時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

時政と吉田経房

2012-01-28 21:40:20 | 源平時代に関するたわごと
久しぶりの更新になってしまいました。
まずは近況報告をさせていただきます。

年が明けてからも多忙となってしまいました。
ここにきてやって多忙の波も落ち着いてきたのですが、今度は読書熱に侵されてしまいました。
今年の大河ドラマが「平清盛」ということもあり、平安末期に関する関連本が多数出版されています。
その中で専門の方がお書きになった良書も出版されてますので、(財布の中身がかなり痛いのですが)つい購入して読みふけっておりました。

そして今度は、「現代語訳吾妻鏡」に嵌っています。

ここ暫くの間読む閑も無かったのですが、あることを調べたくて読んでいるうちについ嵌ってしまったという次第です。
現在も「現代語訳吾妻鏡」に嵌っております。

というわけで小説の更新はもう暫くお待ちください。

ここから先は吾妻鏡で現在読んでいるところで気になるところを書かせて頂きます。

文治元年(1185年) 平家が滅んだ後義経と険悪になった頼朝は義経失脚後舅の北条時政を上洛させます。

この時都側の窓口になっているのが院近臣でもある吉田(藤原)経房さんです。

前にも書かせていただいた通り吉田経房さんはこの時代を調べるには欠かせない日記「吉記」の筆者です。

頼朝が吉田経房さんを窓口に指定した理由は推測がつきます。

実は平治の乱以前頼朝と同時期に経房が上西門院に仕えていたのです。
つまり、頼朝にとっては経房は職場の同僚だった時期もあり口をきいてもらうのに好都合だったのではないかと思うのです。

そして、何故時政が鎌倉側の交渉人になったのでしょうか?
九条兼実は時政のことを「北条丸」と記しています。
兼実は時政をかなり下にみています。
つまり、都から見れば頼朝の舅とはいえその程度の存在にしか過ぎない人です。

当時頼朝からみて都との交渉に使えそうな人は他にいなかったんでしょうか?

当時の頼朝の親族は(義経を除く)
異母弟 範頼、全成
姉婿 一条能保

くらいしかいません。

で、範頼ですが、範頼の都での窓口になりそうなのは藤原範季ですが
範季は義経に通じているという疑惑をもたれています。
このような状況では範頼が義経の二の舞になる可能可能性もあり範頼を都に送るわけにはいきません。

全成は出家してますし義経の同母兄です。やはり交渉人にはできません。

一条能保は都に住んでいましたが、この時期は色々な都合で鎌倉に来ていて鎌倉にいる必要があったようです。

それで後は親族扱いできそうなのは北条時政くらいしかいなかったというのが実は本音だったんじゃないかななどと考えています。

ただ、もう一つだけ北条時政が窓口に選ばれた理由になりそうなものがあります。

それは吉田家に伝わる文書の中に、経房が伊豆守だったときに時政との交流を示す内容が残されているらしいのです。

それならば、経房を朝廷側の窓口に指定したい頼朝にとっては好都合だったと思います。

ただし、この経房を交渉窓口に指定した主体者はあくまでも頼朝だったと思います。
先ほど述べたように、頼朝と経房は職場の同僚という関係もあり、頼朝は経房の人柄をかなり買っていたようなのです。

時政と経房との間につながりがあったとしても頼朝と経房との関係に比べると希薄であると思います。
経房が伊豆守でいたのは10歳から17歳の間までのことで、しかも現地には行っていないのですから。

ただこの上洛は元々都とのそれなりのつながりをもっていたと推測される時政にとってはかなりメリットのあるものだったのではないだろうか
ということは言っていいのかも知れないと思っております。

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

源平時代に関するたわごと一覧

謹賀新年

2012-01-02 07:16:25 | Weblog
一日遅れですが新年あけましておめでとうございます。

さて本年は無事新年を迎えることができて本当によかったと感じております。
正月を迎えることがこんなに有難いことだったのかということを
今まで生きていて初めて深く感じることができました。

さて昨年は多忙につきブログ更新が非常に遅くなっておりました。
本年はもう少しペースを上げたいな、と思っております。

お付き合いいただけましたら幸いに存じます。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

平成24年1月2日 さがみ