時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百九十九)

2013-09-25 06:29:27 | 蒲殿春秋
紺村濃の直垂に小具足姿の範頼は兄頼朝から賜った名馬にまたがり鎌倉を立った。
彼のすぐ後には和田義盛が続きさらにその後に足利義兼、武田有義、三浦義澄などの名だたる武将が続く。
各武将が出立すると鎌倉の近くで待機していた配下の兵たちが合流し
その軍勢は数を増しながら東海道を下っていく。

正午に鎌倉を出立した一行であるが、さほど進まぬうちに日は傾いていく。
範頼は和田義盛を近くに呼び寄せた。

「今宵の宿営は整っておるか?」
と尋ねる。
「既に先遣のものが支度しておりまする」
と和田義盛は答える。

範頼はその答えに満足した。

そういっている間にも軍勢は人を吸い寄せてますます増えていく。

一人の武将が出陣すれば多くの郎党が従い、武将や郎党たちには下僕が数人従う。
さらに、荷駄を担ぐもの、城郭を築いたり敵の城郭を壊すものなども従い一人の武将には数多くの者がついてくる。

ついてくるのは人だけではない、馬も人が乗っている馬、載せ替えの馬など多くの馬がついてくる。
まるで多くの者が住む場所を移し替えるような有様である。

彼らを不満がらせずに宿営させねばならない。
その奉行は今回の軍目付和田義盛の差配によって行なわれる。

日がその姿を水平線の下に隠す前に宿営地に一行はたどり着く。

割り当てられた場所に各武将は宿営しやがてかまどから煙が立ち上り始める。
夜が更け始めると各陣から賑やかな声や笑い声が聞こえる。

その様子をみて範頼は安堵した。

和田義盛は諸将に不満の出ない場所に宿営地を割り当てているようだ。
この割り当てを間違えるといさかいが起き士気の低下を招きかねない。
前回の出陣の際もその事に関して土肥実平や梶原景時は大いに気を使っていた。
それでも多少のいさかいなどが起きていた。

今回も無事に済むと良いが、と範頼は願う。

星々がその輝きを増し、夜空を彩り始めると各陣は静けさに包まれ始める。

星を見上げながら範頼は兄頼朝から聞いた言葉を思い出していた。

「西国にある平家はその勢いを増しつつある。
先に山陽道にある土肥、梶原らは平家に圧されつつある。
畿内にある九郎は畿内の反乱の残党の追捕で手が離せぬ。
畿内の状況も予断がならぬ。
六郎、そなたは大軍指揮し土肥、梶原と共に西国の平家を鎮めよ。
そして、平家の手中にある先帝、女院そして三種の神器を無事取り返し
新帝のおわす都へ確実にお戻しせよ。」

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蒲殿春秋(五百九十八)

2013-09-12 15:15:54 | 蒲殿春秋
一方その頃都はいまだに不安のまったっだ中にあった。
伊賀の平氏の反乱は先日鎮圧されたものの、その残党の行方は杳として知れず
そのことが都の人々の心に影を落とす。
また、現在四国の讃岐屋島にある平家の勢いは次第にその力を増してきている。
都の治安は相変わらずよろしくない。

そのような不安を取り除くかのような盛儀が七月末の都で執り行われた。
元暦元年(1184年)七月二十八日後鳥羽天皇の即位の礼が行なわれた。

即位の礼には三種の神器が必要なのであるが、後鳥羽天皇は神器なしという異例の御即位を遂げられた。
三種の神器は未だ四国屋島におわす安徳天皇のもとにある。

この事態はいずれ収拾されねばならないと朝廷の人々は思っている。

三種の神器は安徳天皇報じる平家の手中にある。
その平家は和議には応じない。
ならば力ずくで奪還するしかない。

その奪還者として期待されていたのが源義経。
だが義経は都の治安維持と先日の伊賀の乱の処理と残党掃討に手いっぱいで身動きがとれない。

鎌倉の頼朝が次にどのような手を打ってくるかに人々の意識は向かう。

その鎌倉の頼朝のいる大蔵御所において、ささやかな酒宴が催されていた。

頼朝の次席に坐するのが三河守源範頼。頼朝の異母弟である。
その範頼を囲むように坐するのが足利義兼、武田有義。
さらにその下座に侍所別当和田義盛が坐している。

頼朝は彼らを親しく呼び寄せると励ましとねぎらいの言葉をかけた。

その宴席の翌々日の八月六日、華々しく甲冑姿に身を固めた一団が続々と鎌倉を後にした。
源範頼を総大将とする西国遠征軍が西に向けて旅立っていった。

一方その同日都においてある除目が行われた。
都において頼朝の代官として活動している源義経が検非違使左衛門少尉に任じられた。

時代はまた新たに動き出そうとしていた。

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