時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(四百五十六)

2010-01-31 05:04:25 | 蒲殿春秋
切り立つ崖の際に佇む源義経はその奈落の下を覗き込んだ。
眼下には平家の赤旗が幾筋も流れている。
この崖の真下に一の谷口の平家の本営がある。

義経はここに着いたとき道案内をしてくれた鷲尾三郎に尋ねていた。
「ここがその獣道か?」
と。
鷲尾三郎は無言で頷いて答えていた。

卯の刻に始まった一の谷口の戦いも間もなく一刻が過ぎ去ろうとしていた。

義経の戦況をじっと見守ってきていた。
その義経は一の谷の東側を見つめている。

やがて一の谷の平家の陣の後方に異変が起きた。
前夜から行軍していた別働隊が平家の陣の背後に回りこみ攻撃を仕掛けてきたのである。
一の谷の西の木戸口にばかり気を取られていた平家の軍勢は東からの現れた軍勢に対して動揺を見せている。
その動揺の中平家は新たなる敵と戦っている。

その時が来た。

義経は彼が率いた僅かな手勢に命じた。
「この道を下り平家に攻撃をする。」

あらかじめ自分達の行なうべきことを聞いていたつわものたち。
だが、夜が開け視界が開けると今から下る道いや崖の険しさをみて慄いた。
坂という程度のものではない。
まっ逆さまに下に落ちていくような「道」である。
その崖を今から下るのかと思うとためらいが走る。

その様子を見て義経は傍らの人物に尋ねる。
「鷲尾三郎。この道は鹿が通るのか?」
鷲尾三郎は返答する。
「はい。鹿はよく通ります。」

その言葉に義経は心強くうなずき、そして兵達を大きな声で励ました。
「鹿が通るならば馬も通れるはずである。
ましてや人が操る馬である。
下れないわけなどあるまい。」

義経は兵達の顔を見回した。
「殿輩(とのばら)、我に続かれよ!」
そういうと義経は馬首をめぐらして一気に崖を駆け下りた。
颯爽と下る将に佐藤兄弟が、伊勢三郎が、武蔵坊弁慶が、そして東国の武者達が続いていった。

福原陣立て 戦闘開始後1

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蒲殿春秋(四百五十五)

2010-01-28 22:51:20 | 蒲殿春秋
それは山手口で起きていた。
この口は甲斐源氏安田義定、そして摂津国住人多田行綱に率いられている。

夜明けと共に山手口目指して義定らは山道を着々と進撃する。
その進撃の早さに山手の将平通盛、侍大将越中次郎盛俊は狼狽する。
━━ 隠し兵は何をしている。

彼等はそれを疑問に思った。
山道を越える敵軍に山中に隠しておいた兵達が襲い掛かるはずだった。
細い山道をほぼ一直線に進軍する軍勢には側面からの攻撃が何よりも有効。
そのための隠し兵。
敵は分断され大混乱に陥るはずだった。
それがかなわずとも敵の足止めにはなるはずだった。足止めしている間に次の策を講ずることができる。
しかし、何の障害も無かったかのように敵は進撃してくる。

一方安田義定はゆうゆうと兵を進める。
前夜のうちに隠し兵がいそうなところに自軍兵を送り夜明けの前にその隠し兵を全て切り殺していた。
従って現在進軍する義定らを襲う兵など皆無である。
山の戦に慣れている安田義定、地元の地勢に詳しいものを沢山配下に加えた多田行綱にとって
平家が用意した隠し兵の場所を察知して事前に始末しておくことくらいはたやすいことだった。

義定は敵陣の近くに来ると兵の歩みを止めた。
山からは下りない。
山中の足場の良いところに兵を送り山麓に陣を構える敵陣目掛けて一斉に矢を射掛けた。
平家も矢を放って応じるが、低い場所から打ち上げられる矢は山上にいる敵には届かない。
片や高さを生かした安田勢が次々と山の下に放つ矢は誤り無く敵兵を射殺す。
低いところから放つ矢は高いところには届きにくい。
一方高いところから射抜く矢は落差も加わり威力を増して敵陣に届く。
山の戦い方を知り尽くした義定が率いている攻撃軍。戦う前にすでに勝敗がほぼ決まっていた。

平家の防衛線は次第に後ろに下がっていき遂に、通盛、盛俊らのいる本陣も敵に脅かされてる。
そして大音声を放ちながら甲斐源氏そして摂津源氏の兵達が山から下ってくる。
彼等は手に手に赤赤を燃える松明を手にしている。

平家の山手口本陣はたちまち紅蓮の炎に包まれる。

平家の軍勢はたまらずに海に向けて撤退を始める。
だが、平家の戦意が消失したわけではない。
湊川沿いに撤退したものの大将軍平通盛らは途中で踏みとどまり、
山から攻めてくる敵を食い止めようとしていた。

その軍勢に対して安田義定と多田行綱は再び挑みかかる。
戦いはしばらく続く。

一方、一の谷口の近くの山上にいる源義経は自らがそろそろ動く頃合いが近いことを予感していた。
義経は戦況をじっと見守っている・・・・

一の谷布陣図

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蒲殿春秋(四百五十四)

2010-01-26 21:42:06 | 蒲殿春秋
一の谷口も夜明けと共に戦闘が開始された。

そこでも先陣争いが起きていた。
武蔵国住人熊谷直実は先陣をとらんと前夜から敵陣に乗り込んでいた。そして夜中に先陣の名乗りを上げていたのだが敵からは応答がなく、彼の先陣を証言する味方もいないため一旦敵陣の外に出た。
平山武者所季重は成田五郎と様々な駆け引きをしながら夜明け前に敵陣の前にたどり着いた。
この熊谷、平山の両者は夜明けと共に我こそは先陣をつとめんと敵陣向かって突進していく。
前夜から先陣の名乗りを上げた熊谷直実にあきれながらも平家の武者達がこの先陣を争う二人の相手をする。
平家方の武者が出撃する為に一瞬逆茂木が開く。その僅かな刹那に平山季重が敵陣に飛び込む。

熊谷直実と平山季重の後ろからも功名手柄をたてんとはやる坂東武者たちが続々と現れる。
狭い道を掻き分けながら鎌倉方から数騎ずつ押し寄せ、迎え撃つ平家かたも名だたる勇者が少しずつ逆茂木の向こうから狭い道に現れる。
一の谷口の戦いは、横一線に双方から大勢が押し寄せる生田口の戦い方とは違い、両陣営の間を結ぶ細い道において両陣営から数十騎づつ現れ少ない人数で戦うことになる。

平家が陣を構える一の谷口と土肥実平率いる軍勢が滞在する塩屋の間にある道は生田口と違って山が海の近くまでせり出しており大勢の武者が一気に押し寄せることができない。
よってこちらは大手のように双方とも大集団で押し寄せて戦うというわけにはいかないのである。
さらにその狭い道に平家は逆茂木や櫓をたてて敵の侵入を防ごうとしている。
狭い道に矢が飛び交い山と海がすぐそばに迫る場所で源平両者が赤旗白旗をなびかせながら血みどろの戦いをしている。
こちらも鎌倉方、平家方双方譲らず互角の戦いをしばらくつづけることになる。

その様子を険しい山上から一の谷口の大将軍源義経は見つめていた。
その義経に突き従うものはわずか三十騎ほどでしかない。
道幅の狭い場所を攻めあぐねている自軍の様子を義経は静かにながめる。
けれども義経はまだ動かない。
時が来るのを待っている。
彼が当初引き連れていた別働隊の主力は現在山の中を動いている。
その別働隊の主力はやがて一の谷の平家の陣の背後に回りこむことになろう。義経はその時を待っている。

生田口、一の谷口双方は暫しの間一進一退の戦闘を続ける。
が、その二口と違う場所ではその頃大きく戦局が変わろうとしていた。

一の谷布陣図


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蒲殿春秋(四百五十三)

2010-01-23 05:46:07 | 蒲殿春秋
景時は今度は完全に我を失っていた。
「源太!」と叫びながら死に物狂いの形相で敵の中へと突っ込んでいった。
その迫力に敵も一瞬ひるんだ。
瞬間景時を通す道が出来る。
景時は息子の元へまっしぐらに進んでいった。

その息子は只一人で敵に囲まれ、兜を失いざんばら頭のみとなって必死に敵に対して抵抗していた。息子は今にも敵の手にかかりそうである。
景時はいそいでそこに駆け寄ると息子に手をかけようとする敵を次々に倒す。

「源太!」
その声の方向を息子は見上げる。
「父上!」

だが危機はまだ去っていない。
名高い梶原親子を討ち取ろうと言わんばかりに敵が多く寄せてくる。

その敵に対して立ち向かおうとする梶原父子。

だが敵は梶原父子を素通りして逆茂木の向こうへと去っていく。
やがて逆茂木は再び閉じられた。

敵の後ろから景季の弟達や梶原の郎党らが現れた。
さらに後から範頼の郎党の当麻太郎と吉見次郎が多くの手勢を率いてやってきた。
呆然を立ち尽くしている梶原父子を連れて彼等は後方へと下がっていく。

景時は大将軍源範頼の近くへ呼び戻された。

「梶原殿、なんという無茶をなさる。」
範頼は景時をたしなめた。
「面目ございませぬ。ただ、せっかく先陣をつとめた河原兄弟をみすみす見殺しにしてそのままにしておくというのは全体の戦意に関わることと思い・・・」
「それはわかるが、何ゆえに二度も敵陣へ。」
「一度目は意地を見せて戻ればよいと思っておりました。
しかしながら、敵陣に倅が残されたと知ったときは我を忘れ敵陣へ飛び込んでしまいました。
親というのは愚かなものでございまする。何があっても我が子は守ってやりたいものゆえに。」
「・・・・・・」

大将軍と軍目付がこのような問答をしている間にも敵味方両陣営から放たれる矢うなりの音が絶えない。
「とにかく河原兄弟のような無茶はもうさせぬよう伝令を出す。
敵陣に襲い掛かるときは大勢で突入せよ、と。」
範頼は軍目付に言い渡した。

その後大手軍はいくつかの集団が敵陣に近づく。
しかしその都度逆茂木とその前に流れる生田川に阻まれ、逆茂木の向こうからやってくる矢に耐えかねて撤退する。

平家の方も幾人か逆茂木を空けて鎌倉勢に襲い掛かってくるのであるが
そちらも鎌倉勢がしつらえた逆茂木に阻まれて先へ進めない。
生田口では暫くの間一進一退の戦いが繰り広げられることになる。

一の谷布陣図

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蒲殿春秋(四百五十二)

2010-01-21 23:49:11 | 蒲殿春秋
やがて寿永三年二月七日の夜が明けた。
卯の刻(午前6時頃)を迎える。
かねてから決めていた通りの矢あわせの時刻となった。
福原の東側生田では鎌倉勢、平家勢双方から矢が飛び交いあっている。

その飛び交う矢の下をくぐるように二人の男が馬にも乗らず低い姿勢で敵陣目指して走っていく。
河原太郎次郎の兄弟である。
途中河原兄弟は後ろを振り返った。
兄弟の真後ろには梶原勢がいる。軍目付梶原景時がそこにいることが分かる。
兄弟は薄ら笑いを浮かべた。これで軍目付に自分達の働きを目の当たりにしてもらえるはずである。
二人は矢の雨を潜り抜け生田川を越え、その先にある平家が設えた逆茂木によじ登りそれを乗り越えて敵の平家の陣に侵入した。
そして大声で叫ぶ。
「生田口の先陣は武蔵国住人河原太郎私市高直、同じく次郎盛直なり。
方々しかと見届けられよ。」
河原兄弟はただ二人敵陣の中へと入り込んだ。

だが、その二人につづくものはいない。
逆茂木の先は敵しかいない。
二人は散々に矢を浴びてやがて倒れ首を取られた。

その様子を梶原景時は見つめていた。
「勇ましく先陣をつとめたものを見殺しにしてしまった・・・
これは鎌倉方の名折れぞ!ものども我に続け!」
そう言うといつもの冷静さを忘れたかのように敵陣へと飛び込んでいった。

逆茂木の向こうにある平家の人々は勇み立った。
鎌倉勢大手の軍目付が自ら出陣してきたのである。
梶原平三景時の名は平家方にも知れ渡っている。
その梶原景時がこちらに向かってくる。
多くはない手勢を率いた梶原景時に向かって平家方は逆茂木を空けて大勢の軍を発動させた。
たちまちに景時らは囲まれた。

だが、景時は文武に優れた武者である。
少数の手勢を率いて大軍で襲ってくる平家の兵と暫くの間激しく戦って一歩も引けをとらない戦いをした。
飛んでくる矢、そして次々と襲い掛かる刀剣を上手くかわして敵を退ける。
だが、多勢に無勢・・・暫くたつと梶原勢の劣勢は徐々に明らかとなる。

ここで景時は急遽退却を命じる。
誰もがここしかないという見事な潮時で兵をまとめて後ろへと下がっていった。

敵から少し離れた頃景時は自分の周囲を見回した。
その時景時は異変に気が付く。
嫡子景季の姿が無いのである。
その時郎党が叫ぶ。
「源太様は未だに敵の中に!」
「なんと!」
景時は顔色を変えた。

一の谷布陣図

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蒲殿春秋(四百五十一)

2010-01-16 22:37:54 | 蒲殿春秋
「いいえ!」
と弟は兄に反論した。
「兄者一人を死なせておめおめとわし一人が生き延びて恩賞を貰えるものか!」
わしも兄者と共に先陣を取る。」
「お前・・・」
兄弟は二人顔を見合わせた。

先陣を取る。これはこの戦いに挑む全ての武士の望むものといってもよい。
成功すれば莫大なる恩賞をもらえる。
しかし、この戦いにおいて先陣を取るのは命を失うことにも等しい。
敵陣は厳重にこしらえられた逆茂木の向こうにある。
一人がその逆茂木を突破しても続くものがいなければ逆茂木の向こうにいる敵にすぐに囲まれ討ち取られてしまう。
その逆茂木を一箇所突破するのも難しそうである。
ほぼ同時に数箇所で同時突破しなければ各個撃破されるのは目に見えている。
多くの郎党を抱えているものならばとにかく、兄弟二人と数名の郎党しかいない河原兄弟が先陣を取ればそのようなことになるのが目に見えている。

河原次郎は言う。
「わしはは信じておる。鎌倉殿の事を。
あの方はわれらの働きを正しく認めて下さる。所領のことの争いもいつも分け隔てなく正しく御決済なされる。
それが鎌倉殿じゃ。
ならばわし等が命差し出して得る先陣の恩賞、それを鎌倉殿は間違いなくわし等の妻子に下されるであろう。もし何か争いが起きても正しく裁いてくださるだろう。
兄者は自ら亡き後のことを憂いてわしに生きよと言っているのであろう。だが、鎌倉殿がおられる限り兄弟共に死んでも遺される妻子のことの心配は無用のことと存じる。」
その弟の言葉に兄は深くうなづく。
「そうだな。」
と静かに答える。そして言葉を続ける。
「それに此度の御大将は蒲殿、そして軍目付は梶原殿じゃ。
蒲殿と梶原殿ならばわしらの働きを鎌倉殿に正しくお伝えしてくださるはずじゃ・・・
ならばわしもそしてお前もおらずともなんの愁いもあるまい。
次郎、わしと共に敵陣に、そしてあの世へとむかう。それでよいのじゃな。」
兄の言葉に弟の次郎は強く頷いた。

蒲殿源範頼は先の野木宮の戦いの際、自分の働きの報告は差し置いて鎌倉方に味方してた軍勢に働きを鎌倉殿源頼朝に報告した。
そのおかげで範頼自らの功績は目立たなくなったものの戦に加わった豪族たちの功績は正しく伝えられた。
そしてその報告に基づいて鎌倉殿源頼朝は功あるものに正しく恩賞を与えた。
軍目付梶原景時は先の木曽義仲との戦いにおいて、先陣、主な敵を討ち取ったものの氏名等、そして合戦の様子を的確に鎌倉に伝え
鎌倉殿から賞賛されたという。
このような人々に従っている限り安心して死ねる。自らの命を引き換えに得る恩賞は間違えなく遺される愛しきものたちに下されるであろう。

鎌倉殿源頼朝、大手大将軍源範頼、そして軍目付梶原景時への信頼が河原兄弟の先陣への決心を固めさせていた。

先陣争いは、この大手軍だけではなく西から攻め寄せる一の谷の搦手軍の中でも始まっている。
熊谷次郎直実、平山武者所季重、成田五郎などが西木戸と呼ばれる一の谷口の先陣をつとめようと決戦前夜から暗闘を始めていた。

そして、一の谷口の大将軍源義経は別働隊を引き連れ夜の山道を決死の覚悟で行軍していた。

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蒲殿春秋(四百五十)

2010-01-11 05:22:36 | 蒲殿春秋
搦手が二手に分かれて進軍しているころ、大手は生田口にさらに近づいてた。
各御家人はそれぞれ攻め入る場所を定められ、その先に進軍しやすい場所に陣取っている。
夜に入る前範頼は伝令を発した。
かがり火を多く灯すように、というのがその内容である。

明りが多く灯されることで軍勢が実際より多くあると敵に思わせる。

一方福原の生田口で鎌倉勢を待ち受ける平知盛も配下に同様の命令を発していた。
こちらもまた多くのかがり火が灯される。

実数よりも多く兵があるように感じさせて敵の心の動揺を誘う。
弓矢を交える以前に戦いは始まっていた。

やがて夜の闇があたりを支配する。
生田口を挟んで無数の火のきらめきが輝いていた。東と西で競い合うかのように炎はその光を放つ。

戦の前の戦いは味方同士の間でもすでに始まっていた。
誰が功名手柄を上げるかという戦いが・・・

その最初の戦いは誰が「先陣」を果たすかということである。
先陣とは真っ先に敵陣に到達するもののことである。
この先陣はもっとも功績があると評価され、先陣と認められたものはその後の論功行賞において最も大きな恩賞を手にすることができる。

決戦前夜、大手軍の一角で二人の兄弟が話し合っていた。
武蔵国私市党の河原太郎、次郎の兄弟である。
「郎党を沢山従えた大名は自分が戦わずとも、郎党たちが戦ってくれればそれが自分の手柄となる。
だが、われらのように郎党が少ないものたちは自分たちが戦わなくては功名をたてられぬ。」
と兄の太郎は語る。
その言葉に弟の次郎はうなづく。

「此度の戦でもそうぞ。われらが自らが働かねば功名はたてられぬ。
功名ならずは恩賞はない。
此度の戦、はるばる東国から武具兵糧をみずから携えてやってきたのだ。
恩賞なしで故郷へは帰れぬ。」
一回の戦の支度には多くの出費が伴う。しかも今回ははるばる上洛し西国にまで出陣しているのである。
出陣の期間も長く普段よりも多大なる支度が必要だった。今回の出費は莫大である。
それを補うためにも是非新たなる所領が欲しい。

「わしは、考えた。手勢の少ないわれらがどのように功名手柄を上げるのかということを。」
太郎は言う。
「先陣じゃ。先陣をとればよい。」
次郎は兄を見つめ返す。

一の谷布陣図

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蒲殿春秋(四百四十九)

2010-01-10 05:31:22 | 蒲殿春秋
一方、義経が率いた軍勢も二月六日の夕刻には山陽道に到達した。
一の谷口から少し西にある播磨国塩屋に軍勢は陣を張る。

兵たちに休息を取らせている間義経は道案内をしてくれた鷲尾三郎を呼び寄せた。
行軍中に鷲尾三郎がふとつぶやいた言葉が気にかかっていた。
「一の谷口に向かう間道がある。」
という一言ともう一つ。
「一の谷に間道はいくつかある。その中に獣達が良く通る道がある。
ただし人や馬が通ることはないが。」

義経は鷲尾三郎を呼び寄せ間道のことを詳しく尋ねた。
その時行軍の途中で放った物見が義経の元に何人か戻ってくる。
義経は平家の陣の様子そしてその位置を聞いた。
その陣取りを鷲尾三郎にも聞かせ彼からあることを聞いた。鷲尾三郎の言葉に義経は己のある予感に確信を覚える。

義経は軍目付土肥実平に主だった者達を集めるようにと求めた。軍議をすると言った。
次に義経は土肥実平を驚かすことを言ってのけた。
「土肥殿、只今から軍を二手に分けまする。
兵たちの主力は土肥殿が指揮して下され。
私は、少数の兵を率いて間道を通り敵の背後を突く。」
「何と!」
土肥実平は次の言葉が出なかった。
そしてさらにその次に出た義経の言葉にも驚く。
その言葉は他言無用といわれた。

大将軍が主戦力から離れて別行動を取るということが信じられない。
だが、義経の構想を聞くとそれも妙案とも思える。
そしてこの目の前の若き大将軍の意表を突く発想の魅力に引き込まれた。
けれども一言だけ返した。
「しかし、なにもそれを御曹司みずからなされなくても・・・」
「いや。このように危険を伴うことを人に任せるわけには行かない。
私自ら行なわなければならない。将自ら危険に飛び込まずして誰がその命がけの行軍についてくるものか。」
義経は決意をもった強い瞳で実平を見つめた。
壮年の軍目付が若き大将軍の瞳にたじろぐ。

やがて御家人たちが義経の前に集まってきた。
その御家人たちに義経は高らかに宣言する。
「今から軍を二つに分ける。
当初の予定通り山陽道沿いに西から一の谷口を攻める軍勢と
間道に入り背後から一の谷をつく軍勢にわける。
正面から敵にあたる軍勢は土肥殿に率いていただく。
間道に入る軍勢は私が指揮をする。」
義経は続ける。
「間道に入る軍勢はそんなに多くなくても良い。
ただし、険しい道のりを歩むことになる。そして夜も行軍することになる。
その覚悟、特に険しい獣道を通る覚悟があるもののみ私についてきて欲しい。」
御家人達はざわめいた。

それでも功名手柄にはやる御家人のうち何人かは義経に付いてくることを表明した。

その後義経は土肥実平と共に正面から戦う軍勢の陣立てを指示した。
それが終わると直ぐに別働隊を集めてその作戦を語り始めた。
先ほど越えた山道に入り途中から間道に入る。
その道を抜けると一の谷に陣を張る平家の背後に抜ける。
そこから背後を衝く。
義経は従うものたちにそのように語った。
だが、義経の胸中には未だに一つの策が秘されている。
その策は語らず別働隊の陣立てを行い、軍勢を率いて義経は再び山へと入っていった。

一の谷布陣図

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蒲殿春秋(四百四十八)

2010-01-05 20:37:47 | 蒲殿春秋
三草山落ちる。
その報を福原の平宗盛が聞いたのは二月六日の明け方だった。
宗盛は福原に於いての決戦が近いことを知り、山の手、一の谷の守りをより一層固めさせた。
しかし、三草山がもう少し持ちこたえることを期待していた為にその守りの支度は余裕のない慌しいものとなっている。
一方鎌倉勢は続々と山の手、そして一の谷を目指して進軍する。

搦手軍の一手━安田義定が率いる軍勢は険しい山道を進軍していた。
「多田殿、もし多田殿が平家の将でしたらどこに兵を隠しますかな?」
義定は同道した摂津国住人多田行綱に尋ねる。
「あそこの木の陰などいかがでしょうか?」
と行綱は答える。

義定は行綱の言った場所を探らせた。
だが、そこに人の姿は見つけることができなかった。

━━ 平家は我々を迎え撃つ準備が未だに整っておらぬ。
安田義定はそう思った。

山手口に近づくと義定は兵たちに一旦休息を取らせた。
その間山道に強いものたちを偵察に出して近くの地形や様子を探らせた。
するとさすがに山手の陣に近い場所には山中に伏兵を多く潜ませていることが良く分かった。
だが、その配置の報告を聞いた義定は鼻で笑った。

━━ よくもまあ、こんなに敵がたやすく予想できる場所によく隠し兵を置くものよ・・・

元々山深い甲斐国で生まれ育った義定である。
山というものになじんでいる。
山における戦闘に関しては甲斐に育った武士の義定にはごく身近なものである。
一方山手の将通盛は山中や山麓の戦闘に慣れていない。
そのような通盛や侍大将越中次郎盛俊が指揮する軍の行動などは手に取るようによくわかる。

━━ それに、山の下で敵を待とうとはな・・・・
山での戦いは山上に陣取る方が山すそに陣取るより有利になるというのに敵の主力は山中に入ってこようともしないようである。

━━ もっとも三草山が落ちるのが早すぎて進軍できないというのも理由の一つだろうがな・・・

やがて日も沈んできた。

その間に安田義定は翌朝の矢あわせに先立っての支度を次々を行なっていった。

一の谷布陣図

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