時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百五十五)

2011-02-27 05:31:42 | 蒲殿春秋
藤原範季はある日妻に切り出した。
久々に姉の所に行かぬか、と。範季の妻教子の姉たちは都のしかるべき家に嫁いでいる。
ことに教子は土御門通親の妻となっている姉とはしきりに行き来がある。

妻は怪訝な顔をした。
夫がそのような言葉を言うことはめったになかったからである。

しばらくして妻は夫に問いかけた。
「私がこの邸にいると何か殿にとって都合の悪いことがあるのですか?」
範季は答えに詰まった。

妻は強い疑惑の目で夫を見つめる。
「私はこの家の主婦です。殿と共に高倉家の家政を取り仕切る立場にあります。
その私がこの邸の中で起きることに知らぬことが一つでもあってはならないのです。」

━━ 全く・・・・

この妻の鋭さには常に驚かされる。我が娘よりも若い妻になぜこのように圧されるのか・・・

「そなたの仇がこの邸を訪れる。」
「・・・・仇?」

「我が猶子の蒲冠者がな。」

教子の瞳の奥が一瞬鋭く光った。

蒲冠者ーーー即ち源範頼は教子にとっては究極の仇である。
一の谷まで進出した平家は鎌倉勢を主力とする軍勢に討ち取られた。
その鎌倉勢の大手を率いていたのがこの蒲冠者範頼なのである。
しかも範子の兄平通盛を討ち取ったのも範頼の手のものなのである。

その兄の死がまた一つの悲劇を起した。
当時懐妊中であった兄の妻の小宰相が夫の後を追って命を絶った・・・・・
範頼が、兄、兄の妻、そして生まれるはずだった兄の子の命を奪ったのである。

さらにこの一の谷の戦いによって平家の帰京の望みが遠ざかった。

教子は静かに息を整えた。

「殿、わかりました。
蒲冠者は殿にとっては大切なご猶子です。
どうぞこの邸にお呼び下さい。よろしければ何日か逗留して下さっても構いませぬ。」
教子は静かに範季を見つめた。
「されど、一つだけ条件がございます。」
「!!!!!」
「私は、この家の主婦です。殿が客人を迎えるならば私みずから客人をもてなさねばなりませぬ。
ましてや蒲冠者は殿のご猶子です。殿のお子です。ならば蒲冠者は私の子でもあります。
私が蒲冠者をもてなします。この家の主婦として、蒲冠者の母として。」

教子は凛として夫に向かった言い放った。
夫藤原範季はこの若い妻を唖然として見つめた。

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蒲殿春秋(五百五十四)

2011-02-20 07:05:42 | 蒲殿春秋
範頼は範季に書状を送った。近く鎌倉に戻るという意の文を。
範季は書状を読むと黙って目をつぶった。
━━ そうか、やはり鎌倉へ・・・・
範季は我が子として育てた子が遠ざかるのを感じる。

だが、
「最後にもう一度お目にかかってから出立したい。」
との一文には、ある種の暖かいものを感じた。

範季は一度高倉の邸に来るようにという意の返書をしたためた。

━━ 六郎は鎌倉に戻ることを選んだ。だが、ただでは六郎は鎌倉には戻さぬ。
範季は東の方を直視した。そこには六郎の実の兄がいる。
先日範季は院にあることを奏上していた。そしてそれが受け入れられようとすることを知っている。

一方、鎌倉の源頼朝は異母弟範頼の鎌倉への帰還の日がいつになるのかを気にしていた。
彼が以前に朝廷に奏上したあることが受け入れられそうなことを知っている。
その披露は範頼が鎌倉にいる時期になされなければならない。
そうでなければ、今回の奏上、そしてその認可の意味は無い。

そのような頼朝の元に二通の書状が届いた。
一つは頼朝を喜ばせるもの、もう一つは喜びの中に一つの不本意を載せたものであった。

一通の書状には範頼からのもので、数日のうちに鎌倉に向かうという書状であった。
もう一通は院近臣からのものである。
それには頼朝の推挙した一族等の官位がほぼ頼朝の希望に沿って通るという内容である。
ただし、ある一文だけは頼朝の希望が叶っていない。
「武蔵、駿河国二国は頼朝の知行国とする。」

頼朝は一族を国守に推挙した武蔵、駿河、三河の三か国全てを知行国にすることを望んでいた。
だが、実際に知行国主として認められたのは三河を除く二か国である。

三河守は頼朝の希望通り異母弟源範頼が任官される。
だがその異母弟が国守となる三河国の知行国主に頼朝がなることは今回認められていない。

頼朝はこの一文をじっと見た。

しかし、頼朝は不敵に顔を上げる。
弟を知行国主として支配することは認められなかった。
だが、範頼を国守として頼朝が推挙したという事実だけは永遠に残る。
今回はこれで満足しておこう・・・・

頼朝は鋭い視線を都に向かって投げかけた。

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蒲殿春秋(五百五十三)

2011-02-17 05:22:55 | 蒲殿春秋
そして範頼はある話に驚く。
なんと範頼の盟友安田義定が甲斐攻めに加わっていたということに。

━━ 安田殿が・・・・

これまで安田義定と頼朝の関係は良好なものであった。
だが、同族を討ち取るのに義定が頼朝に協力するとは思わなかった。
それも武田信義に対して積極的に攻撃をしかけていたという。

安田義定は同族とは距離をとりながらも一応の協調をとっていたものと思われた。
この期に及んで同族攻めに加わるとは思っても見なかった。
同族攻めをする、そのようなそぶりを範頼に対して何一つ見せることはなかった。

━━ 安田殿・・・・
そういえば安田義定は範頼によく近づいてはいたものの、決して腹の中を見せる男ではなかった。
いつも愛想の良い笑顔をむけてはいたが・・・
そして時として範頼の予想外の行動をとった。
木曽義仲に協力して上洛したかと思えば、こんどは義仲を討つのに協力し、鎌倉勢に下手に出る。
そして今度は甲斐侵攻に協力する。

義定は範頼にとっては大切な盟友である。
だが、範頼に心のうちを覗かせない。
そのような男だった、範頼はあらためて盟友の行動を思い返していた。

そして兄頼朝の真意をも考える。
兄は暫く自分を一の谷に止め、なおかつ甲斐の情勢が穏やかならぬときに都にいるようにと言った。

兄は自分を疑っているのではないか、と思った。
範頼の一番の盟友は勿論安田義定である。その義定は結局頼朝に味方した。
だが、範頼は他の甲斐源氏の面々とも面識はある。
兄は範頼を心からは信頼していないのかもしれない。

何かのきっかけで範頼が武田信義に味方するのではないか、そのような疑惑をもたれているのではないだろうか?

いや、もしかしたらそのような疑惑ではなく、単に面倒な立場に立たされる弟を騒動の圏外におきたかっただけなのか?

範頼は兄の真意は測りかねる。
だが、ひとつだけ分かったことがあった。
この時期都にいたおかげで範頼はこの甲斐の騒動に一切巻き込まれずに済んでいるということに・・・

兄の真意はとにかく、兄が自分を福原そして都にいさせてくれたことを感謝すべきであろう。
それに都にいたおかげで、養父と再会し、姉と共に過ごすことができた。

都はまだ長い雨の時期が続いていた。
だが範頼の都の滞在も同じ頃終わろうとしている。
兄頼朝から鎌倉に戻るようにという命が範頼のもとにもたらされたのである。

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蒲殿春秋(五百五十二)

2011-02-15 05:55:24 | 蒲殿春秋
範頼は思う。
戦しなければならない世の中とは言え自分達はあまりにも多くのものを殺してきたと。
そして殺すことを命じ続ける立場であったことを。
その殺戮の激しさは保元平治とは比べ物にならぬほどとなっている。

少しばかりの供養をしたところで殺された者達の怨念を抑えきれるものでは無いであろう。
いや、自分達の罪は殺すということにとどまらない。
軍を動かすために略奪もした、家々を焼き払うこともした。
名も無き人々を苦しめてきたのである。たとえそれにどんな大義があろうとも。

恐らく姉もそのことは察しているだろう。
けれども姉は供養を続ける。

徒労に終わるかも知れない供養だが、姉は必死に供養を続ける。
少しでも弟達を守りたいが故に・・・・

範頼はじっと姉を見つめていた。
供養に明け暮れる姉は幼い頃自分の面倒を見てくれた姉と何一つ変わっていないことがわかる。

姉は弟達を世話するのが好きだった。母を同じくする弟もそうでない弟に対しても姉は常に優しさで包み込んでくれた。

そしてそんな姉を範頼は心の底から敬愛していた。
今も・・・・

現在の範頼の立場は複雑なものである。
だが、このことだけは強く思った。
何があっても自分はこの女人(ひと)の弟であり続けたいと。

姉に供養される人物は西国の者達に留まらない。
一条忠頼らの甲斐源氏の面々も供養されている。
姉のもとにも東国における甲斐侵攻の話が伝わっていた。

この供養に関しては範頼は複雑なものを感じている。

甲斐源氏と範頼の縁は決して浅いものではない。
兄頼朝が挙兵した際、範頼は着のみ着のままで甲斐国に逃げ込んだ。
そして甲斐源氏の保護を受けた。
その後安田義定と提携して遠江国、そして三河国へと進出した。

今回の木曽攻めや平家攻めも甲斐源氏の人々と共に出陣した・・・・

そのような範頼の元に甲斐攻めの詳しい話が逐次伝わってい来る。
甲斐源氏でも頼朝に最後まで抵抗したのは武田信義で、甲斐源氏の中でも加賀美長清や石和信光はむしろ積極的に甲斐陥落に手をかしたらしい。
甲斐源氏の分裂は深刻なものになっていたのである。

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蒲殿春秋(五百五十一)

2011-02-10 06:39:45 | 蒲殿春秋
そしてもう一つ重要な嫡女の役割がある。
それは、霊的に男の兄弟を守ること。
古来この国では「妹の力(いもの力)」というものが信じられていた。
これは姉妹が(妹はかならずしも年下の女兄弟を意味しない)男兄弟を霊的に守るということ、とそう信じられいた。
女兄弟が男兄弟を見えない力で守る力があると信じられていた。
特に最初にその家に生まれた女子などがその力が強いとも言われてきた。
ゆえに、父親は息子を守るべき存在を息子の女兄弟から選び取る。大姫と呼ばれる最初に生まれた女子が「嫡女」と定められることが多い。
選びとられた娘はその家の嫡女となる。

そして源義朝が嫡女として選んだのが、義朝の大姫であり嫡子頼朝の同母の姉、つまりここにいる坊門姫なのである。

その姉は嫡女としての役割を忠実に果たそうとしている。

姉は弟達を必死に霊的に守ろうとしている。

恨みを呑んであの世に旅立っていったものは、恨みの想いを捨てきれずあの世から怨霊となって、自分を苦しめた者達に復讐をする。

当時はそのように信じられていた。

源頼朝、そしてその代官として派遣された彼の弟達は戦いにおいて多くの者達を死に追いやった。
敗れ去った者達は何の恨みも抱かずに潔くあの世に旅立っていたものもいただろうが、恨みを残して死んでいったものも少なくない。
必ずやあの世から頼朝らに復讐をするはず、と、この時代を生きるものの人々の多くは感じていただろう

その怨霊を防ぐ有効な手立ての一つが、怨霊を供養することだった・・・・

もっとも、供養しても怨霊の活躍が封じ込まれるとは限らないのだが、何もしないよりはいいと考えられていた。

そして姉は大量の殺戮を行なった源頼朝とその弟達に復讐するであろう怨霊をなだめようと日々供養している。この家の嫡女として。

姉の供養は真剣そのものだった。
何しろ姉自身二十年以上も前の平治の乱で敗者の苦しみを味わいつくしている。
戦で敗れたものの無念さを誰よりも知り尽くしている。

この姉は弟達に襲い掛かるであろう敗れ去った者達の怨念の深さを身にしみて感じているであろう。

だから姉は必死に供養する。弟達を守る為に。

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蒲殿春秋(五百五十)

2011-02-07 05:48:43 | 蒲殿春秋
そのような範頼が滞在する姉の邸では日々様々な供養が行なわれていた。
その供養を主催して行なっていたのが姉である。

範頼が姉の邸宅にやってきたときの供養のしていたのは、木曽義仲とその一党、それと平家一門であった。
その供養されるべきものに数日前一人がさらに加わった。
伊勢国で討たれた志田義広である。
頼朝と対立し、勢力を蓄えていた常陸国を出て義仲に味方して上洛
その後義仲に最後まで味方し、鎌倉勢に義仲が討ち取られてからは暫く行方をくらませていたが、この前伊勢にいることが分かった。そして伊勢守護大井実春らと合戦の末義広は討ち取られた。

━━あの御仁がのう・・・

範頼は幼少時一度志田義広に会ったことがある。
それ以降義広とは会ったのは敵味方に分かれて戦陣にあったときだけである。
野木宮の戦い、勢多の戦い・・・

思えば只一度だけの戦陣にあらぬ対面も叔父の義広は範頼に敵意むき出しであった。
だが、死んでしまえばそのことさえもある種の感慨をもって思い出される。

日々の供養は並大抵のことではない。
供養をする際は僧侶を呼ぶ。僧侶もただでは供養してくれない。
それなりの布施が必要である。
また、供養されるべきものに供えられるものも必要である。
そう、いつの世でも仏事は出費がかさむのである。

一条家の内情は決して楽なものではないようである。
それでも姉は供養し続ける。
かつて敵だったものに対して・・・

一度範頼は姉に援助を申し出た。
けれども姉はそれを断った。

「これは嫡女たる私の務めですから・・・」
そのように言って・・・

嫡女。
家を代表し、財産を管理し、祖先代々の祭祀を司るのがその家の当主の務め。
そしてその当主の権利の殆どを受け継ぐのが、後を継ぐべき男子ー嫡子である。

一方その家に生まれた女子で嫡女と定められるものがある。
その嫡女は一族の精神的な要となり、生まれた家の祭祀を当主や嫡子と共に行なう。
嫡女は他家に嫁いでも実家の嫡女であることをも要求される。

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蒲殿春秋(五百四十九)

2011-02-06 23:20:55 | 蒲殿春秋
一方範頼はやや重い足取りで姉の邸へ戻った。
養父との再開は嬉しいことであったが、この先自分がどのように生きるべきなのかを選ばなければいけないという
事実を突きつけられたことが彼の足取りを重いものにしていた。

その範頼を一人の男が姉の邸で待ち構えていた。
その男は藤原範資ーー養父範季の実子である。
「六郎久しぶりだな。」
「これは、義兄上久しぶりで・・・」

この範資は範季の実子である。父によく似て学者としては優秀なのであるが、
どうも出世ということに関しては上手くいかない男である。

学者の家に拾われた範頼は、いやおう無く学問をさせられた。
しかし、幼少時から本格的に学問を仕込まれた範季の家の子たちに比べると物覚えが悪く、酷く苦労した。
この範頼の学問を助けてくれていたのが範資である。
もっとも範資はその頃出仕して忙しく学問以外の交流があまりなかった為兄弟の思いを抱く程親しいというわけではなかったが・・・

「何ゆえに高倉の家の顔をださぬ。そなたが来るのを父上や紀伊守(範季の甥藤原範光) が楽しみにしていたのに・・・」
「申し訳ありませぬ・・・」
「今日、父上に会うたそうじゃな。それを聞いてわしもそなたの顔を見たくなった・・・元気そうでなによりじゃ。」
範資はとりとめのない話をして範頼の前を去っていった・・・

それから、暫くの間範頼の元には養父の関係者がしばしば現れた。
そのなかでとりわけ多く足を運んできたのが例の範資。
その範資がよく一人の男を連れてきていた。
中原重能という人物である。
院近臣中原康貞の弟で文官として優れた能力を持っているが現在官職がなくこれといった主もない状態だという。
文を書かせてみると見事な文章を書いてみせる。筆跡も見事なものである。

「どうじゃ。使えそうな男だろう。」
と範資は言ってのける。

そのような日々を過ごしていたが範頼は少しこの時期考え込むことが多かった。

自分はこの先どうしたいのだろうか・・・
都には養父もいるし、姉もいる。
しかし鎌倉に妻を残してきている。そして自分を引き立ててくれる兄がいる。
そして三河には自分が築き上げた地盤がある。

どれも大切なものであるし、手放すことなど考えられない。

範頼の脳裏に浮かんだのが、父義朝の姿であった。
東国と都を往来し、その各地に自分と縁を結ぶものを置いていた父。
だが、都に比重を置くようになった父は遠江にいた自分とは疎遠になっていった。

どれも大切にする、けれどもどこに重きを置くべきなのか、範頼はまだ答えを出せずにいる。

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蒲殿春秋(五百四十八)

2011-02-05 00:09:58 | 蒲殿春秋
一方藤原範季も頼朝の任官の願いの中に不快の念を感じている。
「三河守源範頼」という一件に。

範頼は自らが引き取り養育してきた子である。
武蔵国の片隅の寺で僧となるより道の無かった範頼。
その範頼を引き取ってに加冠し、様々なことを教え込み、その身が立つように心を砕いてきたのは範季である。

その範頼に国守の地位を与えるのがその兄頼朝であるというのが気に入らない。
さらにその後も三河国知行国主として弟を支配下に置こうとするのも気に入らない。

━━ あの男が今まで兄として何をしてやったのだ。
という思いが範季の中にある。

流人という立場にあったとはいえ、範季が範頼を養育していた間、頼朝は弟であるその範頼に何もしてやることはできなかったではないか。
頼朝が挙兵したゆえに弟である範頼は一時窮地に追いやられた。
その範頼を助け協力したのは甲斐源氏の面々であり、範頼が三河に一定の地歩を築くことができたのはその盟友安田義定の協力あってのことではないのか?

それが、今「兄である」という事実だけで
弟に対して恩着せがましく「三河守」の地位を与え、その後も知行国主として弟を支配し続ける。

これでは弟の恩を着せて弟と三河国を自らの手元に縛りつけといるようなものだ。

心中範頼の兄である男に対して不快を抱えている範季は法皇近臣の一人がささやいた一つの言葉を思い出した。
「鎌倉に知行国を与えねばやらぬのは致し方ありませぬ。しかしながら三ヶ国は多すぎますな。
二ヶ国のみ与えれば鎌倉も納得しましょう。」
という一言を。

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蒲殿春秋(五百四十七)

2011-02-02 05:50:59 | 蒲殿春秋
後白河法皇はご自分の意のままに動く武力を欲しておられた。

かつて白河院が源義家、平正盛を
鳥羽院が平忠盛、源光保などの武士達を思うがままに従えていたように。

治天の君たるこの二代の上皇は強大な権威をそして徐々に増やしていった膨大な経済力
そして意のままになる武力を用いて朝廷に君臨し、年貢の徴収、治安維持そして
そのころ急速に力を伸ばし始めた寺社勢力への牽制を行なっていた。

だがその二代の上皇に比して後白河法皇の治天の君としての立場は極めて弱いものである。

そもそも即位自体が二条天皇即位の為の中継ぎとしての即位であった。それゆえに院としての権威が弱い。
その上、莫大な皇室領の殆どを異母妹宮の八条院が相続してしまった。後白河法皇を支える経済基盤は弱い。
さらに天皇として即位されてから保元の乱、平治の乱、平家との対立、寺社の強訴、そしてこの治承寿永の乱と動乱続きであり、さらに都の治安は悪化の一途を辿っていた。

ゆえに法皇は武力を求められる。それも自らに忠実な武力を。

だが、法皇に求められた武力の持ち主は法皇に対して忠実ではなかった。

当初法皇がご期待されていた源義朝は結局後白河法皇のもとを離れ藤原信頼に従い平治の乱で敗れ去った。
平清盛はその力が強大だったがゆえに法皇とは別個の政治勢力の中心となってしまった。
清盛亡き後の平家を追い払った木曽義仲は最初からその方向性は法皇の別のものであった。

そして現在最も法皇にとって望ましい態度を示す有力武士は鎌倉の源頼朝をおいて他には無い。

だが、その頼りにしたい源頼朝は鎌倉に籠もったきり上洛しない。
そして一度も上洛しないままに「知行国主」になることを欲している。
本来知行国主は都にあって朝廷に奉仕するべきものである。
それがその身を東国においたままで東国三ヶ国の知行国主であることを頼朝は望む。

法皇は頼朝のみが自らたのむべき武力であることをご存知でありながら、
その頼朝が上洛しないことを不満に思われている。

上洛せぬかぎり知行国主にはしたくない。だが、頼朝のその願いを完全に無視するわけにもいかない。
法皇は困惑されている。

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蒲殿春秋(五百四十六)

2011-02-01 05:52:40 | 蒲殿春秋
やがて、範季そして範頼は義経の邸を去った。
この後いかにするかを問うた範季は車中で後白河法皇のお心を思い、そして自身が抱える有る思いを持て余していた。

この頃後白河法皇の元に鎌倉の源頼朝から一族の官位の推挙が届いていた。
その内容は
武蔵、駿河、三河三国の国守の推薦とその三国を頼朝の知行国にしたい旨、
そして前大納言平頼盛の復任、さらに姉婿の一条能保を讃岐守に任じて欲しいとのことであった。

平頼盛の復権については後白河法皇ご自身もお考えになっていたことである。
彼は頼朝の元に出向いて法皇の御意志を頼朝に伝えついには鎌倉勢を上洛させることに成功したのであるから
頼盛にはしかるべき対応をしなければならない。
一条能保の讃岐守任官も望むところである。
現在平家本軍は讃岐を占拠し讃岐国屋島を本拠地としている。
頼朝が最も近い身内をその讃岐国の国守にと願ったということは
近いうちに平家を制圧する責務を自ら負うといっているに等しい。
少なくとも国守はその国に有る謀反人を追討する義務を有する。

しかし、東国三か国を自らの知行国にしたいという願いには後白河法皇はいい顔をなされない。
法皇は仰せられた。
「その身が坂東にあるのに何ゆえ知行国を望む。知行国主ならば都にその身があらねばならぬ。」
と。
この頃後白河法皇は頼朝に対してご不満をお持ちになられておられた。
━━ あの者は何ゆえ上洛せぬのか、 と。

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