時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

平安時代の見せる下着?

2007-05-09 05:59:48 | 源平時代に関するたわごと
以前兎紫さんのブログ(蓼食う兎の一日)にて取り上げられていた
近藤好一「装束の日本史-平安貴族は何を着ていたのか」(平凡社新書)
に書かれていた内容です。

平安貴族男性が素肌の上に直接身に着けるのは(近藤氏は「肌着」としている)
上半身 単
下半身 大口
(但し平安末期にはこれらの下に「肌小袖」を着用するようになる)

大口については現在で言う「トランクス」に相当するとのことです。
(この本を読む限りでは当時「ふんどし」は存在していないようです)
ただし、形状はトランクスよりはるかに長く現在で言うと
「十分丈」くらいの「トランクス」になるようです。

で、そのトランクス、もとい「大口」ですが
表袴(現在でいうところのズボン)の裾から
大口がはみ出して見えるように貴族達は着ていたようなのです。
(しかも公用服=束帯では大口は「赤」限定)

つまり、現在の感覚で見ると大口は
「見せる肌着なのです」
(当時はそういう感覚はなかったでしょうが・・・)

現在でも一時期ズボンをわざとしたに落としてトランクスの上部を見せるのが
一部若年男性の間ではやっていましたが
平安時代にも「みせる肌着」があったようです。

また、平安時代の私服(準公用服)である
直衣の着方の中に
重ね着した着物をわざと一番上の直衣の裾から覗かせるという「風流」(=オシャレ)
も流行していたようです。
これも一時期年配者のまゆをひそめさせていた
「トレーナーの下からシャツをわざとはみ出させる」
という現代の若者のファションに通じるものがあるように私は思われます。

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