時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

法住寺合戦から鎌倉木曽対決まで

2009-10-31 05:42:01 | 年表
史料名 玉ー玉葉 吉ー吉記 吾ー吾妻鏡



寿永二年(1183年)

日付 頼朝 義仲 その他 範頼、義経 朝廷 平家
11月24日                  諸卿に院参を命ずる(吉)  
11月27日              比叡山衆徒蜂起(吉)          これより前に室泊に到着(玉)
11月28日                     大量解官(吉)        
11月29日           室泊の戦い、行家敗北(玉12/2条、吉記12/3、12/7条では11/28)     師家政所始(玉12/3条)     
12月1日     義仲院厩別当となる(吉)                  
12月2日     摂関家の所領八十箇所を義仲に与える(吉11/28、玉12/3条)           
12月3日            この頃までに伊勢の義経義仲軍に追い落とされる(玉12/4条) 葦敷重隆、源有綱ら解官される(吉) 平氏入洛の噂(吉)
12月5日     平氏領を義仲に与える院下文が与えられる(吉)           平氏室にある。南海山陽ほぼ平氏に従う。平氏頼朝と同意する噂、義仲平氏と同意する動き(玉)
12月7日     法皇を西国に連れて行って平家を討つ案が出る(玉)          平氏入洛の動き。能円法眼から藤原範季に申し入れ(玉)
12月8日               法皇怪異により八条殿へ戻す案却下される。(玉)   
12月9日       比叡山僧侶蜂起(吉)            
12月10日                 頼朝追討院庁下文作成、法皇平業忠邸へ移る、除目(吉)   
12月11日           比叡山大衆ひとまず義仲と戦うのは停止(玉)            
12月12日          比叡山大衆まだ和戦両方定まらず(玉)         20日平氏入洛の噂(玉)
12月13日               上西門院、皇后亮子持明院基家邸に行かれる(上西門院乳母死去のお見舞い)(吉)   
12月15日               経房頼朝追討院庁下文に加判、奥州勢力に頼朝追討を命じる内容(吉)  
12月19日 頼朝死亡の噂(吉)    比叡山和平の大衆、神輿を振り下げ奉る(玉)         
12月20日        日吉社神輿を本社に戻す(吉)悪僧が琵琶湖の運上物を差し押さえる(吉)      平氏入洛の噂(吉)
12月21日              京官の任官(玉)   
12月22日 上総介広常殺害される(千葉系図他)          都大地震(吉)   
12月23日     義仲西海へ法皇御幸を望む(吉)                   
12月28日                       平氏と義仲の和平一定(玉)


寿永三年(1184年)
     
1月1日 鶴岡でお神楽(吾)                  
1月3日 伊勢外宮に大河土荘を寄進(吾)                    
1月4日 頼朝出立の噂(玉)              8日に平家上洛の噂(玉)
この頃            範頼軍の内部で先陣争いが勃発(吾2/1条、7/20条)        
1月6日           坂東武士墨俣を越えて美濃に入る(玉)      
1月9日   義仲と平家の和睦が必定(玉)             
1月11日    義仲近江に下向の話(玉)          13日に平氏入京の噂(玉)
1月12日               平家法皇北陸行きの噂の為和睦に難色(玉)
1月13日   義仲東国下向二転三転(玉) 行家渡野部にいる(玉) 義経の兵千余騎(玉)   平家入京に難色(玉)
1月14日    義仲法皇を連れて近江に行く説(玉)           
1月15日    義仲征東将軍の宣旨を受ける(玉)      後白河法皇赤痢により御幸を拒否(玉)   
1月16日    軍の対応二転三転(玉)   坂東の武士数万に及ぶ、坂東の武士勢多に到着(玉)     
1月19日    行家討伐軍出立、田原を守るため宇治にも出兵(玉)             
1月20日    鎌倉勢と戦い、義仲討ち取られる(玉)   義仲軍との戦い(玉)     


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蒲殿春秋(四百二十八)

2009-10-27 21:15:20 | 蒲殿春秋
やがてまた敵が現れ戦いが始まった。
その敵から逃れたときには義仲の側には乳母子今井兼平しかいなかった。

たった二騎となりあてどなく彷徨う義仲。

ふと義仲は前年平家を追い払って入京したときの事を思った。
その時は多くの味方がいた。
木曽からついてきたもの、信濃上野の武士達、そして新たに加わった北陸の武士達。
それに加えて、安田義定、葦敷重隆、土岐光長などの義仲に与力した東海の武将とその配下の軍勢たちがいた。

そして義仲は自らが奉じてきた北陸宮の即位を目論み、その成功を信じて疑っていなかった。

それが今義仲の傍らには今井兼平しかおらず回りは敵ばかりである。

何がいけなかったのだろうか。

奥州藤原氏からの誘いにのって西国攻めを中止したからか、平家との和睦に失敗したからか・・・

そして何故自分はこのようなことになっているのだろうか。
今自分を追う立場となった頼朝との違いは何なのか。
挙兵した時期もそう変わらない。以仁王の令旨を奉じたという点でも違いはない。

血筋の違いーーそれはない。義仲も頼朝も同じ河内源氏の一員で血筋の優劣に差はない。
器量の違いか?それも違うような気がする。
では何なのか。都との人脈の差か?以前帯びていた官位の差か?

彷徨いながら義仲は答えの出ない問いを繰り返していた。

「今までなんとも思っていなかった鎧が妙に重く感じる。」
義仲は傍らの今井兼平にむかってふとつぶやいた。
「殿、なんと弱気な・・・」

そう言いながら乳母子の兼平は主がもう心身ともに限界にきていることを悟った。

「殿、あそこに松原がございます。あそこで自害いたしましょう。」
兼平はそう促した。
「そうだな。」

そう返事を返したとき新たなる敵が二人に向かってくるのが見えた。

「殿、ここは私が食い止めます。どうかはやくあちらでご自害を。」
そう叫ぶと兼平は敵にむかって馬を進めようとした。

「四郎。私はそなたと共に死のうと思ってここまできたのだ。
そなたを置いて死ぬことはできぬ。」
「殿を名も無きものの手に討たせるわけにはいきませぬ。
本当に私のことを思われますならばどうぞあちらでご自害を!」

そう叫ぶ兼平の言葉を聞き義仲は渋々馬を松原に向かって進めた。
だが、少し進んだ直後異変が生じた。
馬がまったく動かなくなったのである。
なんとか動かそうとするのだが、馬は深田に足を取られている。

その義仲は兼平に向かって何かを叫ぼうとして後ろを振り返った。

瞬間義仲の額を一本の矢が貫いた。

義仲はどうと深田の中に落ちた。

やがて敵が現れ義仲の首に手をかける・・・・


「相模国住人石田次郎為久、木曽殿を討ち取ったり!」
琵琶湖のほとりの粟津にそのような声が誇らしげに響いた。
鎌倉勢からは期せずして歓声が上がる。

敵と戦っていた今井兼平もその声を聞いた。
兼平も自らの終焉の時を悟った。

「方々しかと見られよ。木曽殿の乳母子今井四郎兼平の最期を!」
そう言うと兼平は自らの太刀を引き抜きその先を口にくわえた。
そしてそのまま馬ら転がり落ちた。

地上に転がる兼平の首からは喉を貫いた太刀がはみ出して大量の血が噴出している。

かくて一時都を制圧した時の風雲児木曽義仲は三十一歳を一期をしてこの世を去った。

だが、この治承寿永の内乱はまだまだ多くの血を欲していた。また新たなる戦が待ち構えているのである。

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蒲殿春秋(四百二十七)

2009-10-25 06:02:51 | 蒲殿春秋
次々と襲い掛かる鎌倉勢を打ち破る。

そのような中義仲らにほんの一刻だけ敵のいない時間ができた。

気が付けば義仲の周りには殆ど味方が残っていなかった。
ほんの数騎もいない。
義仲は残ったものの顔を見渡す。
皆鎧には矢が幾つも突き刺さっており、無傷なものなどいない。

その殺伐とした一団の中に一つだけ華やかな存在がある。
義仲に都からずって従ってきた女武者巴である。
木曽からずっと義仲に影の如く従ってきた女である。

「巴、よく生き延びていたものだ。」
義仲は感嘆の声を上げた。
義仲に従っていたものの多くは名のある勇者でさえ討ち取られた。
だが、巴は女の身でありながら数々の修羅を潜り抜けここまでついてきた。

義仲は巴をじっと見つめた。

「巴」
「はい」
「そなたは、ここを離れ生き延びよ。」
「え?!」
巴は心外という顔をして義仲を見つめる。

「そなたはここまでよく戦ってきてくれた。
だが、次に敵が現れたときはもはや吾等は生きておるまい。
そなたは女じゃ。ここでわしらと離れ生き延びて欲しい。」
「でも。」
「でもではない。これはわしの命令じゃ。
そなたは生き延びわしらの菩提を弔うのじゃ。そして木曽に帰り、遺される者達に
わしらがどう戦い、どう生きたのかを伝えるのじゃ。」
巴は感慨深い顔で義仲を見つめた。
「巴、わたしからもお願いする。」
今井兼平も巴に言う。

残った将兵達も祈るような眼差しで巴を見つめる。

「わかりました。殿の命令を承ります。」

そういって巴は一礼して北国を目指して駆け抜けていく。
そこへ一人の武者がおそいかかってきた。
だが、巴はその武者を簡単にねじ伏せ片手に抱える。そして力任せにその首をねじ切った。

「殿、これが私の最後の武者働きでした。
これを一期としてわたしはただの女に戻ります。そして殿のご命令を確実に果たします。」
巴はそう叫ぶと、はるか彼方へと走り去っていった。

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蒲殿春秋(四百二十六)

2009-10-23 05:20:32 | 蒲殿春秋
「四郎、これは。」
「殿、申し訳ありません。勢多を破られました。」
今井兼平は無念そうな表情で言う。

「四郎・・・・」
義仲と兼平は無言で見詰め合った。

「四郎、少ない手勢でよく頑張ってくれた。礼を言う。」
義仲は穏やかな微笑みを見せて今井兼平をねぎらう。
「かくなるうえは、鎌倉の頼朝に我等の意地を見せてやろうではないか。」
義仲のその言葉に兼平は微笑んでうなづいた。
従う兵たちも「おおっ」と答え気勢を上げる。
もはや生きてこの戦場を逃れることはできないだろう。
懐かしい故郷の木曽にも帰れない。
だが、ここにいる以上彼等には後々まで語り継がれる見事な戦をしよう
そのような強い意志が義仲と兼平、そしてここにいる全ての木曽の兵たちに宿っていった。

その木曽勢に対して一条忠頼の軍勢は襲いかかかる。
「そこにおるは木曽殿ぞ、皆のもの木曽殿を討ち取るのじゃ。」
一条忠頼は配下の者達の功名心を煽って一気にに襲い掛かってくる。

だが、ここに来て死ぬことを怖れなくなった義仲と兼平に率いられた軍勢は恐るべき力を発する。
数倍もの兵力差もものともせず義仲らは果敢に一条勢に立ち向かっていく。
木曽勢はどんなに矢を射掛けられても、怖れずにどんどん前へ進んでいく。

兵の数は減った。
けれども木曽勢はどんどん前に向かって進んでいく。
その勢いに一条勢は気圧された。

いつの間にか一条勢は木曽勢を取り逃がしていた。

義仲たちは進む。
今度もまた白旗が見える。
その白旗がまたどんどん近づいてくる。
こんどの軍団は鎌倉殿軍目付相模国住人土肥次郎実平に率いられた兵だった。
また戦った。そしてまた多くの木曽の兵を失った。
だが義仲らは勇敢に戦いながら前に進む。やがて土肥勢の中を突破して先へとすすむ。

その義仲らに対して今度も鎌倉方の新手が現れ次々と襲い掛かってくる。

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蒲殿春秋(四百二十五)

2009-10-21 05:46:45 | 蒲殿春秋
義仲は院御所を後にすると六条河原へと進む。
その六条河原には既に多くの人馬がひしめいていた。
その軍勢は源氏の白旗を掲げている。
だが、その白旗は義仲の軍のものではない。
鎌倉の頼朝の配下であることを示す白旗ーー義仲を敵と見なす者達である。

敵は義仲の姿を見つけると即座に襲い掛かってきた。
義仲を守る者達が必死にそれに立ち向かう。
一人また一人と倒れていく。

その者達の姿を無念の思いで見つめながら義仲は粟田口へと向かう。

一方、都に入った鎌倉勢は六条河原に入って義仲を追撃するものと京中に入るものに分かれた。

京中に入ったものは搦手大将軍源義経に率いられ真っ先に院御所へと向かった。
院御所の前に現れた義経は門の前で下馬をした。
「前右兵衛佐頼朝が弟九郎義経、兄頼朝の代官として院をお守りするため都に参りました。
お許し願えますならば院の御身をお守りさせていただきたいと存じます。」
門の前で義経は高らかに音声を発した。

塀越しに院の北面たちが義経たち鎌倉勢の様子を窺っている。
暫く待たされた後、院の門が開かれ義経たちは院御所の中へと誘われていった。

さて、粟田口に向かった義仲は鎌倉搦手の軍勢を振り切りつつ勢多へと向かった。
勢多には今井兼平がいる。
まだ勢多が突破されていないならば、今井兼平らと合流して事態の打開を図ることができるかも知れない、そのように義仲は考えた。
そうして勢多に向かう途上、緊迫した顔で都方面にかけてくる一団があった。
その一団の面々は見覚えのある顔ばかり。
その中にひときわ親しい顔があった。
義仲の乳母子今井兼平であった。

兼平の顔をみて義仲は一瞬ほっとした。
だが、ほっとしていられる状況ではないということに直ぐ気が付く。
兼平の直ぐ背後からも白旗を掲げる一団が迫ってきている。

その白旗も義仲軍のものではない。
一条忠頼率いる甲斐源氏が掲げる白旗である。
一条忠頼も鎌倉の頼朝に協力して都攻めに加わっている。
つまり義仲の敵である。

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蒲殿春秋(四百二十四)

2009-10-19 23:52:36 | 蒲殿春秋
その頃義仲は都の中にいた。
彼の軍勢が鎌倉勢そして行家を防いでいる間に後白河法皇を奉じて北陸に下る、
その策を何とか実行せんと義仲はあきらめないで工作をしていた。

法皇は「赤痢」を口実に御所から動こうとはしない。
義仲の後ろ盾となっていた元関白基房にも働きかけを願ったが基房も積極的には動いてはくれない。
都において義仲はまったく孤立無援の状態である。
だが、義仲はあきらめない。
何としても法皇をつれて北陸にいく。
その為にはいかなる方策も尽くしてみる。

その方策の一つとして義仲は、
都に上ってから懇意となった院の女房を通じて後白河法皇に働きかけようとしていた。

自軍が敵と戦っているその頃義仲はその女房と対面していた。
義仲はその女房とは深い仲になっていた。
その女房も院の動座に関しては色よい返事をしない。
しかし、義仲も食い下がっている。
そうして問答しているうちにいつの間にか時間が通り過ぎていっていた。

そこへ最近義仲に仕えるようになっていた越後中太家光という者が息をせききって
義仲のもとにやってきた。

「殿、鎌倉の軍勢が間もなく都に押し寄せまする。」
中太家光は大声で怒鳴った。

義仲はその言葉を間に受けなかった。

いくら彼の軍勢が少数になったとはいえそんなに早く防衛線を突破されるとは思っていなかった。
義仲は女房との話を続けている。

「殿、宇治の守りが破られて九郎率いる軍勢がもう都の直ぐ側まで迫っております。」
中太家光は続ける。

だが義仲はまだ女房との会話をやめない。

今度は物騒な音が義仲の耳に入った。
先ほどから声が日々いいていた方向を見やると中太家光が血まみれになって倒れていた。
中太家光は自害して果てたのである。

その様子を覗き見た院の女房は卒倒した。

ここにきて義仲は事態が容易ならざるところまで来ていることをようやく悟る。

義仲は急いで甲冑に身を固め、手元に残ったわずかばかりの軍勢を引きつれ都大路へと飛び出した。

都に住まう人々は家の中にこもっているのか大路はひっそりとしている。
義仲は、最後の望みをかけて院御所に向かう。
だが、院御所は固く門が閉ざされたままである。
そうしているうちに、騎馬の蹄の音と、鎧がこすれあう独特の音が聞こえてきた。
都の南の方からである。
中太家光のいっていた通り、都の南、宇治から敵がやってきたらしい。

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蒲殿春秋(四百二十三)

2009-10-16 05:37:49 | 蒲殿春秋
一条勢と今井勢の矢合戦は続いている。
お互いに傷つけあうことも無く無意味に矢が放たれる。
そうしていること半刻ばかり、今井兼平軍に異変が起きる。
今井軍の側面に彼方から矢が飛んできた。
やがてその矢の向こうから鎌倉勢が現れた。
武蔵国住人稲毛三郎重成、その弟榛谷四郎重朝らが率いる軍勢である。

一条勢との矢合戦に気を取られていた今井勢は、ここから少し下流の浅瀬を通って
こちら岸に渡った稲毛勢の動きに全く気が付かなかった。

稲毛勢とは違う方角からも矢が飛んできた。
こちらも別の浅瀬から現れた鎌倉勢である。

これが範頼が言っていた「例の手はず」である。
稲毛らの鎌倉勢は地勢に明るい佐々木秀義の郎党から浅瀬の場所を教えてもらっていた。
誰かが注意を引き付けている間に少し離れた場所にある浅瀬を渡り今井兼平勢の側まで接近して攻撃を仕掛けたのである。

思いもよらぬ方角から攻撃を受けた今井兼平軍は混乱に陥っている。

対岸からこの様子を見た一条忠頼は舌打ちした。
その忠頼が自軍の背後の異変に気が付いた。
すぐ後ろに陣を構える土肥勢が河の下流方面に移動を始めたのである。

土肥勢が河を渡るのだろうと察した一条忠頼は土肥勢の後を追うよう自軍に指示した。

土肥勢が河の浅いところを渡った後に一条勢が続く。
土肥実平は、鎌倉勢に蹂躙されていく今井勢に近づく。
一方途中まで土肥勢の後をついてきていた一条勢は軍目付として戦の状況を検分している土肥実平を追い越した。

一方、壊滅状態にある今井軍からは戦線を離脱するものが後を絶たない。
その離脱者の中にひときわ立派な鎧を着しているものがいる。
━━ あれこそ大将軍今井兼平

そう見た一条忠頼は功名の思いに目を輝かせ、その将の後を追うよう自軍に命じた。

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蒲殿春秋(四百二十二)

2009-10-14 06:07:33 | 蒲殿春秋
同時刻、大手軍でも戦闘が開始されていた。
大手の将源範頼は戦に先立ってそれぞれの陣立てを鎌倉勢に指示していた。
しかしその鎌倉勢が進軍しようとする前に範頼率いる鎌倉勢力を塞ぐかのよう飛び出してきた一団があった。
一条忠頼率いる甲斐源氏一団である。

彼等は続々と前線へと抜け出してくる。

その一団を率いる者が対岸に向かって叫ぶ。
「そちらの兵を率いるものは何ものぞ!」
すると向こうから声が返る。
「木曽殿の乳母子、中原兼遠が一子今井兼平なり。そなたこそ何者じゃ!」
と返答が来る。
「清和天皇の末、新羅三義光が子孫武田信義が子、一条忠頼である。」
と叫ぶ。
忠頼は続ける。
「戦に先立って橋を落とすとは見苦しいものよ。」
と敵をののしる。
それに対して
「戦があるというに、相手の為にわざわざ橋を架けて道を作って、船を準備してやる者はおらぬわ!」
と今井兼平は返す。
そして
「我と思わんものは、この河を渡り我に向かって来られよ!いつでも相手つかまつる!」
と挑発する。

いきり立った一条勢は河を渡ろうとする。
しかし、海とも思える琵琶湖から流れ出でる河の幅は巨大で豊富な水量を湛え、たやすく渡れそうになかった。
河が天然の要害となっている。
しかも、河の中に杭や綱がしつられられている可能性がある。

渡るに渡れない一条勢は対岸に向かって矢を射掛け始めた。
すると木曽勢も矢を返してくる。
巨大な河を隔てた両者の矢はどちらも敵陣には届かず。
矢は水面を貫くのみであった。

この一条忠頼の戦いの様子を、範頼と土肥実平は眺めていた。
「相変わらず、軍議を無視されるお方じゃ。」
土肥実平は舌打ちした。
「まあ良いではないか、土肥殿。木曽勢の主力の注意をこちらに引き付けるというお役目を一条殿が引き受けてくださったと思えばよいのではないか。
本来ならば、我々が行なうべき役目であるがな。」
「・・・・」
土肥実平は憮然としている。
「それより土肥殿、稲毛三郎殿には例の手はずは伝わっておるだろうな。」
「はい」
返答しながら実平は少し機嫌を直した。
「藤七、良い知らせを持ってきてくれたものじゃ。」
範頼は近江国住人佐々木秀義の郎党である藤七を見つめていた。
藤七が軍議の後範頼に良い知らせを持ってきていた。
「藤七、稲毛三郎殿のほかにも佐々木との郎党は案内役としてついておるな。」
「はい」
藤七は答える。
範頼は満足げにうなづいた。

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蒲殿春秋(四百二十一)

2009-10-12 06:06:52 | 蒲殿春秋
一方馬筏を作って渡河しようとしている畠山軍団の中では奇妙は事が起きていた。
畠山重忠は馬を敵に射られ、仕方なく自力で泳いだり歩いたりしながら河を渡っていた。
名だたる豪力で知られる重忠も甲冑を着し太刀弓矢を装備した姿で渡河するのはさすがに体にこたえる。
それでもけんめいに進み間もなく岸に上がろうとしたとき体が急に重くなった。
何者かが重忠にしがみついてきたのである。重忠は重さを感じるところに目をやった。
見ると重忠の烏帽子大串重親がひしと重忠にしがみついている。
「どうした。」
と重忠が問えば、
「馬が力尽きて河に流されました。それで私はここまで流されました。
ここで畠山殿を見つけて、しがみついたのであります。」
と重親は答える。
「まったく世話が焼ける人だ、そなたは。仕方あるまい、これも烏帽子親の役目。」
そういうと重忠は怪力を発揮して、重親を岸まで放り投げた。
鎧に身を固めた重親は川岸に叩きつけられて一瞬痛みを感じたものの、すぐに立ち上がった。

「この渡河の先陣は、武蔵国住人大串重親なり。」
と叫んだ。

奇妙な先陣である。

先陣の手助けをすることになってしまった畠山重忠は苦笑いをしながらみずからも岸に上がる。
その後畠山重忠率いる一団は次々と岸に上る。

かくて、義経率いる鎌倉勢搦手軍は続々と木曽勢が待ち構える対岸へと上陸した。
鎌倉勢は上陸すると瞬く間に木曽勢力に襲い掛かる。
大手に比べると大幅に人数の少ない搦手であるが、それでも宇治に待機していた木曽勢に比べると
はるかに多い兵力である。
木曽勢力はたいした抵抗もできずに鎌倉勢に蹴散らされた。

鎌倉搦手軍は一路都を目指す。

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蒲殿春秋(四百二十)

2009-10-09 06:09:40 | 蒲殿春秋
水練に巧みな者達が河から上がると義経は全軍に渡河の指示を出した。

時は旧暦一月二十日。(太陽暦では三月初旬)
比叡山の山々の雪が溶け出し、雪解け水を受けた琵琶湖から滔々たる水量を吐き出している
宇治川の水かさは高く流れも急であった。

義経の下知を受けた坂東武士達は一瞬渡河をためらった。

そのような中大音声をあげて真っ先に河を渡ろうとする一団があった。
「坂東太郎(利根川、ただし当時は途中で現在の隅田川に流れ込んでいる)に比べれば物の数ではないわ!」
そのように叫んだのは武蔵国の大豪族秩父一族の一人畠山重忠。
そういって郎党たちをそして大将軍の義経を励まして大河を渡ろうとする。

「馬筏を作れ!」
重忠は自らの郎党達に命じた。
馬筏とは騎馬を密着させた一列に並べながらほぼ同時に河を進む進軍方式である。
このようにして進めば河の流れの影響を少なくして騎馬で対岸で渡れるのである。
さらに力のある強い馬は上流に弱い馬を下流にすることによってより確実に渡河することができる。
河川の多い武蔵国に住むものならではの知恵である。

重忠とその郎党たちが馬筏を作って渡河せんとしていた頃、
少し別の場所で並んで馬を乗り入れたものがある。

頼朝から名馬生食を賜った佐々木高綱と磨墨を賜った梶原景季である。
名だたる名馬を得た二人は、自分こそが先陣の栄誉に浴するのだと気負っている。

抜きつ抜かれつ両者は河を渡る。

「梶原殿、馬の腹帯が緩んでござるぞ。」
佐々木高綱は突如梶原景季に声をかけた。

その声に気が付いた梶原景季は急いで腹帯を直す。
直後景季は佐々木高綱が景季の少し前方に進んだのを見る。
━━ 謀られた。
そう思った景季が今度は佐々木高綱に声を掛ける。
「まだ河の中のあちらこちらに綱が残っておりますぞ。」
すると
「承知」
といって佐々木高綱は太刀を引き抜き河の中に次々振り落とす。
途中いくつか残っていた綱は太刀に引き裂かれ、その綱を押しのけるように佐々木高綱は進む。

やがて高綱は対岸にたどり着く。

「宇多天皇より五代の末、佐々木三郎秀義が四男佐々木四郎高綱、
宇治川の先陣なり。」
高綱は高々と宣言した。

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