時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百七十九)

2011-09-28 21:46:06 | 蒲殿春秋
瑠璃と小百合は河越重頼夫妻に支援をお願いしにいった。
河越重頼も当時経済的に大変な時期だった。
娘が在京中の源義経へ嫁ぐことが決まっており、その支度に費用がかかるからである。
けれども、大領主の河越氏は財にも多少の余裕があるため重頼は瑠璃への支援を快諾した。
ただし、本領から鎌倉まで荷を運ぶのに多少の日数がかかると言われた。

とりあえずの危機は解消されると思った頃再び出費の危機が訪れた。
大豪族の小山一族が明日にも一族郎党を引き連れて祝賀にくるというのである。
野木宮合戦以来幾多の戦場を供にした小山一族をないがしろにするわけにはいかない。
しかし、もてなすものがもうない。
小山一族は大豪族ゆえ訪れる人数も半端ではない。

鎌倉殿からの支援はまだ得られそうに無い。
蔵の中は空。
けれども出費は減らない。

瑠璃は途方に暮れた。

その時、先触れの使者の声がした。

「遠江守様の使いのものが間もなく書状をもって現れます。」と。
瑠璃は絶望的な瞳をしながら、辛うじて厨に残っているものを見渡してもてなしの支度を始める。
明日は朝から家中のものに食事を与えることもできないかもしれない。

しばらくして多くの荷駄と共に、遠江守安田義定の使者が現れた。

使者は、範頼のいる寝殿に通された。
使者は黙って範頼に主安田義定の書状を差し出した。

「三河守殿、こたびの任官祝着に存じる。
できれば鎌倉に参上して祝いの言葉を述べたいところであるが
国守としての勤めが多忙で任国を離れることができぬゆえ使者のみを送る非礼をお許しいただきたい。
なお使者への特別なもてなしは不要である。
また若干の祝いの品を持たせたので、三河守殿の役に立てば幸いである。
この祝いに対する返礼もまた不要に存じる。
遠江守義定」

範頼は信じられないという顔をしながら使者の顔を見た。
そして妻に書状を見せた。

その書状をみた瑠璃はここ数日浮かべることのできなかった笑顔を見せた。

その日の三河守範頼家の蔵には米、麦、絹が久々に蓄えられ、厩には馬が増えた。
翌日は家中の者はもちろん、何組かの来客にそれなりのもてなしができ
三河国への出立の支度もなんとかできそうである。

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蒲殿春秋(五百七十八)

2011-09-16 06:07:25 | 蒲殿春秋
寺院からの借財は避けたい、
けれども現在どうしても財は必要であるが財は無いという状況に範頼夫妻は追い込まれていた。

話し合った結果夫婦が出した結論は、とりあえず鎌倉殿頼朝に状況を話て相談するということと、瑠璃の実家を通して比企尼と、瑠璃の叔父河越重頼を頼ってみるという結論に達した。

翌日瑠璃は母と供に御台所政子を訪ねた。
政子と瑠璃の母とは伊豆からの付き合いがある。
瑠璃は範頼の家の内情を話し鎌倉殿からの支援を願った。
政子は即答せず鎌倉殿に話しをしてみると言った。

政子から範頼の家の内情を知った頼朝は満足と困惑を抱えた。

満足は内情が苦しいことを相談した範頼夫妻の行動に対してである。
自分に支援を求めたということは範頼が自分の影響下にあるということである。

困惑は支援を求められても充分な支援ができるだけの財政力が頼朝にないということである。
この時期頼朝は自身の荘園をさほど所有していない。
御家人達の中には荘園の管理をしているものが少ないが、この御家人達の荘園の所有者は都の貴族であり寺社である。
御家人達には荘園領主に年貢を納めさせなければならない。
荘園や公領の年貢をつつがなく納入させることによって頼朝の坂東の支配権は認められているのである。
御家人達が集めた年貢等は納められるべき人の手に渡り、頼朝の手元には入らない。
その納入をさせなければ頼朝の東国支配権は剥奪されかねない。

鎌倉における臨時役の出費は御家人自身がしてくれるが頼朝の恒常的な収入はあまりない。

しかも木曽攻め、福原攻め、甲斐信濃侵攻と兵役が多かったこの年は御家人達も戦にかかる費用で窮乏しており、あまり御家人達に負担をかけるわけにもいかない状況だった。
この時期頼朝の内情も厳しかったのである。

範頼からの支援の願いを嬉しく思いつつ、充分な支援ができないであろう自身の境遇に当惑していた。

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蒲殿春秋(五百七十七)

2011-09-15 06:14:20 | 蒲殿春秋
範頼は自らの所有物を確認し始めた。
持っているもので高価なものは、馬、馬具、甲冑などの武具の類である。
これは殆ど兄頼朝からもらったものばかりである。鎌倉殿との関係を考えると売り払うわけにはいかない。

ついで高価なものといえば衣類の類である。
公式に使う衣類は妻の実家に用意してもらったものであるが、これも今後の事を考えると売るわけにはいけない。

あと売れそうなものと言えば、普段着と姉に支度してもらった婚礼の際の衣装しかない。

範頼は自分がいかに何ももっていないかを実感した。

そして今後にかかる費用を考えた。
鎌倉における出費は一段落した。
だが今度は国司としての任務を果たすための費用が必要である。

三河国への旅の費、国守任官報告の一宮への参拝の奉納、国人への振る舞い
これらのことは最低限どうしても支度しなければならない費用である。

しかし、そこまでの財産は現在無い。

自分が貧乏であると自覚した範頼は妻と話し合う。
「ここまできたならば、借り入れをするしかないか?」
と範頼はいう。
「それだけはやめてください。」
と妻瑠璃は言う。

借り入れーー出費に苦しむ状況に追い込まれた人々が行いかちな行為である。
その行為はこの時代にもあった。
もっとも後世とは違い、貨幣ではなく「価値のある物品」を借り入れる行為なのであるが。

費用に苦しむ人々の借入先は「寺院」が多かった。
当時の寺院は大資産の所有者であり、寺院には経済に明るいものがいた。
そのような人々が窓口になり、「出費に困る人々」へ「価値ある物品」を貸し出していたのである。

しかし、借りるは極楽、返すは地獄であった。
ある貴族は少々の借財をしたが返済できず、広大な荘園の権利を寺社に渡すことになってしまった。
このような例は列挙に暇が無い。
寺院は返済には厳しい。しかも、法に明るいものも寺院にいるが故に借りたものは反論の余地が無い。
さらに少しでも逆らおうとするならば、寺院に従う僧兵や寺社の息のかかった武士が暴力沙汰で取り立てに来る。
返す当てのない借財は一時楽になってもその後荘園などの財産を身包みはがされて地獄を見る。

「私の荘園が取り上げられたらどうなさるのですか?」
と瑠璃は言う。
一時の苦しさゆえに、定期的な収入を得られる荘園を手放すわけにはいかないと瑠璃は言う。

「だが、国の年貢を担保にするという方法もあると聞くが。」
と範頼は言うが、
「それも絶対にやめてください。」
と瑠璃は言う。

国守の地位にあるものが朝廷に納める年貢が足りない等の理由で寺院に借財を申し込んだ事例がある。
だが、それゆえに次年年貢朝廷にを納入できないという事態が発生したこともあった。
借りた国守が「次年の年貢一年分」を「借財の担保」にして寺院から年貢の足しを借り入れて返済できなかったため、その翌年一年分の年貢がまるまる寺院に行ってしまったためである。

年貢を朝廷に納入することが出来ない国守は朝廷のの考課で「国守不適格」という烙印を押され次に任官が難しくなる。
その上未納分は私財をなげうっても朝廷に払い込まなければならなくなる。
年貢を担保に寺院から借財するということは自身の出世を棒に振るだけではなく身の破滅に繋がりかねない危険な行動なのである。

もっとも、そこまでしなければならないほど当人達はその時追い込まれていたのであろうが・・・

とにかく寺院からの借財は破滅の危機を秘めた甘やかな蜜なのである。

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