時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百十三)

2007-11-30 05:47:49 | 蒲殿春秋
「さて、ところでそなたの御養父の高倉殿(藤原範季)には何か連絡を差し上げたか?」
と頼朝は話題を変えた。
「いえ、未だに」
と範頼はうつむいて答える。
兄は驚いた顔をした。
「いや、それは良くない。高倉殿はおそらくそなたの事を深く案じておられるであろう。
是非そなたから文を差し出すが良い。」
「しかし、兄上、ただいま養父は平家の婿になっております。
私が文を出せば養父に迷惑がかかります。
それに、門脇殿(平教盛)のご息女である北の方の目を盗んで文を渡すのはどのようにすればよいものか」

「そうか、それで文を出すことはできなかったのか。
安田殿は何か言われなかったか?」
「いえ、安田殿も気にかけてはおられましたが、養父に文を出す手立てがなかったようで」

兄は範頼をじっと見つめた。
「そうか、ならばわしが何とかしよう。文を書いてわしに預けるが良い。
わしならば高倉殿に文を渡す手立てはある。」

そう言われても範頼はいかぶしげな表情をしている。
「先ほどの書状をみたであろう。わしは、都にはさまざまな手ずるを持っておる。
高倉殿に文をわたすのは易きことじゃ。」
範頼はまだ迷っている顔をしている。
「しかし、養父は私からの文を貰って困らないでしょうか。」
「困る困らぬは高倉殿がお決めになることじゃ。
とにかく、文を出さぬことにはどうにもならぬ。」

頼朝はやや強い口調で弟に語った。
それから、次の一言も付け加えた。
「六郎、もう一つ文を書いて欲しい相手がある。
都におわす姉上じゃ。そなたからも文をしたためて姉上を安心させてやるが良い。
文は鎌倉を出るまでに書けばよい。
書いて藤九郎の内室に渡しておけばよい。
直ぐにわしが都に届けてやるほどに。」

その後礼をして去っていく弟の姿を兄頼朝は目で追いかけた。
━━これでよい。
安田義定が持たぬ都とのつながりを自分が持つをいうことを示すことができた。
範頼に強い影響力をもつ藤原範季と姉という都に住する二者との接触は自分を通じてでなければできないことを示せた。
その一方で安田義定と範頼とつながりが意外と深いことは承知はしている。

━━六郎、なにがあってもそなたはわしの弟、それを忘れないでくれ。
頼朝は遠ざかる弟に心の中でそう語りかけていた。

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蒲殿春秋(二百十二)

2007-11-25 13:06:56 | 蒲殿春秋
参議藤原光頼、左中弁藤原経房、前右中弁平親宗
などなどの名が記されている。
この人々はみな「後白河院の近臣」もしくは上西門院に近いと目されている人々である。
さらに云えば藤原経房は何度にもわたって「源頼朝、源信義追討の宣旨」の発行手続きをした人物であり
平親宗は現在の平家の総帥平宗盛の母方の叔父である。
このような人々の文さえも現在頼朝の手元にある。
他にも「院の近臣」と思われる人々から差し出された文がある。

「兄上これは」
「見ての通り、院の近臣と呼ばれる方々じゃ。
わしに誼を通じようと文をよこしてきておられる。」
「でも、何ゆえに」
「そなたは、わしが伊豆に流される前は何をしていたか存知ておるであろう。」
「はい。確か上西門院さまにお仕えしていたと。」
「左中弁殿(藤原経房)、前右中弁殿(平親宗)はその頃わしと一緒に上西門院様にお仕えしていた。
その方々は今は院の近臣となっておられる。
わし自身かつて何度か院に拝謁したことがある。
また、院も一時期われらが父上を頼りにされていた時期がある。
つまりじゃ、わしは院に近づくことができる手づるを持っているということじゃ。」

確かに上手くいけば兄は院に近づけるであろう。
「しかしじゃ。都は現在わしらが敵とみなしている平家に抑えられている。
平家もわしらを叩き潰す意志は変わらぬようじゃ。
平家が都で睨みを聞かせている限り、院は表立ってわしらを認めることはできぬ。
よってわしが上洛して院と平家を切り離せばならぬのじゃ。」
範頼は沈黙した。
兄の言うことはもっともでもあるが、まだ腑に落ちぬものがある。

「しかし兄上、院が兄上をお認めになられても帝は平家の外孫でございます。
そのことに関しましてはどのように思われまするか?」
「六郎、帝は誰によって決せられる。」
「治天の君たる院がお定めになられます。」
「そして、今上の帝はまだ御元服なされていない。幼き帝は院の支えなくば立ち行かぬ。
院が今上の帝を認めなければ、今の帝は帝ではいられなくなる。
帝が幼いうちに他の皇子を即位させればそれで良い。
平家が寄って立つ基盤はこれで崩れる。さすれば、いずれわしらが官軍という立場になる日も参ろうぞ。」
兄の眼が鋭い輝きを放った。

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蒲殿春秋(二百十一)

2007-11-24 06:05:03 | 蒲殿春秋
「今回の謀叛には大義名分がある。
わしらは、高倉宮(以仁王)の令旨に従って立ち上がった。
単なる謀叛では離反が相次ぎいつかは討伐される。しかし、大義名分がある謀叛であれば
謀叛の名が外される日がいづれ訪れるやもしれぬ。
だが、しかし・・・」
兄は言葉を区切った。
「高倉宮はすでにこの世にはおられぬ。」
範頼は兄を見つめなおした。
そのことは、各地で挙兵したものたちも東国武士達も実は承知しているであろう。
甲斐源氏の人々も、以仁王は実は生きているとの風聞を広めて以仁王の令旨の正統性を
保とうとしている。いつまでそれが持つのかという限界を感じながら。

「だが、それに対しても手立てはある。
一つは、高倉宮の令旨を出すのに密かに手を貸されたといわれている八条院様
のお力にすがり、他の宮様を皇位に担ぎ上げること。
だが、わしは、八条院様とはつながりがほとんど無い。
わしには、それができぬ。
だが、わしにはもう一つの手立てがある、それは」
ここで頼朝は弟を強い目線で捉えた。
「院、治天の君たる院をお支えしてそのご承認を頂くということならばできる。」
範頼は不思議そうな顔をした。
「院は先年平相国(清盛)に鳥羽殿に押し込められて、政に一切関わることが
おできにできなくなった。その間に即位されたのが今の帝じゃ。
ただいまは右大将(平宗盛)とは平穏にいっているようであるが、院は決して
今上の帝に対しても平家に対しても心を許してはおられぬ。
そこに、わしのつけこむ隙がある。」
「しかし、兄上そのことは可能なことなのでしょうか?」
不審そうな顔をする弟。
兄は立ち上がり、数束の書状を持って弟に差し出した。
「これを読まれよ。そしてその書状を書いた方々のお名を見られよ。」
と兄は言う。

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蒲殿春秋(二百十)

2007-11-21 05:32:52 | 蒲殿春秋
頼朝に対面した範頼はまず、勧められた縁談を受けることと
それを勧めてくれたことへの礼を申し述べた。
「よかった。藤九郎の娘を幸せにしてやってくれ。」
と兄は言った。

その後これから三河に帰ることを申し述べた。
その際次のように尋ねた。
「兄上、兄上は上洛の準備をなされていると聞き及んでおりますが
本当に上洛なさるのですか。」
頼朝は弟をじっと見据えた。
「いずれは、上洛する。折をみてな。」
「いつ頃にあいなりましょうか?」
「折を見て、じゃ」
弟も兄の顔を見つめる。
折とはいつの事なのかと聞こうと思ったが、聞けなかった。
坂東をめぐる情勢は流動的である。おそらく兄もいつになるとなとは明確に答えられないのであろう。
「ところで、兄上、何ゆえに上洛なさるのですか?」
「六郎、わしらは現在都の人々からどのように見られていると思うか?」
それに対する答えは、率直な言葉で言うのははばかられた。
答えにくそうにしている弟に兄は促した。
「構わぬ、遠慮なく申せ」
「・・・謀叛の輩であると・・・」

「その通りじゃ」
兄は満足そうに答えた。
「わしらのしていることは確かに『謀叛』である。
しかし、謀叛するにもする側の道理がある。
みだらに世を乱すことを目的にしているのではない。
それは判ってくれているであろう、六郎。」

確かに、都から見れば謀叛でしかない全国各地の武力蜂起ではあるが
謀叛と見られる行為を行なった人々にはそれなりの理由がある。
治承三年、平清盛が後白河法皇を幽閉して後白河院政を停止させ
清盛が政治の実権を握り院やその近臣から知行国を取り上げて
全国に平家の知行国を増やしたことが今のこの各地の謀叛に繋がっている。

それまで全国各地では、在地の有力者同士が夫々所領や国衙の権利取得などを巡って対立が続いていた。
そのような中、平家が知行国を急激に増やして、平家に近づくことに成功した勢力のみを
取り立てて支援したものだから全国で混乱が起きた。
平家に近づくことができなかった者は、平家の支援を受けたものから様々な抑圧を受けることになった。
抑圧を受けたものは事態の打開を狙っていた。武力の行使もやむをえないと感じていた。
折りしもそこへ「平家の支援を受けた安徳天皇に代わって皇位を得る。自分に味方したものには恩賞を与える」
という「以仁王の令旨」が全国にもたらされた。

親平家勢力の抑圧に苦しんでいた者達はこの「令旨」とそれを受けた各地の「貴種」を
旗印にして立ち上がった。
それが今回都の人々から謀叛と見られている行動の実態である。

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蒲殿春秋(二百九)

2007-11-18 15:31:57 | 蒲殿春秋
頼朝は安達家からの報告を受けていた。
範頼が瑠璃に求婚したこと、そしてその前に遠江に使者を走らせていたことも。

数日後範頼は頼朝に三河へ戻る旨を伝えてきた。
そして、挨拶の為面会を望んでいることも同時に伝えられた。

範頼が三河に戻ることには異存が無い。
いや、そろそろ戻ってくれなければ困るのである。
範頼の留守の間に派遣した安達盛長は心許せる側近
そして、和田義盛は頼朝の元に集う御家人を統制する侍所の別当なのである。
頼朝の勢威を三河に及ぼすのにこの両名が彼の地にいたことの意義は大きいが
その二人に長い間鎌倉を留守にされるのもやはり不都合である。
範頼と入れ替わりに、鎌倉に戻って欲しかった。

それに、範頼が瑠璃との婚儀に了承してから三河に帰るのならば
婚儀の打ち合わせと称して、盛長をこの先何度も三河に派遣できる。

今回の縁談がうまくいけばよい。
頼朝は本心からそのように思った。
唯一つ、範頼が遠江にこの時期使者を送ったことだけが気に障った。
あの使者は恐らく安田義定への連絡だろう
そして、その趣は今回の縁談の了承を得ることにあったであろう。

━━ 六郎、やはりそなたと安田とのつながりは侮りがたいものがあるな。

頼朝はそのように思ったかもしれない。

弟範頼に対してもう一つ手を打たねば。
範頼の面会の要請に対して了解をした頼朝は、どのように対面するか思案していた。

一方範頼も兄に対して一つ問うておきたいことがあった。
鎌倉にくる直接の要因である、頼朝の上洛の真意である。
縁談の了承と礼を述べると共にそれを問わねばならぬと思っていた。

兄弟は夫々の思惑を胸に、しばしの別れの為の対面を迎えようとしていた。

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蒲殿春秋(二百八)

2007-11-16 05:16:20 | 蒲殿春秋
翌早朝範頼は文をしたためそれを郎党の持たせて遠江へと向かわせた。
その一部始終を安達家の郎党に見られ、行き先まで探っていたことに彼らは気が付かない。

朝餉を終えると範頼は新太郎を連れて瑠璃の元へと行った。
新太郎と一緒に海辺を歩こう、と誘った。

浜辺を歩き始めた三人。
新太郎はうれしそうに声を上げた。
しかし、範頼と瑠璃の二人は暫くの間無言であった。

「風が気持ちいいですね。」
「そうですね。」

辛うじてこの会話が成立したが、また暫く沈黙の時が続く。

結局この日はそれ以上話が出ないまま安達館へと戻ることになった。

翌日また海辺へと行った。
今度もあまり話しをせぬまま帰宅する。

翌日もまた。
けれども、今度は新太郎を連れずに二人だけで歩いた。
無言であるが二人は手を握って歩いていた。

その夜、範頼の郎党は戻ってきた。
郎党は縁談に祝意を寄せた安田義定の文を持って帰ってきた。
その様子も安達家の者が密かに見ていた。

翌日、また範頼は瑠璃と海辺を歩いた。
少しづつ取り留めのないことを話すようになった。
やがて、それぞれの好きなことや生い立ちなどを話すようにもなってきた。

そのような日々が続いたある日、範頼は思い切って瑠璃にこう切り出した。
「ご息女。よろしければお名前を教えていただけませんか?」
瑠璃はうつむいて顔を赤らめた。
しばらくしてから。
「瑠璃。わたしの名前は瑠璃」
恥ずかしそうに小さな声で答えた。
「素敵な名前ですね。」
そう言うと範頼は瑠璃の両の手をとり、そして抱きしめた。

肉親ならぬ男に名を明かす。
それは相手に全てをゆだねるということ。
名を教えて下さいという男の求婚に女が答えたのと同じことである。

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蒲殿春秋(二百七)

2007-11-13 05:51:23 | 蒲殿春秋
安田義定は範頼にとって大切な盟友である。
甲斐に亡命してから受けた恩義は数知れない。
現在範頼が三河に勢力を築きつつあるのは安田義定の後援があってのものである。
しかし、その一方で三河でのもう一つの支援勢力熱田大宮司家の力も無視できない。
その熱田大宮司家は兄頼朝の縁戚。
義定も頼朝も、範頼にとってどちらも大切な存在である。
もし、頼朝の勧める縁談に安田義定が異を唱えた場合範頼はどうしたらよいのであろうか。

全成の屋敷から出ると夜になっていた。
安達屋敷の門に近づくと小さい影がもっと小さい影を抱いて揺れていた。

「ねえ、新太郎。私もう少ししたら、さよならしなくてはならないの。」
瑠璃は赤ん坊の新太郎に話しかけている。
「私、嫁いでよそに行くのよ。
相手は、蒲殿。新太郎もよく知っているあのおじちゃんよ。」
風が当たらないように瑠璃は新太郎に布を掛けなおした。
「あのおじちゃんなら、お嫁に行ってもいいでしょ、新太郎。
でもね、そうなったら私は三河に行くことになるかも知れない。
そうしたら鎌倉には中々戻ってこれないわ。」

瑠璃の声を聞いて範頼はとっさに身を隠した。

「あのおじちゃん、
大食いで、やたらと背が高くて、大イビキで、おまけに年が三十。
そんなおじちゃんのところにお嫁にいくのよ私。
でも、私あのおじちゃんのこと嫌いにはなれない。
新太郎もあのおじちゃん大好きよね。
私も、あのおじちゃん大好きよ。悔しいけれど。」

そして、瑠璃は空に向かってつぶやいた。
「あーあ、なんだか損しちゃったわ、私。
素敵な殿方がまだ見ぬ私にあこがれて恋文をくれて
そして、文をくれた方がどのような方か考えて、心ときめかして、
沢山文のやりとりをして・・・
それから一緒になりたかったのに。
最初から素顔見せて、新太郎の前でおろおろして、私の前で何杯もご飯を食べて。
そんな人が私の相手だなんて。
ときめくひと時が一度も無いままお嫁に行くなんて損したわ、私。」

「ねえ、新太郎一言言ってやってくれない?
蒲殿のことは嫌いではないけれど、いきなり目の前に現れて
ときめきの一つもくれないで私を嫁に貰うなんてひどすぎるわって」

天空に瞬く星々に照らされた瑠璃は輝いていた。

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蒲殿春秋(二百六)

2007-11-12 04:48:09 | 蒲殿春秋
筆を握り締め紙を見つめて範頼は動かない。
安達家の娘の心を掴め
と当麻太郎は言うが、何をどう書いていいのだろうか。

恋文というものを出したことはある。
三十になるまでには何度か女性にそのようなものを出したことはある。
しかし今回は、一度二度見かけただけの相手のことをあれこれ想像して書くわけではない。
ここ半月以上もこの家で世話になり、お互いの顔を見てしまった間柄である。
しかも、日々の大食らいを知られ、髭の手入れもしていない寝起きの顔なども相手の娘に披露し
おまけに新太郎を相手にてこずっている姿まで知られている。
そのような相手に今更どのような恋文を書けというのだろうか。

文以上に難儀なのが歌である。
恋文には歌はつきものである。
範頼とて歌の一つや二つは読める。
当時の歌というものは、後世の人が電話をかけるのと同じくらい身近なものである。
しかし、歌には優劣というものがある。
上手い下手の評価というものが厳然と存在する。

そして、安達家の人々は歌には自信があるのである。
相手の娘瑠璃の母小百合は若い頃都で宮仕えをして
歌の名人として知られていた女性である。
瑠璃も当然歌にはうるさいと思われる。
瑠璃にその素質は無くとも歌詠みの名人の母に自分が作った歌が披露される
ということが全く起きないわけではない。

一生懸命読んでやっと人並みなものと思われる歌をどのように評されるのか。
そう思うと出てきそうな恋歌もなかなか出てこない。

その日は一日文机に向かって悶々と悩み続けた。

思い余って翌日全成の家へと向かった。
都育ちの全成ならば気の利いた歌の一つも教えてくれるのではないかと思った。
できれば自分に代わって歌を作って欲しい。
しかし全成の答えは
「そのようなものの代作はできません。
兄上のお気持ちをそのままお伝えしたほうがお相手に通じると思いますが」
であった。
全成はぽつりと言った。
「この縁談、安田殿はどう思われますかな」と。
この一言は、恋文や歌に浮かされていた範頼の熱を一気に冷ました。

確かに、現在頼朝と安田義定は反平家という面では手をつないでいる。
しかし、最近頼朝が上洛の構えを見せて駿河に仮屋を儲けたり
三河に自らの配下の者を派遣したりして
甲斐源氏の勢力の強い駿河以西の東海道に影響力を持ち始めている。
このことに対しては甲斐源氏も神経を尖らせている。
一方甲斐源氏の方も武蔵相模に勢力を延ばそうと画策をしている。
協力はしていても微妙な緊張が走っているのが甲斐源氏と源頼朝の今の状況である。
その状況で範頼が頼朝のとりもちで妻を迎えるというのを
甲斐源氏安田義定はどのように受け取るのであろうか。

全成の言葉は範頼の心に引っかかった。

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蒲殿春秋(二百五)

2007-11-09 05:12:33 | 蒲殿春秋
大蔵御所から戻った範頼は「縁談」のことを当麻太郎に告げた。
ここ数日の主のおかしな行動をいかぶしく思っていた当麻太郎は
その理由を知り納得した。
「よろしゅうございましたなあ」
と当麻太郎は喜んだ。
だが、範頼は翌朝
「この縁談、何か裏があるかと思わぬか?」
と当麻太郎に聞いてきた。
兄と対面したときに聞いた安達家や比企尼に対する信頼や
自分に対する気持ちに嘘があったとは思わない。
けれども、兄はもっと大切な何かを隠しているような気がしてならないのである。

そのように言うと当麻太郎は
「そうですな、裏のない縁談などないと思ったほうがよろしいかと存じます。
しかしどのような裏があろうとも、此度の縁談は殿にとって悪い話ではないとは思います。」
今範頼は三河に勢力を築きつつある。
その三河に縁がある安達藤九郎盛長と手を結ぶことは確かに大きな手助けとなろうし
この縁談を受けて兄の歓心を買えば三河における範頼の支援勢力の一つである
頼朝の外戚熱田大宮司家との絆を強めることになる。
その事情を当麻太郎は語った。
それでも、主は決心を付きかねる顔をしていた。

それを見た当麻太郎が真剣な眼差しで主に迫った。
「何をお悩みです。
そうやって悩みすぎて機を逃して今まで何度縁談を流してしまったことか。
今回は他ならぬ兄上の勧める縁談でございまするぞ。
お悩みになってみすみす良いご縁を逃すという愚はいい加減おやめくださいませ。」
「そうだな」
とは答えたもののまだ悩んでいる顔つきである。
「殿、もしや、この家のご息女が気に入らぬとも?」
「いや、その様なことは無い」
と答えた顔は照れている。
「ただ、娘御の気持ちが今ひとつわからぬ。それが不安でな。」
「ならば、殿、ご息女の気持ちをこちらに引き寄せる努力をなさいませ。
今からでも文一つ、歌の一つでもお書きくださいませ。」
そういって、当麻太郎は主の目の前に紙と筆を差し出した。

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蒲殿春秋(二百四)

2007-11-06 05:45:54 | 蒲殿春秋
そして、頼朝は心の中で二人の人物に謝っていた。
都に住する姉と今は亡き母に。
姉が出した文は純粋に弟達を思いやる愛情であふれていた。
その姉の想いを自分は利用した。
兄弟のなかで誰よりも姉を慕っている異母弟範頼を自分の弟としてひきつけておくために。
範頼がもし将来兄か盟友かと迷ったときに兄である自分を選ばせるために。
兄弟の絆を姉の手紙を使って想起させるために。
そしてまたこの文は縁談に対する弟の疑念の質問をはぐらかす為にも一役買った。

黄泉にいる母は今の自分のこの行動を快く思わないだろう。
「姉の純粋な思いをそんなことに利用するとは」
きっとそう怒るはずである。
━━ 怒って欲しい、母上。もう一度わしの目の前に現れて。

頼朝は文机の奥に大切にしまってある袋を取り出した。
それはもう何十年も前、伊豆で流人として暮らしていた頼朝に
ひそかに範頼が届けてくれたものである。
袋の中には古ぼけた人形が入っていた。
姉が密かに伊豆に向かう範頼に持たせたものである。
あのときの自分は無力な流人であった。
訪ねてきた弟に粗末な食事を与えるのが精一杯のもてなしだった。

それでも、範頼の来訪に対して何の邪心を抱くことなかった。
弟が来たことを純粋に喜ぶだけでよかった。
姉の思いを利用する必要も無かった。

今ならば弟にどのようなもてなしもできる。
近く三河に戻るであろう範頼に盛大な土産を持たすこともできる。
けれども、その弟にはすでに盟友がいて
三河という国の支配という問題も絡んでいる。
純粋に弟として遇するだけというわけにはいかなくなっている。
もはやあの伊豆の一夜のようにただの兄と弟として対峙することはできない。

縁談と姉への想いで弟を縛り付ける必要すら出てきてしまった。

頼朝は人形を暫く見つめた。
やがて人形は再び袋にしまわれ文箱の奥へと戻された。

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