時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百七十二)

2008-06-30 05:28:52 | 蒲殿春秋
その夜源頼朝の元に梶原景時は伺候していた。
「そうか、婚儀はつつがなく行なわれたか。」
「御意。昨晩つつがなく。」
「藤九郎の娘もけなげに内室の勤めを果たしておるとも聞いている。」
「殿の眼力には恐れ入ります。」

そこへ雑色が頼朝の元へ酒をもって現れた。
「どうじゃ、久しぶりにやらぬか。」
「恐れ入ります。」
頼朝に渡された酒器には折りたたまれた書状が目立たぬように添えられていた。
頼朝はそれをこっそりと読んだ。

「平三、どうやら北東の方が騒がしくなってきたようじゃ。」
「北東、だけでございますか?」
「北も、というべきであろうが、北には手が打ってある。」
「さようですか」
「手を打ったというよりも、なるべくしてなったというべきであるがな。」
「東国に対立の火種は事欠かぬ。
血筋を同じくするものの中の争い、領地を隣り合わせに持つものの争い、
などなどな。」
主従は静かに杯を酌み交わす。

「ところで平三、六郎と内室に明後日わしのもとへ来るようにと申伝えてくれぬか。」
「明後日、でございまするか?」
「そうじゃ、今宵は夫婦になってまだ二日目じゃ。
婚儀三か日は邪魔をしては悪いからの。」
「は!」
「六郎には、此度働いてもらわねばならぬ。」
頼朝は東北の方角をキッと見据えた。

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蒲殿春秋(二百七十一)

2008-06-29 06:33:46 | 蒲殿春秋
瑠璃の指示によって、この屋敷に仕えるものたちが庭に居並んでいた。
いずれも瑠璃の嫁入りに従ってきたものたちである。
郎党、雑色、馬屋番、侍女、雑仕女などである。
郎党の中に骨格逞しくひときわ目立つ男がいた。
その男は吉見次郎と名乗った。
瑠璃を助けて女たちをまとめるのが志津ー新太郎の母親である。

とにかくこの人々が今後範頼と瑠璃を支えていくことになるのである。

日が沈み夕餉を済ませて、二人きりになったとき範頼は瑠璃に問うた。
「武蔵の者が多いな。」
「何がでしょうか。」
「この館に仕える者が。」
「そうですね。お祖母さまが武蔵におりますもの。自然と武蔵から人を集めることになりますわ。」
「ところであの吉見次郎だが、あの男も武蔵の出といっていたな。確か比企郡に所領を持つといっていたが。」
「ええ、そうですわ。お祖父さまが郡司をしていたときからの縁ですわ。」
「あの男、私が下野にいた頃に会ったことがあるのだが。」
範頼が養父藤原範季の命で下野にいた頃時々会っていた八田局━━頼朝乳母で小山政光の妻━の供をその男がしていたのを思い出した。
「吉見次郎は、比企に所領をもっていますけど、下野の小山殿の猶子となっておられます。
そして今は鎌倉殿の御家人でもあります。
本来ならばこの家の郎党などにはならぬのですが、殿が鎌倉殿の弟ということで
こちらに出入りしても良い、と特別に鎌倉殿からお許しを頂きました。
ですから、殿の郎党ですが鎌倉殿の御家人であり、小山殿のご猶子であることを忘れてはならないと存じます。」
「少しやっかいだな。」
「そうかも知れません。」
「そなたにも苦労をかけるな。」
瑠璃は不審そうに夫を見上げた。
「内室として私と一緒に郎党達をまとめねばならぬからな。」

「殿、お願いがございます」
「?」
「今度は三河の者達を私に引きあせて下さいませ。そちらの郎党も私は知っておく責務がございますゆえ。」
「そうだな。」
そういって範頼は静かに微笑んだ。

その微笑を見た瑠璃が小さくあくびをした。
婚儀そして新婚生活初日を迎えて気が張っていたのであろう
疲れているはずである。
今日はこのままゆっくり眠らせてあげたい気持ちもあるのだが・・・
「瑠璃、そろそろ寝ようか。」
「はい。」
結婚の多くが婿入りだった頃は三日間閨をともにしなければ婚儀は成立しなかった。
その名残はまだ残っている。
二人は連れ立って閨へと向かった。

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蒲殿春秋(二百七十)

2008-06-24 05:20:08 | 蒲殿春秋
寒い季節の朝の訪れは遅い。
まだほの暗さが残る中、目を覚ました範頼は隣に寝ているはずの新妻を抱こうとして空を掴んだ。
寝ぼけ眼で隣をみるとそこに敷いてあるはずの妻の夜具が無い。
昨日脱ぎ散らかした衣類も綺麗に片付けられている。
ただ、昨日妻が着ていた衣が枕元に置かれていた。

「!」
あわてて飛び起きた。
閨の外に出ようとして何も着ていない自分に気が付く。
急いで妻の衣を羽織った。

不意に閨の扉が開いた。
「おはようございます」
夫が起きているのを見つけて、妻は急いで座って挨拶をした。
妻は昨日夫が身に着けていた衣を羽織っている。
しかしその下は普通に袿を着ていて、顔を見ると薄化粧を済ませ髪も美しく漉かれている。
「おはよう」
夫もあわてて挨拶を返す。

妻はきちんと身支度を整えて夫を起こしに来た。
挨拶するその姿には照れと恥じらいが感じられているが。
妻の手によって範頼の身支度が整えられると、二人はまず持仏堂に向かう。
祈りの時間が終わると、範頼は妻に弓をもってくるように言った。
数刻の間弓場にて範頼は稽古に汗を流す。

それが終わる頃には着替えが用意され、また朝餉の支度が整っていた。
二人で朝餉を取る。
食べながら範頼はまじまじと妻の顔を見つめる。
視線を感じて妻の瑠璃は恥ずかしそうに夫を見つめる。

━━まったく大したものだ。
と思う。
昨日夫婦になってばかりなのに、今日もまだ早いうちから起きてこれから二人で生きていくこの家の采配を振るい始めている。
まだ十六とは思えないほどしっかりしている。

朝餉が終わる頃、妻は言った。
「殿、この館に仕える者達を集めさせています。
挨拶をさせますので殿からお言葉を頂きたいと存じます。」

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蒲殿春秋(二百六十九)

2008-06-23 05:40:56 | 蒲殿春秋
やがて日が暮れてきた。
館の中の人の動きも一層忙しくなる。
そのようになるとこの日の主役である範頼もぼーっと空を見上げているわけには行かなくなる。
今日の祝宴に列席する人々が集まり始める。
範頼の弟である全成、義経がまず訪れた。
ついで、新婦の親族たち━━
瑠璃の母に連なる比企尼、河越重頼夫妻、比企尼養子の比企能員、一族の比企朝宗
なども続々と館へと入ってくる。
彼らへの応対をしなければならない。

あわただしく過ごす中、いよいよ花嫁の輿が到着したとの報がとどいた。
忙しさにとりまぎれて忘れていた緊張が範頼の中に急に蘇る。
父母兄弟に付添われて夫のもとへ輿入れした花嫁はその日から自分の居室となる部屋に入った。
婚儀が始まるまで夫に顔は見せない。

花嫁の母は付添ったままである。
その父と兄弟たちは祝宴の間に集まる。
兄、島津忠久と若狭忠季は範頼に向かって静かに頭を下げた。
弟の弥九郎も同じく頭を下げたが、顔を上げた時その目には小さな敵意が混じっていた。
━━ 姉上を取らないで!
という想いがその瞳の中に潜んでいる。
父、安達盛長は一番長い時間頭を下げた。
万感極まったといった風情である。

もしかしたら、この時がこの日最も長く感じられた時間かもしれない。

時が近づいた。
範頼も自分の居室に戻り、姉がこの日の為に仕立ててくれた衣装に着替える。
都の香が漂うこの装束は範頼を優雅にかつ凛々しくした。
長年仕えている当麻太郎も主を惚れ惚れと見上げた。

梶原景時に呼ばれた。
「刻限にございます。」
景時について婚儀の間に向かうと、すでに一族が居並んでいる。
押し寄せる照れと緊張の波と戦い続けながら新郎の席へと向かう。

彼にとっては長く感じたほんの少しの時間が過ぎた頃
新婦瑠璃が母に手を引かれて現れた。
その姿をみて範頼は我が目を疑った。
━━ 綺麗だ!
今まで見たどの女性よりもその日の瑠璃は輝いていた。

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蒲殿春秋(二百六十八)

2008-06-21 10:03:02 | 蒲殿春秋
底冷えがするがよく晴れた日である。空が青く澄み切っている。
この日妻を迎えるこの男はその空を見上げている。
「殿」
そう声を掛けた側近の方へ男は顔を向けた。

「・・・・・」
ここまで緊張した主の顔をその側近は今まで見たことが無い。

━━少しつつけば前につんのめって倒れそうだ━━
側近当麻太郎はその日の主の状態をこう評した。

正月(一月)吉日源頼朝の異母弟源範頼は妻を娶る日を迎えた。
この日の朝鎌倉の主である兄と、婚儀の支度に采配を振るった兄嫁政子に挨拶を済ませると、しばらくの間滞在した大蔵御所を後にして、今日娶る妻と暮らすことになる新居へと向かった。

馬に乗る動作もどこかぎこちない 馬には乗りなれているはずなのに。
手綱を持つ手もいつもとは違う。手が何か堅い木の枝になったかのようである。
どこかおかしい主が落馬しないか心配しながら当麻太郎は、その後を付いていく。

新居には既に生活に必要な品々が整えられている。
御台所政子と今日から姑となる小百合の手によって、今日からここで生活するのに滞りが無いように支度されていたのである。

今日から舅となる安達盛長の館のすぐそばに建てられたその新居に到着した。
そこでは婚儀の支度で、侍女たちや雑色、雑仕女たちが忙しく立ち働いている。
その人々に対して矢継ぎ早に的確な指示を出しているのが
頼朝の側近梶原景時。
万事に有能なこの男はここでもその能力を存分に発揮している。
その景時の指示のもと忙しく動き回る侍女や雑仕女たちをまとめている女がいた。
その女性は子供を背負いながら働いている。背負われているのは新太郎。
背負っているのはその母志津だった。
以前から盛長の妻小百合に仕えている志津は今日からここに嫁いでくる瑠璃付きの侍女頭として働くことになっている。

屋敷は綺麗に磨き上げられ、祝宴の仕度の竈の火は忙しく燃え盛っている。
館中があわただしく動く中、この館の主となる範頼は手持ちぶたさとなっている。
新郎はどっしりと構えよ、といったところなのだろうが
どっしりどころではなく、あっちに顔を出してはすぐに引っ込み
こっちに顔を出しては邪険にされ所在なくまるで熊のように館の中をうろうろした。。
結局、自分の居室になるはずの部屋で漫然と空を見上げて時を過ごすことになる。どっしりどころではなく緊張している自分を持て余しながら。
それが今宵妻を迎える男の昼間の姿であった。

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現代語訳吾妻鏡 同じ名前 ややこしや

2008-06-20 05:25:36 | 日記・軍記物
「現代語訳吾妻鏡3 幕府と朝廷」が発刊されたので只今読んでいる最中です。

さて、本文もさることながら注釈を読むのも楽しみにしている私は
面白いものをまた発見してしまいました。

若狭局(平政子)
生没年未詳。平正盛の娘。澄雲との間に丹後局を生む。
建春門院平滋子の乳母、高倉天皇の女房。
(「現代語訳吾妻鏡」文治二年(1186年)6月注釈より抜粋)



平政子、若狭局というと
鎌倉時代に関して詳しい方は次のような想起をされる方が多いのではないのかと思われます。

若狭局 源頼家の妻。一幡の母。比企能員の娘。
平政子 源頼朝の妻北条政子のこと。(北条氏は平姓)

↓このような関係になります。


さて、頼朝の死後御家人間の抗争の一環として比企氏が滅ぼされ
頼家は追放され、一幡は死亡しますが
その抗争の中で決して良好な関係であったとは思えない二人(若狭局、平(北条)政子)の名前と女房名を同時にもつ女性が伊勢平氏(だと思いますが)および院周辺にいたのは偶然とはいえ面白い事実です。

ちなみに伊勢平氏(だった場合)の平政子(若狭局)さんの関係図は次の通りです。



蒲殿春秋(二百六十七)

2008-06-17 22:54:59 | 蒲殿春秋
頼朝は使者に了解の意を示した。
平家が本腰を挙げて東国征伐に出るという情報が都から頼朝の元に複数もたらされていた。
昨寿永元年(1182年)の畿内の農作物の収穫は回復し、
養和元年(1181年)から続いていた大飢饉が好転の兆しを見せている。
また、西国の反乱勢力も九州はその鎮圧に向かった平貞能の活躍でかなり抑えられてきて、以前ほどの勢いはなくなってきており
四国河野氏は在地対抗勢力の反攻により勢力を失っている。
平家に対する西国からの軍事的圧力は軽減してきている。

今まで飢饉の為東国反乱軍との交戦を避けていた平家であるが、飢饉がおさまり西国の情勢が落ち着いたことを受けて、今度は本腰をいれて東国制圧に乗り出そうとしているのである。
頼朝は都の人々からもたらされる文により、平家の矛先は北陸道に向かうであろうということを知っていた。
しかし、状況次第では平家が東海道にも押し寄せる可能性がある。
その場合同盟者である安田義定だけに平家と対峙させるのは危険であると思われる。

義定の使者は範頼の元にも現れた。数々の品を取り揃えて範頼に差し出した。
使者は範頼に婚儀への祝意を示し、今回の出陣への協力を要請した。
義定の意向が伝えられた。婚儀が控えているので今すぐ無理に出陣はしなくても良い、ただし、遠江三河の住人たちに義定への協力をしてもらえるように働きかけはしてもらいたい、とのことである。
義定はここのところ遠江での徴兵に齟齬をきたし始めている。
遠江に縁の深い範頼の一声で動く人々が出てくるのを期待している。
範頼は遠江の知己に今回の出陣への協力を要請することは承諾した。

頼朝から範頼につけられた雑色の一人がその様子を注意深く見守っていた。
義定の使者が去ると用を足すふりをしてそのまま鎌倉殿の居室へと向かった。

鎌倉殿源頼朝の居室には入れ替わり立ち代り目立たぬように雑色が出入りしていた。
あるものは着替えを持つついでに、あるものは白湯をもつついでに
頼朝に何事か耳打ちをして去っていく。
その後雑色たちは静かに鎌倉御所を出て方々に散らばっていった。

頼朝は表情一つ変えることはない。
けれども、雑色たちがもたらす話は彼にとっては愉快なものではなかった。

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蒲殿春秋(二百六十六)

2008-06-16 20:51:23 | 蒲殿春秋
父義朝の法事を無事に行なうことができた。
この時頼朝は無意識のうちに弟達を支配する網を投げかけていた。
祖先の祭祀を主催するというのはその一族の族長の権利である。
つまり、ここで生存している男兄弟を全員集めて父の法事を頼朝が施主としてとり行ない、
やがて父の遺骸を頼朝が引き取って埋葬供養をする意思を示したということは、弟達に大して頼朝が彼らの族長であることを宣言したに等しい。
またそれに列席し、頼朝の言った言葉に何も意義を申し立てなかった弟達はその宣言を認めたことになるのである。

頼朝が子としての責を語り、父への限りない追慕の感情を隠さない態度、それは決して演技ではない。頼朝の本心である。しかし、自分と並び立つ武家棟梁の存在をゆるさない、弟といえども自らの支配下におくべきだというのも、頼朝のもう一つの偽らざる本音である。
父への思慕と弟達を支配すること、これが頼朝の内部で矛盾無く同居している。

ともあれ、範頼は婚儀の日までここ大蔵御所で過ごすことになる。
年始のあわただしさの中範頼は頼朝の許に出入りする人々を見ることになる。

その人々の中に各神社の神官やその御厨の住人が多いことに気づく。
伊勢神宮の神官や住人たちが度々来訪する中
ここのところ常陸の鹿島社の人々の出入りが多い。
どうやら、鹿島社への年貢の納入や所領の境界線などを巡っての揉め事が多いらしい。
特に、常陸に古くから勢威を張っている常陸大堟一族や頼朝の叔父志田義広と大いに揉めているようである。
特に、志田義広との諍いは深刻な状況になっているようである。

そのような折、安田義定の使者が頼朝の元に現れた。
使者の口上は次の通りだった。
平家が軍備を整えている、いずれかに出陣かは不明だが東海道筋に来る可能性も捨てきれない。
今度の出陣はこれまでに比べると大掛かりな準備がなされているという。
甲斐にも援軍依頼を出しているが、鎌倉からも援軍を願いたい。
と。

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