治承五年(1181年)一月一日
鎌倉の正月は卯の刻(午前六時)の源頼朝の鶴岡参拝から始まった。
頼朝は毎年元旦に鶴岡に詣でることを誓い
その誓いは彼が亡くなるまで破られることは無かった。
一方朝廷では厳重な警戒の中新年の儀式が執り行われた。
近江や畿内寺社勢力の反乱を抑えたといっても
美濃以降の東国、九州、四国に反乱勢力が割拠しており
畿内には反乱勢力の残党が潜んでいる。
新年行事の多くは省略され、
平治の乱以来というものものしい警護の中新年の祝賀が張られた。
この時期各反乱勢力の中でもっとも活発な動きを見せていたのが
熊野水軍である。
彼らは伊勢の諸勢力と以前から海上の利権を巡って対立関係にあった。
この確執の中熊野水軍は近隣の諸族を誘い
一月四日伊勢に討ち入った。
伊勢の在庁のものたちはこの熊野の侵略に対して必死の抵抗を試みている。
この熊野の動きを一番喜んでいるのは
熊野と安田義定の支援を得て三河を掌中に収めた源行家である。
伊勢の勢力が伊勢湾から駆逐されることにより
熊野から三河への支援をより一層受けやすくなる。
それに既に美濃源氏が制圧している美濃、尾張の反乱勢力の基盤はゆるぎないものになる。
さらに、熊野水軍の力を背景に、美濃尾張にも自らの発言権を拡大させることができる。
三河一ノ宮に参拝した後行家は盛大な新年の祝宴をもよおし
その間終始上機嫌であったという。
一方この熊野水軍の一連の動きを耳にした安田義定と源範頼は
新年早々複雑な表情を浮かべていた。
熊野の勢力拡大は喜ばしいことである一方で
この一連の熊野の行動は遠江を制圧した義定らにとっては不都合な面もあるのである。
東海道諸国には伊勢神宮の所領が多い。
そこを管理する豪族は伊勢神宮と密接な係わり合いを持つ。
いわば「親伊勢神宮」勢力なのである。
従来の国衙勢力には反感をもってはいたが伊勢に対しては敬愛の気持ちを持つ。
義定が掌握した遠江もそのような状況であるし
彼に協力している範頼も元々は伊勢神宮領蒲御厨の管理をしていた。
在地勢力掌握の為には「伊勢神宮」を重んじる態度は欠かせない。
つまり、義定らは「伊勢神宮」を敵に回したくないのである。
その様な中、義定が支援した行家のもう一つの支援勢力熊野水軍が
伊勢に侵略を始めた。
侵略させた伊勢勢力は伊勢神宮の支配下にあるものもの多い。
この熊野水軍の行動は「伊勢神宮」との協調を願う義定らを困惑させた。
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鎌倉の正月は卯の刻(午前六時)の源頼朝の鶴岡参拝から始まった。
頼朝は毎年元旦に鶴岡に詣でることを誓い
その誓いは彼が亡くなるまで破られることは無かった。
一方朝廷では厳重な警戒の中新年の儀式が執り行われた。
近江や畿内寺社勢力の反乱を抑えたといっても
美濃以降の東国、九州、四国に反乱勢力が割拠しており
畿内には反乱勢力の残党が潜んでいる。
新年行事の多くは省略され、
平治の乱以来というものものしい警護の中新年の祝賀が張られた。
この時期各反乱勢力の中でもっとも活発な動きを見せていたのが
熊野水軍である。
彼らは伊勢の諸勢力と以前から海上の利権を巡って対立関係にあった。
この確執の中熊野水軍は近隣の諸族を誘い
一月四日伊勢に討ち入った。
伊勢の在庁のものたちはこの熊野の侵略に対して必死の抵抗を試みている。
この熊野の動きを一番喜んでいるのは
熊野と安田義定の支援を得て三河を掌中に収めた源行家である。
伊勢の勢力が伊勢湾から駆逐されることにより
熊野から三河への支援をより一層受けやすくなる。
それに既に美濃源氏が制圧している美濃、尾張の反乱勢力の基盤はゆるぎないものになる。
さらに、熊野水軍の力を背景に、美濃尾張にも自らの発言権を拡大させることができる。
三河一ノ宮に参拝した後行家は盛大な新年の祝宴をもよおし
その間終始上機嫌であったという。
一方この熊野水軍の一連の動きを耳にした安田義定と源範頼は
新年早々複雑な表情を浮かべていた。
熊野の勢力拡大は喜ばしいことである一方で
この一連の熊野の行動は遠江を制圧した義定らにとっては不都合な面もあるのである。
東海道諸国には伊勢神宮の所領が多い。
そこを管理する豪族は伊勢神宮と密接な係わり合いを持つ。
いわば「親伊勢神宮」勢力なのである。
従来の国衙勢力には反感をもってはいたが伊勢に対しては敬愛の気持ちを持つ。
義定が掌握した遠江もそのような状況であるし
彼に協力している範頼も元々は伊勢神宮領蒲御厨の管理をしていた。
在地勢力掌握の為には「伊勢神宮」を重んじる態度は欠かせない。
つまり、義定らは「伊勢神宮」を敵に回したくないのである。
その様な中、義定が支援した行家のもう一つの支援勢力熊野水軍が
伊勢に侵略を始めた。
侵略させた伊勢勢力は伊勢神宮の支配下にあるものもの多い。
この熊野水軍の行動は「伊勢神宮」との協調を願う義定らを困惑させた。
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