時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百六十八)

2011-06-27 00:00:23 | 蒲殿春秋
鎌倉に到着した翌日範頼は兄の住まう大蔵御所へと参上した。

上座にある兄の座は以前に比べて立派なものになっていた。
そして桔梗の狩衣を着て座している兄の様子も一層威厳に満ちたものとなっている。

兄の座の近くにいる人々も様変わりしていた。
以前は兄の懐刀のような梶原景時や土肥実平が兄の間近にいたのであるが、
現在兄の側に並んでいるのは都風の優男ばかり。
都から呼び寄せた文士達である。

その中で目を引くのが二人いた。
温和な風貌の中に鋭さを感じさせる男と以前甲斐国でみかけた大中臣秋家である。
以前甲斐源氏一条忠頼に仕えていた大中臣秋家の姿をこの場で見かけ
範頼は甲斐源氏が頼朝によって屈服させられた事実を改めてかみ締めた。

やがて女房の先触れの声が聞こえその後から鎌倉殿源頼朝が現れた。

範頼はそれと同時に頭を下げた。

「蒲、よう戻った。此度の働き見事であった。」
平伏する範頼に対して兄鎌倉殿は声を掛けた。

「ははっ」

範頼は平伏したまま顔を上げることができなかった。
わざとではなく何か威圧されるものを感じ顔を上げることができないのである。

「顔をお上げ下さい。」
兄の側に控える一人の文士が声をかける。
だが、中々顔を上げることができない。

「蒲、面を上げよ。」
今度は兄から直々に声を掛けられた。

範頼はゆっくりと顔を上げた。
そこには半年振りに見る兄の顔があった。
兄は桔梗重ねの狩衣をこざっぱりと着こなして悠然を弟を見つめていた。

「此度出陣したものたちから様々な話を聞いた。将として立派に勤めを果たしてくれた。苦労しただろう。そなたの働きにわしは深く感謝しておるぞ。」

兄は静かに語る。

━━ 苦労 
その一言を聞いたとき範頼は不覚にも涙がこぼれそうになった。

出陣してから様々なことがあった。
一条忠頼との確執、兵糧の手配、少ない兵数で戦えと命じられたときの困惑、
そして出撃して帰ってこなかった者達の名を聞いたときのいたたまれない気持ち・・・
明日の見えない福原の長期滞在・・・

その時はさほど苦とは感じなかったことが、兄の言葉を聞いて思い出された。今思えばよく乗り越えられたものだと思う。
そのさまざまな思いが怒涛のように流れ出す。それを今必死にこらえようとしている。

前回へ 目次へ 次回へ
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ

蒲殿春秋(五百六十七)

2011-06-13 22:37:50 | 蒲殿春秋
新太郎はいつしか眠りについていた。
眠りの中で新太郎は父に会っていた。

夢の中で新太郎が父に会っていたその時現実(うつつ)の新太郎は大きな腕に抱えられていた。
その腕の持ち主は新太郎の姿とかつての自分の姿を重ね合わせていた。
新太郎は弟と二人安らぎの夜具の中に寝かされた。

逞しい腕の持ち主はしずかに去った。

範頼邸にはいつしか静けさがおとずれる。

一方そのころ鎌倉の大蔵御所では鎌倉殿源頼朝が悦に入っていた。
弟源範頼が無事に鎌戻ったことに。
しかもこの時節に。

━━ 間に合ったな。

というのが頼朝の率直な感想である。

源頼朝が福原攻めの恩賞として要求した三つの国の国守が認められ間もなく正式な除目が鎌倉に到着する。

その除目が鎌倉で披露される前に範頼が戻ってきた。
それが喜ばしい。

範頼は頼朝の推挙で三河守に任ぜられる。

範頼が鎌倉にいるときにその事実が頼朝自身の口によって告げられることになる。
このことが持つ意味が大きい。

他の誰かの推挙でもなく源頼朝推挙による任官であること、
このことが頼朝にとって非常に重要なことなのである。

範頼は当初は盟友甲斐源氏の安田義定と共に三河に入り、その後援で三河国の実権を手に入れていった。
後に範頼は頼朝の母の実家熱田大宮司家の支援も得、さらに三河国への影響力を深めるようになっていった。
つまり範頼が三河国で勢力を得た背景は、頼朝の母方の実家の支援があるものの範頼と安田義定の努力によって得た部分があることが大きい。

異母弟であるとはいえ範頼は頼朝から独立した武家棟梁として振舞うことができる下地があるのである。

その範頼を「任官」という手段によって頼朝の手元に引き付ける、
今回の三河守任命はこのような目論見もあるのである。

とにかく弟とはいえ油断はできぬ男を手中に取り込む手段を得た、その想いを秘めながら
頼朝は一人満足げに夜空の星を見上げていた。

前回へ 目次へ 次回へ
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ

お知らせ

2011-06-11 05:08:41 | Weblog
おはようございます。

さて、このブログにリンクを貼らせていただいています
「治承寿永に乱タイムライン」ですが
サービスをご提供してくださっていている「nifty timeline」様が
6月30日をもってサービスを停止されるということですので
7月1日「治承寿永の乱タイムライン」を閲覧することが出来なくなります。

上記の状況により今月いっぱいで「治承寿永の乱タイムライン」へのリンクを外させていただきますので、事前にご案内させていただきます。

さがみ

蒲殿春秋(五百六十六)

2011-06-02 05:42:52 | 蒲殿春秋
範頼帰還を聞きつけて多くの人々が範頼邸へと集まった。

舅の安達藤九郎一家、藤九郎の妻の姉妹とその夫、そして小山一族。
皆範頼の無事な帰還を喜んで集った。
藤九郎の妻の妹の楓は大きく膨らんだおなかを大事そうにさすっている。
そして藤九郎の妻小百合は、末の息子である赤子を隣に寝かしつけている。

男達は口々に勝手なことを言いながら酒を口に運んでいる。
やがて無く今様の歌声が響きだす。

そのような騒ぎの中、弟をあやしながらも寂しそうな顔をしている幼子がいる。

この家の侍女頭志津の子新太郎である。

このような宴があると母は忙しく自分達を構ってくれない。
しかし、一番の寂しい原因は他にあった。
新太郎の父藤七が範頼と一緒に帰って来なかったからである。

母から父は暫くは近江から帰って来れないと言われていた。
だからあきらめている。

けれども、範頼とその郎党たちが無事に帰ってきたのに父はその中にいない。
その事実が新太郎の心に影を落とす。

宴から離れた場所で新太郎はぽつんと弟とあやしている。
やがて弟は眠る。

新太郎は寂しくなった。

━━ おうみ、か。

近江は父の主の佐々木秀義の元々の本拠地である。
平治の乱で主はその追い出されていたが、頼朝の挙兵以降その失地を回復すべく努力し
昨年末からの戦いでようやく元の所領を取り戻し、所領の経営に忙しくなっている。
だから、主佐々木秀義についていった新太郎の父藤七は近江に留まる主を助けなければならないため
鎌倉に戻れない。

そのような事を母は噛み砕いて新太郎に教えてくれたのだが、
幼い新太郎はよく意味がわかっていなかった。おうみというところがどこにあるのかもわからない。

蒲殿は鎌倉に戻ってきた。でも父は戻ってきていない。その寂しさだけが新太郎を支配している。

前回へ 目次へ 次回へ
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ