時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百七十二)

2011-07-26 23:29:56 | 蒲殿春秋
範頼らが退出した後、狩衣に着替えた頼朝と能保がくつろいで談笑していた。

「ときに鎌倉殿、六郎には本当に任官のことを何もいっていなかったのですね。」
と能保は語る。
「さよう。前々から話をすると色々とこじれることもあるやも知れぬでの。
そなたも存じていようが、六郎と強いつながりのある御仁方がどのような出方をするやらわからぬでな。」
と頼朝は答える。
「ただ、一条殿と藤九郎だけには前々から伝えておきました。
藤九郎は六郎の装束を支度する都合があるゆえな・・・・」

藤九郎は範頼の妻の父である。当時男の装束一式は正妻の実家が全て支度するのがしきたりだった。

「一条殿にはお手数をおかけしましたな。
任官を知らさなかった故に六郎は作法を習わせる暇がなかった。
任官のその日のうちに作法を教えるようお願いしたのはさぞご迷惑だったやも知れませぬが・・・」
「なんの、なんの。六郎は私の大切な義弟です。義弟の為に義兄が役に立てばそれは嬉しいことで。
六郎は高倉殿のところである程度の素養を受けていたゆえさほど手がかかりませんでした。」
「さようか・・・・・ですが改めて御礼申し上げまする。」

その後酒肴がならべられ頼朝と能保の間にはおだやかな時間が流れていった。

一方同じ頃安達盛長の邸では夫婦が疲れ果てた顔を見合わせていた。
「なんとかなったな。」
「はいなんとかなりました。」
この邸の主夫妻はこんな会話を交わしていた。

娘婿の源範頼が国守に任官される。この話を鎌倉殿から聞いたとき二人は手を取り合って喜んだ。
だが次の瞬間姑として果たさなければならない現実が有ることを考えた二人は愕然とした。
婿が任官される、ということはその身分に相応しい装束を姑の小百合が支度しなければならないというしきたりがあるということを想起したのである。

当時の男女を問わず身分あるものの装束は高価なのである。
経済的には豊かとはいえない藤九郎と小百合には相当な負担である。
だが、装束を支度できないとは言えない。
婿を経済的に支援するのは正妻の実家の義務であり、
それができないならば娘は婿の正妻でいることができない。
夫を支援する力を持たぬ嫁は正妻の座から下ろされる。

ただでさえ、藤九郎の家は婿源範頼からみるとはるかに家格が低いのである。
鎌倉殿の乳母の孫、そして鎌倉殿の後見つきという立場で辛うじて藤九郎の娘は範頼の正妻扱いをされているに過ぎない。
なにがなんでも範頼の束帯一式を二つ用意しなければならなかったのである。

結局小百合の母比企尼に援助を依頼して比企尼に装束を全て支度してもらった。
だが比企尼もまた自身の三女の婿平賀義信の装束の支度をしなければならず
裕福な比企尼も少し渋い顔をした。

なんとか今回の装束は支度したが、この後従五位下三河守となった範頼を藤九郎夫妻は支援しつづけなくてはならない。
しかも、範頼の任官によって妻である瑠璃の実家安達家と範頼との家格は寄り一層格差がついてしまった。
瑠璃を範頼の正妻に止めておくには藤九郎と小百合はより一層の努力をしなければならない。

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蒲殿春秋(五百七十一)

2011-07-19 23:36:41 | 蒲殿春秋
やがて刻限が来て、能保と範頼は頼朝の御前に呼び出されることとなった。

頼朝はいつも座る上座ではなく、上座に対する最上位の場所に既に座っていた。
そのすぐ後ろに能保
能保の後ろに平賀義信、源広綱、そして範頼が座るように指示された。

一番前の頼朝は殆ど黒に見える濃い緋色の袍を身に着けている。
その後ろの能保はやや薄い緋色、さらに後ろの三人は黄色の袍である。

「除書ご到着」という声が流れた。
その声と共に頼朝以下全員頭を下げる。

除書を捧げた使者が頼朝の前に立つ。

「除目、
一、左馬頭藤能保を讃岐守に任ず、なお左馬頭と讃岐守は兼任となす。
一、源義信を従五位下に叙し武蔵守に任ず
一、源広綱を従五位下に叙し駿河守に任ず
一、源範頼を従五位下に叙し三河守に任ず。」

そういい終わると除書は閉じられ頼朝に手渡された。
頼朝は丁寧に礼を述べて除書を受け取った。

使者が去ると頼朝はいつもの自分の座に座った。

「方々、除書の通り任官が行なわれた。
ありがたき沙汰である。勤めを立派に果たされよ。」

「今回のご沙汰、鎌倉殿のお骨折りと聞き及びました。
ここに謹んで御礼申し上げます。また、懸命に役目を果たす所存でございます。」
と一同を代表して一条能保が言上する。

それに対して頼朝は大きくうなづいた。

次に平賀義信、源広綱、源範頼は五位の色である緋色の袍に着替えさせられて
その後簡単な祝宴が催された。

かくして、任官劇は順調に行なわれた。

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蒲殿春秋(五百七十)

2011-07-12 23:42:06 | 蒲殿春秋
大蔵御所の侍所ではすでに先客が待機していた。

一番上座に座しているのは左馬頭一条能保。能保は緋の袍を着している。
ついで平賀義信、その次の座にいるのが源広綱であった。この両者は範頼と同様に黄の袍を着している。

範頼は物慣れない動作で彼等の元に向かう。
固く糊が貼られた装束はそれだけで動きにくい。
なおかつ下襲が思ったとおりに動いてくれずどこかに引っ掛けそうで恐い。

その様子を見ていた一条能保が上座から範頼に近づく。
「よく戻られたな、蒲殿。都の様子を知りたい。」と声を掛ける。
そしてそこに控えている女房に
「済まぬが刻限まで吾等に一部屋与えていただきたい。久々にあった義弟と積もる話をしたいのでな。」
女房は一旦外へでる。しばらくすると別間の支度ができたことを能保に告げる。
能保は物慣れた動作でぎこちない動きをする義弟の手をとって別間に連れて行った。

別間に入ると人払いをし、能保は義弟範頼にそっと耳打ちした。
「六郎、積もる話は山ほどある。されど今は私の言うとおりにしていただきたい。」
「はい。」
「六郎、本日ここに呼ばれたわけは知っておられますね。」
「おそらくは、でございますが。」
「そうか。ならばよいのです。ですが、このたびの沙汰は鎌倉殿の采配によるものです。
この一連の除目の儀礼をしくじってはなりませぬ。都の人々の目もあるし、御家人たちの目もありまする。しくじってはあなたの名を落としますし、鎌倉殿の顔にも泥を塗ることになります。
無駄なことにも思えますが、儀礼一つが我々の世界では大切なものなのです。
一つだけ確認しておきますが、六郎は束帯を着たことがありますか。」
「いいえ、ありません。」
「そうか・・・・・、一日で出来ることではないが、束帯の作法を教えて差し上げましょう。
よいですか時間がありませぬ。私の動きを真似してください。それをすぐに覚えてください。
まずは、勺の持ち方です。」

使者から鎌倉殿のお呼びと告げられるまでの間、範頼は義兄の指導のもと束帯の所作の特訓をさせられた。
束帯一式を着て刀剣類のなどの持ち物を全て身に着ける大人一人分の重さになる。
夏の最中この慣れない重い装束を着て範頼は動きの特訓を汗だくで行なった。
正直言って弓を射るより大変なこととも思える。
だが、この挙措動作をしくじるの後々までの笑いものとなってしまう。
範頼は必死に束帯の動作を覚えるべく努力した。

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蒲殿春秋(五百六十九)

2011-07-07 23:22:40 | 蒲殿春秋
鎌倉に戻った範頼の邸には来訪者が絶えず、
また範頼自身もあちらこちらに出向く用があり多忙だった。

そのような日々の中、範頼邸に鎌倉殿の使者が訪れた。
翌日大切なことが披露される故に束帯で大蔵御所に来るように
というのが使者の口上だった。

その夜、舅の安達盛長とその妻小百合が範頼のもとへ現れた。

盛長は至極上機嫌である。

「明日は良きことがございまするぞ。」
と盛長は言う。

「ほれ、これが我が家からのお祝いでござる。」
そう言うと、盛長は衣装を二組妻から差し出させた。

右側が黄色の袍の束帯一式、左側が緋の袍の束帯一式である。

「こ、これは。」
範頼は息を呑んだ。

「明日は黄の袍を着て御所へ参上なさいませ。それから緋色の袍をご持参するのもお忘れなく。」

この二色の袍の意味を範頼は知らぬわけはない。

束帯は朝廷に仕えるものの正式な装束である。
その装束には厳密な決まりがある。
その最たるものが最も上に着する袍の色である。
着るものの位階によって着る袍の色が違うのである。

大蔵御所に参上するときに着するように言われた「黄の袍」は無位のものが着る色である。
そして持参するように言われた「緋の袍」は五位のものが着するのを許される。

つまり、翌日範頼は五位の位階、そしてそれに相当する官職を獲得するであろうということが推察されるのである。

元暦元年(1184年)六月二十一日、丑の刻に起きた範頼はまず入浴し身を清めた。
それから一刻以上かけて束帯を身に着ける。
着る範頼も着慣れず、着せる妻の瑠璃も着せ方がよくわからなくてまごついた。
そこへ、姑の小百合が現れて手早く束帯を身に着けさせた。
宮仕えの経験があるだけにこのようなことには小百合は手際がいい。

やっとの思いで束帯を身に着けたが、今度はうまく動けない。
幾重にも着るものを重ねている上に、下襲が変なところにひっかかったりする。
そして勺も持ちなれないために違和感を感じる。
はく太刀も普段のものとは形状が違う為に変な風に動く。

このとき範頼はまさに「束帯に着られた男」になっていた。

着慣れぬ束帯を着た男は馬に乗るにも苦労する。
馬にのって西国に遠征した将は初めて馬にのせられた幼子の如く郎党の当麻太郎に馬の口をとられてゆるゆると大蔵御所に向かった。

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