到着以前は同じく無位無官の義経が最上位に位置していた。
そしてそのことに対して義定は不満を何一つ述べなかった。
数ヶ月前頼朝と対面した時でさえ、東国の支配権を得ていた頼朝と遠江守義定は同格の席に座していた。

だが今回官位において上位者である義定は頼朝の代官範頼と義経の下座に着し、しかも先ほどの範頼の願いもすんなりと受け入れた。

この義定の態度は一体何なのであろうか・・・

ともあれ
「何者の下風についてもならぬ。」
という兄の言葉は守られたのは事実である。

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蒲殿春秋(四百十)

2009-09-06 05:29:28 | 蒲殿春秋
「搦め手はいずこから攻め入る?」
この土肥実平からの質問に対しては
「田原路を通って宇治川を越えて都の南から入る。」
と義経が自ら答えた。

「しかし、いくら搦め手とはいえ少人数で動くとは・・・
東から都に入る路のことは木曽勢も存じておるはずじゃ。我等の動きを予測して宇治川を固めるのは目に見えておる。
そこで手間取っているうちに院と帝をお遷しされては・・・・」
土肥実平は心のうちに残る懸念を正直に口にした。

「いや、大丈夫だ。
木曽に残された兵力は現在大したことはない。
それに、木曽は我等鎌倉勢以外に対して兵を動かさねばならぬときが間もなく訪れる。」
義経は自信を持って返答した。
「と、おっしゃいますと?」
そう疑問をぶつける土肥実平に対して義経はあることを告げた。

「それがうまくいきますでしょうか?」
「十中八九、それは我等の思惑通りに動こう。」
「しかし・・・・」
なお逡巡する土肥実平に対して今まで黙っていた人物が口を開いた。

「ここはやはり九郎が搦め手の大将をつとめるのが最善の策と思う。」
そう言ったのは蒲冠者源範頼。
「九郎は都育ち、そして都の武者共と親交がある。九郎に任せるのがよいであろう。」
土肥実平は虚を衝かれた顔をしている。
「では、私は大手を率いる。それで良いな?」
と範頼は一同を見回した。皆無言でうなづいた。

「ただし、搦め手の軍ももう少しは人数が必要であろう。
そこで、私は提案したい。ここにいる安田殿に九郎に与力することを願いたいということを。」
土肥実平はさらに驚いた顔をした。
一方安田義定は落ち着いた顔で範頼の顔を見つめ穏やかに「諾」と返答した。

「ただし、この与力において安田殿に願いたいことがございまする。
此度の軍の最前線の指揮は我が弟九郎に任せていただきたいのです。
そして九郎の背後を固める形で安田殿の協力を頂きたい。
そして、九郎が危ういときは安田殿のご判断で与力して頂きたい。」
安田義定は数刻黙り込んだが、やがてそれに対しても「よかろう」と返答した。

その問答をみた義経は兄範頼と与力者安田義定に向かって礼をした。

その礼を受ける範頼は義経の瞳を見た。
その瞳の中にはかつて奥州で見せた義経しか持たないある種の輝きが宿っていた。
この弟ならば何かやってくれる。
あの奥州での出会いで感じた何かが範頼に確信を与えていた。
その確信が範頼の先ほどの言葉を引き出していた。

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蒲殿春秋(四百九)

2009-09-05 22:19:38 | 蒲殿春秋
「で、どのように軍を分けるかということでござるが、それがしに考えがございまする。」
と梶原景時が意見を述べる。
「このたびの上洛でまずせねばならぬことは、帝と院をご無事にお迎えすることです。
木曽殿は院を奉じて西国に行く、もしくは北陸に落ちる存念があるとのことでござる。
木曽に院と帝を連れていかれれば実質はどうあれ我等は賊軍になってしまいまする。」
景時は一同の顔を見回す。
「そこで、軍を大手と搦め手に分けるのでござる。幸い都へ向かう路はちょうど二つございまする。
大手には多くの兵をつけまする。この大手の大軍に木曽の主力を引き寄せまする。その間に少数の搦め手が早急に都に入り院と帝をお助けするのがよろしいかと。」

一同は大いにうなづいた。
それに力を得た景時は言葉を続ける。
「その搦め手の大将軍こそ九郎御曹司がふさわしい、それがしはそのように考えまする。」

その言葉の後、一同の上を暫く沈黙が支配した。
「何ゆえ九郎御曹司でございまするか?」
と土肥実平が問う。

「よろしいですか、都にすばやく入るには都の地勢に明るくなければなりませぬ。
我々東国の者は、数年に一度は都に上ることがあるといえど都に頻繁に出入りする畿内の武者に比べますると土地の明るさにははるかに劣るものがありまする。
九郎御曹司はここ暫く畿内に留まり、彼の地の武者共を味方につけるのに成功いたしました。
この畿内の武者たちの協力を得れば、都へ入るのはたやすいものとなりましょう。」
「なるほど。」
土肥実平は九郎義経をじっと見つめる。
「で、確実に与力しそうな畿内の武者は?」
「伊勢の和泉信兼、伊賀の平田家継、そして現在我が軍に加わっている佐々木四郎高綱殿。」
「ふーむ。」
和泉信兼は今まで平家寄りの人物と見られ、平田家継にいたっては平家の家人である。
そのような者達が今では義仲に反感を持ち上洛する鎌倉軍に加わろうとしている。
しかし、彼等は確かに都に度々出入りしていて都近辺の地理に明るい。
佐々木高綱は頼朝挙兵の数年前から伯母の伝で都に出入りしていた。

確かに彼等の協力を得られるのならば都入りはたやすくなるであろう。

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蒲殿春秋(四百八)

2009-09-01 05:18:18 | 蒲殿春秋
範頼は西へと向かう。
途中土肥実平の本領のある西相模で実平の郎党たちと合流した。
実平の軍勢と荷駄は一気に膨れ上がった。

さらに西へ向かうと駿河では人々が慌しく動いている。
こちらも今回の上洛に同行する一条忠頼が出陣の支度をしているためである。
駿河を支配下に抑えている甲斐源氏一条忠頼も近く熱田に向かう予定である。

その西、遠江の様子は穏やかである。
ここを治める甲斐源氏遠江守安田義定は既に尾張熱田に向かい既に彼の地にある義経と合流している。

さらに進むと範頼が勢力を張っている三河である。
ここで上洛の支度をしている当麻太郎と合流する。
兵の多くは先に出陣した際に熱田に連れて行き現在はそこに留めている。
此度はその兵たちの数十日分の兵糧を運ばなくてはならない。
範頼は二日ほど三河に留まり、そこで年を越した。
寿永三年(1184年)の到来である。

やがて範頼と土肥実平は尾張に熱田へと入った。
熱田に近づくと多くの兵馬がごったがえしていた。
だが、上手く場所割りがされていると見えてよく起こりがちな諍いなどが見られない。

多くの人や馬を掻き分けて義経らの待つ本陣へと向かう。
本陣にはすでに先客がいた。
義経は当然の事、かれの軍目付となる梶原景時、そして遠江から先に駆けつけていた安田義定がいた。
範頼が姿を現すと彼等の中でもっとも上座に座していた義経が席を立ち範頼にその場を譲った。
自然範頼が一同を見渡す位置に座ることになる。

範頼の次の座には義経。義経の傍らに控えるように梶原景時が座している。
そして義経の下の座に安田義定が座っている。

座るべきところにすわり互いに挨拶を述べた。

次に梶原景時が口を開き軍議が開かれた。

都の近辺の地図が開かれる。
東から都に至る道は二つある。
一つは琵琶湖の南を通り、勢多から入る道。
もう一つは勢多から分かれて田原路を通り宇治から入る道である。

この二つが大軍を率いて都に入るには都合が良い。

軍を二つに分けて都を目指すべきだろうというところに意見は落ち着いた。



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