時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(十二)

2006-04-30 16:04:20 | 蒲殿春秋
数日後、範頼は船の中にいた。
前よりはしのぎやすくなったとは言え船酔いはやはり辛い。
船酔いに苦しんだときは遠慮せずに船底に寝転び酔いが通り過ぎるのを待つ。
けれど、辛くないときは船の外を眺める余裕も出てきた。

おだやかな相模湾の洋上からは富士と呼ばれる雄大な山を望むことが出来る。
二つとない山だから「不二」とも称される。

二つとないという言葉で
範頼はかつて心の中につぶやいた言葉思い出した。

━━ 私は決して三郎兄上の代わりにはなれない。

あの時は自分を頼朝と見間違えた姉の言葉に対する反発の心があった。
今回も自分は三郎兄にはなれないと思った。あの時とは違う意味で。

範頼にとっては頼朝はまぶしすぎる存在だった。
幼き日度々上った都の父の屋敷。そこでみた三郎兄は範頼にとってあこがれだった。
弓の腕はすばらしく、的を外したのを見たことが無い。
軽々と馬を乗りこなし、時にはとても通れないような所まで踏み入る。
それでいて普段の挙措動作は見とれてしまうくらい美しい。
早くから官位を得て朝廷や女院の元に出仕し、その職務をそつなくこなしていたとも言う。

やがて都において官位を授かるべく育てられ、多くの郎党たちを常に従えていた。
そして、他の兄弟のだれよりも多く色々なことを学ばされ、都の武士の家たる者の後継者としての矜持を常に教え込まれていた。
それらのことは若い身には負担が大きいはずなのにそれを悠然と受け止める度量があった。

そしてまた、流人という立場に立たされていても
優雅さを失わず、現在の立場を粛々と受け止めているが決して卑屈さは感じられない。

自分がその立場だったらどうであろうか。

やはり自分は兄のようにはなれない。そう思い知った。
自分は自分、兄は兄である。

船は進む。
相模湾を抜けて安房国をまわり、外海へ。
そして、下総と常陸の間を流れる川を上る。
この河は常陸にいくつかある大きな湖に繋がっている。(注)
その湖の先に常陸の国府がある。
湖の中ほどで、岸の先の或る方向を指して渡辺某が得意げに話す。
「御曹司、あれが志田庄さ。
あそこも八条院さまの御料なのさ」
その志田庄を管理しているのは範頼の叔父志田義広とのことだった。

やがて、船は国府に近い岸に到着した。

(注)現在の利根川河口から霞ヶ浦に入ると考えて下さい。
ただし当時の利根川は東京湾に流れ込んでいて現在の河口とは
違うところにあります。
手持ちの資料で当時(現在の)利根川河口付近から
霞ヶ浦には繋がっていることが確認できました。

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蒲殿春秋(十一)

2006-04-29 14:44:29 | 蒲殿春秋
やがて、食事が運ばれてきた。
伊豆政庁とは比べ物にならないくらい質素な食卓だった。
「遠慮せずに食べよ。そなたくらいの年の頃はいくら食べても食べ足りぬくらいだからな」
食事の内容は決して豊かとは言えない。
けれども、兄の心づくしがうれしくて範頼は残さず食べた。
その様子を兄は満足気に眺めている。

やがて、北条時政の使者が訪れこの屋敷を範頼は後にした。
見送りに立った頼朝は戸口まで出てきてくれた。
戸を開けた瞬間冷たい秋風が吹き込んだ。
戸口で兄と顔と顔が向かい合ったとき範頼はハッとした。
立っている兄の背の高さと自分の背の高さがほとんど変わらないということに
気が付いた。
十四歳の自分と十九歳の兄。かつて見上げてのぞいていた兄の顔が自分の顔と同じ高さにある。
座していたときの兄からはある種の大きさを感じた。
今より幼かった自分が兄を見上げていた時以上に大きく見えた。
なぜさっきの兄はあんなに大きく見えていたのであろうか・・・

戸口からは一歩も外に出ないで頼朝は範頼を見送った。
その去っていく後ろ姿を頼朝はまぶしそうに見つめていた。
遠ざかっていく弟を見て頼朝はちいさくつぶやいた。
「六郎は、広い上野の地に羽ばたくのだな。自由にどこへでも行けるのだな」と。

藤九郎も頼朝の側に控えて範頼を見送った。
その姿が見えなくなると藤九郎は時政に頭を下げてある頼み事をした。
だが時政は首を横に振った。
「佐殿、やはり米の追加支給は断られました。義母の荷駄がつくまで
しばし米は・・・」
「よいではないか、まだ、稗や粟、それに豆があるではないか。
ここに来てばかりの頃の事を考えれば、食べるにも窮した日々のことを思えば・・・
だが、そなたと尼には苦労をかけて済まない。
されど、遠方から弟がわざわざ来てくれたのだ。
久しく忘れていた肉親というものに会えたのだ。
せめてその肉親である弟の腹は満たしてやりたかったのだ。
他に何もしてやれることはないのだから。」
頼朝は静かに語った。

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蒲殿春秋(十)

2006-04-28 21:32:36 | 蒲殿春秋
果てしない闇をほのかに照らす明かりの下
久しぶりに邂逅を果たした兄弟が見つめ合う。
「元服をしたのだな、そなた幾つになる」
頼朝が尋ねる。
「十四歳になりました」
まっすぐな眼差しで兄をみつめて範頼が答える。
「そうか、仁平二年の生まれであったな・・・」
範頼をみつめながら頼朝は一瞬遠くを見る目をした。
しばらく沈黙してから頼朝はぽつりと言った。
「わしが、ここに流されたのも十四の年であった」

「さて、どのような仔細でここへ?」
兄の問いに範頼は黙って包みを差し出した。
ゆっくりとそれは開かれ、中からは例の古びた人形が姿を見せる。
「姉上・・・・・」
頼朝はなつかしそうに人形を見つめている。
範頼は黙ってそれを見つめるだけ。話しかけてはいけないと思った。



しばらくして
「姉上は息災か?」
「はい」
範頼は答えながら、自分が入っていけない姉と兄の絆の深さに傷ついた。

「そなた、夕餉は済ませたのか?」
「はい、あの、いいえ」
範頼はあいまいに答えた。さっき食べ残した魚が気にかかっていたのである。
「藤九郎、この客人に夕餉をもてなしてほしい」
「はい、しかし、あの」
藤九郎と呼ばれた先ほどの貧相な男は口ごもる。
「遠方からわざわざ来られたのだ、何も出さぬでは失礼ではないか」
藤九郎は渋々とうなづいた。そして、夕餉の支度の指図をすべくその場を下がった。

「さて、六郎これからどこへ行く」
「上野国へ参ります」
「上野?」
「養父が上野介になりましたので目代様のお供をすることになりました」
「そうか上野国か」
頼朝はまぶしそうに範頼を見つめた。

「六郎、大きくなったな」

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蒲殿春秋(九)

2006-04-27 21:42:58 | 蒲殿春秋
水を飲み夜の風にあたるとすこしスッキリとしてきた。
それでもよろよろと歩いていると蔵の陰に一人の男が立っているのがわかった。
年は30歳位であろうか。
その人物は
「北条四郎時政と申す。お楽しみをさえぎって申し訳ござらぬ。」
そういって範頼に一礼した。
酔っていて頭の回らぬ範頼もあわてて礼を返す。
「狩野介殿に上野介様のご養子に人目に付かぬようにお会いせよと言われましての」
範頼はその瞬間だけ酔いが覚めた。
「私めに何か御用がおありでしょうか?」
「伊豆守様のお父上からの書状をお預かりしました。」
「ほう、それがしのような小物に何か?」
それでも、時政は頼政からの書状を受け取ると目を通し始めた。
読んでいるうちに少し表情がこわばったが、時政は最後まで読み通した。

「しばしお待ちくだされ」
時政はそう言うと闇の中去って言ったが暫くするとすぐに戻ってきた。

その間範頼は水を所望し夜の風に当たっていた。
少しずつ頭がはっきりしてきた。

「上野介様のご養子殿」
「あのう、面倒くさいので、六郎と呼んでくれませんか?
私は昔から皆にそのように呼ばれておりますので」
「それでは、六郎殿、ただいまより私に同道していただきたい」
そういわれると有無を言わさず馬の上に押し上げられた。

時政の従者にくつわを取られ伊豆政庁の裏門に連れて行かれる
客間の方からは楽しそうな笑い声や
いつの間にやらやってきたらしい遊女の嬌声が響いてくる。
範頼はうらめしそうにそちらの方向を見ながら馬に乗せられて政庁を去っていった。

半刻ほど馬にゆられ粗末な建物の前で馬を下ろされた。
その間に酔いはすっかり覚めてしまった。
「こちらにお入りください。
しばらく後迎えをよこすのでそれまでごゆるりとお過ごし下され」
ごゆるりとって、今にも倒れそうなこの屋敷でか?と半ば不快な面をあらわにしつつ
範頼は時政の従者について戸口に立った。

ガタガタと何度か突っかかりながら戸口はやっと開いて
三十半ば程のの貧相な男が顔を出した。
その貧相な男は時政の従者の姿を認めると丁重に頭を下げた。
その男は二言三言従者と言葉を交わすと範頼を招き入れた。

気は進まなかったが範頼は中に入った。
一歩足を踏み入れた瞬間ギシリと床のきしむ音がした。
さほど広くない建物の中の奥のほうを見ると一人の若者が座っていた。
粗末な屋敷に似つかわしくない上品な佇まいだった。
ほの暗い明かりのなか写経をしている。

範頼が男に案内されて歩を進め
互いの顔が認められるところまでくると
若者は戸口が閉められていることを他に誰もいないことを確認してから
小声で言った。
「六郎なのか?」
「さぶろう兄上?」
この屋敷の主は範頼の兄頼朝であるらしかった。

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蒲殿春秋(八)

2006-04-23 13:48:02 | 蒲殿春秋
その後も吐いたり熱を出したりと大変な思いをして範頼は伊豆に到着した。

港に来ると大勢の人々が出迎えに来ていた。
甲冑に身を固めたもの、水干に身を包んだもの、そして大勢の人足。
伊豆守様ご手配の船そしてご使者の到着ということで
伊豆の有力者の多くが船の出迎えにかりだされたらしい。
船が下りる人々はみな丁重に出迎えられた。
そして、落ち着かないほどの物々しい行列を付けられて
範頼たち一行は伊豆の国府の政庁へと送られた。

範季に引き取られるまで寺の中で過ごしていた範頼にとって
鄙の地における国守の威光というものを知ることは無かったが
たった今その片鱗を見たような気がした。

国府政庁につくと暫く休息所で待たされた後
範頼一行は伊豆の目代に呼ばれた。
30代半ばくらいの頭が良さそうだかどこか弱々しい男だった。
そして、その脇に40代くらいの髭を蓄えた大男がどっしりと座っていた。
目代は
「伊豆守様からお話は伺っております」
とどこか都の風を感じさせる言い方で語った。
「後のことはここにいる狩野介に申し渡しておりますので、どうぞ」
それだけ言うと目代はそそくさと立ち去った。
そんな目代からはどこか怯えというものが感じられた。

狩野介は上野に向かう一行を客間に通して歓待した。
美酒、海山の珍味が出された。
都で生活して新鮮な魚介類を食たことのない一行は
伊豆の海の恵みに感嘆した。

まだ十四歳の範頼は今までそんなに酒を飲んだことも無いし
飲んでも美味しいとは思ったことはない。
しかし、食べても食べてもまだ食べたいこの年頃
範頼の箸はついつい進む。
箸がすすむとついつい手元にある酒に手が伸びる。
そんなこんなしているうちに酒がまわり範頼はいい気持ちになってきてしまった。
日が沈み宴もたけなわになった頃、雑色が一人範頼の脇に現れた。
「上野介様のご養子様でいらっしゃいますね。」
「ふぁい、そうれすが」
本人は気が付いていないが、ろれつの回らない返事をしている。
それを聞くと雑色は、ほろ酔いでいい気持ちに浸っていた範頼を無理やり外に連れ出した。
範頼は今食べようとしていた魚に未練を残しながら、よたよたと連れて行かれた。

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蒲殿春秋(七)

2006-04-22 11:43:43 | 蒲殿春秋
範頼は上野国に向かう数人の文官武官と共に
源頼政が手配した船で上野へと向かった。
伊豆守仲綱が任国に火急の用件が出来たため、腹心の郎党を使者を送る。
そのついでに
上野国へ向かう一行も乗っていけばよろしいということであった。
東国に向かう船の中で範頼は包みを開けた。
範頼に姉から渡されたものは小さな手鞠だった。
幼い日暇をもてあましていた範頼にこれで遊ぶようにと姉が
手鞠を渡してくれたのを思い出した。
「姉上」範頼は小さな手鞠を握り締めた。
もう一つは古ぼけた人形。
これは範季に意味ありげに渡された包みの中身だった。

都から川を船で下り摂津大物浦から出帆。頼政の知行国伊豆にいったん立ち寄り
それから上総、安房を回って常陸に上陸、それから陸路上野国へ向かうことになった。
船は頼政とその息子伊豆守仲綱の手配で摂津渡辺党が出したものである。

もう何日も波をみている。
範頼は何度も何度も腹から何かがこみ上げてきそうになるのを堪えている。
ここ数日なにも喉を通らない。
すでに顔面蒼白である。
そんな、範頼の様子を渡辺の某というものはニヤニヤと眺めている。
「おい、御曹司」と声をかけてきた。
ここ暫く呼ばれたことの無い呼ばれ方を聞いた。
「お前、故左馬頭殿(義朝)のせがれだってな」
海の男らしい大声で尋ねてきた。
「あー、心配するなって、海の上では波の他には聞くものもないさ」
「あのう、東国に向かうのって海のほうがいいのでしょうか」と船酔いに疲れた範頼。
「ああ、海のほうがいいに決まっているさ。陸はぶっそうだしな。
第一大量の物資を運ぶのに馬何十匹に荷駄を乗せてひきつれて歩いていくことを考えろ。
船にのっければ一挙に運べるってもんだ」
渡辺某はつづける。
「八条院さまの御領はあちらこちらに散らばっているんだぜ。
年貢をちまちまと馬でなんか運べるか。海が一番さ」
八条院━━その母美福門院の代から頼政が仕えている皇女。
父鳥羽法皇、母美福門院から膨大な所領を相続しその後も数をふやしつづけている
八条院所有の荘園の数は摂関家、平家も及ばない。
八条院は当時最大の富貴な女人である。
そこに仕える頼政も八条院には多大なる奉仕をしている。
頼政の配下ともいうべき渡辺党も各地に広がる八条院領の年貢や人物の海上運搬に
大活躍をしている。

「それからな、流人を運ぶにももってこいなのさ」
伊豆は流刑の地。
多くの罪人が運ばれてくる。
都の外にまで流人を送り出すのは検非違使の仕事だが、
流刑地まで送り届けるのはその国の国司の勤めである。

その流刑地までは陸路延々と護送しながら歩いていくより、
海の上を行ったほうが護衛の武者は楽である。それに脱走される心配もほとんど無い。
「御曹司の兄君は何日も馬に揺られて伊豆へいったんだとさ。
わしらの殿様が伊豆守になる前のことだからな。海路の手配がつかなかったんだろな。
御曹司の兄君のお尻はさぞかし痛くなったことであろうな。ご苦労なこって」
━━ 船酔いも辛いのだが
と範頼は心の中で反発しつつ、流刑になった異母兄の苦境に思いを寄せた。

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蒲殿春秋(六)

2006-04-21 22:51:56 | 蒲殿春秋
「わしのいとこじゃ」と範季は頼政を紹介した。
「では、こちらが?」と範頼を見て頼政は言った。
「うーむ、父上にも兄上方にも似ておられぬ」
そういった頼政は範頼の顔をまじまじと覗き込む。

「東国へいかれるのか?」
「はい、養父上の任国へ下ります。」
「では、わしが手配いたすゆえ、海路東国へ向かうが良い。
ついてはわしの知行国伊豆にいったん立ち寄っていただきたい。
その際、北条四郎というものにこの書状を渡してもらいたい」

北条四郎とはいったい何者なのか。
そもそも、何ゆえ海路を通って上野国に向かうのか、
そして、どうして伊豆に立ち寄らねばならぬのか、
腑に落ちないものを感じつつ範頼は頼政の申し出を承諾した。

頼政が帰った後、範頼は範季に尋ねた。
「何故東山道*を通らないのですか?
陸路東山道を下るほうが上野は近いはずですが?」
「いや、わしの前の任国常陸**に寄って、そこの目代たちと合流して
上野へ向かってほしいのじゃ」
なるほど、常陸の国は海に面している。
海路で行くには便利であろう。

その後範季は周囲を見回して声を潜めた。
「しかし、これは表向きの理由じゃ。
伊豆にはだれがおるかそなたは存じているであろう」
━━三郎兄上(頼朝)だ
「くわしいことはわしの口からはこれ以上は言えぬ。
それから、これはそなたの姉上から預かった。」
範季の手には小さな包みが二つあった。
「一つはそなたに、そしてもう一つは・・・・わかっておろうな」
範頼は緊張した面持ちでうなづいた。

*東山道 現在の中央自動車道近辺の地域
**常陸国 現在の茨城県あたり

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蒲殿春秋(五)

2006-04-16 10:00:17 | 蒲殿春秋
思ってもいなかった言葉に範頼は驚いた。
すぐには決められないと範季には返事をした。

範季から範頼の上野国行きの話がでた背景は次の通りである。
永万元年(1165年)十月、範季は上野介に任じられた。
親王任国の上野国の実質的な国司は介である。
国司は定められた年貢さえ上納していれば良いと思われがちだが
実際には、領内の行政、治安、荘園の立荘など幅広い実務を任期の間
大過ななく勤め上げなければならない。
任期満了の頃には国司としての仕事ぶりの査定がある。
また、任期中問題を起こせば即座に解任される。
査定の結果が悪かったり解任されたりすれば、次の国司になることは難しく
以後の官界での立場が悪くなる。

そのような状況であるため
自身が任国まで下ることのない国司は
信頼のできる行政能力に長けた者や武術に長けた者を
現地に派遣しその地をなんとか無事に治めようとする。
その派遣者の一人に範頼を加えようというのである。

上野国に下ることに範頼に異存はない。
範季の猶子といっても実父は謀反人として処断された源義朝である。
今更、範頼の存在が明らかになったところで範頼が刑に服する危険はもはや無いが
彼の父方の親族は全て官界を追われ、範頼が都の官位につく見込みはまるでない。
都において頼れるものは養父の範季だけである。

結局のところ都にいても範頼に成人の男としてできることは何一つないのである。
どうしても都に残って自分の居場所を求めるとすれば
異母弟全成(幼名今若)のように僧侶になって寺社の中で一定の地位を求めるしかない。
在家として生きるのであれば任国に下る目代について行き、国衙の仕事をして、
その中で自分のいるべき場所を探すしか範頼には方策は無かった。
むしろ、幼時に家が滅んでしまった為修行が途中で終わり武者としては未完成、
文官としての能力は未知数の自分を上野国行きの一人に抜擢してくれた範季の温情に
感謝するべきであろう。

ただし、範頼の旅立ちをためらわせるものが一つだけあった。
範頼がいなくなったら、またたった一人都で残される異腹の姉の存在だった。

それでも、範頼は上野に下ることを決意した。

その決意を姉に告げにいった所
「そう」と一言いったきり寂しげな横顔を向けた。
本当に心が痛んだ。
そして、こう一言告げた
「元気でね」と。

それから数日後、範頼は範季から意外な人物に引き合わされた。
範頼の目の前に座った男は源頼政と名乗った。

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蒲殿春秋(四)

2006-04-14 19:05:16 | 蒲殿春秋
その後、範頼はこまめに姉の所へ顔を出すようになった。
兄の三郎と間違えられたことはまだ心に引っかかっているが
やはり、姉が懐かしかった。
養父の範季はよくしてくれてはいるが、範頼の孤独を埋めてくれる存在ではなかった。
自分は母に捨てられ父は死んでしまった天涯孤独の身という気持ちに
度々さいなまれてたまらなくなる。
そんな想いは姉と会っているときだけ癒されていた。
姉は姉で範頼がきたとき本当にうれしそうな顔をしてくれる。
姉もまたつらさ、寂しさに苛まれている。
もし、自分の存在が姉にとって必要なものならば喜ばしいことであった。

そんな折、範頼が身を寄せている範季の家ではちょっとした異変が起きた。
範季の兄範兼が急死したのである。
仏事でいろいろとあわただしい思いをした。
その仏事の中にまだ幼い範兼の三人の子供達が手を合わせていて
参列した人々の涙を誘った。
その兄の遺児たちは範季に引き取られることになった。
親をなくして間もない三人の子供達の世話に範季や家の者達は追われることになった。
自分と境遇の似ている三人を慰めようと範頼も彼らの話相手になろうとしたが
なぜか入っていけない。
親を亡くしてしまった三兄妹は自分達だけで身を寄せ合い、より強い結束をしていて
他のものが立ち入る隙がない。
そして、他の者達は三人の遺児にかかりっきりである。
ただでさえ、範季の家の中で肩身の狭い思いをしていた範頼は
ますます身の置き所がなくなった。

「やはり、親を亡くしてばかりの同胞というものは身を寄せ合うものなのでしょうか?」
範頼は姉に尋ねる。
「そうね、なんといってもこういうときには兄弟身を寄せ合うものでしょうね。
私も母上を亡くしたときに父上や三郎、五郎がいてくれたおかげで
どんなに助けられたことか
でも・・・」

範頼はハッとした。
姉の母が亡くなったときは、まだ姉と同腹の三郎(頼朝)と五郎(希義)が身近にいた。
父もいた。
けれど父亡き後は姉はたった一人でその悲しみを引き受けなければならなかったのだ。

自分は三郎や五郎の身代わりにはなれない、
けれどもし、姉と自分と父を喪った悲しみを共有してお互いに支えになるのならば
姉の支えになろう。
範頼はそう決意した。

その後も範頼は姉の家に頻繁に顔を出した。
後で考えれば、姉の支えになりたいというのは自分の心を正当化するための
かこつけであったのかも知れない。
姉の側に行くことで範頼自身が居心地の悪くなった範季の家の中での
辛さをしのいでいたのかもしれないのだから。

そんな生活を半年ばかり続けていたころ範頼は思わぬことを範季から告げられた。
「六郎、上野国*に行ってみないか?」

*上野国 現在の群馬県あたり

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蒲殿春秋(三)

2006-04-12 21:54:39 | 蒲殿春秋
その夜、範頼は今までのことを思い出していた。

範頼の母は範頼を産んでからすぐに姿を消したという。
詳しいことはわからないが遊女であったと聞く。
その後乳母をつけられ遠江国で育った。
時折、都から東国に向かう父が立ち寄った。
幼心に残る父はただ単に慕わしい存在であった。

六つになる頃範頼は「武家としての素養を身に着けため」
都の父の館に時折行くようになった。
郎党の中から弓馬の道に達したものを選び
馬術弓術や軍略さらに学問まで習うのである。

遠江の質素な自分の館に比べると、父の屋敷は豪壮できらびやかであった。
そこでの自分は多くの従者たちに囲まれ「御曹司」と呼ばれる身分だった。
しかし、なにかが違うこの館に戸惑いを隠せなかった。
乳母と二人ぽつんと広い屋敷に取り残されることも多々あった。
なによりも、頼りの父が多忙でめったに範頼の前に現れることがなかった。
たまに顔を会わせても、遠江の館にいる父となにかが違うのである。
何と言われても困るが何かが違ったのである。

北の方と呼ばれる父の正室もそれなりに気を遣ってくれていたが
無条件に甘えることは出来なかった。
優しく接していてくれるが範頼にとっては所詮は他人であった。
それに、北の方は女房仕えをしていて留守がちだった。

どこか寂しさを感じていた範頼の心にほんわかと明かりを灯したのが
北の方の長女、今後ろに控えていてくれている異腹の姉であった。

姉の心づくしでぽつねんと屋敷で過ごすことも減った。
時折、鞠を持ってきてくれて一緒に遊んでくれた。
都に住む郎党や下僕にさえ退屈がられた遠江の話を辛抱強く聞いてくれた。
武芸の練習に疲れて果て廂で寝込んだ範頼の肩と背にそっと衣をかけてくれたこともあった。
なによりも、いつも笑顔で無条件に自分を受け入れてくれた。
そんな姉を母が違うということを忘れて心の底から慕っていた。

しかし、今日の姉を見て心に痛みが走った。
姉は姉でも所詮は異腹。
やはり、姉にとっては異腹の自分より同腹の弟たちの方が気にかかるのだと。
その事実はほろ苦かった。
今日の姉は自分が三郎に見えたように、自分の姿を通して
三郎や五郎を追い求めていたのではないのか、そんな気がした。

翌日、範頼はある人物の来訪で朝早く起こされた。
姉の乳母如月が尋ねてきたのである。

「六郎様、お礼申し上げます」
不審に思う範頼。
「姫様は、あの戦以来泣いたことがないのです。
どんなにつらいことがあっても涙をながすことがございませんでした。
平治の戦の話も、ご兄弟の事もご自分から口になさることもございませんでした。
けれど本日初めて、弟君の話をしてお泣きになられました。
お礼申し上げます。」
乳母如月は深々と範頼に頭を下げた。

「人は本当に悲しいときは泣くことはできないのでございます。」
如月はつづけた。

「姫さまがどのような境遇のなかでここまで
生きてこられたかはあなたさまもご想像がつくと思います。
泣くことも出来ないほどの悲しみの中で姫さまはいままで苦しんでおられました。
いままで親兄弟のいない中でただお一人で生きて参られました。
ご身内の六郎様がお見えになってはじめてお泣きになることができたのでございます。
お願いでございます。
また、今一度こちらにいらっしゃって姫さまの心を救ってくださいまし」

「私でよろしいのですか? 私などで」

「もちろんでございます。
けれど、まだ父君がいらした頃、時折都に上るあなたさまを
いつ来るかいつ来るかと姫さまは指折り数えておられました。
あなたさまを弟として慈しんでくださる姫さまの心に偽りはございません」

その一言を残して如月は帰っていった。

━━ 姉上は私を弟と認めてくれている。私が姉上の支えになるのならば支えになろう。
けれど、私には三郎兄上の代わりはつとまらない。私には。
たとえ、姉上が私のなかに三郎兄上の面影を追いかけたとしても、だ。

範頼は心の中でつぶやいた。

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