時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百七十三)

2011-08-11 05:42:30 | 蒲殿春秋
一連の任官劇に鎌倉が目を奪われている頃、西国では戦局が変化しつつあった。
一の谷の戦いで破れた平家は、四国讃岐国屋島に本拠地を移していた。
その平家は新しく長門国彦島にも軍事拠点を築き始めた。

彦島は瀬戸内海の出入り口に位置し、瀬戸内の交通の要衝というべき場所にある。
彦島の軍事拠点を指揮するのが平知盛。
知盛は一の谷の戦いで我が子を失っていた。
その我が子は我が身を逃すために命を失った。
その子の為にも平家は復活する。その強い意志で知盛は戦っている。

屋島と彦島を抑えた平家は瀬戸内の豪族達にも働きかけ、瀬戸内とそれに面する
四国山陽において力を復活させつつあった。

その平家が六月に入ると、強い反攻を開始した。
まず、備中に入っていた鎌倉方の土肥実平やその配下に収まった在地豪族達に攻撃を加えた
平家の攻撃はすさまじく、備中国の国府が平家に襲撃され土肥実平らは必死の防戦を余儀なくされた。

一方それとほぼ時を同じくして、播磨国にあった梶原景時にも平家は攻撃の手を加えていた。

この状況の報はすぐさま都にもたらされた。


ーこの地図は日本の白地図 をダウンロードしたものを加工して作成しました。ー

都にあって西国の鎌倉勢を統括する源義経はこの事態を憂慮した。
自らも西国に出陣したかった。
だが、出陣できない。
まず兵が足りない。
そして、都から離れられない事情があった。
都は未だに治安が悪い。この治安状況を放り出して自らが都を離れることはできない。

そして義経の神経を尖らせる事件も近江であった。
鎌倉を離れて都に向かっていた権大納言平頼盛が、平家残党と思しき者達に近江で襲撃されかかったという事態が起こっていたのである。

そのほかにも畿内では不穏な動きがある。

一連の状況を義経は鎌倉に報告した。頼朝はこの知らせに渋い顔をした。
だが、頼朝はこのときの状況の深刻さを義経ほどは深く認識していなかった。

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