一方義仲の方はこの時鎌倉勢の情勢を的確に掴んでいなかった。
寿永三年に入って直ぐ、坂東武士たちが墨俣にいるという情報が入った。
その話を聞いた翌日には武士達が墨俣川を越えたという話が舞い込んできた。
この話を聞いた義仲は狼狽した。
義仲の頭の中には、奥州勢が坂東に攻め寄せる、その相手をする為に鎌倉勢は坂東を動けないはずであった。
それどころか坂東勢の中に奥州と通じる者がいて頼朝が危機の中にある筈だった。
だが、実際に鎌倉勢力は墨俣を越えて都に迫っているという。
義仲は城長茂の動向、そして奥州に密かに通じていた上総介広常が殺害されたことをまだ知らない。
義仲は混乱していた。
だが混乱しながらも義仲は対策を錬った。
まず、義仲は平家との和睦を進めようと努力した。
その仲介役にはかつての平家の家人藤原忠清があたっている。
忠清は平家の都落ちには同道せず都に留まって朝廷に降伏していた。
ついで、都を目指すであろう鎌倉勢を迎え撃つべく近江への出撃を決意した。
しかし出陣は中止となった。
近江に進軍した鎌倉勢が千騎程にすぎない勢力だと知ったからである。
千騎程度ならば義仲は十分に防ぐ自信があった。
だが義仲は知らない。
この千騎は搦め手の義経と安田義定が率いる勢力のみで、その数倍の兵力を擁する大手軍がさらに都を目指そうとしていることを。
さらに都に程近い畿内の武士達が搦め手に参陣しようとしていることに・・・
一方この頃平家との和睦工作は不調に終わっている。
一月十三日にも入洛と噂されていた平家はその入洛を拒否した。
もっともこの頃平家には本気で義仲と和睦する意思があったのか判らないのであるが・・・
平家との和睦が不調。
それでも義仲は鎌倉勢と戦わざるを得なかった。
一月十五日義仲は征東大将軍に任じられた。
東、つまり東に住む者ー源頼朝らを討伐する者という公的な称号を得たのである。
しかしその翌日義仲は衝撃の報を受けることになる。
千騎にも満たないと言われていた鎌倉勢力があっというまに数万にまで膨れ上がったのである。
源範頼率いる大手軍が近江に到着し、そして、畿内の武士達も続々と鎌倉勢に与同した結果である。
さらに義仲は新たなる敵を発見する。
都の西にいた源行家が東から攻め上る鎌倉勢に呼応する動きを見せているのである。
行家には河内に勢力を張る石川義兼が背後にいる。
さらに近隣の畿内武士も同意の動きを見せているという。
彼等の動きも決して無視できるものではなかった・・・・
東と西に敵を抱えた義仲は対処に苦慮することとなった。
前回へ 目次へ 次回へ
寿永三年に入って直ぐ、坂東武士たちが墨俣にいるという情報が入った。
その話を聞いた翌日には武士達が墨俣川を越えたという話が舞い込んできた。
この話を聞いた義仲は狼狽した。
義仲の頭の中には、奥州勢が坂東に攻め寄せる、その相手をする為に鎌倉勢は坂東を動けないはずであった。
それどころか坂東勢の中に奥州と通じる者がいて頼朝が危機の中にある筈だった。
だが、実際に鎌倉勢力は墨俣を越えて都に迫っているという。
義仲は城長茂の動向、そして奥州に密かに通じていた上総介広常が殺害されたことをまだ知らない。
義仲は混乱していた。
だが混乱しながらも義仲は対策を錬った。
まず、義仲は平家との和睦を進めようと努力した。
その仲介役にはかつての平家の家人藤原忠清があたっている。
忠清は平家の都落ちには同道せず都に留まって朝廷に降伏していた。
ついで、都を目指すであろう鎌倉勢を迎え撃つべく近江への出撃を決意した。
しかし出陣は中止となった。
近江に進軍した鎌倉勢が千騎程にすぎない勢力だと知ったからである。
千騎程度ならば義仲は十分に防ぐ自信があった。
だが義仲は知らない。
この千騎は搦め手の義経と安田義定が率いる勢力のみで、その数倍の兵力を擁する大手軍がさらに都を目指そうとしていることを。
さらに都に程近い畿内の武士達が搦め手に参陣しようとしていることに・・・
一方この頃平家との和睦工作は不調に終わっている。
一月十三日にも入洛と噂されていた平家はその入洛を拒否した。
もっともこの頃平家には本気で義仲と和睦する意思があったのか判らないのであるが・・・
平家との和睦が不調。
それでも義仲は鎌倉勢と戦わざるを得なかった。
一月十五日義仲は征東大将軍に任じられた。
東、つまり東に住む者ー源頼朝らを討伐する者という公的な称号を得たのである。
しかしその翌日義仲は衝撃の報を受けることになる。
千騎にも満たないと言われていた鎌倉勢力があっというまに数万にまで膨れ上がったのである。
源範頼率いる大手軍が近江に到着し、そして、畿内の武士達も続々と鎌倉勢に与同した結果である。
さらに義仲は新たなる敵を発見する。
都の西にいた源行家が東から攻め上る鎌倉勢に呼応する動きを見せているのである。
行家には河内に勢力を張る石川義兼が背後にいる。
さらに近隣の畿内武士も同意の動きを見せているという。
彼等の動きも決して無視できるものではなかった・・・・
東と西に敵を抱えた義仲は対処に苦慮することとなった。
前回へ 目次へ 次回へ