時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百六十二)

2011-04-28 23:02:58 | 蒲殿春秋
姉は寝転んでいる範頼の顔を覗き込んだ。

「六郎・・・・」

範頼はぱっと飛び起きた。

「姉上・・・・」

「白湯を持ってきましたよ。」
「ありがとうございます。」

範頼は姉から茶碗をうけとった。

姉の顔を見ると心が落ち着いてきた。

「姉上、やはり私はここにいるのが一番です。」
姉はそんな弟を優しく見つめる。

「姉上だけです。小さい頃から今まで私に何一つ変わらず接してくれたのは・・・」
「・・・・・・」
「高倉の邸は何もかも変わってしまった。紀伊の守殿も、邸の庭木も、何もかも・・・・」

姉はじっと範頼を見つめる。
「あなたは?あなたは何も変わらなかったの?」
姉は弟に不意に問いかける。
範頼はその一言にハッとした。

確かに、自分も変わった。自分はあの頃の自分ではない。
立場も年も・・・

「変わらないものなんて何もないの。大切なのはどのように変わっていくのかでしょ。」
姉は続ける。
「高倉殿のお邸で何があったの?良かったら話してくれない?」

範頼は養父の邸で起きたことを全て姉に話した。
姉はじっと話を聞いていた。

「そうだったの・・・
六郎が戸惑うのも無理はないわね。」
姉は続ける。

「紀伊守殿や乳母殿のことは仕方がないと思ってこれからもお付き合いしていくしかないわね。
あの方々は六郎に近づきたいのは、六郎が三郎の弟だからでしょうけど。
でも、あなたにとって無下にできない人たちよね。何しろ帝の乳母とご側近なのですから。
ただ、そういう人たちは心から信頼してはだめよ。
落ちぶれていたときは見向きもせず、羽振りのいいときだけ近づく人に心を許しては駄目。」

姉はきっとした顔をした。
「私は落ちぶれたとき、今まで親しくしていた人がどんなに人を裏切るかを見てきたわ。
特に、長田忠致、そしてあの伯父上。」
長田忠致はここにいる姉弟の父源義朝が平治の乱で敗れた際、忠致の邸に立ち寄った義朝を謀殺した。義朝を主と仰いでいたにも関わらず。
伯父上とは姉の母の兄熱田大宮司藤原範忠。範忠は平治の乱の後、姉の同母弟希義を朝廷に謀反人の身内として差し出した。その為に希義は土佐に流刑となってしまい、二十年後彼の地で命を落とすことになったのである。

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蒲殿春秋(五百六十一)

2011-04-24 05:40:49 | 蒲殿春秋
養父の邸を退出した範頼はそのまま姉夫婦の邸へと戻った。

居間に戻ると、範頼はごろりと転がってため息をついた。
なつかしの養父の邸だった。
だが、範頼にとっては養父と共に過ごした時間以外は疲れる所でしかなかった。
養父の妻からみれば範頼は実家の仇である。
そのような養父の妻は気をつかってはいたものの、範頼自身は居心地の悪さを感じていた。

それ以上に範頼を疲れさせたのは、久々に再開した範光らの三姉弟だった。

範光は散々幼少時の誼を範頼に言い立てた。
だが、その幼少のころの範光ら三人は、姉弟三人がしっかりと結束して他のものを寄せ付けない何かがあった。
範頼はこの姉弟の世界に入ることができずに疎外感を味わっていた。
なにの範光はその過去を塗り替えて範頼に幼少時の思い出を押し付けてくる。

一番疲れたのが末妹の兼子の相手であった。
兼子は今上の帝に熱心にお仕えしているという。
その兼子は、「神器は神器は?」
と何度も聞いてくる。
恐らく今上の帝の即位の礼を早急に行ないたいがためであろう。
今上の乳母殿であるからには問いだだすは当然のことである。

事実範頼ら鎌倉勢は「神器を平家から取り戻す」という大義名分で出陣した。
そして平家と福原で戦った。

だが、平家を福原から追い落としたものの神器と安徳天皇を取り戻すことはできなかった。都の人々の中には平家を追い落とした功績よりも、神器を取り戻せなかったことに対する失望を言い立てる人々も少なくない。

平家より少ない兵力で勝ったことだけでも大変なことだったのである。
出撃したくない鎌倉勢を福原に連れて行き戦わせる為にどんな苦労があったのか、と言ってやりたくもなる。
平家を追い落とすのに鎌倉勢もそれなりの討死者が出て、御家人達も出陣の費用の捻出に苦労したのです、とも言ってやりたい。
だが、神器を取り返さなかった失策を責める人々にはそのような事を言ってもわからないであろう。

後方から戦を見ているもの、とくに戦闘というものについて全くあずかり知らぬ人々はそのようなことなど考えもしないだろう。

兼子に「神器は?」と問われると、それを奪回できなかったことを暗に責められているような気がし、自分達の戦いは兼子にとってはあまり意味がなかったと言われているような気がしてならないのである。
考えすぎかもしれないのだが・・・・

範頼はその大きな体を横たえて右に左にと転がった。

そこへやや小さな人影が現れた。
見覚えのある人影ーーーー姉だった。

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蒲殿春秋(五百六十)

2011-04-23 06:21:25 | 蒲殿春秋
その頃範頼は養父と穏やかな時間を過ごしていた。
養父は少し疲れた顔をしていた。

「わしはにぎやかなことはあまり好きではない。」
範季は静かにつぶやく。
範季は学問の家に生まれ、静かな環境で何かを探求することを好む。
先ほど範光らが見せた異様な騒ぎ方は性に合わないのである。

それは範頼も同様である。
範頼も養父同様静けさを好む。
範頼も先ほどの範光らの異様な歓待に違和感を感じていた。

その養父と猶子はここでやっと得た静かな時間を楽しんでいた。
養父は静かに猶子を見つめるだけである。
一方口数の少ない猶子も静かに佇む。
それでいて両者の間に流れる空気は暖かいものがただよっている。
暖かい静寂を二人は味わう。

やがて、養父はぽつりと言う。
「いつ鎌倉へ立つ?」
猶子は答える。
「明後日に。」
と。

「そうか・・・・」
養父は静かに答えるのみ。
やがて。
「鎌倉殿によしなにな。それから、そなたも達者で。」
とそれだけ言葉にすると再び穏やかな沈黙の中へと沈んで言った。
猶子はその懐かしい沈黙の海の中に心地よく浸る。

上質の沈黙の時間を過ごした養父と猶子は静かに別れの時を迎えた。
都に残る養父と東国に下る猶子、今度再び合い間見えることがあるのかわからぬ二人が静かに離れた。

去り行く猶子の後姿を養父はそっと目で追った。

猶子が去った後、養父藤原範季は勺を何度も裏表に返した。

範頼は結局鎌倉に戻ることを選んだ。
父親の心情としては寂しいものではあるが、これから力を得ていくであろうか鎌倉の主源頼朝の元に範頼が戻るということは範季の人脈が鎌倉に繋がるということになる。
官界に生きる男範季としては猶子範頼はもっとも望ましい選択をしてくれたともいえる。

範頼は、この先も鎌倉殿の異母弟でありそして範季の猶子なのである。

鎌倉殿が範頼を三河守に推挙してそれが叶いそうなことや頼朝がその国の知行国主にならんことを目指したが、それがこちら側の工作で三河国が頼朝の知行国主から外れたこと、そのことについては範季は何も猶子には語らなかった。

あえて今話すことでもないと思っていた。

後鳥羽天皇の側近に侍る範子、範光、兼子の甥姪たち、
平家一門平教盛の娘である妻教子、
そして、鎌倉の源頼朝の異母弟である猶子源範頼

今宵この場に集った人々の顔を思い浮かべながら範季は勺を何度もひっくり返し続けた。

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蒲殿春秋(五百五十九)

2011-04-22 23:25:59 | 蒲殿春秋
宴の後の寂しい沈黙の中に教子は只一人残された。
侍女たちを指揮して片付けに入った教子はその寂しさにじっと耐えた。

戦で兄を死に追いやった男も夫の子として遇していかなければならない。
自分の父が擁する帝とは別の帝に仕える者達も夫の子として遇さねばならない。
そして夫が都の帝を支援する立場にあり、平家一門を敵視する後白河院の近臣である事実も受け入れなくてはならない。

自分がこの家の女主であるならばこの事実を受け入れなければならない。
それを受け入れられなければこの家では生きていけない。

それゆえ、兄の実家である平家一門の仇でもある源範頼ー夫の猶子の母になろうとし、
都の帝に近侍するこれも夫の猶子でもある甥姪たちの母にもなろうとしている。
だが実際に彼等を目にすると心の奥がざわめく。

実家の敵である彼等を受け入れようとする決意を、どうしようもない自分の感情が拒否する。

それが本日の宴のぎこちなさとなってしまった・・・・・

教子は黙々と片付ける。

元通りになった寝殿を去ると教子は自らの居室に程近い娘の部屋へと向かった。
夕闇迫り来る刻限だが、幼い娘は無心に乳母と戯れている。
その様子を静かに教子は見つめる。
そして、自分の腹にそっと手を当てた。
ここにいる娘、そして腹の中に宿った新しい命。
この子達を自分は護って行かなければならない。
時代がどのように動こうとも自分の子は自分でまもらなければならない。

この家で生きていけなければ自分の子供達を守っていけない。
どのようなことがあっても彼女の実家平家にとって都合の悪い夫の猶子たちを受け入れなければならない。でなければ自分はこの家では生きてはいけない。

どうしようもない思いにふと囚われた。
教子の瞳からとめどなく涙があふれ出る。
教子はあわてて周囲を見回した。誰も見ていない。
急いで自らの居室へ戻る。静かに涙を流しつづけた。
しばらくして教子は顔を上げ、崩れた化粧を再び付け直す。

鏡に映る自らの顔を見つめる。
もう涙の痕跡は残っていない。
私はこの家の女主。女主としてこの先も生きていく。改めて鏡の中の自分に言い聞かせる。

感情があるべき自分の姿を押し流すかもしれない。
けれどもその感情を抑えて生きていかねばならない。
子供達の為に・・・・・

今度会うときは平家の敵である夫の猶子たちをもっと快く受け入れなければならない。
教子は再度決意した。

教子は立ち上がり再び娘の所に向かう。娘は母に気が付いた。
「母上さま!」
娘は母に向かってその小さな体を飛び込ませる。
おなかを気遣いながら教子は娘をぎゅっと抱き寄せた。

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蒲殿春秋(五百五十八)

2011-04-10 23:30:02 | 蒲殿春秋
新たなる来客。それは一組の三姉弟だった。
その三姉弟とは
都において帝位にある後鳥羽天皇の乳母藤原範子、
そしてその弟の藤原範光、そして妹の藤原兼子。
いずれも藤原範季の兄の子で範季が猶子として養育してきたものたちであった。

この来客たちを迎え入れた後、教子の琴は美しい曲を奏ではじめた。
一同はこの音色の美しさに聞きほれた。
だが、琴の音が鳴り止むと範光らは今様を歌い始める。
範光らは異常にはしゃぐ。
そして、範頼のそばにまとわり付いてさまざまな話を始めた。
話の内容は御簾の奥にいる教子にも聞こえてくる。

範光はあからさまに鎌倉に興味を示し、そして、押し付けがましいように過去の誼を範頼に訴えかける。
兼子は三種の神器はどうなったのかをしつこく聞く。

教子は話の中に入っていけない。
入っていきたいとも思わない。
この三姉弟は、「都にいる」帝を正統の帝にしようとしている。
だが、教子にとっての正当な帝は「都にいない」帝である。

教子の父教盛は都にいない帝ーー安徳天皇を正当な帝とする平家一門の中にある。
平家一門の血を引く教子にとっての帝は都にいない安徳天皇だけである。

だが、その安徳天皇の不在のうちに位についた都にいる後鳥羽天皇の側近にあるのが
この三姉弟、そしてその三姉弟を後援しているのが夫の藤原範季なのである。

そして夫範季の手中で育った源範頼が安徳天皇を擁する平家一門を福原から追い落とした。
平家が擁さない帝を擁した三姉弟は平家を追い落とした男に近づこうとしている。

その光景を教子は御簾の奥からじっとながめ黙り込んでいる。三姉弟がはしゃいでいる間教子は終始無言を貫いた。

はしゃぐだけはしゃぐと三姉弟はにぎやかにこの邸を離れていく。

範頼は養父である範季に招かれて別室へと向かった。範資も静かに去った。



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蒲殿春秋(五百五十七)

2011-04-03 00:51:13 | 蒲殿春秋
その重苦しさを打ち破る声が彼方から聞こえた。

藤原範季の実子藤原範資である。
「六郎、よう参ったな。」
と明るく声を掛ける。

「義母上、堅苦しい挨拶はもう終わりましたかな。
義母上の心尽くしの膳はそろそろですかな。
六郎は大食らいですぞ。強飯は充分に用意されましたでしょうか?」
その声に範季も顔をほころばせた。

「よもや、そなた六郎と共に大食らいをしようと狙って・・・」
という範季に対して
「わかりましたか、父上」
と言って範資はとぼけてみせる。

御簾の奥の空気が少し和んだ。
教子は御簾の奥に入り込んで気配を消した。どうやら侍女たちの采配を振るうらしい。

やがて、美しく着飾った侍女たちが膳を運んでくる。

膳の上には所狭しとご馳走がならんでいる。食べるものに不自由しているはずの都において諸大夫身分であるとはいえこれだけのものを揃えるのは大変なことである。

再び御簾の奥に人の気配が現れた。

「どうぞお召し上がりください。」
と御簾の奥から声がする。

早速膳に手をつけようとする範頼前にある膳の上の皿に主より先に伸びようとする手があった。
範頼の郎党当麻太郎の手である。

当麻太郎は主より前に食事を口に入れ毒見をしようとしたのである。

だが、その手を範頼は静かに制した。そしてまず強飯を口にした。

「美味しゅう存じます。」
と範頼は御簾の奥に向かって声をかけた。

御簾の奥から一礼されたのが見て取れた。

その主の様子を脇から当麻太郎は不安そうに見つめている。
主の体には何の変調もないようである。

当麻太郎は案じている。敵の娘である主の養父の妻は主に何か危害を加えるのではないかと・・・・

おだやかにみえた食事の後、教子ーーー範季の妻は琴を奏でると言い始めた。
平家一門は管弦に優れたものが多い。
平教盛の娘である教子も幼い頃から琴をたしなんでいる。

その時、範季の前にあるものからの使者が現れた。範季は難しい顔をした。
そして妻にさらなる来客があることを告げた。
教子は一瞬顔を引きつらせたが、すぐに夫の意向を汲み取ることにした。

琴の演奏は少し伸ばされ、新たなる人物が一同の前に現れた。

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