時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

当時の女性の名前について

2006-11-28 22:54:59 | 蒲殿春秋解説
平安、鎌倉時代の女性はかなり有名な人の妻、母、娘であっても
「本名」が知られていないことが多々あります。
系図には「女子」としか掲載されていない女性が多数います。
けれども、これは決して女性を軽視した結果ということではありません。

平安時代は婿入り婚で両親の屋敷は娘に相続されていましたし
平安末期には領地を沢山所有する女性が散見されます。
また、鎌倉御家人と呼ばれる人々の娘に
親の所領の相続がされていたことが見受けられます。(当時は所領等は分割相続)
夫の死後の財産管理権はその未亡人にありました。
嫡子といえども先代の未亡人の意見は無視できないものでした。

このような権利があるということは女性にも当然なすべき義務があったのは当然で
実家と嫁家との橋渡し役をする
一族を束ねる役割をする
自らが有力者の家に仕えて(乳母、女房など)実家や婚家の優遇策をとってもらう
一族の祭祀を担う
などの役割が当時の女性には期待されていたようです。

このように、女性は男性とは違った分野でけれども決して無視のできない
働きがなされていた時代が平安・鎌倉前期だったと思われます。

けれどもなぜ男性の多くが名前を残し女性は名前を遺さなかったのでしょうか。

大きな理由が二つあると思われます。

一つは
本名を使用するのを禁忌する風習があったため
男性でも、本名で相手をよぶのをはばかり役職名や居住地で人をさしていたくらいです。
女性ではなおさら「本名」を呼ぶのが失礼
いや、「本名」が知られるのは「相手に生命を握られる」のと同じくらい
怖れられるというほど禁忌されるものでした。☆

当時としては女性の「本名」を知ることのできる権利があるのは
親兄弟と夫くらいのものでした。
「本名」を教えるということは「相手に全てをゆだねる」というくらい
重大なことだったのです。

現代で言うと、女性の住居の中身をトイレや台所、物置の奥まで見せて
体重、体格、生年月日、趣味嗜好の全て
銀行の口座番号と暗証番号、クレジットカード情報
その他全ての大切なものを相手に教えるようなものです。

そのくらい本名が知られることは女性にとっては由々しき問題だったのです。

しかし、例外的に位階を与えられるなど公的な理由で名前が明かされる場合は
そのようなことは言っていられません。
必要ならば、名前が明かされるということは仕方が無いということで
公的身分を持つ女性の名前は残るようになりました。

二つ目の理由としては
本名で呼ぶ必要がなかった
先にも述べましたが、男性の場合も本名では呼ばず
役職名、居住地、兄弟順で人を指しました。
たとえば
源義経は
任官前は九郎(九人目の男子の意)
検非違使に任じられてからは「判官殿」と呼ばれました。(判官とは左衛門尉のこと)
(身分の高い人が下の身分の人の本名を日記に書くことはあったようですが)

ただし、男性の場合は女性に比べると「公的役職」につく度合いが圧倒的に
に多く、その除位任官には「本名」が必要だったので
必然的に記録上名前が多く残りました。

女性の場合はどのように呼ばれていたかと言えば
「○○の何番目のお嬢さん」とか
「○○の奥様」というように呼ばれるか
宮仕えして「女房名」(本名ではない)で呼ばれることが多かったようです。
家の中では
「大姫」(長女)
「中姫」(次女)
「乙姫」(末娘)
などと姉妹順で呼ばれていたようです。
現代でも「お姉ちゃん」と呼ばれて育った女性も少なくないと思います。

また、名前自体公的な立場に立つ必要が出てから名づけられる場合も多いようで
例えば
天皇の元に女御として上がることが決まったので名前をつけた
という場合も多々あったようです。


このように、女性の名前が残っていないのは
女性蔑視の結果ではなく
むしろ逆に「女性のプライバシー保護」「呪術的な保護」の意味合いが強かった結果だったのでしょう。
名前が残っていないからといって女性の権利が無視されていたという考え方は
近代的な価値観なのではないでしょうか?

(少し論点がズレるかもしれませんが、
この時代の女性の名前が残っていないから軽く見られていたという考え方は
ネット上に本名が載らないから
HNしかネット上に載らないネット使用者の権利が世の中で保証されていなかった
と言っているのと似ているような気がしますがいかがでしょうか?)


☆これは当時の「呪術的な」考え方で
現代では笑い飛ばしてしまうような話ですが
当時の人たちはそれを真剣に信じていたのです。
呪術や宗教が生活の中にスッポリと入り込んでいる時代です。
外国の人の文化風習が理解しがたい部分があるのと同様
何百年も昔の人の考えも現代の人には理解しがたいものがあるのです。

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