時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百七十五)

2007-09-30 04:38:31 | 蒲殿春秋
宴の中では自然と各人のこれまでの経緯を語ることになった。
まずは、範頼の話となった。
頼朝の挙兵の直前まで養父藤原範季の世話で遠江蒲御厨にいたこと。
兄頼朝の挙兵を知って合流しようと東を目指したが早川の戦い(石橋山の合戦)
で頼朝が敗北したことを知り合流をあきらめ甲斐へ亡命し
やがてそこで知り合った安田義定と共に富士川の戦いの後
遠江へ侵攻したことを語った。

次は全成が語った。
全成は都に程近い醍醐寺にいた。
治承四年のある日、後藤兵衛実基という人物が面会を申し出た。
後藤実基は頼朝の同母の姉の乳母夫であり、姉が一条能保の元に嫁いだため
そのまま一条家の家人となっていた。
度々能保夫妻の元に顔を出していた全成は実基の顔を良く見知っていた。
実基は一通の文を全成に差し出した。
それには
「仔細は申せぬが、そなたの身に危険が迫っているゆえ
後藤の申すとおりにせよ」
と書かれていた。
その筆跡は姉のものであった。
その夜、身の回りのものを持ち、全成は寺を抜け出した。
後藤実基が伝えた場所に来ると実基と武者が一人、そしてもう一人僧侶がいた。
その僧侶は八条宮に仕えているはずの直ぐ下の弟円成(幼名乙若、後の義円)であった。
円成の元にも密かに姉の文は届けられていた。

全成が来たところで、実基は人々を移動させた。
そして都のはずれまで来たところで、同道していた武者を紹介した。
その男は、現在は相模国住人となっている佐々木秀義の子定綱の郎党という。
今から東国へ向かうので同道するように、
仔細は道中話すがこのまま全成、円成の両名が都に留まるのは危険だと語った。
わけのわからぬうちに全成と円成は郎党と共に都を発ち東へ向かうこととなった。
後藤実基は一条能保の元に戻った。

都を離れ近江を過ぎようとする頃、
佐々木の郎党は東国行きの理由を語った。
異母兄頼朝が反平家の挙兵をすること
それが故に頼朝の兄弟である男子の身内は係累として罰せられる恐れがあるので
全成、円成両名が都に留まるのが危険である、
とりあえず頼朝のいる坂東を目指すのがよいとのことであった。

暫くの間は、全成と円成は同じ東国を目指していたのだが
尾張に入ると円成はここに留まると言った。
尾張には円成の妻の父がいる。
ここで、舅の元に留まり暫く様子を見るというのである。

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蒲殿春秋(百七十四)

2007-09-28 05:35:36 | 蒲殿春秋
日がすっかり沈むと、宴が内々に催されることになっていた。
女房の先導で用意されている部屋へと進む。
通された部屋はこざっぱりとしている。
先客が二人いた。
最も上座となる頼朝の席はまだ空いている。
範頼と向かい会う場所には一人の僧と一人の若者がいた。
「禅師!九郎!」
と範頼は思わず声を掛けた。
そこにいたのは、範頼の異母弟全成と義経であった。

全成とは、範頼が都を離れていてから暫くの間会うことは無かったが
頼朝挙兵の直前東海道を下る全成に一回だけ会っていた。
義経とは、奥州で何度か会っていたがその後音信は無かった。
二人とも鎌倉に来ていることは知ってはいたが
こうして会うまでは、そのことを実感として感じることは無かった。
全成は相変わらず美しい僧であった。
九郎も清々しい青年であるが、以前より「男」を感じさせる面構えになっている。

暫くすると頼朝がやってきて宴が始まった。
今回は、兄弟だけで宴を催すということである。
常の宴会ならば、次から次へと酒が注がれるものであるが
今回は出家者の全成が同席していること
そして、範頼が酒に弱いということを皆知っているので
さほど酒が注がれることは無かった。

皆範頼との再会を喜び、色々な話が飛び交った。
けれども
「わしら兄弟は、男だけでも九人いたが、今生き残っているのはこの四人しかおらぬ」
と頼朝がぽつりと言った言葉に一同しんみりとしてしまった。
長男の義平と次男の朝長は二十年以上前の平治の乱で死んだ。
四男の義門は早世。
五男の希義は土佐で挙兵しようとしたが失敗してその地で討ち取られ、
八男の義円は尾張にいたが叔父行家らと共に戦った墨股の戦いで敗死してしまった。

男兄弟九人のうち五人までもが死亡、しかもそのうちの四人は戦に関わって死んでいる。

特に頼朝にとって同腹の希義、全成・義経の同腹の義円の死は
頼朝、全成、義経により一層辛い思いをもたらしている。

源義朝の子で現在生き残っているのはこの四人と彼らの二人の姉妹だけである。
その姉妹のうちの一人は頼朝と同腹で現在都にあって宮廷貴族一条能保の夫人となっており、
もう一人は美濃青墓でその母と共にある。
その二人とも現在は会うことができない。

「されば、生き残った我等、ここに集った我等、兄弟力を合わせていかねばならぬ」
頼朝はそう宣言した。
その言葉に一同は大きくうなづいた。

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蒲殿春秋(百七十三)

2007-09-25 16:32:39 | 蒲殿春秋
結局日がかなり傾くまで範頼は御台所北条政子のいる北の対に居てしまった。
途中頼朝が北の対に顔を出したが、
まだ用事があるのか直ぐに表へと戻っていった。

政子と話す時の頼朝の顔は先ほどの王者の顔は微塵もなく
ただ一人の夫、娘の父としての顔だけがあった。
その顔には、「幸福」の二文字があった。

━━ 兄上はいい方と一緒になられた。
と範頼は思った。
北の対に居る女房たちも政子の指示のもとてきぱきと働き
動きに無駄が無い。
女性達を賢く召し使っている。
また、夫頼朝の体格、先ほどの雰囲気から察するに
この妻のおかげで少なくとも頼朝の私生活は充実しているのではないかと思われる。

北条政子は頼朝の妻として
また鎌倉殿北の方としてふさわしい資質十二分に備えたを女性であると思う。
━━だが。
範頼は思う。
━━ この兄嫁はそのまま、鎌倉殿の北の方でいることができるのか。
という疑問はわいてくる。
政子の御台所としての地位は決して磐石なものでないからである。

その唯一の理由は政子の父北条時政の身分の低さにある。

狩野介工藤茂光が討ち死にし、
狩野介および頼朝に敵対していた山木兼隆、伊東祐親が滅亡した現在は
北条時政は伊豆最大の実力者となった。
さらに駿河の大物牧宗親の婿となり、駿河にも影響力を持ち始めている。
また、頼朝と同盟関係にある甲斐源氏一党とのつながりもある。
時政はかつての伊豆の小豪族の傍流という小さな存在ではなくなってきている。

しかし、北条時政は無位無官である。
三代くらい前は都にいてそれなりの官位を得ていたとの話もあるが
さほどたいした官位ではないようで、しかもその真偽は疑わしい。

対して政子の夫である源頼朝の父源義朝は
今では謀反人とはなってはしまったものの従四位下左馬頭であった。
頼朝自身も従五位下右兵衛佐という官位をかつては有していた。
しかも、十三歳という若さでその地位を得ていた。
頼朝の家系は「諸大夫」(四位五位クラスの俗に言う貴族)
の地位にあるといって差し支えない。

「諸大夫」源頼朝の正室には「諸大夫」の家、譲っても「侍」(六位クラス)の家の娘でなくては
つりあわないのである。

現に頼朝の父義朝は相模で「介」の称号を持つ三浦氏の娘、
「侍」の身分に辛うじて入っている波多野氏の娘も妻に迎えていたが
正室として遇していたのは「諸大夫」熱田大宮司家の娘であった。
「侍」身分から脱却しえなかった祖父為義でさえも
「国守」の地位を持つ者の娘を妻にしていた。

一方北条時政は在庁官人であっても下国の伊豆の諸々いる役人のうちの一人にすぎない。

朝廷の公式な身分が「流人」である現在の頼朝の妻には北条氏の娘でも通用するが
その後身分が回復し、勢力を拡大した暁には
さらに、今後の政局の変動で頼朝がその父以上の地位と実力を手に入れた場合
「侍」身分すらも有さない無位無官北条時政の娘政子は頼朝の正室でいられるのかどうか定かではないのである。
もし、北条より有力でそれなりの官位を持つ豪族が自分の娘を妻にと勧め
頼朝がそれを受け入れた場合、
もしくは都から然るべき身分の姫君が頼朝の元に嫁いで来た場合
政子はたちまち正室の座から追われることになる。
現在政子が頼朝の正室扱いになっているのは
頼朝が他に妻を迎えていないという事実があってのことであった。

━━ いい人なのに。

範頼は「身分」というものの壁の重さを思い
兄嫁に一抹の同情を寄せた。

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蒲殿春秋(百七十二)

2007-09-23 05:46:30 | 蒲殿春秋
一通りの儀礼が終わると、頼朝が退出し次いで範頼も席を立った。

大広間から離れると
「次は、北の対までお越しくださいませ。
鎌倉殿の御台所様と姫君がお待ちになられております。」
と、江間四郎がささやいた。

北の対に到着すると女房が出迎えにやってきた。
それを入れ替わりに小山七郎は「では私はここで失礼します」
と行って去って行ったが
江間四郎はそのまま範頼と一緒に女房についていった。
奥まった一室へと通された。
「どうぞ、お入りくださいませ」
と、中から女性の声がした。
範頼は一瞬躊躇したが
江間四郎は「では」といって何の遠慮も無くすぐに入っていく。
つづいて範頼が入っていくと
「おじちゃま!」
と小さい女の子が声を発した。

「?」
一瞬範頼は戸惑った。
「おじちゃま、このひとだあれ?」と女の子は江間四郎に向かって尋ねる。
「このお方は、お父上の弟君ですよ。このお方も姫のおじちゃまなのですよ。」
と江間四郎は女の子に向かって微笑んで言った。
女の子は不思議そうな顔をして、はじめて会った背の高い叔父上を見た。
どこか納得がいっていないというような顔をしている。
次に奥に座る母親の膝に座り、母の胸にひしっとしがみついた。

「蒲殿、驚かれますな。姫君は多少人見知りするところがございまして。
お気を悪くなさりませぬように。」
と小声でささやいた。

ちょっとした騒動の後
「ようこそお越しくださいました。」
と兄の妻が声をかける。
「姫が失礼を致しました。お詫び申し上げます」
と深々と礼をされた。
あわてて範頼も頭を下げる。

━━ 若いな ━━
これが、範頼が兄の妻に対して抱いた最初の印象だった。
恐らく自分よりは年下だろう

数刻の間、御台所、姫、そして御台所の弟である江間四郎義時と歓談した。
御台所は勝気さが感じとれたが、闊達できさく、そして賢くて
北の対では時が経つのを忘れるほどの楽しい時間を過ごすことができた。
しかし、姫はずっと母の側から離れず、新しく現れた叔父上に対する警戒を緩めない。
なかなか手ごわいお姫様である。
━━この姪と打ち解けるにはしばらく時間がかかりそうだ。
と、兄の家族に対してはこの点が懸案になりそうである。

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蒲殿春秋(百七十一)

2007-09-22 08:34:10 | 蒲殿春秋
「この前会うたとき、そなたはその小山七郎くらいの年頃であった。」
た頼朝は言う。
範頼は後ろを振り返り小山七郎と呼ばれた少年を見つめた。
たしかにほんの少年である。
自分が前に兄に会ったときはこの位の子供だったのか・・・・
そういえばその頃の兄も今その傍らに控える若者と同じくらいの年頃であった。

「そなた、いくつになった。」
「三十にあいなりました。」
「三十、か。年月の流れるのの早いことよ。あれも生きておれば」
と言いかけて、あわてて口を噤んだ。
「六郎、まだまだ語りたいことは山ほどあるが、
わしもせねばならぬことも沢山ある。
まずは、御家人にそなたを披露せねばならぬ。わしの弟としてな。
広間に今鎌倉におる御家人を集めておるゆえ、
そこにおる江間四郎、小山七郎と共に後ほど広間に参れ。」

そういうと、ゆっくりと頼朝は立ち上がった。

頼朝が立ち去った後、範頼は暫く待たされた。
「江間殿、蒲殿のお召し変えはいかがいたしましょうか?」
「この装束なれば、お召し変えの必要はあるまい」
と二人は小声で話していたが、範頼には聞こえていなかった。

やがて、江間四郎の先導で範頼は頼朝に仕える者━━御家人たちが
集まる大広間の前へと通された。
そこには、既に御家人達が居並んでいた。
「参られよ」
と頼朝の声がした。
江間四郎に促されて範頼は中へと入る。

範頼は頼朝よりも下座そして他の御家人よりは上座にあたる場所へと導かれた。
そして居並ぶ御家人の前で「鎌倉殿御舎弟」として披露された。
範頼は、御家人達の顔を眺めた。
━━ 多いな
と思った。
少なくとも遠江の安田義定の下に集まる人の数よりは多い。
だが、その居並ぶ御家人の中には以前甲斐で見かけた顔も何人かいたのも判った。
ついでにいえば、駿河から遠江に使者として時折来る人の顔もあった。
その人は今でも駿河の一条忠頼の元にも顔を出しているはずである。

御家人の顔と一通り眺めた後範頼は頼朝の顔を見上げた。
居並ぶ御家人を前にして悠然と座っている。
生まれつきこの人々を従えているかのような風格もある。
その姿はまさに「王者」そのものであった。

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蒲殿春秋(百七十)

2007-09-21 05:39:55 | 蒲殿春秋
兄頼朝と対面する日が遂に訪れた。
その前夜範頼の元に安達盛長の妻小百合が男物の装束を一揃え抱えてやってきた。
「蒲殿、よろしければ明日はこの装束をお召しになられて下さい」
「かたじけない」
そういってありがたく借りることにした。

翌朝、頼朝が住む大蔵御所から迎えがきた。
範頼は、当麻太郎と連れて大蔵御所へとむかう。
鎌倉の町は意外と狭かった。
町はずれと言ってもよい甘縄から馬に乗っていくとすぐに大蔵御所に到着した。

大蔵御所の門をくぐり、建物に入ると控えの間に通された。

━━ やっと兄上にお会いできる
そう思うと、期待と不安に包まれる。
兄には十年以上会っていない。

やがて、元服したてといった感じの少年が現れた。
「鎌倉殿がお待ちです」
その少年の先導で頼朝の居室へと向かう。

長い廊下を歩くと奥まった一室の前へとやってきた。
「こちらです」と少年は小声で範頼にささやく。
「御舎弟蒲冠者殿ご到着です」
と部屋へと呼びかけた。
「入られよ」
中からやや低い声がした。

範頼は少年の先導で部屋の中へと入っていった。

部屋の奥には、鎌倉殿である兄頼朝がいた。
兄の傍らには二十歳頃の若い男が控えている。

十数年振りにあう兄の外見は変わっていた。
以前伊豆の配所にいた頼朝は細身で多少頬のこけた青年であった。
しかし、目の前にいる人はやや太っている。
口元には髭を蓄え、年相応の貫禄がある。

範頼は兄に一礼した。
兄も礼を返した。

「六郎、よく参られた。」
そういった頼朝の顔には笑みがたたえられていた。

そして、兄は弟を凝視する。
しばらくして
「六郎本当に大きくなったな」
と、しみじみ言った。

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蒲殿春秋(百六十九)

2007-09-17 05:53:29 | 蒲殿春秋
「藤七のヤツ、いつの間にか父親になっておりました。」
当麻太郎が呆れて言う。
今藤七が抱いている赤子はまぎれもなく藤七の子だというのである。

範頼は安達館の出迎えの一行の中に赤ん坊を背負った女がいたことを思い出した。
「では、母御は藤九郎殿御内室にお仕えしている方か?」
藤七は真っ赤になってうなづく。
「蒲殿をお迎えに行く前は身ごもっていたことなど全くもって知りませんでした。」

藤七が遠江へと出かけて範頼にくっついて東海道筋にいる間に女は一人で子を産んでいたらしい。
その間藤七からの音信は全く途絶えていた。

「ほぎゃあ」
突然赤ん坊は泣き出した。

三人の男はうろたえた。
なにしろ赤ん坊という存在は彼らにとっては全くの未知なる存在なのである。
いきなり泣かれてどうすればよいのか右往左往するばかりである。
あやそうとした藤七がよしよしと赤ん坊を揺らすとますます赤ん坊は激しく泣く。

「ほぎゃあ、ほぎゃあ」
「よーし、それそれ」
と今度は当麻太郎がおかしな顔を作って赤子に近づく。
「ぎゃあああああああああ」
赤ん坊はさらに激しく泣いた。

体の大きい三人の男達は、小さな赤ん坊に完全に翻弄されていた。

そこへ一人の少女が現れた。先刻対面した盛長の娘である。
この騒ぎを聞きつけたのであろう。
「こちらへどうぞ」と少女が手を差し出すと
藤七は即座に赤ん坊を手渡した。
「よーち、どうちたの」
と少女は赤ん坊に微笑みかける。

「志津を呼んでください」
付いてきた侍女に少女は冷静に命じた。
志津が現れるのを待つ間少女は馴れた手つきでむつき(オムツのこと)を取り替える。
やがで母親である志津がやってきた。

志津は三人の男の前でいきなり胸をはだけさせると赤ん坊に乳を与え始めた。
赤ん坊は夢中で乳を吸う。

大の男三人は唖然としている。

乳を吸って満ち足りた赤ん坊は母の腕の中で安らかな眠りについていた。
母親志津は穏やかな笑みを藤七に向けると今来たほうへ去っていった。

「藤七、志津についていっていいのですよ。
親子三人の部屋をあちらに準備してあります。」
少女はそういった。

「藤七、私に遠慮はしなくてもよい。志津殿と子のところへ行くがよい」
範頼も勧める。
「では」
と一言いうと藤七は志津の後を追って範頼の部屋を出て行った。
少女も一礼するとその場を去った。

「藤七も案じることは無かったようだのう。」
「殿もご存知で」
「あの藤七がゆっくり歩くのは他に理由はないであろう」
鎌倉における範頼たちの宿所が安達館に決まったと知ってから藤七の様子はすこしおかしかった。
藤七は主佐々木一族に従って伊豆にいた頃から
頼朝の側近安達盛長の妻の侍女━━志津と恋仲になっていた。
頼朝が挙兵し、藤七は主佐々木定綱の命令で範頼を迎えに行ったのだが
範頼は諸般の理由で頼朝の前に行くことができなくなっていた。
その間藤七は志津に会うことができなかった。
結果志津は一年も連絡もつかない藤七を待つことになる。

鎌倉についてから藤七がゆっくり歩いていたのは、
一年もほうっていた志津が安達館にいると思われていたからである。
藤七は志津が今自分をどのように思っているのか不安だった。

「案ずることはなかったな」
「確かに」
志津が藤七に向けた微笑。
それが全てを物語っていた。

「それにしても殿、赤子があのように手ごわいものであったとは」
「いかにも」
主従二人は顔を見合わせて笑った。

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蒲殿春秋(百六十八)

2007-09-16 11:45:02 | 蒲殿春秋
鎌倉に到着した範頼一行はまず鎌倉甘縄にある安達盛長の館へと向かった。
三河を発つ際、盛長が自分の家に泊まるようにと勧めてくれていたからである。

盛長の館は海に近い。
浜風をうけながら範頼ら一行は進む。
範頼は後ろを振り返った。
三河からついてきた郎党達の歩みが遅いのである。

とくに立派な体躯をしている二人
当麻太郎と藤七が最後尾となってのったりと歩いている。
範頼は彼らが追いつくのを待った。

ゆっくりと二人は近づいてくる。
「おい、藤七。そんな図体でもたもたするな。」
と当麻太郎が半分怒っている。
「すまぬ」といいながらも藤七の歩みは遅いままである。

そしてついに
「殿、先に行って下さらぬか。藤七がどうも具合が悪いようで。」
と当麻太郎は叫んだ。

仕方なしに二人を置いて先に安達館へと進むことにした。

先触れの使者を出しておいたので安達館ではすっかり出迎えの支度ができていた。

門には幾人かの郎党と女達が待ち構えていた。
その中に赤ん坊を背負った若い女が一人いた。

郎党に案内されて範頼は奥へと進む。
館の北の対へと通される。

奥まった部屋で一人待っているとやがて女あるじらしい人がやってきた。
「藤九郎が妻にございます。
主が不在で行き届かぬところもあるやも知れませぬが、こちらにてごゆるりとお過ごし下しませ。」
と挨拶された。
「蒲冠者源範頼にございます。此度は色々とお世話をおかけします。」
と挨拶を返した。

それから藤九郎盛長の妻小百合は、家のものを呼ぶように侍女に命じた。

暫くして二人の子供が現れた。
「我が家の子供達にございます。」
やんちゃ盛りといった感じ男の子とその姉らしい娘が並んでいる。
少女から女へと変わりつつある年頃の娘。
その娘は慎み深い挨拶をしてはいたが
瞳の奥には芯の強さが感じられる。

母に促されて二人はすぐに立ち去った。
範頼は何故か遠ざかる娘の後姿をずっと目で追いかけていた。

暫くの間滞在することになる部屋に通された。
そこには当麻太郎と赤ん坊を抱いている藤七がいた。

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蒲殿春秋(百六十七)

2007-09-15 06:00:38 | 蒲殿春秋
鎌倉に向かう海の上で範頼は富士を見上げた。
あれは十年以上昔のことだった。

元服して間もない範頼は養父藤原範季の任国上野に向かう途中で
同じように海の上から富士を眺めていた。
その頃は、初めての長い船旅にくたびれ船に酔っていた。

その道中で、伊豆に流刑中の兄頼朝に密かに会っていた。
流人という立場でありながら、決して卑屈にならず自らの矜持を保っていた兄。
それから十年以上の歳月がたっている。
その兄が挙兵し鎌倉にあって坂東の実力者となっている。

かつて伊豆に密かに訪ねた自分を兄は喜んで受け入れてくれた。
今の兄は自分をどのように遇するのであろうか。
あの頃と今ではお互いの境遇も立場も違う。

範頼の期待と不安が入り混じる中船は進む。
隣では当麻太郎が、腕を組んで静かにたっている。
さらにその後ろで、藤七がそわそわとしている。

当麻太郎はその藤七を意味ありげに見つめてにやけていた。
頼朝の挙兵の直後、遠江にいた範頼を頼朝の元から
迎えに来て以来藤七は範頼と行動を共にしている。
頼朝の元に弟を連れてくる。
一年かかってやっとその使命を果たすことができる。
その喜びがあるのが見て取れた。

そして、それ以上に藤七をそわそわさせることがある。
範頼を迎えに出て以来
音信不通になっていたいとしい女に再び会えるのである。
その喜びと一年以上放っておいた自分に対する女の気持ちに対する不安があった。
藤七もまた期待と不安にさいなまれていたのである。

人々の様々な想いも乗せて船は東へと向かっていた。

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蒲殿春秋(百六十六)

2007-09-14 05:34:44 | 蒲殿春秋
範頼が鎌倉へ向かうことになったのは安達盛長の三度目の来訪の後のことであった。
その留守の間は、盛長と鎌倉の重鎮和田義盛、そしてその手勢が三河に滞在することになった。
この鎌倉殿の配下の兵の滞在に異を唱える三河の者はいなかった。

三河西部の額田郡は元々頼朝の母の実家熱田大宮司家との縁が深い。
その熱田の血を引く頼朝には額田郡の人々は好意と親近感を抱いていた。
また、三河の伊勢神宮領の住人たちの頼朝に対する印象も良好である。
彼らが反感を抱いている行家の接近を退け、
頼朝自身が伊勢神宮を重んじる態度を見せているからである。
そして、先般の食糧の支給で頼朝の評判は上がっている。
さらに範頼の不在中に滞在する予定の安達盛長も三河に縁があり、
その人柄の評判も良い。

三河の人々は「せっかくなれば、この機会に是非ご兄弟の対面を」
と勧めてくる。
この声を無視してまで鎌倉行きを拒むこともない。

しかも幸運なことに、先日信濃で起こった「横田河原の戦い」で木曽義仲らが
越後の親平家勢力の城氏を撃破、壊滅させて以来
北陸諸国で反平家の動きが活発化しており
平家追討軍は、東海道の動きよりも北陸の動きに神経を尖らせている。

範頼がいったん三河を離れて鎌倉に向かうことにはなんの不都合もない状況になっていた。
範頼自身も兄頼朝に会いたい気持ちはある。

だが範頼の心に一つだけ心に引っかるものがある。
安田義定のことである。
頼朝の挙兵の混乱の際、遠江から甲斐に逃亡して以来範頼は安田義定の保護をうけ
行動を共にしてきた。
義定は範頼の恩人でもあり、盟友でもある。
この鎌倉行きを義定がどのように思うか気にかかっている。

義定は範頼が鎌倉に行くことは反対はしていない。
けれども、鎌倉殿配下の軍の三河滞在をどのように思うのかが不安であった。
この件も一応は了承しているらしい。
駿河に頼朝の仮屋を造営したことに、彼の地を支配下に置いている一条忠頼は不快の念を現しているという。
ならば鎌倉軍の三河滞在を三河遠江の支配者である義定は本心ではどのように捉えているのか。

範頼が心のなかに一つの懸念を抱えている中で
海路を経た鎌倉の軍勢は三河へと上陸した。
入れ替わりに範頼は鎌倉へ向かう船へと乗り込んだ。

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